06.「都会の空気は汚い」
一度は憧れるであろう、中世ヨーロッパ風の街並み。大きな建物。馬が引く馬車。お洒落に着飾った人々。そんな世界の中、ジルはこれでもかというほど目を輝かせていた。
「──……みたいな冒頭が欲しい」
遠い目をして願うジルの前を、加速したスポーツカーが過ぎ去っていく。
──首都、ベルリン。
大陸中央部にデカデカと蔓延るその都市は、魔術ではなく機械工業によって栄えた巨大な都市である。
見上げる程に大きな建物は高層マンションに酷似しており、夜景はきっと綺麗なんだろうな、なんて感想を抱いてしまう。
そんなジルの傍ら、彼のお供……否、お守り役のミーリャは、鼻を抑えて顔の前で片手を振っていた。時節漏れる咳はこの首都の空気のせいなのかどうなのか……。兎にも角にも辛そうである。
「ひっくち! ……はぁ……相変わらずの汚染地域なのね、ここは……ぶしっ!」
聞くだけで笑いを誘うようなクシャミを連発しながら、ミーリャは赤くなりつつある鼻をこすり言った。
「しかし、獣族のジルはともかく……ぶしゅっ! オルラッドまで平気なことには正直驚いたのね……ぴちっ!」
「お前それくしゃみ?」
「そうじゃなかったら……ひぐしっ! なんだと言うのね……ぶしゅばっ!」
ジルが笑う。その馬鹿にした態度にミーリャがキレる前に、オルラッドは「ひとまず薬を買おう」と提案した。
「へ? 薬?」
「ああ。首都に来たらまず薬が必要。ここ以外に住む人にとって、首都の空気は毒のようなものだから……」
「ふーん? なるほど?」
じゃあなんで俺もオルラッドも平気なんだろう、と悩みながら、
ミーリャの案内の元『なんでも売買店』という名の店に向かう。
軽やかとは言い難い機械音を発しながら開かれた自動ドアの先。
まるで高級ホテルの受付ではないかと錯覚するような、やけに綺麗でお洒落な場所に出た。
明るい天井にはきらびやかなシャンデリア。待ち合い席であろう場所には記念写真を撮りたくなるような噴水。
だが、やけに静かだった。
人の気配が、まるでない。
きっと夜間には混み出すのだろうと謎の推測をしながら、ジルは受付へ。
少し高めのカウンターから顔を覗かせながら、「すみませーん!」と声をあげる。
「はーい! ちょっと待ってねー!」
そんな声が聞こえて数秒、奥から女性が現れた。
ちょっとばかり化粧の濃い女性だ。
スーツ風の黒服に身を包んでいるその女性は、
客であるジルたちに対して丁寧に一礼してみせた。
ゆるやかに揺れる、長い栗色の髪。顔を上げた彼女の強気な赤い瞳はキリッとしており、やけに自信に満ち溢れていた。
「いらっしゃいませ、お客様」
事務的な言葉が、グロスの塗られた女性の唇からこぼれ出た。
「今宵はどういったご要件で当店にお越しくださったのでしょう?」
「薬なのね」
ミーリャが言う。
女性はそんなミーリャを見下ろしながら、「外の方々ですね」と笑みを浮かべた。
「薬でしたらカプセルタイプと粉タイプがあります。どちらがよろしいですか?」
「カプセル」
「承知いたしました」
頭を下げた女性がそのまま奥へ。
すぐに戻って来たかと思えば、カプセルタイプの薬をカウンター上に置き、薬局で見るような白い袋に詰めていく。
その手際の良さに感心していると、「ジル」と背後から名を呼ばれた。
「ん? なに?」
振り返ったジル。その頬に、生暖かい液体が降りかかった。
「……え?」
一瞬停止する思考。そして漏れる疑問の声。
その間にも女性の体が前方に傾き、カウンターの方へ倒れ込んできた。薄暗い中、滑らかな光沢を放つそこに豪奢な体を打ち付けて停止するその姿は、まさに異様。
──何が……。
カウンターに広がる赤い液体。それが滴り落ちるのを、テレビ画面の向こうから眺めているような感覚で、ジルは見つめた。声を上げることも、瞬くことも、息をすることすら忘れて、彼はただ、呆然と佇む。
少しして、ゴトリと重い音をたて、ジルの足元になにかが落ちた。それは彼の視線を誘うように、コツンと彼の靴に軽くぶつかる。
──見てはいけない。
頭の中で警告音が鳴る。
しかし、視線は自然と己の足元へ。
ゆっくりと顔を床へと向けたジルは、腹の底から湧き出る悲鳴を止められない。恐怖に引き攣る声を震わせ発されたそれは、静かな店内に大きく、長く、反響する。
錯乱するジルの足元。
そこに転がっていたのは、今まで話していたはずの女性──その頭部であった。




