Case 0 青の扉 ③
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「この暗号、実は結構よく出来ている」
褒め言葉から入るとは意外だった。
「瞬木、この暗号の中で気になる点はどこだ?」
なんと私に質問が飛んでくるシステムだった。うーん、全部気になるけど全部気になるとか言ったらまた偏差値2とか言われちゃうかなぁ……。
「やっぱ最初の藁山って部分と、あとはこのパイの部分……でしょうか」
恐る恐る探り探り答えてみる。どうか片方だけでも当たっていて欲しいところだが果たして……。
「それだけか? 全部気になるだろこんなの」
マジかこいつ。隣で南中先輩がククッと笑う。私が手玉に取られているのを楽しんでいるようだ。
「この暗号は文章自体がほぼ成り立っていない。一階の部屋を訪ねよの部分以外意味がわからない」
ええ、おっしゃるとおり。朝からこの意味不明の文章とそれなりに格闘し、結局生徒会室に助けを求めに来ているわけですから。
「つまり、文章の内容を足掛かりに暗号を解こうとするのは悪手の可能性がある、ということだ」
ん、なんかよくわからない言い回しをされた。どういうこと?
「え、じゃあ何を足掛かりにすれば……?」
文章しかないのに文章から解くななんて言われても困る。
「問題の形だよ」
え、形……? 私は改めて暗号の紙を見つめた。
「あー、なるほどねぇ」
南中先輩が呟く。何かに気づいたらしい。私も自力で気づきたい。何だろう……形。少し遠目で暗号全体の輪郭を確認する。……あ。
「もしかしてこれ、五十音表?」
暗号は五文字×十行の長方形で構成されている。
「そう。こういった暗号ではかなりメジャーだが、これは五十音表に則って文章が書かれている」
あらら、メジャーなのね。
「僕がちょっと感心したのは、パイとかゼロとかカタカナをそれっぽく配置することで、や行とわ行の空白の不自然さをごまかしているところだ」
なるほど、そういう手法なのか。そもそも空白が全然気にならなかったことは黙っておこう。
「そしてわ行に三文字入っていることで、これは『ん』の文字がわ行の一番下に入る形の五十音表だということがわかる」
ん、何の話? 久遠くんの言う三文字というのはこの『藁』『四』『一』のことで、これが五十音表の『わ』『を』『ん』に当たるという話……かな?
「いいか瞬木、この形の五十音表であることに大きな意味があるんだ」
全然ピンときていないのを見透かされ、名指しされてしまった。
「ご説明をお願いします」
「五十音表にはこれよりももっとメジャーな形がある。『ん』の文字が『わ』の左隣に配置されている形だ」
確かにその方がよく見かける。いやよく見かけるというほど普段の生活に五十音表は登場しないけど。
「しかしこの暗号はあえてメジャーじゃない方の五十音表の形を示唆している。つまり、この形じゃないと暗号が成立しないということだ。では具体的に何が成立しないのか?」
久遠くんが含みを持たせ、視線をこちらに送ってくる。なかなかに解説を楽しんでるなこの人。
「何が成立しないのかな?」
南中先輩が合いの手を入れると、久遠くんはまた一拍置いてからその言葉を口にした。
「藁山だよ」
藁山! 私はちょっと興奮してしまう。親の顔より見たあの藁山がついに登場したのだ。……で、藁山って結局なんなわけ?
「瞬木、この形の五十音表を実際に書いてみてくれ」
久遠くんはそう言うと、生徒会室の棚からA3サイズのコピー用紙を取り出し、水性マジックとともに机の上に置く。仕方ない、ご指名とあらば書くか。私は暗号の配置と同じように、五十音表を書き上げることにした。
こんなもんでどうでしょう。なんともノスタルジックな五十音表が完成した。
「上出来だな。で、何か気づくことはあるか?」
出来を褒めてもらえたのも束の間、何か気づくことか……。久遠くんはわ行の話をしてたので、わ行付近に注目してみることにする。
「……わらやま!」
私は思わず声を上げた。五十音表の左上に、『わらやま』という文字列を見つけたのだ。
「そう、この形の五十音表だと『わらやま』という四文字が登場するんだ。これでもうだいぶ解けてきたな」
だいぶ解けてきた? 確かに一瞬スッキリしたが、ここからはつまり、えっと、どうすればいいんだろう……? 私は再び黄色い暗号の紙を見つめる。この藁山が、もっとも有名なパイの一部の時……。
「……もっとも有名なパイの一部、次はここだ」
沈黙を続ける私を見かねてか、解説の続きを始めてくれた。
「そこまで難しく考えることじゃないが、この『パイ』は何を指してると思う?」
うーん、もっとも有名なパイ……。ここはやはり……。
「アップルパイ?」
大穴でニシンのパイの可能性もあるけど、最初に思いついたパイの名を口にした。
「いやいや、同学年とはいえ下ネタはダメだよすずちゃん」
南中先輩は私とは全然違うパイを想像しているみたいだ。この人やっぱこういう感じなのね。顔はすごく可愛いのに。
「そう、円周率のことだ」
久遠くんはそんな私たちのことは完全に無視して話を進める。円周率、π、なるほど。
「そしてこの『もっとも有名な』という部分、実は『パイ』の部分にかかっているわけではなく、『一部』の方にかかってる」
ん、もう何を言ってるんだこの人は。
「最も有名なパイ、と考えた場合、答えは円周率とは言い切れない。瞬木みたいにアップルパイを思い浮かべる人もいるだろうし、人によってはニシンのパイと言うかもしれない」
ぐぬぬ、心を読まれている。
「私は?」
「論外だ」
久遠くんが南中先輩のパイを一蹴する。
「だけどπ、つまり円周率の最も有名な一部、と考えた場合はどうだ?」
円周率の最も有名な一部……、3.14!
「3.14、これが果てしなく続く円周率において、最も有名な部分だというのは人類共通の認識と言い切れるだろう。ゆとり世代ですらそう思ってる」
別にこの中の誰もゆとり世代ではないというのに。
「もう答えだ。『わらやま』がもっとも有名なパイの一部、3.14なのだから、あとはそうすればいい」
あとはそうすればいい、ときたもんだ。私は自分の書いた五十音表に向き直る。この『わらやま』の部分が3.14ということは……。
「この五十音表に円周率を当てはめる!?」
左上から始まる『わらやま』が円周率に始まりである3.14に相当するなら、五十音分の円周率を当て込んでいけばいいのではないか! 天才じゃん私。
「じゃ書いてくれ」
まぁそうなるよね。でも3.14より後の円周率なんて知らない。私はスマホを取り出し円周率を調べることにした。念のため一応聞いてみることにする。
「もしかして久遠くん、円周率全部暗記してるの?」
「そんなわけあるか。あと円周率全部、みたいな発言は底が知れるからやめた方がいいぞ」
底が知れる、なんて生まれて初めて言われたわ。
五十音表の文字の下になんとか数字を書き込んだ。疲れた。
「もう説明はいらないと思うが、ここには小数点以下第四十四位までが記されている」
四十四位ってそういうことか! じゃその中の唯一のゼロって……。私は自分の書いた数字を見渡す。『せ』の文字の下に0がある。他には0は見当たらない。
「四十四位の中で意外にも0は一回しか登場しないんだ。これは僕も知らなかった」
「つまりこれって、『せ』から始まる一階の部屋を訪ねよ、ってこと!?」
「そういうことだ。そしてこの校舎の一階に『せ』から始まる部屋は一つしかない」
「……生徒会室」
私は心底驚いた。今自分がいる、まさにここが暗号の答えだったなんて。
「だから僕はさっき瞬木がこの部屋を訪ねて来た時、暗号を解いたのかと聞いたんだ」
確かにそんなことを言われた気がする。いや今はそんなことよりも……。
「この暗号すごくない!? ってか久遠くんすごくない!?」
私はそう叫ばずにはいられなかった。正直感動してしまった。
「そうなのよ、うちのすずちゃんはすごいのよ」
南中先輩が得意気に語る。
「瞬木、僕がすごいのは当たり前だ」
お前も言うんかい。まぁ言いそうだったけど。
「さて、そろそろ時間だな」
久遠くんがスマホを確認しする。そういえば暗号の解説を始める前にもまだ時間があるとか言ってたっけ。
「どっか行くの?」
私が聞くと久遠くんは冷たい視線をくれた。
「おいおい、暗号が解けてはい終わりか? 本質は暗号を解くことじゃないだろ」
本質……。
「なんで暗号の答えが『生徒会室』だったか、ってことだね」
私が悩んでいると南中先輩が代わりに答えてくれた。確かにそうだ! この暗号は解けたが、暗号の指し示す答えの意味が分からない。
「……暗号部は生徒会室を訪ねさせたかった?」
え、誰に? 自分で言っておきながらやはり意味が分からない。
「さっきも言ったがおそらくこれは回収されるところまで織り込み済みの暗号だ」
さっきも聞いた文脈だがますます意味が分からない。
「許可のない掲示物は生徒会に回収される。そうなると遅かれ早かれこの暗号は僕の目に触れることになる。そして僕はこういった暗号を解きがちだ」
解きがちなんだ。
「つまりこれはもともと僕に解かせることを目的とした暗号というわけだ」
「え、久遠くんに? なんのために?」
「あいつらが考えそうなことだ」
久遠くんはそう言うと扉の方を見た。私もつられて視線を移すと、扉の外に二つの人影が立っていた。




