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Case 0 青の扉 ①


 京浜工業地帯を遠方に臨む小高い丘の上に、私たちの学び舎は建っている。オレンジ色とこげ茶色、そして白を織り交ぜたレンガの外壁が美しい、県内では比較的珍しい中高一貫の私立共学校だ。

 六月、梅雨入り前の初夏の風が心地よい季節。校舎へと続く桜並木の登り坂、通称遅刻坂にほかの生徒の姿はもうほぼない。桜の木々にはすっかり夏の緑が茂っており、すでに高くなりつつある太陽からの木洩れ日が足元に揺れる。予鈴が静寂を切り裂く。午前八時四十五分、遅刻ギリギリといったところか。とくに歩くペースを速めるわけでもなく、一歩一歩坂道を踏みしめる。私こと瞬木(またたき) 寧々子(ねねこ)は、自分でいうのもなんだが名前のとおり猫に似てマイペースだと思う。あと朝も弱い。熱いものは食べられる。

 ようやく遅刻坂を登頂し、高等部側の昇降口にたどり着く。上履きに履き替え、高校一年の教室のある三階へと向かおうしたその時、私は突き当りの壁に設置されている掲示板に、何やら見慣れない黄色い紙が貼ってあることに気が付いた。近づいてみると、それは数ある部活の中でも群を抜いて活動内容が不透明な、『暗号部』による掲示物であった。


挿絵(By みてみん)


 な、のる。……あ、横読みか。

 わらやま? がもっとも有名なパイの一部の時、四十四位の中で唯一のゼロからはじまる1階の部屋を訪ねよ……?

 A3用紙にプリントされた謎の文章。掲示許可の判子が押されてないので、そう遠くない未来に生徒会あたりに剝がされてしまいそうだ。そもそもいつのタイミングで貼られたのだろう。

 藁山というのは藁の山のこと? 全然聞きなじみのない単語だ。もっとも有名なパイの一部もよくわからないし、四十四位の中で唯一のゼロも全くわからない。一階の部屋を訪ねよということは、答えは校舎一階の部屋のどこかということになるのか。一階にあるのは……、図書室、視聴覚室、校長室と応接室、保健室に化学室、生徒会室もあった気がする。あとほかになんか部屋あったっけな、などと黄色い紙の前で考え込んでいると、ちょうどホームルームの開始を告げる本鈴が鳴り響いた。私は慌てずにスマホを取り出すと、この不可解な文章を念のため写真に収めた。まったく、暗号部のせいで遅刻である。




 昼休み、母親が作ってくれたお弁当を頬張りながら私はスマホに目を落とした。今朝写真に収めた暗号だ。

「どうしたの? 変な顔でスマホ見て」

 私の机にパンくずをこぼしている友人、瀬戸(せと) 百花(ももか)が聞いてくる。人の真剣な表情を変な顔とは、まったくなんて失礼な友人なんだろう。

「なんか朝昇降口に貼ってあった」

 私はそう言うとみんなに見えるように机の中央にスマホを置いた。なになに、と一緒にお弁当を食べていた藍沢(あいざわ) さやかと(はやし) 果歩(かほ)の二人も覗き込む。

「なにこれ、暗号?」

「たぶん? 暗号部だし」

 百花の質問に答えつつ、三人の様子を伺う。予想どおりといえばそうだが、すでに学校中で話題になっている例の怪文書だね、などということにはならなかった。考えてみれば私が入学してから一度たりとも、暗号部のこういったものが全校で騒がれた記憶はない。人知れず定期的にこういった催しをやっているのか、それとも今回が特別なのかはわからないけど……。

 さやかが問題文を音読しようとして、やはり冒頭の藁山の部分でいきなりつまずいた。

「わらやまってなに、聞いたことないんだけど」

「ってか暗号部ってなんの活動してるの」

 果歩の指摘はもっともだ。私もすごく気になる。

「もしかして藁山って人がいるんじゃない? 聞いたことないけど」

 暗号部の活動に関しては誰も答えなかったが、百花が面白いことを言った。確かに藁山なんて苗字は身近で聞いたことがないが、一学年に三百人近く、全校で千八百人もの生徒がいるため、藁山くんか藁山さんがいる可能性は否定できない。

「あ、わかった!」

 果歩が声を上げる。

「これさ、パイが有名なお店が実家の藁山くんが、四十四人のクラスの中で唯一テストでゼロ点を取ったってことじゃない? だからその藁山くんの教室が答え」

 とんでもない推理だ。

「えーいいじゃんそれ」

 さやかのテンションが上がる。

「でも一階に教室なくない?」

 百花が質問してくれた。論点はそこじゃないけどそれもそう。

「じゃあアレじゃない、その藁山くんが入ってる部活とかの部屋」

「なるほど、図書委員なら図書室で、化学部なら化学室ってことだ!」

 百花が早速納得してしまう。

「と、いうわけでねこは藁山くんを探せばいいよ。藁山さんかもだけど」

 と、果歩。私は親しい友人にはねこと呼ばれることが多い。

「それなら生徒会に聞くのが手っ取り早いかもね」

 さやかのアドバイス。もうすでに誰も真面目にこの暗号に向き合ってないな。

「でもこんな個人を傷つけるような問題貼るかな? 四十四人の中で唯一のゼロ点って」

 一応もっともらしいことを言ってみたりする。

「うん、それはそうだよね」

 すぐに引き下がる果歩。百花もうんうんと頷いている。誰も本気で先ほどの推理が正解だとは思っていない。まぁそれもそのはず、ここは中高一貫の進学校。偏差値だってなかなかに高い。百花たちと喋っていると、みんな中学受験の難関を突破してきていることをつい忘れてしまう。

「まぁ冗談はさておきさ、ねこが本気でこの暗号の答えが気になるなら、生徒会に聞くっていうのはあながち間違ってないかもよ」

 そんなことを言ってくるさやかが実はこの四人の中で一番成績が良い。ちなみに次に良いのが果歩で、百花と私は同じくらいといったところだ。

「なんで生徒会?」

 私は生徒会に馴染みがなさすぎて思わず聞き返す。

「あそこには久遠(くおん)がいるからね」

 久遠くん、さやかの幼馴染的な男子だ。たまに話に出てくる。同学年にいるのだが、同じクラスになったことはないし話したこともない。なんとなく顔がわかる程度だ。それにしても幼馴染でお互い私立の共学校を受験するなんて、素敵なこともあるものだ。

「ねこのタイプではないと思うけど、あいつは昔からこういう暗号みたいなの得意なんだよね」

「え、ってか結局さやかと久遠くんって付き合ったりしてないの?」

 百花が恋バナを始めてしまったので、暗号の話は早くも幕引きとなった。ふむふむ、生徒会の久遠くんか。


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