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第6話 弁償請求と、エリートの陥落

 演習終了後の臨時テント。

 そこには、異様な空気が流れていた。


 長机の上には、鉄屑のようにひしゃげたタワーシールドが置かれている。

 俺たちが持ち帰ったそれを、引率の教師である源田先生が、腕組みをして睨みつけていた。


 彼は元Bランク冒険者であり、現役時代は「鉄壁の源田」と呼ばれた重戦士だ。盾の扱いに関しては、国内でも指折りのプロフェッショナルと言われている。

 その源田先生の額に、脂汗が滲んでいた。


「……おい、木戸。報告では、レッド・ボアの突進を『受け止めた』際に壊れた、と言ったな?」


 低い声で問われ、木戸がビクッと肩を震わせた。


「は、はい! そ、そうです! 俺の剣技と、竹内の盾で、なんとか撃退して……」


 木戸の声は裏返り、視線は泳いでいる。

 隣にいる佐藤エリも、青ざめた顔で俯いていた。

 俺は少し離れた場所で、パイプ椅子に座ってジュースを飲んでいた。報告はリーダーの仕事だ。俺は余計な口を挟まない。


 源田先生は、木戸の言葉を鼻で笑った。


「嘘をつけ」

「ひっ……!?」

「ボアの突進を受けたなら、盾は『凹む』はずだ。外側から内側へ向かってな」


 先生は、ひしゃげた盾の断面を指でなぞった。


「だが、これはなんだ? くの字に折れ曲がっているが、その歪みの起点は『持ちグリップ』側にある。つまり、内側から外側へ向かって、とてつもない衝撃が加わったということだ」


 先生の鋭い眼光が、盾の傷跡を解剖していく。


「それに、この摩擦痕。防御の構えじゃない。まるで、盾そのものを鈍器としてフルスイングしたような……いや、それすら生温い」


 先生はゴクリと唾を飲み込み、震える声で言った。


「……これをやった存在、少なくとも“人間の動き”じゃない。衝突角度と筋力……Aランク以上だ」


 テント内の空気が凍りついた。

 Aランク。

 それは、国家戦力に匹敵する化け物の領域だ。そんな存在が、たかが生徒の演習に紛れ込んでいたとでも言うのか。


「おい、正直に言え。お前ら、ダンジョンの中で『誰』に助けられた? たまたま通りがかった上位冒険者か? それとも……」


 先生の視線が、木戸たちを飛び越えて、後ろにいる俺に向けられた。

 疑いの目。

 だが、すぐに「まさかな」と首を振って否定される。

 ステータス詐称でもしていない限り、ただの高校生にAランクの出力など出せるはずがない。常識的に考えてありえないからだ。


「……いえ、誰も。必死だったので、よく覚えていません」


 俺は空になった紙パックをゴミ箱に投げ入れながら、平然と答えた。

 シラを切る。これに限る。

 先生はしばらく俺を睨みつけていたが、やがて深く溜息をついた。


「……まあいい。事実として、ボアは死に、お前らは生還した。それだけが結果だ」


 先生は疲れたように椅子に座り込んだ。


「だが、備品破損は事実だ。このタワーシールド、演習用とはいえ特注品だぞ。弁償してもらうことになるが……」

「は、払います!!」


 俺が財布を取り出そうとするより速く、木戸が悲鳴のような声を上げた。


「俺が払います! 全額! い、いや、慰謝料も含めて倍額払います!!」

「はぁ? 倍額?」

「だから許してください! もう二度と逆らいません! 視界にも入りませんからぁッ!!」


 木戸はガタガタと震える手で財布を取り出し、中に入っていた万札をすべて机の上にぶちまけた。

 手が震えすぎて、小銭がバラバラと床に散らばる。

 佐藤エリが涙目でそれを拾い集め、「ケ、ケンジ君、もっと出して! 足りなかったら殺されるよぉ!」と半狂乱になっている。


 先生がポカンとしている。

 俺も呆れてものも言えなかった。

 俺はただ、盾でボアを弾いただけだ。別に彼らを脅したわけでも、殴ったわけでもない。


 なのに、彼らは何を見ているんだ?

 木戸の目には、俺がボアをミンチにしたあの一撃が、自分たちに向けられる幻覚でも見えているのだろうか。

 完全にトラウマになっていた。


「……ちっ。好きにしろ」


 俺は呆れてテントを出た。

 背後で「あ、ありがとうございますぅぅ!」という木戸の情けない感謝の声が聞こえていた。



 翌日の学校は、異様な雰囲気だった。

 いつもなら、普通科の俺が廊下を歩いていれば、冒険者科の連中から「邪魔だ」と肩をぶつけられるのが日常だ。


 だが、今日は違った。

 俺が廊下を歩くと、モーゼの海割れのように人が左右に避けていく。

 ヒソヒソという囁き声が、波のように広がっていた。


「おい見ろ、あれが竹内だ……」

「聞いたか? 昨日の演習の話」

「ああ。素手でレッド・ボアの首をねじ切ったって……」

「違うぞ、睨んだだけでボアが心停止したらしい」

「木戸先輩が土下座して靴を舐めたってマジ?」


 噂に尾ひれがつきすぎて、もはや原型を留めていない。

 俺はいつの間にか「裏社会の掃除屋」か「人間兵器」のような扱いになっていた。


 教室に入り、自分の席に着く。

 机の上には、学食で一番高い「プレミアム・メロンパン」と「果汁100%ジュース」が、供物のように置かれていた。


「……誰だこれ」


 俺が呟くと、教室の入り口で張っていた木戸が、すっ飛んできた。


「お、俺です! 竹内様のお口に合うかと思いまして!」

「……様?」

「はい! 今後、何か必要なものがあれば何なりと! 購買の列に並ぶのが面倒なら、俺が全て代行しますので!」


 木戸は直立不動で敬礼している。

 クラスメイトたちが「あの木戸が……」「弱みを握られたのか?」と戦慄しているが、木戸は気にする素振りもない。彼にとっては、俺の機嫌を損ねてミンチにされることの方が恐怖なのだろう。


「……別にいい。もらうよ」


 俺はメロンパンの袋を開け、一口かじった。

 美味い。

 タダ飯が食えるなら、この勘違いも悪くないかもしれない。

 俺はカーストが逆転した教室で、悠々と朝食を楽しんだ。


 だが、俺の戦いはここからだ。

 学校での「平和」は手に入れたが、家計の火の車はまだ消えていない。

 俺には、次なる稼ぎ場が必要だ。



 その日の夜、我が家のリビングは作戦会議室と化していた。

 テーブルの上には、威圧感を放つ『黒鉄の大剣』と、俺のスマホ。

 画面には銀行アプリが表示され、『385,000』という残高が輝いている。


 その横で、妹の遥が自分のスマホを片手に、猛烈な勢いでフリック入力をしていた。


「……異常ね。計算が合わない」


 遥が画面を睨みながら、深刻な声を出した。

 彼女が見ているのは、俺のステータス画面をメモしたデータだ。


「お兄ちゃん、レベル13でSTR133っていうのは、バグよ。通常、戦士職のSTR成長率はレベル毎に+2から+3。極振りしたとしても、せいぜい50から60が限界のはず」

「俺には【構造欠陥】があるからな」

「ええ。そのパッシブスキルの係数が壊れてるのよ。他のステータス上昇分を全てSTRに変換してるとしても、変換効率が200%を超えてる。このペースで行ったら、そのうち戦車くらい指先で弾くわよ」


 遥は呆れたように言ったが、その目は笑っていなかった。

 俺の体が、人間という枠組みから外れていく恐怖を感じているのかもしれない。


「……ねぇお兄ちゃん。本当は……怖くないの?」


 ふと、遥の指が止まった。


「攻撃力はバグってるけど、耐久(VIT)は17。一般人のスポーツマンレベルよ。もし敵の攻撃を一発でも貰ったら……」

「ああ。死ぬな」


 俺は即答した。

 今の俺は、エンジンだけF1カーで、ボディは軽自動車みたいなものだ。

 かすっただけで大破する。それがわかっているからこそ、パリィと身体能力強化で「触れさせない」戦い方をしているんだ。


「怖いよ。足だって震えるし、逃げ出したい時もある」

「……なら」

「でも、やるしかないからな。俺にはこれしかないし、これで守れるものがあるなら、綱渡りだって続けてやるさ」


 俺が笑って見せると、遥は泣きそうな顔で「バカ兄貴」と呟いた。

 そして、パンと自分の頬を両手で叩いた。


「よし。湿っぽいのは終わり! お兄ちゃんが体を張るなら、私は頭を使う。これからは私が装備とお金の管理をするから、文句言わないでよね」

「頼もしいな。で、軍師様。次はどこへ行けばいい?」


 俺が尋ねると、遥はスマホの画面を俺に向けた。


「ここ。『廃屋敷のダンジョン』。アンデッド系がメインのDランクダンジョンよ」

「アンデッド? ゴーストとかか?」

「そう。不人気エリアだから冒険者も少ないし、ドロップする『怨念の結晶』は高値で取引されてる。今の私たちには理想的な稼ぎ場よ」


 遥は自信満々に言ったが、俺は眉をひそめた。

 ゴースト系。

 それは、今の俺(紙装甲×物理特化)にとって最悪の相性だ。


「無理だろ。あいつら『物理無効』だぞ? STRがいくら高くても、すり抜けられたら意味がない」

「それに、ゴーストの攻撃は『接触ドレイン』や『呪い』がメイン。防御力無視でHPを直接削ってくるわ。耐久の低いお兄ちゃんじゃ、触られた瞬間、心臓が止まるかもね」


 遥の指摘に、背筋が凍る。

 一撃必殺の攻撃力を持つ俺だが、相手も一撃必殺(即死攻撃)を持ってくるわけか。

 互いに触れれば終わる、最悪のデスマッチだ。


「詰んでないか? 物理が効かないんじゃ、俺に勝ち目はない」

「ふふん。そこをなんとかするのが、私の役目」


 遥はニヤリと不敵に笑った。

 彼女は画面を切り替え、ある通販サイトのページを見せた。


「教会の『聖水』。1リットル5000円。これを武器に塗れば、霊体にも攻撃が通るようになるわ」

「なるほど、エンチャントか。でも、聖水を塗った剣で斬っても、すぐ乾いちまうんじゃないか?」

「その通り。普通の剣じゃ、表面積が足りないし、聖水の保持力も低い。数回斬ったら効果が切れるわ」


 遥はそこで言葉を切り、俺の顔を指差した。


「だから、発想を変えるの。お兄ちゃんの長所はなに?」

筋肉ちから

「そう。だったら、切れ味なんていらない。聖水をたっぷり吸い込んで、かつ、お兄ちゃんの馬鹿力に耐えられる『質量』があればいい」


 遥の提案は、狂っていた。

 だが、理にかなっていた。


「コンクリートブロックを使いましょう」



 1時間後。

 俺たちは庭で、とんでもないものを作っていた。

 用意したのは、以前のDIYで余っていたコンクリートブロックの廃材。

 そして、ホームセンターで買ってきた太い鉄鎖と、工事用の鉄パイプだ。


 まず、コンクリートブロックをタライに入れた聖水にドブ漬けにする。

 コンクリートは多孔質だ。スポンジのように聖水をぐんぐんと吸い込んでいく。

 十分に染み渡ったところで、ブロックに鉄鎖を巻き付け、鉄パイプの先端に固定する。

 最後に、叔父さん直伝の溶接技術でガチガチに補強して完成だ。


【 聖別コンクリートハンマー(即席) 】

重量: 30kg

属性: 聖(物理)

備考: 聖水を吸った建築資材。神聖な鈍器。

普通の冒険者なら、持ち上げるだけで腰をやる重さだ


「……なんだこれ」


 俺は完成した物体を持ち上げた。

 見た目は、棒の先に瓦礫がついただけの原始的な武器だ。

 だが、聖水の清らかな香りと、コンクリートの無骨な重量感が、奇妙な説得力を放っていた。


「理論上はこれで祓えるはずよ。表面積も質量も十分。聖水の持続時間も、内部まで染み込んでるから長持ちするわ」

「理論上はな……」


 俺は苦笑したが、遥の目は真剣だった。

 なら、試すしかない。


「行ってくる。近所の墓地ダンジョンで試し切りだ」



 深夜の共同墓地。

 ここはFランクの「極小ダンジョン」として認定されており、夜になると低級の浮遊霊が湧くことで有名だ。

 危険度は低いが、物理が効かないため、初心者は近づかない場所だ。


 ヒュゥゥゥ……。


 冷たい風と共に、青白い人魂が現れた。

 ぼんやりとした人の形をした影。ゴーストだ。


「ウ、ウラメシヤァ……」


 ゴーストが俺を認めて、スーッと空を滑るように近づいてくる。

 速い。

 そして怖い。


 あいつに触れられたら、俺の貧弱なHPバーは一瞬で枯渇するだろう。

 防御はできない。盾で防いでもすり抜けてくる。

 やることは一つ。

 触れられる前に、消し飛ばす。


「キヒヒ、肉体ナド、効カヌ……」


 ゴーストが嘲笑うように加速した。

 俺は「聖別コンクリートハンマー」を構えた。

 重い。だが、今の俺には心地よい重さだ。


「成仏しろッ!!」


 俺はハンマーをフルスイングした。

 STR133の剛力と、遠心力、そして30キロの質量が一点に収束する。


 ドゴォォォォォンッ!!


 墓地に、除霊とは思えない爆音が轟いた。

 コンクリート塊がゴーストの顔面を捉える。

 聖水の力で「実体」として認識された霊体に、圧倒的な物理エネルギーが叩き込まれたのだ。


「ギャァァァァッ!?」


 ゴーストの顔が歪む。

 すり抜けない。

 まるでトラックに跳ねられたように、霊体がくの字に折れ曲がり、彼方へと吹き飛んだ。

 そのまま墓石に激突し、光の粒子となって霧散する。


《 戦闘終了 》

《 経験値を獲得しました 》


 後に残ったのは、静寂と、微かな聖水の香りだけ。

 一撃必殺。

 殺られる前に殺った。


「……マジか」


 俺はハンマーを見つめた。

 コンクリートの表面がわずかに発光している。

 聖水と物理のハイブリッド。


 これなら行ける。

 物理無効だろうが、触れれば即死だろうが関係ない。

 相手が俺に触れるより速く、この質量を叩き込めばいいだけだ。


「よし。これで次の稼ぎ場所も確保できた」


 俺はハンマーを担ぎ直し、夜の闇に消えた。

 最強の鈍器と、最高の参謀がいる。

 今の俺に、怖いのは自分のミスくらいだ。

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