第5話 学園の劣等生と、Sランクの妹
翌朝、俺はいつもより少し早く目を覚ました。
昨晩は興奮と疲労で泥のように眠ってしまったが、頭は驚くほど冴えている。
俺はベッドの上で上半身を起こし、自分の手を見つめた。
昨日のボス戦。
俺の目はホブゴブリンの動きを捉えていた。だが、体が反応しきれずに防御がコンマ数秒遅れた瞬間があった。
昨日の時点での筋力(STR)124という出力に対し、俺の肉体というフレームが悲鳴を上げていた証拠だ。
このままでは、いつか自分の力に振り回されて自滅する。
俺はスマホを取り出し、ステータス画面を開いた。
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名前: 竹内 涼太
職業: 【 解体屋 】
Lv: 13
筋力(STR): 133
耐久(VIT): 17
敏捷(AGI): 16
器用(DEX): 15
知力(INT): 13
運 (LUK): 11
■残りBP: 0
(※全ポイントを筋力へ配分済み)
■残りSP: 36
(※未割り振り)
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昨日のボス撃破でレベルが13に上がった。
当然、獲得した5ポイントのボーナスポイント(BP)は、寝る前に無意識のうちに全て筋力(STR)へ振ってしまっているのだろう。
自然成長分と合わせて、STRは124から133へ跳ね上がっていた。
124でも制御がきつかったのに、133だ。
もはや笑うしかない数値だが、笑っている場合じゃない。
未割り振りのスキルポイント(SP)は36。
今の俺に必要なのは、この暴走するエンジンの制御装置だ。
俺は迷わず、【解体屋】のスキルツリーをタップした。
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【 身体能力強化 Lv.3 】(消費:15pt)
※筋力・耐久・敏捷・反応速度などの基礎身体能力を、常時底上げするパッシブスキル。
【 パリィ Lv.2 】(消費:10pt)
※受け流しの判定時間を延長し、成功時の衝撃を緩和する。
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決定ボタンを押す。
残りSPは11。
瞬間、全身の細胞が泡立つような熱さが駆け巡った。
今まで体の奥で常に鳴っていた、骨や関節の微かな軋みが消えた。
油を差したばかりの精密機械のように、意識と肉体が完全にリンクする感覚。
俺は更新されたステータスを確認した。
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名前: 竹内 涼太
職業: 【 解体屋 】
Lv: 13
筋力(STR): 133
耐久(VIT): 17
敏捷(AGI): 16
……
■習得スキル
・【 構造欠陥 】
・【 チャージ(蓄積) Lv.1 】
・【 リリース(解放) Lv.1 】
・【 身体能力強化 Lv.3 】(NEW)
・【 パリィ Lv.2 】(UP)
■残りSP: 11
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「……すごいな」
数値上の変化はないが、体感は別物だ。
俺は部屋の隅に置いてあった『黒鉄の大剣』を手に取ってみた。
25キロの鉄塊。
昨日までは「STRで無理やり持ち上げている」感覚だったが、今は違う。
まるで自分の腕が伸びたかのように、重さを感じさせず、自然に扱える。
これなら、どんな体勢からでもフルスイングできるだろう。
「お兄ちゃん? 起きてる?」
ドアの向こうから声がした。
俺は慌てて大剣をベッドの下に隠そうとしたが、間に合わなかった。
ドアが開き、制服姿の少女が入ってくる。
妹の遥だ。
県内トップの進学校に通う彼女は、俺と違って頭が良く、我が家の希望の星だ。
「……何それ」
遥の視線が、俺の手にある無骨な黒い剣に釘付けになる。
「あー……これは、その」
「昨日、お母さんに通帳見せたって聞いた。38万……普通の高校生が2週間で稼げる額じゃない」
遥が疑わしげな目で俺に近づき、ベッドの端に置いてあった大剣のグリップを掴んだ。
「それにこの剣。模型にしては金属の匂いが……って、え?」
遥が持ち上げようとして、顔を真っ赤にする。
ビクともしない。当然だ。米袋3つ分の鉄塊を、女子高生が片手で上げられるわけがない。
「ちょ、何これ! 固定されてるの!?」
「危ないから触るな」
俺は遥の手からグリップを取り、片手でひょいと持ち上げた。
そのまま流れるような動作で、部屋の隅のスタンドに立て掛ける。
遥がポカンと口を開けて、俺と剣を交互に見ていた。
「……鉄の塊だよね、それ」
「ああ」
「お兄ちゃん、まさか」
遥の瞳から、呆れの色が消え、鋭い光が宿った。
彼女は聡い。
「現場バイト」という言い訳、短期間での大金、本物の武器、そして今の異常な怪力。
全てのピースが嵌まった顔をしていた。
「……探索者になったの?」
その言葉は、確信に満ちていた。
俺は観念して、短く息を吐いた。
「……ああ。俺にはこれしかないからな」
「馬鹿なの? 死ぬよ?」
「死なないさ。俺はもう、昔の『弱い兄貴』じゃない」
俺はあえて力強く言い切った。
遥は唇を噛み締め、俺を睨みつけていたが、やがて深く溜息をついた。
「……止めても無駄なんだよね。お兄ちゃん、一度決めたら頑固だから」
「悪いな」
「私が大学行って、いい会社入って、お兄ちゃんたちを楽にさせるんだから。それまでは……勝手に死なないでよ」
遥の声は少し震えていた。
俺は彼女の頭に手を置こうとして、やめた。今の俺の力では、加減を間違えれば彼女を傷つけてしまうかもしれないからだ。
「約束する。行ってくる」
俺は短く答えた。
遥は何も言わず、ただ俺の背中を見送っていた。
◇
学校に着くと、教室の空気は浮足立っていた。
話題の中心は、今日の午後に行われる「合同ダンジョン防災演習」だ。
「あーあ、めんどくせぇ。なんで俺らが冒険者科の荷物持ちしなきゃなんねーんだよ」
「向こうはエリート様だからな。俺らは守られるだけの一般人ってか」
クラスメイトたちが愚痴をこぼしている。
この学校では、冒険者科が花形であり、カーストの頂点だ。
俺たち普通科は、彼らの引き立て役でしかない。
放課後、演習の班ごとの顔合わせが行われた。
指定された教室に向かうと、既に木戸と、取り巻きの女子生徒――佐藤エリが待っていた。
「遅いぞ、竹内」
木戸が腕を組んで椅子にふんぞり返っている。
冒険者科の制服は、普通科とはデザインが違い、金色の刺繍が入っている。それだけで彼が特別な存在だと主張しているようだった。
「悪い、掃除当番で」
「チッ、これだから一般人は。まあいい、座れ」
俺は指定されたパイプ椅子に座った。
木戸は机の上に広げたダンジョンの地図を指差した。
「いいか、今回の演習ルートはここだ。俺と佐藤が前衛と後衛を担当する。お前は『要救助者』役だが、ただ守られるだけじゃ単位はやらねぇぞ」
木戸が顎で教室の隅をしゃくった。
そこには、工事現場の鉄板のような、巨大な長方形の盾が置かれていた。
『タワーシールド』。
軍隊や機動隊が使うような、全身を隠すための大盾だ。
しかも演習用の安物だから、軽量化などされていない無垢の鉄製だ。重量は20キロ近くあるだろう。
「お前の役目は『動く遮蔽物』だ。その盾を持って、俺たちの死角をカバーしろ。戦闘になったら、俺の邪魔にならないように隅で盾を構えて震えてればいい」
木戸がニヤニヤと笑う。
佐藤も「重そう〜、大丈夫?」と小馬鹿にしたように笑っている。
普通科の男子生徒に対する、典型的な嫌がらせだ。
20キロの盾を持ってダンジョンを歩き回れば、30分もしないうちに腕が上がらなくなる。それを楽しもうという魂胆だろう。
「……わかった」
俺は立ち上がり、盾の元へ歩み寄った。
グリップに手を掛ける。
「おいおい、無理するなよ? 引きずって歩いても……」
木戸の言葉が途切れた。
俺は盾を片手で持ち上げ、そのまま教科書でも挟むように、無造作に脇に抱えた。
重さは感じる。だが、それだけだ。
今朝取得した【身体能力強化】と、元々の筋力値が、この程度の鉄板を「ただの板」へと変えていた。
「……ん? なんだ?」
二人が口を開けて固まっている。
俺は空いた片手でスマホを取り出し、時刻を確認した。
「で、出発は何時だ?」
俺が真顔で尋ねると、木戸は引きつった顔で「あ、ああ……すぐだ……」と答えた。
なんだこいつら。
俺は「了解」と短く告げ、盾を片手でぶら下げたまま、廊下へと歩き出した。
背後で木戸たちが何かヒソヒソと言い合っていたが、俺には興味がなかった。
◇
演習場所である「初級ダンジョン・浅層エリア」。
入り口には、緊張した面持ちの生徒たちが集まっていた。
俺たち第14班も、ゲートの前に立った。
「いいか竹内。俺の指示があるまで動くなよ。視界に入ると気が散る」
木戸が新品の長剣を抜き放ち、切っ先を空に向ける。
彼のジョブは【魔剣士】。剣に魔法を纏わせて戦う、冒険者科でも人気の花形ジョブだ。
隣の佐藤エリも、真新しい杖を握りしめて頷いている。
「私のヒールがあるから、多少の怪我は大丈夫だけど……即死したら治せないからね?」
二人は完全に、遠足気分と緊張が入り混じった修学旅行生のような顔をしていた。
俺は片手で20キロのタワーシールドをぶら下げ、もう片方の手で欠伸を噛み殺した。
この程度のダンジョン、今の俺にとっては散歩コースにもならない。
「行くぞ!」
木戸の号令で、俺たちは薄暗い洞窟へと足を踏み入れた。
ダンジョン内に入ると、すぐに敵が現れた。
「はぁぁぁッ! 《フレイム・スラッシュ》ッ!!」
木戸の剣が赤く発光し、暗闇を切り裂いた。
派手な軌跡を描いた刃が、飛びかかってきたゴブリンの肩口に吸い込まれる。
ギャッ……!
ゴブリンが悲鳴を上げ、炎に包まれて倒れた。
確かに、見た目はかっこいい。
だが、それだけだ。
(……動きがデカすぎる)
俺は一歩後ろで、盾を杖代わりにしてその光景を見ていた。
今のゴブリン、初撃の予備動作だけで2秒は隙があった。俺ならその間に3回は殺せている。
それに、あの程度の雑魚一匹に、あんな大技を使う必要がどこにある?
魔力(MP)の無駄遣いだ。ペース配分というものを考えていない。
「ふぅ……見たか、俺の剣技」
「すごーい! さすがケンジ君!」
木戸が額の汗を拭い、ドヤ顔で振り返る。
俺は無表情のまま「お見事です」と棒読みで返した。
こんな調子で最深部まで行くつもりなのか。先が思いやられる。
その後も、木戸たちの「接待プレイ」のような戦闘が続いた。
スライム相手に上級魔法を撃ち込んだり、逃げるコウモリを深追いして息を切らせたり。
俺の出番は全くない。
ただ重い鉄板を持って後ろをついて歩くだけの簡単なお仕事だ。
だが、ダンジョンの深度が進むにつれ、空気の色が変わった。
肌にまとわりつく湿気が、鉄錆のような臭いを帯び始めたのだ。
(……なんだ?)
俺は鼻を鳴らした。
この臭い。そして、奥から漂ってくる微かな振動。
ネットの噂にあった「魔力溜まり」の影響だろうか。
明らかに、この階層にいていい魔物の気配じゃない。
「おい竹内、遅れるなよ!」
木戸が角を曲がろうとした、その時だった。
「グルルルルル……ッ!!」
地響きのような唸り声と共に、曲がり角の向こうから「それ」が現れた。
「ひっ……!?」
「な、なにこれ……!」
佐藤が悲鳴を上げ、木戸が腰を抜かしそうになって後ずさる。
現れたのは、全身が赤黒い剛毛に覆われた、巨大な猪型の魔物。
【 レッド・ボア 】。
通常なら中層以降に出現するはずの、突進特化の魔獣だ。
しかも目が血走り、口から泡を吹いている。興奮状態だ。
「て、撤退だ! 逃げるぞ!」
木戸が裏返った声で叫ぶ。
賢明な判断だ。今の彼らの実力じゃ、あの突進を食らえば即死する。
だが、遅い。
レッド・ボアは既に助走の構えに入っていた。
蹄が地面を削り、土煙が上がる。
「ブモォォォォォォォッ!!」
ロケットのような加速。
狭い通路だ。逃げ場はない。
木戸と佐藤が恐怖で硬直している。このままでは、二人まとめて串刺しになる。
「……チッ」
俺は舌打ちをした。
放っておけば死ぬ。自業自得だ。
だが、ここで彼らが死ねば、俺の「盾役としての評価」も落ちる。それに、俺まで巻き込まれるのは御免だ。
「どいてろ」
俺は木戸の襟首を掴み、後ろへ放り投げた。
「わっ、おま……!?」
続けて佐藤の腕を引き、壁際へ突き飛ばす。
視界がクリアになった。
目の前には、戦車のような質量で迫り来る赤い暴走列車。
普通の冒険者なら、盾を構えて衝撃に備えるだろう。
だが、俺は違う。
俺はタワーシールドのグリップを握り直し、盾を体の側面へ回した。
防御の構えじゃない。
テニスラケットでも振るような、打撃の構えだ。
来る。
速い。だが、今の俺の目には止まって見える。
「ふっ!!」
俺はタイミングを合わせ、踏み込みと共に全身のバネを解放した。
盾の側面――厚さ3センチの鉄の断面を、迫りくるボアの鼻先に叩きつける。
防御じゃない。
迎撃だ。
ドゴォォォォォンッ!!
狭い洞窟内に、交通事故のような衝突音が轟いた。
「ブ、ギィ……ッ!?」
レッド・ボアの悲鳴が、衝撃音にかき消される。
100キロを超える巨体が、紙屑のように真横へ弾き飛ばされた。
そのまま壁に激突し、岩盤をクモの巣状に粉砕して埋まる。
ピクリとも動かない。
頭蓋骨が陥没し、首がありえない方向にねじ曲がっていた。
一撃死だ。
「……あ、れ?」
俺は手元の盾を見た。
学校から借りた備品のタワーシールドが、中央から「く」の字にひしゃげていた。
やっぱりか。
手加減したつもりだったが、STR133の衝撃と、ボアの突進エネルギーが合わされば、ただの鉄板など耐えられるはずがない。
《 戦闘終了 》
《 経験値を獲得しました 》
静寂が戻る。
俺はひしゃげた盾を地面に置き、深いため息をついた。
「……おい、大丈夫か?」
俺は腰を抜かしている二人を振り返った。
木戸は口をパクパクと開閉させ、佐藤は涙目で震えている。
二人の視線は、俺と、壁にめり込んだレッド・ボアの死体を往復していた。
「お、お前……今、なにを……」
木戸が絞り出すような声で言う。
「なにって。盾で弾いただけだ」
俺は平然と答えた。
嘘は言っていない。ただ、弾き方が少し乱暴だっただけだ。
「さて、脅威は去った。進むか? それとも帰るか?」
俺が尋ねると、木戸は青ざめた顔で首を横に振った。
戦意喪失。当然だろう。
俺は「了解」と頷き、ボアの死体に近づいた。
ドロップした魔石と、レア素材である『赤猪の牙』を慣れた手つきで回収し、ポケットに突っ込む。
これは俺が倒した獲物だ。文句は言わせない。
「……帰るぞ。荷物持ちは俺がやるから、お前らは前を歩け」
俺はひしゃげた鉄屑(元・盾)を片手で持ち上げ、顎で出口をしゃくった。
エリート様たちは、借りてきた猫のように大人しく従った。
その背中は、行きに見せていた威厳など見る影もなく、ただの怯えた子供そのものだった。
誰が本当の「強者」か。
言葉にするまでもなく、結果が全てを語っていた。




