第4話 第1層の主と、冷ややかな同級生たち
それから2週間。
俺は、嘘を吐き続けた。
「今日は図書館で勉強してくる」
「友達の家の引越しを手伝ってくる」
母さんと叔父さんにそう告げて、学校が終わると駅のコインロッカーへ走る。
制服を作業着に着替え、ヘルメットを被り、ズタ袋に入れた鉄骨を担いでダンジョンへ潜る。
それが俺の放課後の日課になった。
最初の数日は地獄だった。
筋肉痛で鉛のように重い体を引きずり、スライムの酸に怯え、ゴブリンの棍棒に冷や汗を流した。
だが、人間とは適応する生き物らしい。
ガァァァンッ!!
「……ふぅ」
俺は鉄骨を軽く一振りし、飛びかかってきたワイルド・ドッグを壁に叩きつけた。
犬型の魔物は、砕けたトマトのように弾け飛んだ。
以前なら目で追うことすらできなかった速さだが、今の俺にはその軌道がはっきりと見える。
俺はスマホを取り出し、日課のステータス確認を行った。
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名前: 竹内 涼太
職業: 【 解体屋 】
Lv: 12
筋力(STR): 124
耐久(VIT): 16
敏捷(AGI): 15
器用(DEX): 14
知力(INT): 12
運 (LUK): 10
■残りBP: 0
※全ポイントを筋力へ配分済み
■残りSP: 33
※未割り振り
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よし、順調だ。
この2週間、レベルアップで得たボーナスポイントは、すべて迷わず筋力に注ぎ込んだ。
おかげで耐久や敏捷も自然成長で一般人の平均レベルまで底上げされた。もう走っても息切れしないし、小石につまずいて骨折することもない。
その代わり、筋力だけが常軌を逸していた。
数値は124。
Cランク冒険者の前衛職すら超え、もはや重機と張り合える領域だ。
俺は背中のH型鋼を握り直した。
軽い。
かつては腰を痛めそうだった51キロの鉄塊が、今は金属バットを握っている程度にしか感じない。指先だけで振り回せるほどだ。
だが、その軽さが逆に不安になる。力を込めすぎれば、自分の握力でグリップを潰してしまいそうな感覚があった。
「……行くか」
俺は足元に転がっていた魔石を拾い、腰のポーチに入れた。
ポーチはずっしりと重い。
この2週間、俺は換金を我慢して魔石を溜め込み続けていた。中途半端な小銭を持って帰っても、家族を不安にさせるだけだ。まとまった大金を見せてこそ、俺が本気だと証明できる。
俺は視線を洞窟の最奥へと向けた。
この先に、第1階層の主がいる。
そいつを倒して、最後の一稼ぎといこう。
◇
ボス部屋の前には、ドクロのマークが描かれた木製の看板が立っていた。
俺は深呼吸をして、重い鉄の扉を押し開けた。
ギィィィィ……。
広大なドーム状の空間。
その中央に、あぐらをかいて座る巨体があった。
「グルゥ……?」
侵入者に気づき、そいつがゆっくりと立ち上がる。
身長は2メートルを優に超えている。全身が筋肉の鎧で覆われた、緑色の巨鬼。
ホブゴブリン・リーダー。
手には、ガードレールを引きちぎって作ったような、巨大な鉄塊の棍棒が握られていた。
「GAAAAAAAッ!!」
鼓膜を破るような咆哮。
ホブゴブリンが地面を蹴る。
巨体に似合わぬ速度だ。新人殺しと呼ばれるだけのことはある。一瞬で距離を詰め、丸太のような腕から必殺の上段叩きつけが放たれた。
「死ねェッ!!」
俺は一歩も引かず、真正面から鉄骨をカチ上げた。
今の俺の筋力なら、力負けなんてありえない。
ガギィィィィンッ!!
激しい火花が散り、強烈な衝撃が腕を走る。
俺の足が地面にめり込む。
ホブゴブリンの腕が弾かれ、奴が驚愕に目を見開くのが見えた。
力勝負なら、俺の勝ちだ。
だが、その時だった。
ミシッ、ピキキキキ……。
嫌な音が手元から響いた。
え?
俺は血の気が引くのを感じた。
鉄骨だ。
俺の相棒であるH型鋼が、中央部分から「く」の字に曲がり、亀裂が入っていた。
しまった。
俺の筋力が上がりすぎたせいで、ただの建設資材であるこの鉄骨は、俺の馬鹿力とボスの衝撃の板挟みになり、限界を超えてしまったのだ。
「グルゥァァッ!!」
ホブゴブリンが好機と見て、追撃の構えを取る。
まずい。
もう一度まともに受ければ、鉄骨は完全に折れる。
武器を失えば、リーチの差で殴り殺されるのは俺だ。
どうする。避けるか?
いや、ボスの連撃は速い。今の敏捷値15では、回避しきれずに直撃を食らう可能性がある。
なら、どうすればいい。
思考が焼き切れる寸前、俺の肌が粟立った。
記憶じゃない。細胞が覚えている熱があった。
あのオーク戦で感じた、鉄を通じて流れ込んでくる奔流。
止めるな。
受けるな。
食らいつくせ。
真正面からぶつかるから壊れるのだ。
破壊のエネルギーを、殺さずに、そのまま俺の中へ導けばいい。
ホブゴブリンが棍棒を振り上げる。
死の一撃が迫る。
怖い。心臓が破裂しそうだ。
だが、俺は動かない。
ギリギリまで引きつけて、鉄と鉄が触れ合うコンマ1秒に全てを賭ける。
今だッ!
俺は鉄骨を、棍棒の軌道に沿わせるように滑り込ませた。
キィィンッ!
高く、澄んだ音が響いた。
手に伝わる衝撃は驚くほど軽い。
まるで水面を叩いたかのように、ボスの豪腕が虚空へ流される。
《 ジャストパリィ成功 》
《 耐久度消費ゼロ 》
《 チャージ最大 》
視界が青く染まる。
鉄骨の亀裂から、眩いばかりの青い雷光が噴き出した。
やっぱりだ。この感覚。
俺の体の中で、行き場を失ったボスの運動エネルギーと、俺自身の全筋力が融合し、暴れ回りたがっている。
ホブゴブリンが体勢を崩し、隙だらけの胴体を晒している。
これが最後だ。
相棒、あと一撃だけ耐えてくれ。
「消し飛べぇぇぇぇッ!! 《リリース》ッ!!」
俺は光り輝く鉄骨を、ボスの胴体に叩き込んだ。
ズドォォォォォォォンッ!!
爆音が洞窟を揺らした。
鉄骨から放たれた衝撃波が、ドリルのようにボスの体を貫通する。
ホブゴブリンは断末魔を上げる暇もなかった。
上半身が弾け飛び、肉片すら残さずに霧散する。
背後の岩壁には、巨大な風穴が開いていた。
「……はぁ、はぁ……」
残心。
俺の手の中で、役目を終えた鉄骨がボロボロと崩れ落ちた。
完全にひしゃげ、赤熱して煙を上げている。
もう、武器としては使えないだろう。
《 戦闘終了 》
《 経験値を獲得しました 》
《 レベルアップしました 》
ボスの死体が消えた場所に、キラリと光るものが残されていた。
ずしりと重い、黒塗りの大剣だ。
【 黒鉄の大剣 】
分類: 両手剣
品質: 良品
備考: 鉄の魔物素材を精製して作られた業物。
俺はそれを拾い上げた。
今の俺には羽根のように軽い。でも、これなら簡単には壊れないだろう。
俺はそこら辺に落ちていたボロ布で大剣をぐるぐる巻きにし、ズタ袋に放り込んだ。
「ありがとうな」
俺は鉄屑になった相棒に別れを告げ、出口へと向かった。
◇
ダンジョンを出ると、そこはすぐに「探索者ギルド」のロビーに繋がっている。
夕暮れ時のロビーは、冒険を終えた探索者たちで賑わっていた。
ふぅ、と息を吐きながらロビーを歩き出した、その時だった。
「あれ? 竹内じゃね?」
聞き覚えのある声に、俺は足を止めた。
振り返ると、そこには煌びやかな装備に身を包んだ男女数人のグループがいた。
同じ高校の、冒険者科の連中だ。
彼らは俺の姿を見て、露骨に顔をしかめた。
「うわ、マジだ。お前、そんな汚い格好で何してんの?」
「工事のバイトか? 似合いすぎだろ」
「ここ、冒険者専用エリアだぞ? 一般人がうろつくと迷惑なんだけど」
クスクスという嘲笑が漏れる。
彼らの腰には、親に買ってもらったであろう新品の剣や杖が光っている。
俺の背中にあるのは、汚いズタ袋だけだ。
傍から見れば、俺はただの薄汚れた肉体労働者にしか見えないだろう。
言い返す言葉もなかった。
俺と彼らでは、住む世界が違う。
「……バイトの帰りだよ。じゃあな」
俺は短く答えて、彼らの横を通り過ぎた。
背後で「ダッセェ」「近寄んなよな」という声が聞こえたが、不思議と腹は立たなかった。
俺のズタ袋の中には、彼らが束になっても勝てないであろうボスモンスターを一撃で屠った大剣が入っている。
誰に認められなくてもいい。
結果だけが、俺の手の中にある。
俺は連中の姿が見えなくなるのを確認してから、ロビーの隅にある「素材買取カウンター」へ向かった。
窓口の女性職員が、俺の作業着姿を見て少し怪訝な顔をする。
「買取ですね? 素材をこちらのトレイにお出しください」
「……乗り切らないと思います」
「はい?」
俺は腰のポーチを逆さにし、中身を一気にぶちまけた。
ジャラララララッ!!
小石のような魔石が山のように積み上がる。
ロビーの喧騒が一瞬止まった。
2週間分のゴブリンやスライムの魔石。
そして、その頂点にゴロリと転がる、握り拳大の緑色の輝き――ボスドロップの魔石。
「こ、これは……ホブゴブリン・リーダーの……!?」
「全部でいくらになりますか」
職員が慌てて鑑定機にかける。
数分後、提示された金額を見て、彼女の手が震えていた。
「し、〆て……38万5000円になります」
周囲からどよめきが起きる。
高校生のバイト代としては破格の金額だ。
「登録口座へ振り込みでよろしいですか?」
「はい」
「それと、竹内様のFランクカードですが、今回の実績により電子決済機能の制限が解除されました。今後はこのカードで、街中でのショッピングも可能です」
俺は頷き、カードを受け取った。
38万。
この2週間の血と汗の結晶。そして、家族を救うための最初の弾丸だ。
◇
家に着くと、玄関の前に母さんと叔父さんが立っていた。
二人とも、不安そうな顔で帰りの遅い俺を待っていたのだろう。
「涼太! 今までどこに行っていたの?」
「毎日毎日、遅くまで……」
俺は深呼吸をした。
もう、嘘をつくのは終わりだ。
俺は肩からズタ袋を下ろし、中から『黒鉄の大剣』を取り出した。
ゴンッ、とアスファルトが重い音を立てる。
「……話があるんだ」
俺はスマホを取り出し、銀行アプリの画面を二人に見せた。
そこには、さっき振り込まれたばかりの『385,000』という数字が輝いている。
母さんと叔父さんが、息を呑んだ。
「俺、冒険者になった。これからは俺が、みんなを守るから」
「涼太、お前……」
「馬鹿な子だねぇ……危ないことして……っ」
母さんが泣き崩れ、叔父さんが俺の肩を強く抱いた。
温かい空気が流れる。
これで、少しだけ肩の荷が下りた気がした。
だが、現実は感傷に浸る時間をくれないらしい。
ブブブッ。
ポケットの中のスマホが短く震えた。
学校の一斉送信メールだ。
件名は――『【重要】第2学年 合同ダンジョン防災演習・班分けのお知らせ』。
ああ、そういえばそんな時期か。
この街では、一般生徒もダンジョンでの避難経路を学ぶために、年に一度「冒険者科」と合同で演習を行わなければならない。
名目は「護衛訓練」。
冒険者科の生徒がリーダーとなり、非戦闘員である普通科の生徒を守りながら進むというものだが、実態は違う。
エリート様が、俺たち一般人を「荷物持ち」や「盾」としてこき使うだけの悪習だ。
俺はどうせ余り物同士で組まされるだろうと、適当に画面をスクロールした。
だが、俺の名前の横にあったメンバー名を見て、俺は目を疑った。
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【 第14班 】
リーダー(護衛役): 木戸 ケンジ(冒険者科・魔剣士)
サブ(護衛役): 佐藤 エリ(冒険者科・治癒士)
要救助者(荷物持ち): 竹内 涼太(普通科)
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「……は?」
よりによって、さっき俺を馬鹿にしていた木戸のパーティだ。
しかも役割は「要救助者」。
あいつらに守られる? 俺が?
俺はスマホの画面を見つめたまま、無意識に口元を歪めた。
怒りではない。
湧き上がってきたのは、黒い高揚感だった。
あいつらは知らない。
自分たちが「お荷物」だと思って見下している一般生徒が、実はボスモンスターを一撃で粉砕する『解体屋』だということを。
「……いいぜ。合同演習」
俺は夜空に向かって呟いた。
「誰が本当の『弱者』か、教えてやるよ」




