第36話 奪われた鍵と、重力の死角
通信が死んだ。
レイの端末は電源が落ちたわけじゃない。画面は点いているのに、何も返してこない。圏外の表示すら出ない。ただ、沈黙している。
沈黙が、耳に痛い。
さっきまで――いや、ほんの数10秒前まで、遥の反応はそこにあった。位置、心拍、簡易メッセージ。全部。それが今は、切り取られたみたいに消えている。
ダンジョンの水滴が落ちる音だけが、やけに大きい。岩の隙間から冷気が流れ、肌にまとわりつく。
「……やられたな」
自分の声が、想像より落ち着いて聞こえた。落ち着こうとしている、が正しい。
怒りはある。胸の奥で沸騰している。けど、それを外に出すと、次にやることがブレる。
殴り込みたい。追いかけたい。今すぐ。でも、今それをやるのは、敵が望んでいる形だ。俺は目を閉じ、短く息を吐いた。状況を整理する。
――遥がいない。
――通信が切られている。
――俺たちは、ダンジョン深部。
――敵は、俺たちの行動を「予測している」。
「レイ」
呼ぶと、レイは端末を数回スワイプし、諦めたように手を止めた。
「ジャミングじゃない。回線の「経路」を潰してる」
「経路?」
「中継点か、施設側の制御。どっちにせよ、「遮断した」ってことだ。偶然じゃない」
レイが視線を上げる。暗い中でも、目が冴えている。
「つまり、最初からこの手順が用意されてた。通信遮断、目眩まし、回収、撤退。全部」
俺の奥歯が軋む。
「……俺じゃなく、遥が狙いだった」
「そう」
レイは即答した。
「君を取り逃がしてもいい。でも遥は取りたい。そういう動きだった」
俺は拳を握り、開き、また握る。殴る相手がいない怒りほど、厄介なものはない。
横で、父が黙って立っていた。さっきまでの制圧の余韻が嘘みたいに、呼吸も姿勢も変わらない。周囲を見て、音を聞り、地面の状態を確認している――現場の人間の癖だ。
「……知ってたのかよ」
俺の声に棘が混じる。父は視線をこちらに向けないまま言った。
「可能性はあった」
「可能性で済むか」
俺が1歩前に出ると、レイが肩で止めた。力は強くない。けど、今ぶつかるのは違う、という意思が伝わる。父が淡々と続ける。
「軍にとって、情報は弾より価値がある。遥の頭は「武器」だ」
その言い方が腹にくる。でも、否定できないのがもっと腹にくる。
遠く、上の方から鈍い振動が伝わってきた。ダンジョンの岩盤越しに、重い機械の作動音。封鎖――いや、包囲の準備だ。中村はいない。ここには、俺たち3人だけ。余計に静かで、余計に追い詰められている感じがする。
「……追う」
俺が言うと、レイが首を振った。
「追うなら、「追い方」を決める必要がある」
「そんなの――」
「今のまま追えば負ける」
レイの声は冷静だ。
「相手は手順を持ってる。君が怒って突っ込むことも含めて、手順の中に入ってる」
父が初めて、俺の方を見た。
「今すぐ追うな」
「ふざけんな」
声が低くなる。怒鳴ると負ける。だから、低く押し込む。
「妹だぞ」
「分かってる」
父は言い返さない。代わりに、1つだけ言った。
「追えば、入口も出口も向こうが決める」
レイが補足する。
「遥は殺されない。価値が高すぎる。だから「時間」はある。でも、時間があるってことは――使われるってことだ」
使われる。解析される。引き出される。削られる。その言葉が、胃の底に沈む。
俺は視線を落とした。足元に残った、わずかな擦れ跡。誰かが急いで通った痕。だが、その先の地面は、水で濡れて流れている。追跡の足跡は消えやすい。意図的に消している可能性もある。
――丁寧だ。腹が立つほど。
レイがしゃがみ込み、端末の裏蓋を開けた。細い指で部品を外し、ケーブルを引き抜く。
「……何してる」
「生きてる部品の回収。こっちの端末は死んだ。でも記録媒体は生きてる可能性がある。遥が最後に残したログがあれば、「連れていかれた方向」の手がかりになる」
そう言いながら、レイは小さなチップを取り出した。その手つきが、妙に慣れているのが腹にくる。こういうのを何度も見てきたみたいだ。父が通路の奥を見ながら言う。
「行き先は1つだ」
俺が顔を上げる。
「軍の拠点?」
「拠点じゃない。作業場だ」
父は言葉を選びながら、短く続ける。
「地上の正面から入る施設じゃない。ダンジョンと繋がってる。裏口がある」
――裏口。
赤鬼の戦いの後に見つけた、軍のマークの扉。あれは「偶然見つけた」んじゃない。最初から、ここを使うつもりだった。考えが繋がって、背筋が冷たくなる。
「……つまり、遥はそこに」
「可能性が高い」
父の断定は、感情を含まないから余計に重い。
また、上から振動。今度は、岩盤に響くような「重い叩き」が混じった。何かを塞いでいる音。出口の1つを潰している。レイが顔をしかめる。
「封鎖のペースが上がってる。殺す気なら爆破で終わる。そうしないのは……捕まえる気だ」
俺は舌打ちした。
「俺も父も、監視対象ってやつか」
父は小さく頷いた。
「監視対象リストは処刑リストじゃない。回収・管理のリストだ」
「囲って、使う」
俺が言うと、父は否定しなかった。
「危険だから殺すんじゃない。危険だから囲う」
レイが立ち上がり、チップを掌で握る。
「君たちを殺さない理由がそれなら、遥を殺さない理由も同じだ。だから、取り返すチャンスはある」
俺は前を見た。暗い。狭い。濡れている。でも、進むしかない。
「……何をする」
俺が言うと、レイが1つずつ指を折った。
「1つ。ルートを作る。地上から追えば検問と監視で詰む。2つ。ダンジョン側の接続口を使う。3つ。施設内部に入ったら、遥の位置を特定して最短で抜く」
「……簡単に言うな」
「簡単じゃない。だから準備する」
父が通路の分岐を指した。古い表示板が朽ちて読めないが、空気の流れが違う。
「旧工区の避難ルートに繋がる。そこから施設の裏に近い位置に出られるはずだ」
俺は父を睨む。
「なんでそんなの知ってる」
父は表情を変えない。
「現場にいたからだ」
それだけ。
腹が立つ。同時に、今の俺たちにはそれが必要だ。
役割が、嫌になるほど自然に決まる。
俺は前線突破。
父は制圧と逃走線確保。
レイは情報と攪乱。
俺は吐き捨てる。
「信用してるわけじゃない」
「分かってる」
父はすぐ答えた。その速さが、逆に腹にくる。慣れてるのか。こういう距離に。
レイが、少しだけ声を柔らかくした。
「信用じゃなくていい。今は目的が同じだ」
目的。遥を取り返す。その1点だけで動く。
俺は歩き出した。
「先に行く」
逃げるためじゃない。奪い返すために潜る。通路の天井が低くなり、俺たちは身を屈めて進んだ。足元の水たまりが、ぼとん、と靴音で揺れる。
その揺れ方が、少しだけ変だと気づく。波紋が、まっすぐ広がらない。片側に寄る。まるで、床がわずかに傾いているみたいに。
だが、傾きじゃない。重さの「向き」がズレている。
父の重力操作を近くで見た俺は、その違和感を見逃さなかった。レイも足を止める。呼吸が1瞬、浅くなる。
「……空気が、変だ」
父が前に出て、指先を水面の上にかざす。触れない。触れずに、確かめる。水面が、わずかに「横」へ引かれた。父の目が細くなる。
「先に誰かいる」
「軍か」
俺が言うと、父は首を横に振った。
「軍のやり方じゃない」
レイが喉を鳴らす。
「……重力だ」
父が短く言った。
「重力使いだ」
俺は暗闇を睨んだ。遥を奪ったのは軍だ。でも、軍が「全部」じゃない。この歪みは、父のものと似ている。似ているのに、同じじゃない。
俺の背中を、嫌な予感が這う。
――俺たちは、追う側じゃない。追われる側でもある。
そして、奪い返すには、まず「この歪み」を越えなきゃならない。俺は大剣の柄に手をかけた。抜かない。ここで抜くと音が響く。代わりに、握る。
「行くぞ」
レイが小さく頷き、父が1歩だけ前に出た。暗闇の奥で、重さがさらにズレる。誰かが――待っている。




