第35話 汚染される核と、冷たい電子の警告
カビと錆が混ざった重い空気を、肺の奥まで吸い込む。廃水路のコンクリート壁には、得体の知れない粘液が滴り、俺たちの足音を不気味に吸い込んでいた。俺は一夫を放り出した後、大剣を握る右手の感覚を確かめた。筋力(STR)は250。その膨大な数値が腕の中で熱を持って暴れている。
「……レイ、遥は」
俺の問いに、レイが青白い顔でタブレットを叩いた。画面にはノイズの走る遥のアイコンが浮かんでいる。
『──お兄ちゃん? 聞こえる?』
スピーカーから漏れる遥の声は、やけに細かった。いつもの皮肉めいた調子ではない。背後でバタバタと何かが動く音や、低い怒鳴り声が混じっている。
「遥、無事か。ギルドの保護施設はどうなってる」
『……保護っていうか、もう半分拘束だよ。関根監査官の息がかかった職員が、部屋の前から動かない。でも、解析は終わらせた。お兄ちゃん、これを見て』
レイのタブレットに、複雑な分子構造の図形と、ダンジョンの地質データが転送されてくる。それを見たレイが、眼鏡の奥で目を見開いた。
「……ひどいな。大黒商事の親会社──軍事部門がやってたのは、進化種の開発だけじゃない。意図的に不純物を混ぜた特殊資材を、ダンジョンの核に直接投入してやがる」
俺は、立ち上がったばかりの一夫を睨みつけた。
「……あんたが関わってた防災工事ってのは、これのことかよ。核を病気にさせて、俺みたいなバグを量産するための、毒の注入だったのか」
一夫は、汚れきった作業手袋を見つめたまま、絞り出すように答えた。
「……当時は、それが核の安定化だと聞かされていた。だが、現場で異変が起きた。作業員が次々と、お前と同じような異常なステータス偏重を起こして死んでいったんだ」
「死んだ? 俺は生きてるぞ」
「適合したのがお前だったんだ、涼太。奴らは、その結果を構造欠陥と呼び、完成品としてお前を追い続けている」
胸の奥が、氷を詰め込まれたみたいに冷たくなる。俺のこの力は、誰かの幸せのためにあるんじゃなかった。歪んだ欲望の実験場で、たまたま生き残っただけの、不良品の証明だったのか。
『──待って、お兄ちゃん。別の反応がある!』
遥の叫びが、廃水路の壁に跳ね返った。
『そこのエリア、不自然な魔力溜まりができてる。核汚染の余波をモロに食らった個体が、すぐ近くに──』
ビチャリ、と大きな粘液の音が前方から響いた。暗闇の奥から這い出してきたのは、全身の皮膚が腐り落ち、剥き出しの筋肉が脈動する、巨大なトカゲの化け物だった。だが、その背中には赤鬼と同じような、人工的な魔石の回路が幾重にも縫い付けられている。
「キシャアアアアアッ!!」
鼓膜を焼くような咆哮。俺は大剣を柄を握、1歩前に出た。遥のいる場所まで戻るための、邪魔な壁がまた1つ増えただけだ。
「遥、そこで見てろ。……俺が、そのゴミを片付けてやる」
俺は地面を蹴った。STR 250の脚力がコンクリートを砕き、1瞬で変異トカゲの間合いへ踏み込む。
「死ねッ!」
黒鋼の大剣を横一文字に叩きつける。チャージなしの素振り。それでも、重戦車が衝突したような衝撃が水路を震わせる。だが、手応えがスカりと抜けた。変異トカゲはありえない角度で体を捻り、大剣の刃をすり抜けたのだ。
「ぐ、っ……!?」
「無駄だ。そいつは汚染の影響で、物理的な慣性を無視する体質に変異している。固定しなければ、お前の力は当たらない」
一夫の声が背後から飛ぶ。
「黙りなろと言ったはずだ!」
俺は強引に剣を引き戻し、2撃、3撃と連打を浴びせる。だが、トカゲは影のように揺らぎ、俺の剛力を受け流し続ける。イラつく。どんなに数値が高くても、当たらなければ意味がない。
「涼太、意地を張るな! お前の目的は、俺を撥ね退けることか、それとも遥ちゃんのところへ行くことか!」
レイの叫びに、脳が冷やされた。目的。そうだ。俺が守らなきゃいけないのは、自分のプライドじゃない。
「……親父。1分だ。1分以内にそいつを動けなくしろ。……それ以上は、1秒だってあんたの助けは借りねぇ」
一夫は無言で頷き、両手を地面へ向けてかざした。
「重力固定」
一夫のスキルが発動した瞬間、水路の空気がバキリと音を立てて固まった。変異トカゲの周囲だけ、重さの方向がバラバラに引き裂かれ、床に縫い付けられる。
「キシャッ……ガッ!?」
動きを封じられた怪物の頭上に、俺は黄金に輝く大剣を振りかざした。チャージは既に最大。循環する熱が、俺の腕を焼き切る寸前まで高まっている。
「全部、まとめて解体だ」
俺は全霊を込めて、大剣を垂直に振り下ろした。
「《リリース》ッ!!」
消失。
黄金の光が水路を真っ白に染め上げ、変異トカゲの肉体を細胞1つ残さず霧散させた。衝撃波が水路を逆流し、遠くの壁が次々と崩落していく。
「……ふぅ、はぁ……」
静寂が戻った水路で、俺は剣を杖にして立った。一夫もまた、膝をついて肩で息をしている。
「……助かったなんて言わないぞ」
「ああ、分かっている」
一夫はそれだけ答えた。そのやり取りを遮るように、レイの持っていたタブレットが激しい電子音を鳴らした。
『──お兄ちゃん! 逃げ──! 誰か、入ってき──!!』
ノイズ。
そして、物理的にマイクが壊れたような、嫌な破壊音が響く。
「遥!? 遥、返事をしろ!」
俺はタブレットを奪い取り、スピーカーに向かって叫んだ。だが、返ってくるのは冷たい静寂と、ブツリと切れた通信の拒絶音だけだった。
「遥の信号、消失……。ギルドの保護施設、外部から物理的に遮断されたみたいだ」
レイの声が、絶望に震えている。
俺は黒鋼の大剣を、握り拳が白くなるまで強く、強く握りしめた。
「関根……ッ!!」
あの男だ。俺たちを逃がし、親父をおびき出し、その隙に遥を確保した。
最初から、俺たちは掌の上で踊らされていたのか。
「……行くぞ、2人とも」
俺の声は、自分でも驚くほど静かだった。怒りが臨界点を超え、逆に思考が現場の図面みたいに透き通っていく。
「檻ごと、全部ぶち壊しに行く」
俺は、暗闇の先にある地上への出口を、真っ直ぐに睨みつけた。




