第34話 泥の底の血脈と、設計図なき共闘
梯子を降りきった底は、カビ臭い冷気と、絶え間ない水滴の音に支配されていた。頭上の鉄板が閉まり、最後の一筋の光が消える。暗闇が視界を塗りつぶすが、俺の腕に残る重みの残響だけは、消えてくれなかった。
「……説明しろよ、親父」
低く、地を這うような声が自分でも驚くほど冷たく響く。暗闇に目が慣れてくる。隣でレイが荒い息を整えながら、タブレットの微かな光で周囲を照らしていた。その光の中に浮かび上がる一夫の背中は、記憶の中にある疲れ切ったサラリーマンとは、あまりにもかけ離れていた。
「さっきのは何だ。手も触れずに連中を地面にめり込ませた、あの力は」
一夫は振り返らない。ただ、湿ったコンクリートの壁に手を当て、何かを探るように指先を動かしている。
「スキルだ」
「そんなこと聞いてねぇ。建設現場の下請けが、なんで軍の精鋭を赤子扱いできる力を持ってんだよ」
俺の咆哮に、レイがビクッと肩を震わせた。だが、一夫は動じない。乾いた、砂利を噛むような声で続けた。
「……重機操作の極致だ。物の重さを、意のままに配置する。それだけだ」
「ふざけんな。それだけ、で済むかよ」
俺は1歩、親父に詰め寄った。俺の筋力(STR)は250を超えている。レベルは26。一般人なら、俺が近づくだけでその威圧感に震え上がるはずだ。
だが、一夫の周囲に漂う空気は、凪のように静かだった。いや、違う。俺の力が、あいつの側に寄るだけで、まるで泥の中に沈むように無効化されていく感覚。
「遥の解析は見た。……俺たちは、最初から監視対象だった。あのリストに、あんたの名前があった」
俺はスマホの画面を一夫の背中に突きつけるように掲げた。
「あんたが家を出たのは、軍から俺たちを守るためだったのか。それとも、あんた自身が軍の実験体だったからか」
一夫の指が、壁の一点で止まった。ゆっくりと、こちらを振り向く。その瞳には、謝罪も後悔も、ましてや感動の再会を喜ぶ色なんて欠片もなかった。
「守りたかった、なんて綺麗な言葉は使わん。俺はただ、耐えきれなくなっただけだ。……自分の血の中に流れる、この歪みに、な」
「血の……歪み?」
「涼太。お前のその【構造欠陥】。……誰から受け継いだと思っている」
ドクン、と心臓が跳ねた。俺が建設現場での事故で目覚めた、あの異常な筋力への偏り。パッシブスキルに刻まれた、呪いのような特性。それが、単なる事故の産物ではなく、この男から引き継がれた血筋のせいだというのか。
「お前は力を一点に集め、破壊することに特化した。俺は重さを均一に分散し、固定することに特化した。……向きが違うだけで、根は同じだ」
一夫はそう言って、壁にある古いレバーを力任せに引き下げた。ガガガ、と乾いた機械音が地下通路に響き渡る。
「上に来ている。ドローンの熱源探知が、このハッチの真上に集中し始めた」
レイがタブレットを叩きながら叫ぶ。関根監査官からの指示で、軍の特殊部隊が迫っているはずだ。一夫の重力を想定した装備を持ち出されているなら、俺たちの足止めはもう長くは持たない。
ハッチの向こうで、バリバリと激しい火花が散る音がした。バーナーで焼き切るつもりだ。
「……チッ。行くぞ、レイ」
俺は背中から黒鋼の大剣を引き抜いた。480キロの鉄塊が、狭いピットの中で鈍く光る。
スキル、**チャージ**発動。
目の前のコンクリート壁に、俺は黒鋼の重さを乗せて叩きつけた。
ドォォォォン!!
1撃。**チャージ+1**。黒鋼の大剣が吸い込んだ衝撃を、青い光の粒子へと変える。刀身の奥底で、何かが脈打つような振動が始まった。
制限時間は7秒。この熱が冷める前に、次の衝撃を注ぎ込まなければならない。
「天井の重さは俺が受ける。お前は壁だけに集中しろ」
一夫が半歩前に出る。その足元が沈み、目に見えない巨大な支柱が天井へ向けて放たれるのが分かった。上から迫る地盤の重みが、一夫の肩一点に集約され、空気がきしみを上げる。
「……余計なことをするな。あんたの助けなんて、1度だって頼んだ覚えはねぇ」
俺は吐き捨て、2発目、3発目を壁に叩き込んだ。
ドゴォッ!! ガァァンッ!!
**チャージ+3**。
青かった光が瞬く間に色を濃くし、青から黄色へと変質していく。手に伝わる感覚が変わった。480キロあるはずの大剣が、内側から溢れ出すエネルギーによって質量を無視し始めている。重いのではない。熱い。暴れ狂う衝撃の奔流が、俺の腕を焼き切らんばかりの勢いで循環している。
残り5秒。壁の向こう側、土砂の向こうにある空洞までの構造を俺の目が捉えた。ここを、消し飛ばす。
「仕事だと……。家族を捨てた奴が、どの口でそれを……!」
10発、11発。音速を超えた打撃が、コンクリートを砂へと変えていく。**チャージ+14**。レベル2における上限、限界点だ。
大剣は今や、黄金の雷光を纏う巨大な熱源体と化していた。バチバチと弾ける放電がピットの壁を焦がし、レイが眩しさに目を細める。
猶予はあと3秒。循環するエネルギーが飽和し、鋼が耐えきれないと悲鳴を上げた。
「……全部持ってけ。二度と俺の前に現れるなッ!」
黄金の光を帯びた先端を壁の急所へと突き立て、俺は全霊を込めて念じた。
「**《リリース》**ッ!!」
刹那。轟音すら置き去りにした消失が起きた。
蓄積された14回分の打撃エネルギー。それにSTR 250の補正、さらに段階倍率が掛け合わされた純粋な破壊。黄金の閃光が噴き出した瞬間、目の前にあった数メートル厚のコンクリート壁が、瓦礫になる暇すらなく霧散した。
視界を埋め尽くす光の奔流。衝撃波がピット内を逆流し、俺の全身の骨を軋ませる。光が収まった時、そこには直径3メートルを超える巨大なトンネルが、旧工区の廃水路まで一直線に貫通していた。
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
役目を終えた大剣から煙が立ち上る。これだ。この理不尽なまでの破壊。これだけが、俺を繋ぎ止める現実だ。
「来るよ、涼太! 上が開いた!」
レイの叫びと同時に、頭上のハッチがバーナーの熱に耐えかね、内側へと爆ぜた。火花と共に黒い影が次々と滑り込んできた。軍の特殊部隊。その足元には、一夫の重力操作を無効化する青い発光デバイスが装着されていた。
「……っ、ぐあッ!」
天井の重みを支えていた一夫が、膝をついた。装置による干渉でスキルの均衡が崩れ、数トンという地盤の荷重が一気にその肩にのしかかったのだ。
「対象、1名確保! 残る2名は──」
兵士が銃口を向ける。だが、その引き金が引かれるより早く、俺は動いた。
「行けって言っただろ、涼太……。俺を置いて……」
苦しげに喘ぐ一夫の襟首を、俺は左手1本で乱暴に掴み上げた。
「勘違いするな。あんたに格好良く死ぬ権利なんてねぇよ」
俺は一夫の巨体を、まるで現場のセメント袋でも扱うかのように、小脇に抱え込んだ。STR 250という数値は、人体という重さを無に等しいものへと変えていた。
「お、重くないのか……?」
「黙ってろ。あんたは今から、ただの荷物だ」
俺は背中の黒鋼の大剣を右手に握り直し、自分がブチ抜いたばかりの消失の跡へと飛び込んだ。
「レイ、続け!」
「了解! 入り口を塞ぐよ!」
レイが背後で魔導銃を放つ。氷の魔力が剥き出しの土砂を瞬時に凍結させ、俺たちが通り抜けた直後のトンネルをガチガチに固めて封鎖した。
俺は一夫を抱えたまま、廃水路の闇を疾走した。足元のぬかるみも、障害物も、STR任せの踏み込みで粉砕して進む。抱えられた一夫は、俺の肩から伝わるであろう異様な振動と筋力の脈動に、言葉を失っていた。
「……涼太、お前、この力を得るために、どれだけの……」
「あんたに関係ない。俺が現場で泥水をすすって、妹の学費を稼いでる間に手に入れた力だ」
一夫は、それ以上何も言わなかった。
水路の奥。ようやく追っ手の音が遠のいた角で、俺は一夫を地面に放り出した。湿ったコンクリートに叩きつけられた一夫が、激しく咳き込む。
「ふぅ……。ひとまず、まいたかな」
レイが息を切らしながら合流する。タブレットの画面には、遥からの緊急メッセージが点滅していた。
「涼太、遥ちゃんから。……民間協力者Kについての新事実。お父さんの昔の現場、その全ての工区に関わっている企業がある。……大黒商事の親会社、その軍事部門だ」
レイの言葉に、一夫の表情が険しくなる。
「やっぱり、あそこか……。奴らが狙っているのは、俺たちの血だけじゃない。……構造欠陥を意図的に引き起こす、ダンジョン核の人工汚染だ」
「ダンジョン核の……汚染?」
俺は黒鋼の大剣を肩に担ぎ直し、一夫を見下ろした。父親への嫌悪は消えない。だが、この男が抱える「現場の闇」を解体しない限り、俺と母さんと遥の未来は、一生この泥の底に沈んだままだ。
「……立てよ、荷物持ち。次の現場は、どこだ」
一夫は、震える手で膝を突き、ゆっくりと立ち上がった。その目は、かつての逃げ出した臆病者のものではなく、再び構造を見据える「職人」の光を宿していた。




