第33話 重力の王権と、絶縁の再会
扉を開けた瞬間、冷たい外気と一緒に“過去”が入り込んできた。
逆光の中に立つ男。泥のついた作業服。擦り切れた手袋。指先の傷。見慣れたはずの顔なのに、近くで見ると妙に輪郭が硬い。
「……来んなよ」
俺の声は、思ったより低かった。
男――**竹内一夫**は、返事の代わりに1歩だけ中へ入ってきた。謝らない。取り繕わない。視線を逸らさない。
「話は後だ」
それだけ言って、周囲を1瞬で見回す。
「ここはもう安全じゃない」
「安全じゃないのは、俺の人生の方だろ」
喉から勝手に言葉が出る。
「出てって何年だ。連絡もしねぇ。今さら何の用だ」
一夫は、わずかにまぶたを動かしただけだった。
「俺は逃げた」
短く、事実だけ。
「……否定しない」
その落ち着きが、腹の底をえぐる。逃げたって認めたら、それで終わりかよ。俺と遥が背負った時間は、誰が拾うんだ。
「遥のこと、知ってんのか」
一夫の目が、ほんの少しだけ揺れた。
「遥は――」
「お前が口にするな」
俺が遮った。言い終えるより先に、外から規則的な羽音がした。軽い金属の振動。低く、近い。ドローンだ。
中村が窓の布をわずかにずらして覗き、舌打ちする。
「2回目だ。さっきの“通りすがり”じゃねぇ」
レイがタブレットを見たまま言う。
「熱源の再登録。……踏み込む気だね」
外で砂利を踏む足音が増える。ライトが揺れて、資材の影が長く伸びる。無線の割れる声が風に乗ってきた。
『第7班、資材ヤード到着。確認に移る』
『現場管理、聴取対象。立ち入り確認を優先』
別の声が重なる。
『……関根監査官から、現場の確認指示が出ている』
その名前が出た瞬間、レイが小さく息を吐いた。
「確信がある動き。誰かが“ここだ”って言ってる」
中村が唾を飲み込む。
「おい竹内……ここで揉めてる場合じゃねぇぞ」
一夫は、外の足音を聞きながら、俺を見た。
「決着は後にしろ」
「命令すんな」
俺が言い返した瞬間――コンテナの外で、誰かが叫んだ。
「中に人がいる! 開けろ!」
足音が、真っ直ぐこっちに向かってくる。一夫が、半歩だけ前に出た。肩の力は抜けている。なのに、足元だけが妙に“据わった”。
「撃つな」
低い声が落ちる。
次の瞬間。空気が、きゅっと縮んだ。耳の奥が詰まる。砂利が、ぎし、と鳴いて沈む。
――重い。
俺の膝ですら、わずかに沈みかけた。侵入班の先頭が、膝から崩れ落ちる。
「……っ、な……!?」
2人目、3人目も同じように沈む。床に縫い付けられたみたいに、足が動かない。
「重……ッ、足が……!」
後衛が銃を構え直そうとして――ふわり、と。武器だけが手を離れ、宙に浮いた。
「は……?」
呆けた声と同時に、銃がカラン、と砂利に落ちる。上空で旋回していた小型ドローンが、急に羽音を乱した。押し潰されるみたいに高度が落ち、バキッと地面に叩きつけられて沈黙する。
誰も撃てない。撃つどころか、指が動かない。声も出ない。一夫は、その中心に立ったまま淡々と告げた。
「動くな。呼吸はできる」
侵入班の目が、ゴーグルの奥でぎょろりと動く。恐怖と混乱が、見えないはずの表情になって漏れていた。無線が落ちたまま鳴る。
『状況を報告しろ。何が起きている』
『第7班、応答しろ』
応答できるわけがない。
一夫が、手首をほんのわずかに返す。すると壁際にいた2人の体が、横に滑った。引きずられたんじゃない。押されたんでもない。
“そこに落ちるべき重さ”の向きが変わっただけ。資材の影へ吸い寄せられ、ぴたりと止まる。隊列が割れ、視界が遮られ、互いが見えなくなる。
制圧というより、支配だった。
中村が、声にならない声を漏らす。
「……なんだよそれ。反則だろ」
レイは言葉を失っていた。目だけで、落ちた銃と、潰れたドローンと、地面に貼り付いた兵をなぞる。
俺は、ようやく理解した。これが父の“手札”。撃たずに、殺さずに、人を止める。
一夫が振り返らずに言った。
「行くぞ」
「……は?」
「次が来る。ここで止まるな」
言い切って、一夫はもう歩き出していた。足音は軽い。息が上がっていない。代わりに、外の方で無線が慌ただしく重なる。
『第7班、応答不能!』
『……何か仕掛けがある、引け! 増援――』
ライトが増える気配。車のドアが閉まる音。次の足音が、遠くで動き始めている。中村が慌てて一夫の背中に言う。
「おい竹内! ここでやったら俺まで潰れる!」
一夫は短く返した。
「だから引け」
「簡単に言うな!」
「……借りは返す」
一夫はそれだけ言って、ヤードの端――ブルーシートで覆われた地面へ向かう。シートをめくると、錆びた鉄板の蓋が現れた。取っ手の金具が、冷たく光る。
「ここだ」
一夫が取っ手に指をかける。本来なら2人がかりでも重いはずの鉄板が、音も立てずに持ち上がった。持ち上げた、というより――蓋の“落ちたがる重さ”が薄くなったように見えた。
下に口を開けていたのは、暗い縦穴。コンクリの壁と、金属の梯子。
「旧工区の避難ピットだ」
一夫が言う。
「現場の穴。しばらく隠れられる」
「……現場の穴は得意でも、家は守れなかったってことかよ」
俺の言葉は、鋭く刺さったはずだ。一夫は怒らない。言い返さない。
「できなかった」
短く、乾いた返事。
「だから逃げた。今さら正しいとは言わん」
その直後、上空で別のドローンの羽音がした。さっきより高い。数が増えてる。レイが即座に言う。
「来る。今度は複数」
一夫が、俺を見た。
「降りろ」
命令みたいで腹が立つのに、体は動いた。レイが先に梯子へ手をかけて、するすると降りていく。
「行くよ」
レイの声は冷静だった。
「ここで捕まったら、話す権利ごと奪われる」
俺も続く。縦穴の中は湿っていた。冷たいコンクリの匂いが鼻の奥に残る。上から、一夫の声が落ちてくる。
「遥は」
俺は梯子を降りながら吐き捨てた。
「お前が心配する立場かよ」
1拍の沈黙。一夫は、言い返さなかった。
「……分かった」
それだけ。金属が擦れる音がして、蓋が閉まる。最後の光が細くなり、暗闇が落ちた。暗闇の中でも、地上の無線が遠くに響く。
『第7班、応答しろ』
『対象がいる、確保を急げ』
そして、別の声が重なった。近くない。遠い。もっと冷たい。
『対象、移動開始。……父親も合流確認』
レイが小さく舌打ちした。
「見られてる」
俺は暗闇の中で拳を握った。逃げるだけじゃ終わらない。追ってくるなら、顔を見てやる。
その前に――隣で降りてくる父の気配が、やけに近かった。
俺はまだ、こいつを許してない。でも今は、同じ穴の中だ。




