第32話 資材置き場の隠れ家と、包囲網のきしみ
階段を上がるたびに、空気が変わっていく。
コンクリの湿気に、ほんの少しずつ、外の匂いが混じる。
油と土と、古びた鉄の匂い。
「……ここ、マジで親父のテリトリーって感じだな」
つい、口からこぼれた。
さっきまでいた地下の事務所跡もそうだったが、壁に貼ってあった安全標語や、黄ばんだ工程表、錆びたロッカー。どれもこれも「現場のおっさん」の世界だ。
「悪い意味でね」
前を行くレイが、肩越しに言う。
「油断しないで。ここ、“今も使ってる現場”じゃないけど、完全に死んでる場所でもない」
階段を上り切ると、錆びた鉄扉が1枚。
内側からかかっていたかんぬきは、すでに外されていた。こっち側から出ていく前提で、誰かが準備してくれていたってことだ。
「……中村って人、だっけ」
「たぶんね。父親さんの“元同僚”」
レイがタブレットをちらりと見て、うなずく。
「外、行くよ。サーチライトに照らされたら即アウトだから、まずは音と空気だけ」
「了解」
鉄扉の取っ手を握る。
深呼吸を1つしてから、ゆっくり押し開けた。
◇ ◇ ◇
外は、肌寒い空気と、白い曇天。
山の斜面を削って作った、小さなコンクリ土間のヤードだった。
周囲は簡単なフェンスで囲まれていて、ところどころに「危険」「立入禁止」の看板。
仮設コンテナが2つと、パレットの山、ブルーシートで覆われた鉄骨の束。
隅の方には、使い古されたショベルカーが1台、青錆を浮かべて鎮座している。
いかにも、「工事が止まったまま時間だけが経ちました」って光景だ。
「……無人、には見えるけど」
レイが、ささやき声で言う。
そのとき、コンテナのドアがきぃ、と音を立てて開いた。
「おーい。こっちだ」
出てきたのは、ヘルメットをかぶった中年男だった。
片手に缶コーヒー。片手に、傷だらけのタブレット。
作業服は色あせているが、膝や袖には新しい汚れもついている。
「……ほんとに来やがったか」
男は、俺たちを見るなりそう言った。歓迎とも警戒ともつかない声。
「あなたが、中村さん?」
レイが1歩前に出る。
「氷室レイです。こっちが竹内涼太」
「知ってる」
中村は、じろりと俺を見た。目つきは悪いが、どこか懐かしい種類の悪さだ。現場監督が、サボりかけの新人を睨むときの目つき。
「……親父に、似てるか?」
先に口に出したのは、中村の方だった。
「目つきが悪いのと、筋肉のつき方だけな」
「褒めてんのかそれ」
思わず返すと、中村は鼻で笑った。
「褒めちゃいねぇよ。こっちだ」
そう言って、コンテナの中へ手招きする。
「ちょっと待ってください」
レイが、さっと間に入った。
「その前に、確認させてほしい」
「確認?」
「あなたが本当に“竹内一夫の元同僚”かどうか」
レイの声は、冷静というより、冷めていた。
「この状況で、見知らぬ中年にホイホイついて行くほど、僕たちバカじゃない」
「……氷室、ズバズバいくな」
「事実でしょ」
中村は、しばらくレイを見つめていたが、やけに肩をすくめた。
「まあ、そうだな。ほらよ」
そう言って、コンテナの中から何かを持ってくる。
1枚の、色あせた写真だった。
安全ベストとヘルメット姿の若い男が2人。片方は中村。もう片方は――見覚えのない顔だった。
額に汗を光らせて、白い歯を見せて笑っている。泥だらけの作業服。肩幅だけやたら広い。だが、その笑顔の目元だけは、見覚えがある。
「……こいつ」
「竹内一夫。20代の頃だ」
中村が、写真の隅を指で叩く。
「ほら、ここ」
写真の裏には、ボールペンで何かが書き込まれていた。
『R3工区/臨時資材ヤード/竹内』
癖のある字。
俺は、無意識にスマホのメモ帳に目を落とした。遥が残したメモに、同じような癖の“父親の字”があったのを思い出す。
「……こんな顔、見たことねぇな」
口から漏れた声は、自分でも驚くほど小さかった。
家で見ていた父は、もっと暗くて、乾いていて、余裕がなかった。笑っているところなんて、ほとんど覚えていない。
「まあ、“家の竹内”とは別人だったろうよ」
中村は缶コーヒーを1口あおってから、吐き出すように言った。
「現場じゃ、あいつはあいつなりに筋を通そうとしてた。家ではどうだったか知らねぇがな」
「知らなくていいですよ。その話は後でいくらでもできますから」
レイが、写真から目を離さないまま言う。
「今は、生き延びる段取りが先。中に入る短時間だけ、あなたを“仮に”信用します」
「相変わらず口が立つな、今どきのガキは」
中村は、ようやく少しだけ笑った。
「よし。じゃあ、ようこそ俺んちへ。狭苦しいが、敵のセンサーよりはマシだ」
◇ ◇ ◇
コンテナの中は、予想以上に“生活感”があった。
古いデスクトップPC、FAX、工具ラック。片隅には折りたたみベッドが1つ、毛布と寝袋が無造作に積まれている。
壁には、作業予定表と、古い現場写真がピンで留められていた。
「ここ、正式な名目だと“資材置き場の管理事務所”なんだがな」
中村が、机の上を片付けながら言う。
「実際は、仕事がキツくて家に帰るのが面倒な時の、俺の寝床だ。……まあ今日は、ガキ共の避難所ってことで、勘弁してやる」
「助かります」
レイが、素直に頭を下げる。
「ギルド本部から、こっちに向かう部隊は?」
「山の下のバイパスまで来てる。さっきからヘリも1機、上空うろうろしてる」
中村は、コンテナの窓に布をかけながら続けた。
「軍か警察か、その両方か。どのみち、時間の問題だ」
その時だった。
遠くから、独特の低い唸りが聞こえてきた。プロペラの風を切る音。地面が、微かに震える。
「……ヘリだね」
レイが、タブレットを持って窓辺に近づく。カーテンの隙間から、外を少しだけのぞいた。
山の稜線の向こうに、黒い影が1機。ゆっくりと旋回しながら、サーチライトを下に向けている。
「高度からして、偵察兼威嚇。光学カメラと、簡易熱源センサーは積んでると思う」
「バンバン撃ってこねぇだけマシってことか」
「まだ“本格的な殲滅戦”ってフェーズじゃないからね」
レイが肩をすくめた。
「今のところは、“逃げた容疑者の捜索”。……名前に“容疑”ってついてるうちに、動けるだけ動こう」
「それでだ」
中村が、テーブルの上に地図を広げる。印刷が薄くなった山間部の簡略地図。赤ペンでぐちゃぐちゃに線が引かれている。
「ここが今いる資材置き場。ヘリが回ってるのは、この谷筋の上空だ」
指先が地図の1点を叩く。
「ここ、谷の反対側の尾根に、観測所みたいなのがある。軍のセンサー類は大体そこに集約されてるはずだ」
「センサーって、どんな?」
レイが身を乗り出す。
「ざっくり言えば、“不自然な熱源”と“動く金属の塊”だな。人間の体温、車やバイク、機械のモーター。そういうもんをまとめて拾って、怪しい動きだけ拡大して見る」
「じゃあ、ここでじっとしてれば――」
と言いかけたところで、中村が遮った。
「バカ言うな。“じっとしてる”ってことは、“ずっとここにいる熱源”として映り続けるってことだ」
地図の別の場所を指さす。
「谷の下の道を使って、ここをぐるっと囲むように動いてる車列がある。軍か警察かは知らんが、どのみちそいつらが上がってくる前に、“ここには誰もいねぇように見せる”必要がある」
「つまり――」
「ここのレイアウトを、ちょっと“いじる”。できるか?」
中村は、俺を見た。
「いじるって、細工とかじゃなくて、筋肉でどうにかするやつなら」
「そのつもりだ」
中村が、コンテナの外を顎でしゃくる。
「外のパレットと鉄骨、ちょっと並べ替える。コンテナの手前に“目隠し”を作るんだ」
「了解」
言うが早いか、外に出る。
ブルーシートをめくると、中からH鋼の束が顔を出した。1本1本が、俺の太ももより太い。
「……これ、普通はクレーン使うやつじゃねぇの」
「ここにクレーンが見えるか?」
中村のツッコミは、いちいち正論だ。
「はいはい」
ため息をついて、H鋼の端を両手でつかむ。腰を落とし、息を吐きながら1気に持ち上げる。
「っ……!」
体の芯がきしむけど、上がる。チャージは切れている。これは、純粋な筋力だけだ。それでも、どうにか動く。
1本、2本と、コンテナの前に立てかけていく。コンテナとの間に少し隙間を作っておけば、その裏に人が隠れるスペースもできる。
「こんなもんか」
「あと3本」
レイが、タブレット片手に指示を飛ばす。
「ドローンのカメラ、今ちょっとだけノイズ走らせてる。“たまたま電波が悪い”程度に見えるようにしてるから、急いで」
「便利だな、お前の頭脳は」
「筋肉ほど派手じゃないけどね」
レイは、視線だけで空を追いながら言う。ドローンの小さな影が、1機、資材置き場の上空を通過していく。高い位置から、見下ろすように。
「……今の一瞬で撮られた映像が、今後の査定ポイントになる。“ただの廃ヤード”にしか見えなければ、スルーされる」
「派遣の現場監督みてぇなこと言うな」
「デスクワーク版現場監督だからね、僕」
苦笑しながらも、レイの指示は無駄がない。俺は言われるままに鉄骨を並べ替え、パレットを動かし、ブルーシートでそれを覆った。
筋肉で作った、即席の目隠し。コンテナの正面から見たとき、扉がちょうど死角に入るラインになっている。
「よし。一旦中」
中村の声が飛ぶ。
コンテナに戻ると、すぐに窓の布がきっちりと閉められた。中は、さっきより暗い。その暗さが、逆に外の気配を鮮明にする。
ヘリの音が、さっきより近い。プロペラの風で、ブルーシートがバタバタとはためく音が聞こえる。
「……来たな」
中村が、コンテナの壁に背を預けながら言った。
「いいか。動くなよ。今ここでドタバタしたら、それだけで“怪しい”って判断される」
「動かないで、やり過ごすってこと?」
「そうだ」
レイが、タブレットの画面をじっと見つめる。
「ヘリからの熱源スキャン、今このエリアを舐めてる。資材の群れと、地面の残留熱と、一緒くたに見えているはず」
「それで見つかったら?」
「その時は、その時」
レイの声が、少しだけ固くなった。
「でも、“見つかったからって人間を殺す”ルートは、選ばない」
「言われなくても分かってる」
手のひらに汗がにじむ。この場にいる全員より、俺が一番“楽な選択”を知っている。
大剣を抜いて、真正面から全部ぶっ壊す。チャージを溜めて、まとめて吹き飛ばす。それが一番早くて、一番楽だ。
でも、それをやった瞬間、自分で自分を“テロリスト”って名乗るのと同じだ。
「……やるなら、骨折までだ」
自分に言い聞かせるように、小さくつぶやく。
「殺さない。その線だけは、絶対に超えない」
「うん」
レイが短くうなずいた。
「そういう線を引けない大人が多すぎるから、今こんなことになってるんだと思う」
その時だった。
コンテナの屋根に、「コッ」という軽い音が落ちた。小石……じゃない。もっと軽くて、人工的な音。
「ドローンだな」
中村が、低く言う。
「たぶん、小型の追尾タイプが1機、上からのぞいてる」
数秒後。コンテナの側面、鉄板越しに、かすかな振動が伝わってきた。壁の外を、何かが移動している。フェンスの向こうで車のドアが閉まる音と、男性の声。
『こちら第7班。資材ヤードに到着』
『熱源反応は?』
『残留熱のみ。人の形は拾えていない。資材も、しばらく動かしてないように見えます』
無線の声が、風に乗ってかすかに聞こえる。
中村が、息を殺す。俺も、レイも、声を出さない。コンテナの壁1枚隔てた向こうを、足音がゆっくりと歩いていく。土を踏む音と、鉄板を軽く叩く音。
『中も確認するか?』
『いや、現場管理は別ルートで確認する手筈だ。今はルート上の異常を潰すのが先だ』
『了解』
足音が、少しずつ遠ざかっていく。ヘリの音も、少しずつ小さくなった。
数10秒。それだけの時間が、やたら長く感じた。
「……ふぅ」
レイが、ようやく息を吐く。
「ギリギリ。ドローンのログには“廃ヤード”“不審なし”って残るはず」
「今の台詞、完全に敵側の人間の台詞だぞ」
「ログに詳しいだけ」
レイは、タブレットを軽く叩いた。
「とりあえず、“今すぐ突入される”ってフェーズは越えた。でも、いつまでもここにいるのも無理」
「そういうこった」
中村が、椅子にどかっと座り込む。
「俺は竹内に借りがある。だから1回ぶんだけ、ここを貸す。それ以上は知らん。軍ともギルドとも、正面から喧嘩する気はねぇ」
「1回ぶん……」
「1晩だ」
中村の声は、はっきりしていた。
「今日の夜まで。その間に、竹内がここまで来る」
「親父が」
「そうだ」
中村は、天井を見上げた。
「昔な。現場で崩落事故が起きかけたときがあった。作業員が1人、埋まりかけてな」
ぽつぽつと話し始める。
「誰もが、“もうダメだ”って顔してる中で、竹内だけが夜通し土砂を掘り返してた。翌朝、救助隊に交代した後、そのまま現場を辞める話をしてた」
「何それ、美談?」
「美談にするには、投げ出した後が長すぎるがな」
中村は、鼻を鳴らした。
「現場では現場なりに筋を通そうとして、家では家なりに失敗した男だ。そういうのが一番タチが悪い」
「同意」
レイが即答する。
「でも、筋を通そうとしたことまで否定はしない。失敗の方は、こっちが直接聞いてから判断します」
「……好きにしろ」
中村は立ち上がり、コンテナの入口に目をやった。外の光が、少しずつ傾いている。山の影が長く伸び始めていた。
◇ ◇ ◇
夕方。
ヘリの音は、いつの間にか聞こえなくなっていた。代わりに、山の向こうから車のエンジン音が時々響く。山道を行ったり来たりしているらしい。
「……親父の端末、動き始めた」
レイが、タブレットを覗き込みながら言った。
「このエリアに向かってる。徒歩じゃない、車。たぶん、中村さんが言ってた“反対側からの細い林道”を使ってる」
「本当に来るんだな」
「来なきゃよかったのに、って顔してる」
「正解」
俺は、コンテナの壁にもたれかかりながら、腕を組んだ。会いたくない。けど、会わなきゃ気が済まない。両方の気持ちが、同じくらい喉の奥にひっかかっている。
「お前ら」
中村が、入口の方から声をかけてきた。
「外には俺が立つ。最初に顔を合わせるのは、お前だ」
「逃げてもいいですか?」
「ここまで来て逃げたら、ダサすぎるね」
レイが、きっぱりと言う。
「それに、“逃げたところで無関係”って顔は、もうできないよ」
「分かってるよ」
自分で言いながら、舌打ちしたくなる。
そのとき。
外で、車のエンジン音が止まった。砂利を踏むタイヤの音。サイドブレーキのきしむ音。ドアが開き、閉まる音。
数秒の静寂。
コンテナの金属扉が、コツン、と軽く叩かれた。
「……来たぞ」
中村が、小さくつぶやく。
扉の向こうから、低い声が聞こえた。
『……俺だ。入っていいか』
胸の奥がざわつく。さっき電話越しに聞いた声と、同じ音なのに、全然違って聞こえた。距離が違うだけで、こんなにも重くなるのか。
「行ってきなよ」
レイが、軽く背中を押してくる。
「殴るかどうかは、話を聞いてから決めればいい」
「……分かってる」
息を吸う。肺が少し痛い。
手を伸ばし、金属の取っ手をつかんだ。冷たさが、指先から腕まで伝わる。
ゆっくり、扉を引いた。
その向こうで、懐かしくて、腹立たしいシルエットが、逆光の中に立っていた。




