第30話 護送車襲撃と、解体屋式エスケープ
ワイパーが、乾いたフロントガラスをむなしく横切っていた。
雨はとっくに上がっている。
ただ、山の朝特有の白いもやが、谷底からゆっくりと立ちのぼっていた。
ギルドのロゴが入ったワンボックス車は、そのもやの中の1本橋を走っている。
先頭に護衛車。
真ん中が、俺とレイの乗る護送車。
最後尾に、支援用の車両。
簡単な3台編成だ。
「ここから先は、軍の監視も薄くなる区間だ」
助手席の倉田が、前を見たまま言う。
「山間部だ。一般車両も少ない。今日みたいな時間帯なら、なおさらな」
運転席には、無精髭のギルド職員。
ハンドルを握る手の甲が、じっとり汗ばんでいる。
後部座席。
俺とレイは、横1列に並んで座っていた。
「ねぇ」
隣で、レイが小声でつぶやく。
「やっぱり、少しおかしくない?」
「何がだよ」
「警察車両。1台も見てない」
確かに。
護送だの何だのと言われた割には、パトカーの1つも走ってこない。
レイは、窓の外の標識をちらっと見て、さらに続けた。
「それと──ルート」
「ルート?」
「昨日聞かされた説明だと、もっと下のバイパスを通るはずだった。こっちは旧道に近い。山寄りすぎる」
言われてみれば、道路の雰囲気が違う気もする。
工事中の区間があると聞いていたが、その気配もない。
代わりに、山の斜面と谷をつなぐ古い橋が、目の前に伸びていた。
片側は崖。
もう片側は、斜面と、その下に作業用の細い道路。
1本橋、という言葉がしっくりくる。
「細かいルート変更は、現場の判断ですよ」
振り向いたのは、助手席の男――監査部の関根だ。
細い眼鏡の奥に、にこやかな笑みを浮かべている。
「警察の手を借りると、どうしても情報が漏れやすい。今回は機密性を優先して、ギルド内部で完結させているそうです」
「……そうです、ね」
レイの声には、あからさまな棘が混じっていた。
俺は、窓の外を見た。
ガードレールの向こう、斜面の下に細い道が走っている。
作業車用だろうか。柵の切れ目に、小さな階段まで見える。
「何かあったときのための逃げ道」みたいな構造だ。
そう思った瞬間だった。
ドン、と、車が前のめりに揺れた。
次の瞬間、耳をつんざくような爆音が前方から響く。
「なっ──!」
フロントガラス越しに、先頭の護衛車が跳ね上がるのが見えた。
路面が白く裂け、その上で車が横倒しになる。
同時に、後ろからもタイヤが軋む音。
ミラーに映った支援車が、路肩に斜めに突っ込んで止まる。
「全員、頭を下げろ!」
倉田が怒鳴った。
叫び声と同時に、ガラスを叩く乾いた音がする。
パン、パン、パン、と連続で。
フロントガラスの表面に、クモの巣状のヒビが走った。
防弾ではあるが、無敵じゃない。
「くそ……!」
運転席の男が、ハンドルにしがみついたまま歯を食いしばる。
俺は反射的に、レイの頭を押さえつけて伏せさせた。
耳の奥で、無線の声がかすかに聞こえる。
『──前方、確保──』
『識別不要、優先は対象2名の──』
どこに報告しているのか、さっぱり分からない。
部隊番号も、所属名も名乗らない。
ただ短い命令だけが飛び交っている。
レイが小さく舌打ちした。
「正式な隊じゃない。コードが省略されすぎてる」
「裏の、ってことかよ」
「だろうね。表のニュースに出ないタイプ」
冗談じゃない。
「倉田さん!」
俺は、前の席に声を投げた。
「この橋、片側崖で、もう片側が斜面でしたよね!」
「ああ。ガードレールの向こうに作業道が1本だけある」
「だったら、そこまで逃げた方がいい。このままここで座ってたら、車ごと穴だらけになります」
「分かっている。だが今、ドアを開ければ──」
言いかけた倉田の視線が、ちらっと後ろの窓に向いた。
崖側。
山の斜面の上方の岩陰に、黒い影がいくつも見える。
ライフルの銃身が、こちらに向けられていた。
普通に飛び出せば、蜂の巣だ。
「……盾が必要だな」
倉田がそう言い終えるより早く、俺は立ち上がっていた。
「おい、涼太!」
「後ろ、見ていいですか」
返事も待たず、後ろのスライドドアに手をかける。
ガキン、と嫌な音がした。
弾丸が当たったせいか、レールが歪んでいる。
少し引くだけで、ガタガタと大きく揺れた。
「……いけるな」
ヒンジの位置を目でなぞる。
金属の折れ曲がり方。
ボルトの入り具合。
壊す側の目線は、こういう時にも勝手に働く。
「レイ!」
「分かってる。《スモーク》の準備だろ」
レイは座席の背もたれに身を伏せたまま、指先だけを上げて見せた。
俺は、ドアの縁を両手でつかむ。
深く息を吸って、全身に力を込める。
「おおおおっ……!」
筋肉が悲鳴を上げる。
金属の軋む音が、車内に響いた。
ヒンジの根元から、「ミシッ」と嫌な音がする。
さらに力を込めて、ひねる。
ドアを、車体から引き剥がすように。
「折れろ……!」
叫んだ瞬間、「バキッ」と乾いた音がした。
重いものが、ずしりと腕にのしかかる。
スライドドアが、ヒンジごとちぎれて、俺の方に倒れてきた。
それを抱え込むように受け止め、体を横に向けて立てる。
ちょうど、人1人をすっぽり隠せるくらいの、でかい鉄板。
「はい、盾完成」
荒い息を吐きながら言うと、前から倉田の驚いた声が飛んできた。
「腕力だけで外す奴がどこにいる……!」
「ここにいます」
冗談を言っている場合じゃない。
「レイ、準備できたか」
「いつでもいける」
運転席のシートの影から、レイが片手を伸ばす。
手のひらの上に、淡い光が渦巻いた。
「倉田さん、全員、俺の後ろに」
「お前、まさか──」
「ガードレールまで、数メートルです。このドア越しなら、弾、多少は持つでしょう」
多少。
どれくらいかは知らない。
けれど、ここに座っていて確実に死ぬよりは、ずっとマシだ。
「……分かった」
倉田は短く答えた。
「全員、後部へ移動! 順番を乱すな!」
前の職員たちが、身体を低くしてこちらへ這ってくる。
俺はドアを立てたまま、1歩、2歩と車の側面方向にじるじると移動した。
「タイミング合わせるよ」
レイが囁く。
「3、2、1──《スモーク》!」
窓の隙間から、白い煙が外へ噴き出した。
魔力で作られた煙が、崖側の視界を一瞬奪う。
その瞬間を狙って、俺はドアを前に構えたまま、後ろのドア穴から飛び出した。
足裏に、固い舗装の感触。
次の瞬間、鉄の板を叩く音が、耳元で炸裂する。
パン、パン、パンッ!
ドアの表面に、弾丸がいくつも食い込んだ。
衝撃が腕を通して肩まで突き抜ける。
「おいおい……!」
思わず声が漏れる。
だが、まだ立っていられる。
まだ、ドアは抜かれていない。
「このまま真横!」
俺は叫んだ。
ドアの陰にレイと職員たちを押し込むようにしながら、車の側面をなぞるように横移動する。
10歩もない。
その先に、ガードレールと、作業員用の小さな出入口が見えた。
柵の切れ目。
斜面へ続く、狭い階段。
「見えた!」
レイが息を切らしながら言う。
「先に行け!」
「お前が盾から離れたら意味ないだろ!」
「僕は、下で受けるから」
レイは、ドアの影から身を乗り出し、小さな魔法陣を足元に展開させた。
「足元、滑らせるなよ。《フリーズ・ステップ》」
斜面に沿って、氷の薄い帯が走る。
土や砂利が、ぎゅっと固まっていく。
「これで、滑り落ちても骨は折れにくい」
「サラッと怖いこと言うな!」
「ギルドに怒鳴られるから、死なないでよ」
「怒鳴られる前に撃たれるわ!」
くだらないやり取りを1言挟んで、ギルド職員が1人、ガードレールの切れ目から飛び降りた。
短い悲鳴。
足を滑らせながらも、なんとか斜面を転がり、氷の帯に沿って下の作業道へ落ちる。
続けて、もう1人。
レイも、俺の肩を軽く叩いてから、柵の向こうへ身を投げた。
「下でログ取ってるから、落ち方には気をつけて!」
「そんなログいらねぇよ!」
そう叫んだあとで、自分も笑いそうになる。
残っているのは、俺と倉田だけだ。
「倉田さん!」
「お前が先に行け。私は後から下りる」
「文句言うなよ!」
俺は、ドアを身体の前に構えたまま、ガードレールの切れ目に足をかけた。
視界の端で、崖側の煙が薄れていくのが見える。
弾丸の軌道が、ドアの縁をかすめた。
「っ……!」
歯を食いしばって、そのまま斜面に身を投げる。
足元が、空を蹴った。
重いドアに引っ張られながら、体が斜面を滑り落ちる。
氷で固められた土が、靴底の下を猛烈な勢いで流れていく。
ドンッ、と鈍い衝撃。
背中から転がり込み、ようやく止まったところが、下の作業道だった。
「生きてるか!」
頭上からレイの声が聞こえる。
「……ぎり、な!」
立ち上がろうとして、背中が悲鳴を上げた。
それでもなんとか、ドアを起こして盾として立てる。
上からの射線は、ほとんど通ってこない。
橋の手すりと斜面の角度が、ちょうどいい壁になってくれている。
遅れて、ガードレールの上から倉田が身を乗り出し、斜面を滑り降りてきた。
派手に尻もちをつきながらも、どうにか作業道までたどり着く。
「なるほどな」
息を切らせながら、倉田が橋の方を見上げた。
「確かに、この位置なら狙いづらい」
「まだ、終わりじゃないですけどね」
レイが、反対側を指差す。
作業道は、橋の下をくぐり、山の腹に沿って細く伸びていた。
その先に、小さなトンネルの入り口が見える。
メンテナンス用の通路だろう。
「上の連中、ここまで追ってくると思うか」
「来るね」
レイは即答した。
「上から撃ち下ろせないなら、今度は横から来る。さっきの無線の感じだと、“口封じ”が最優先っぽかったし」
「だよな」
俺がそう言った瞬間だった。
崖の上の方から、何かが滑り落ちる音がする。
ロープだ。
黒い影が2つ、3つ、作業道へ降りてきた。
ヘルメットにバイザー。
装備は、見覚えのある軍規格だ。
だが、腕章も部隊章も、全部剥がされている。
「ほんとに裏稼業って顔してるな、おい」
「感心してる場合かよ!」
俺はドアを前に立てかけ、壁際に立てておいた黒鋼の大剣に手を伸ばした。
背丈ほどある黒鋼の大剣。
ここ数日の戦闘で、いやというほど振り続けてきた相棒だ。
作業道は狭い。
全力のフルスイングはできないが、叩きつけるには十分なスペースがある。
鞘ごと持ち上げ、両手で短く握る。
「来るぞ!」
ロープから飛び降りた黒い影が、銃をこちらに向けた瞬間。
レイの魔導銃が、その銃身を弾いた。
「近い!」
「分かってる!」
狭い作業道で、距離は一瞬で詰まる。
俺は、大剣を横薙ぎに振る代わりに、足元のコンクリートの縁を狙って叩きつけた。
ゴンッ、と鈍い音。
作業道の端のブロックが砕け、破片が宙に舞う。
足場が崩れた襲撃者が、わずかによろめいた。
その隙に、もう1歩踏み込んで、鞘ごと肩口を小突く。
鉄の塊が、人体を押しのける感触。
男の身体が壁に叩きつけられ、そのままずり落ちた。
「通路を狭くする!」
俺は叫ぶ。
作業道の側壁に、もう一度大剣を叩きつける。
ひびの入ったコンクリートが崩れ、瓦礫が足元に転がり落ちる。
2人目、3人目の襲撃者は、その瓦礫を踏んでバランスを崩した。
レイの魔導銃が、脚を撃ち抜く。
銃声と悲鳴が重なった。
「このままトンネル側に下がるぞ!」
倉田の声が飛ぶ。
「上の橋は、我々が足止めする。竹内、氷室、お前たちはトンネルを抜けて山側に逃げろ!」
「え、ちょっと待て──」
「ここで全員まとめて死ぬ方がいいか?」
反論しかけた俺を、倉田の1言がさえぎった。
「お前たちは、“証人”だ。生きて、テーブルに座る側になれ」
言い捨てると、倉田は別方向の階段へ駆け出した。
橋の真下につながる、小さな通路だ。
関根の姿が、その後を追うように見える。
あの男の顔には、どこか妙な笑みが浮かんでいたが、今は追っている余裕はない。
「行くぞ、レイ!」
「了解!」
俺たちは、瓦礫と倒れた襲撃者を踏み越えて、作業道の奥のトンネルへ駆け込んだ。
◇
トンネルの中は、ひんやりと湿っていた。
照明はほとんど死んでいて、ところどころ非常灯が薄く赤く点っているだけだ。
かろうじて、足元と壁の輪郭が分かる程度。
少し走った先に、小さな分電盤室のようなスペースがあった。
配管と配線がむき出しになった、狭いコンクリートの箱だ。
「ここで一旦、息を整えよう」
レイが壁にもたれかかり、肩で息をしている。
俺も大剣を壁に立てかけ、背中を滑らせるようにして座り込んだ。
腕と腰が、じんじんと痛い。
ドアを抱えて斜面を滑り落ちたツケだ。
「回線、どうだ」
「確認する」
レイは、タブレットを取り出した。
画面に、小さなアイコンがいくつか並ぶ。
そのうちのいくつかに、赤い×印がついていた。
「ギルドの公式回線は切れてる。支部とも、本部ともつながらない」
「……マジかよ」
「でも」
レイは、別のアイコンをタップする。
暗号化されたチャットアプリの画面が開いた。
そこには、既読マークと、未読の通知が1つ。
「遥とのバックアップラインは、生きてる」
「繋げ」
「言われなくても」
レイが短いメッセージを送る。
すぐに、返事が返ってきた。
『そっち、ヤバそうなんだけど』
相変わらずだな。
『護送車、襲われた。上はどうなってる』
レイが簡潔に説明文を打ち込む。
数秒後、遥からの返信。
『ニュースになってない』
『は?』
『ギルド車列が襲われたなら、普通はどこかで事故情報くらい流れる。でも何も出てない。ログを見る限り、軍かギルドのどっちかが“意図的に黙殺”してる』
胸の奥が冷たくなる。
『軍の内部ログの一部も見た。「民間協力者K」に指示が出てる。タイミング的に、たぶん今回の護送と同じ時間帯』
「民間協力者……K」
レイが、小さく繰り返した。
「Kって、誰だよ」
「まだ特定はできない。でも、嫌な偶然だね」
K。
頭の中で、その頭文字に合う名前を探しかけたところで、レイが首を振る。
「今は、その話は置いとこう。それより──」
言いかけた瞬間だった。
ポケットの中で、スマホが震えた。
タブレットじゃない。
俺自身のスマホだ。
「こんな状況で営業電話かよ……」
画面を見て、言葉が止まる。
「非通知」
差出人の欄には、何も表示されていない。
ただ、昔とまったく同じ響きをした、あの着信音だけが鳴っていた。
「……出る?」
レイが、息を呑みながら聞く。
「出ないで切った方が、安全かもしれない」
「……いや」
指が、勝手に画面をスワイプしていた。
耳に当てる。
「……もしもし」
しばらく、何も聞こえなかった。
トンネルの奥の静寂と、遠くで鳴る水滴の音だけが耳に残る。
やがて、低い声がした。
「……涼太か」
喉の奥が、ひゅっと縮む。
忘れるはずがない。
この声で、宿題をさぼったときに叱られた。
ゲームをやりすぎて、コンセントを抜かれた。
そういう細かい記憶だけが、やけにはっきりと蘇る。
どれだけ時間が空いても、父親の声だけは、身体が覚えていた。
「……親父」
かろうじてそれだけ言うと、電話の向こうで、短い息を飲む気配がする。
「今、どこにいる」
その問いかけで、通話は1度途切れた。
トンネルの中の空気が、さらに重くなった気がする。
スマホを握りしめたまま、俺は言葉を探した。




