第26話 封鎖された実験棟と、削除されないログ
崩れた岩棚の縁に腰を下ろし、俺とレイはしばらく黙って息を整えていた。
奈落の中層は、さっきまでと同じく薄暗いままだったが、空気の質が少し変わった気がした。土と血と魔力に加えて、どこか乾いた鉄と油の匂いが混ざっている。
その匂いの源は、目の前にある。
崩落で露出した岩盤の奥。自然の洞窟とは明らかに違う、灰色の平らな壁。その中央に、軍のエンブレムが刻まれた分厚い扉が口を閉ざしていた。
奈落の中に、軍の裏口。
現実感が追いつかない光景だ。
「……生きてる、よな」
俺がぽつりと言うと、レイが眉をひそめた。
「どっちの話だい。君の肋骨か?」
「赤鬼だ」
俺は崩落した穴の底の方に目を向ける。暗闇の奥は何も見えない。耳を澄ませても、落石の遅れた音以外は聞こえなかった。
さっき確かに、何かが鳴いた気がした。獣の咆哮。あるいは、俺の鼓膜が勝手に作り出した残響。
「……分からない」
レイは首を横に振った。
「ここから先の深度になると、魔力の乱れが酷い。気配を読むにもノイズだらけだ。生きてるかもしれないし、潰れてるかもしれない」
「どっちにしろ、今すぐ確かめには行けないな」
リリースの反動も残っている。腕は震え、息を吸うたびに肋骨が軋んだ。レイの魔力も、さっきのグラビティ・チェーンでほぼ空になっている。
これ以上、奈落の底を覗くのは無謀だ。
代わりに、すぐ近くにある“現場”に目を向ける。
軍の扉。
あれは、崩落がなければ一生誰にも見つからずに済んでいたはずのものだ。岩盤の裏側に、丁寧に隠されて。
「上に戻るか」
レイが静かに口を開いた。
「ここで見たものと、赤鬼のことを報告して、あとはギルドに任せる。僕らはもう十分以上働いた」
「そうだな」
理屈としては、その通りだ。俺たちの目的は、“ここで死なないこと”であって、“軍の秘密を暴くこと”じゃない。
……のはずなんだが。
俺は扉に刻まれた軍のマークを見た。
あの学校襲撃で、俺たちに向けて撃たれた銃口と、同じ紋章だ。
その銃の出どころが、ここにつながっている可能性がある。
そして、この扉の向こうで何が行われていたかによっては、またどこか別のダンジョンで、誰かが赤鬼みたいなものに襲われるかもしれない。
俺が顔をしかめるのを見て、レイが肩をすくめた。
「言いたいことは分かるよ」
「まだ何も言ってないが」
「顔に書いてある。“この現場を放置したら、あとでもっと面倒になる”って」
図星だった。
レイはため息をつき、眼鏡を押し上げる。
「ここから先は、ギルドの正式な任務じゃない。完全に、軍の機密領域だ。入るなら、戻ったときにただでは済まないかもしれない」
「戻れれば、の話だろ」
「そう、それが一番の問題だ」
それでも、とレイは続ける。
「ギルドとしても、本当はこういう“裏口”は一度は見ておくべきなんだ。軍が何をやっているのか、把握しないまま協力関係を続けるのは自殺行為だよ」
「だったら──」
「だからと言って、二人で全部調査するのは愚かだ」
レイが指を1本立てた。
「扉を開ける。中身をざっと確認する。ログが生きていれば、最低限だけコピーして外に出す。それ以上はやらない。危険を感じたら即撤退」
それは、現場の最低限の線引きだ。
俺は頷いた。
「入口と、ログだけ、か」
「それなら、“必要最低限の現場確認”として言い訳が立つ」
「言い訳から考えるの、やめた方がいいと思うぞ」
「大人は言い訳を先に用意するものなんだ」
半分冗談めかして言うレイの顔には、いつものような余裕はなかった。それでも、目だけは冴えている。
「決まりだ。行こう」
レイが立ち上がる。俺も痛む腰を押さえながら立ち上がった。
近づいてみると、扉は想像以上に頑丈だった。
厚さは20センチ以上。表面には複雑な魔術式の紋様が刻まれていて、ところどころに魔石が埋め込まれている。取っ手の部分とヒンジには、重々しい金属の塊が組み込まれていた。
「魔術ロックと物理ロックの二重構造か」
レイが呟きながら指先で紋様をなぞる。
「さすが軍、悪趣味に堅牢だね。少し時間をくれ」
レイは端末を取り出すと、扉の横にある小さな装置にケーブルを繋いだ。どうやら、この施設自体が古いタイプの魔導ネットワークと繋がっているらしい。
俺はその間、扉の縁とヒンジを眺めていた。
【構造欠陥】を意識的に発動させると、視界の中に薄く線が浮かび上がる。荷重が集中している箇所。応力が逃げている方向。金属と壁との結合部。
大剣でぶっ叩けばぶっ壊せるのは分かっている。ただ、それをやった瞬間に、警報が鳴り響く未来も想像できる。
できるだけ静かに、できるだけ小さな破壊で済ませたい。
「魔法側のロックは、何とかなりそうだ」
やがてレイが顔を上げた。
「この施設、たぶんもう“正式運用”は終わっている。魔術式の更新が止まって久しいせいで、セキュリティパターンに穴がある。……こういうのを放置するから、ギルドの端末でも割り込める」
「言い方」
「解除シーケンスを偽装した。魔法ロックは30秒後に一瞬だけ開く。その瞬間に物理ロックを切れば、警報を最小限に抑えられるはずだ」
「物理ロックは、お前の専門外か」
「僕が扉を殴ったら、手首が折れるよ」
それはそうだ。
「ヒンジ側をお願いしたい。できるだけ“静かに”ね」
「いつもどおりだ」
俺は扉の端に手を当て、目を閉じた。金属の冷たさと、その向こう側にある壁の“重さ”が、掌を通して伝わってくる。
ヒンジは3本。真ん中の1本が、ほか2本よりわずかに負荷を多く受け持っている。そこを折れば、残り2本も同時に歪む。扉全体が、重さに耐えきれずに自重で沈むだろう。
問題は、どれだけ音を殺せるかだ。
「30秒前」
レイの声がする。
俺は大剣を抜いた。黒鋼の刃は、さっきのリリースの余韻をどこかに残しているようで、いつもより少しだけ軽く感じた。
ヒンジの根元に刃の腹を当てる。
全力で叩き折る必要はない。必要なのは、支えだけを抜く繊細な一撃。
「10秒」
息を吸い、吐く。
肩の力を抜き、腕の軌道を確認する。
「3、2、1──」
レイのカウントがゼロになった瞬間、扉に刻まれた魔術式が、一瞬だけ淡く光を失った。
そのタイミングに合わせて、大剣を振り抜く。
ゴン、と腹に響くような低い音。ヒンジの軸が半ばちぎれ、金属の内部でひしゃげる感触が伝わってきた。
扉全体が、ぎしり、と大きく傾ぐ。その動きに合わせて、俺はすかさず柄を扉の縁に差し込み、梃子の要領で押し広げた。
軋む音はしたが、爆音というほどではない。ヒンジの金属片が床に落ちる甲高い音も、奈落の崩落に比べれば可愛いものだ。
「ロック反応なし。……やったな」
レイが端末を確認して、ほっと息をついた。
「魔法側からは、“通常の開閉”として認識されてる。警報は上がっていない」
「だったら、急いで入るぞ」
扉の隙間は、人ひとり通れる程度には開いている。俺たちは身をかがめて、薄暗いその中へ足を踏み入れた。
中はひんやりとしていた。
奈落の湿った空気と違い、乾いた冷たさだ。足元の床は、岩ではなく合成素材のタイル。靴底がコツコツと小さな音を立てる。
天井の照明は、ほとんどが死んでいるのか暗いままだったが、非常灯だけは辛うじて生きていた。壁際に並ぶ薄緑の非常灯が、長い廊下をかろうじて浮かび上がらせている。
壁には、何本ものケーブルとパイプが走っていた。ところどころ、その一部が焼け焦げている。壁のコンクリートには、黒い焦げ跡と、丸い弾痕。爆裂魔法か、手榴弾のようなものが使われた痕跡もある。
「……少なくとも、“平和裡に閉鎖した施設”ではなさそうだね」
レイが苦い顔で言う。
廊下の途中、ガラスで区切られた部屋がいくつも並んでいる。中には、破れた防護服、ひしゃげたストレッチャー、空になった標本タンク。床に飛び散った黒いシミは、乾いた血か、魔力液か。
そのうちのひとつの扉に、金属プレートが貼られていた。
『対探索者用適応兵器計画 N-037地下実験棟』
平板な文字が、やけに重く見える。
「……やっぱり、ここが“奴”の生まれた場所か」
「少なくとも、設計図はここで描かれたんだろうね」
レイはプレートに目を走らせながら言った。
「レッドオーガ計画。対探索者用、適応型生体兵器。──嫌な単語の集合だ」
廊下を進むにつれて、荒れ方が酷くなっていった。
ある部屋では、ガラスの壁が内側から砕け散っている。別の部屋では、カプセルの蓋が半分だけ吹き飛び、中身がどこかに消えていた。床には、ひどく歪んだ檻だけが残っている。
「ここで暴れたのも、赤鬼か?」
「か、彼の兄弟か、先輩か、後輩か……考えたくないが、そういうことだろう」
嫌な予想ほど当たりそうになるから始末に負えない。
「制御室は、どっちだ」
「本来なら案内図を見れば済むんだけどね」
レイは壁に貼られたフロアマップを確認する。かろうじて読める箇所を指でなぞりながら、廊下の奥を見据えた。
「この先のT字路を右。突き当たりに中枢制御室。その手前にログ保管用サーバールームが並んでいる……はずだ」
「はず、ってのが心強くないな」
「ダンジョンも現場も、“図面どおり”なんてことの方が少ないだろう?」
「それはそうだ」
俺は周囲の天井と壁を見上げる。
何かがぶら下がってきたり、足元が抜けたりしそうな箇所を目で拾う。ヒビの深さと、落ちかけたパネルの浮き方。そういう“崩れ方”だけを見て、歩くラインを選ぶ。
「こっちの側を歩け」
俺はレイの肩を軽く叩いて、数十センチほど位置をずらさせた。
「そっちは天井のパネルが浮いてる。落ちてきたら面倒だ」
「……やっぱり君、人間のセンサーじゃないな」
「壊れかけだけ見てるだけだ」
「それを“だけ”と言ってる時点で感覚がおかしいんだが」
そんな会話をしながらも、レイの表情には少し安督が浮かんでいた。自分にとって苦手な“現場の危なさ”を、誰かが補ってくれているという事実は、多少なりとも心強いのだろう。
T字路を曲がると、空気が一段階冷たくなった気がした。
右手奥に、ひときわ重厚な扉が見える。その手前には、窓のない無機質な扉がいくつも並んでいた。それぞれに番号と簡単なラベル。
『データ保管室1〜4』『バックアップ室』『冷却設備』
「制御室の前に、データ保管か。順番としては妥当だね」
レイが満足げに頷く。
そのとき。
廊下の静寂を破るように、カチ、と小さな音がした。
反射で足を止める。
音の出どころは、右側の部屋のひとつ。半ば壊れたガラス窓の向こう。暗がりの中で、何かがかすかに動いた。
「……今の、聞こえたか」
「聞こえた」
俺は大剣の柄にそっと手をかけ、おそるおそるガラス越しに中を覗き込む。
床に倒れたカプセル。その蓋はひしゃげ、側面には大きな亀裂が入っている。中に入っていたものは、ほとんど外に流れ出たようで、床の上には乾いた黒いシミが広がっていた。
ただ、カプセルの縁に、何かがしがみついている。
人間の腕に似ているが、肘の関節が逆方向に曲がっている。皮膚の代わりに、金属と樹脂の装甲が貼り付いていた。
その“腕”が、ぎこちなく動いたのだ。
カチャリ、と関節の中の部品が噛み合う音がする。
しがみついていた腕が、ゆっくりとカプセルから離れた。
続いて床に姿を現したのは、半分だけ形を保った人影だった。
胴体は途中からねじれ、片脚は膝から下が欠けている。顔の半分には装甲板が貼られ、残り半分は乾いた肉がむき出しになっていた。目の部分には、割れたレンズが食い込んでいる。
生き物としては、ほとんど“失敗作”としか言いようがない。
だが、体のあちこちに埋め込まれた魔石がうっすらと光り、まだ動く程度の命を辛うじて繋いでいるらしかった。
「っ……!」
それが、こちらを見た。
正確には、割れたレンズ越しにこちらを“認識した”。
瞬間、半壊の体が床を蹴る。驚くほどの速度で、ガラス窓に向かって突っ込んできた。
「下がれ!」
俺はレイの肩を引っ張る。
次の瞬間、ひび割れたガラスが内側から破裂し、破片と一緒に生体兵器の残骸が廊下に転がり出てきた。
レイが反射的に杖──いや、魔導銃を構える。
「【フレイム・ショ──】」
詠唱しかけた瞬間、生体兵器の腕が伸びた。装甲に覆われた手の甲が、ありえない角度で曲がり、レイの魔導銃めがけて叩きつけられる。
ガイン、と嫌な音が鳴った。銃身に刻まれた魔法陣が一部ひび割れ、光が逃げる。
「くっ……!」
レイの魔法が霧散する。さっきの赤鬼戦で魔力を使い切ったせいで、即座に再詠唱する余裕もない。
半壊の兵器は、よろめきながらももう一度腕を引き上げる。その動きはガタガタと不自然だが、力だけは十分に残っていそうだ。
俺は一歩前に出た。
頭を狙う必要はない。どこが“支点”かだけ分かればいい。
生体兵器の腕。装甲プレートの隙間から見える関節部。そこに、明らかに負荷が集中している箇所があった。
肘関節の内側。金属と人工筋肉が交差している、その一点。
そこだけが、他の部位よりわずかに薄く、光の反射が違う。
大剣を振り下ろす。
刃の腹で、肘の内側を叩き抜いた。
バキン、と骨とも金属ともつかないものが割れる音がした。腕が根元からへし折れ、ぶらん、と逆方向にぶら下がる。
支えを失った上半身が、前のめりに倒れ込んできた。
俺はその頭を、大剣の柄で横から払う。床に叩きつけられた頭部から、埋め込まれた魔石がひとつ転がり出た。光が消える。
それで、動きは止まった。
「……ふう」
短く息を吐く。
血飛沫は飛ばない。中身はとっくに干からびているのか、床に広がるのは粉々になった部品と、黒ずんだ繊維だけだ。
「助かった」
レイが魔導銃を確認しながら言う。
「今のタイミングで壊れてたら、本気で詰んでた」
「銃は?」
「火力系はしばらく使えない。防御系だけなら、ギリギリ何とかなるかもしれないが……期待しないでくれ」
「いつも通り、現場の安全管理はこっちでやる」
「頼りにしてるよ、解体屋」
レイはそう言って、制御室の厚い扉の方へ視線を移した。
「問題は、その先だ」
制御室の扉は、さっきの入口よりさらに厳重だった。
魔術封印が二重に施され、その上から物理的なロックバーとボルトが何重にも重ねられている。誰かが外から入ることを防ぐというより、中から何かが出てくるのを必死で塞いでいるかのような構造だった。
「……あんまり開けたくない見た目だな」
「僕も同感だ」
レイは端末を繋ぎ、額に汗を滲ませながら封印の解析に取りかかった。さっきよりも時間がかかる。それだけ念入りにロックが施されているということだ。
10分ほどして、ようやくレイが息を吐いた。
「魔術封印は外した。物理ロックは、頼めるか」
「壊すのは簡単だ。問題は“どこまで壊すか”だな」
俺はロックバーとボルトをひとつひとつ確認していく。全部まとめて吹き飛ばせば早いが、扉ごと炸裂させるわけにはいかない。中がどうなっているか分からない以上、最低限の破壊で済ませる必要がある。
荷重の流れを追い、弱い箇所を見抜く。ここを削り、ここを叩く。そうして、扉全体を歪ませるための“1本”だけを選ぶ。
「ここだ」
俺はロックバーの根元を指差した。
「このピン1本で、全部のバーをまとめて支えてる。抜ければ連鎖的に緩む。爆音にならないよう、横から押し潰す」
「頼んだ」
大剣を構え、柄を短く持ち替える。
全力ではなく、必要最小限の力で。ピンを横から抉り潰すように叩いた。
ボキ、と嫌な手応え。ピンが歪み、金属が軋む。
続けざまに、体重をかけて扉を押し込む。
ぐう、と鈍い抵抗のあと、ロックバーが一斉に外れる音がした。扉自体がわずかに沈み、隙間が開く。
「……よし」
中から何か飛び出してくる気配はない。
レイが無言で頷き、ゆっくりと扉を押し開けた。
制御室の中は、意外なほど整然としていた。
壁一面にモニターと計器類が並び、その手前に幾つもの操作卓が置かれている。天井からは、薄暗い照明がいくつかぶら下がっていたが、そのほとんどは点いていない。
部屋の中央には、大型のホログラム装置が鎮座している。おそらく、ダンジョンの内部構造や実験データを立体表示するためのものだったのだろう。
人の気配は、もうどこにもない。
だが、完全な“死”というよりも、突然誰もいなくなったような、妙な中途半端さが漂っていた。
「生きてる端末がある。助かる」
レイは一番手前の操作卓に駆け寄り、自分の端末を繋いだ。
「ここからログサーバーに入れるかもしれない。──遥にも知らせておこう」
そう言って、端末の画面を何度かタップする。
「遥?」
「ああ、君の妹さんだ」
レイは軽く笑った。
「外部へのバックアップが必要になるかもしれないからね。軍のローカルからログを抜いたとしても、ここごと爆破されたら意味がない。外に“鏡”を作っておく必要がある」
「そんなことできるのか」
「できるように作った」
レイの爽やかな発言は、ある意味で軍のそれと同じくらい物騒だ。
数秒後、端末に小さな通知が現れた。
『遥:了解。回線細いからフルコピーは無理かも。優先度高いやつから送って』
「……仕事が早いな、天才妹」
「お前、どこまで巻き込んでるんだよ」
「いや、“君の家族を守るための前準備”と言ってほしいね」
軽口を交わしながらも、レイの指は真剣な速さで動いていた。軍のシステムに怒られない程度に、しかししっかりと深部まで潜り込んでいく。
やがて、モニターのいくつかが一斉に点灯した。
画面の中に、見慣れない英数字の羅列や、実験ログらしき表が並ぶ。動画ファイルのサムネイル。人影、ダンジョン内部、魔物の断面図。
「……これは」
俺の目に飛び込んできたのは、見覚えのある校章だった。
画面の隅に小さく映っている。それは、俺たちが通っていたダンジョン科高校のエンブレムだ。
「まさか」
「いやな予感ほどよく当たる」
レイはファイル名をいくつか選び、次々と開いていく。
そこには、見覚えのある体育館、トレーニングルーム、模擬ダンジョンの映像が並んでいた。生徒たちが走り、跳び、武器を振るい、魔法を撃っている。
授業の一環、だと俺たちは思っていた。
だが、そのデータは、ここでは別の名前で整理されていた。
『覚醒者候補 身体能力テスト記録』
『対覚醒探索者抑止兵器 パラメータ設定用データ』
『N-037連携校 適性データ転送ログ』
「……何だ、それは」
思わず声が低くなる。
「簡単に言うと」
レイは淡々とした口調で言った。
「学校でやってた“安全なテスト”のデータが、そのまま軍の武器開発用の素材になってた、という話だ」
「最初から、そういうつもりで……?」
「おそらくは。正確な経緯はもっと上の層に聞かないと分からないが、少なくともデータ連携は“当たり前のこと”として行われている」
別の画面に、一覧表が映し出される。
生徒の名前は伏せ字になっているが、番号と簡単な属性だけが見える。
『A-03 魔力特化/遠距離』
『B-11 バランス型/剣術』
『T-01 物理特化/近接・重量武器』
Tの行に、俺は目を止めた。
「T……?」
「たぶん“テストケース”のTだろうね」
レイはあっさりと言う。
「この施設が管理しているのは、“軍が注目しているサンプル”だけだ。君の学校の生徒全員じゃない。特に“極端な適性”を持った何人かだけをピックアップして、ここにデータベースを作っている」
「物理特化サンプルT-01」
声に出すと、自分の声が妙に遠く聞こえた。
俺は、ただホームセンターで買った作業着で大剣を振り回しているだけのオッサンだと思っていた。学校でも、成績は良くなかったし、周囲からの評価だって「あいつは危ない」くらいのものだ。
それが、向こう側では“サンプル”として整理されている。
気持ち悪い、という感情よりも先に、妙な納得感が来たのが自分でも嫌だった。
「……最初から、見られていたってわけか」
「そういうことだ」
レイは画面をスクロールしながら言う。
「覚醒者候補の中で、特に対処が難しいタイプに対して、“こういう兵器をぶつければいい”というマニュアルを作る。そのための元データとして、学校のテストが使われている」
別のファイルを開くと、『対覚醒探索者抑止兵器・運用指針(案)』という文書が現れた。そこには、“ダンジョン科高校”の名と、いくつかの校章がずらりと並んでいる。
『勇者適性保有者・現地処理マニュアル』
『早期発見・早期抑止の重要性』
『民間教育機関とのデータ連携スキーム』
読めば読むほど、吐き気がした。
「勇者ってのは、魔王を倒すための存在じゃなかったのかよ」
「それは昔話の中の勇者だ」
レイの声は淡々としていた。
「現代の国家にとって、“制御できない力”は全部、危険物扱いだよ。魔王だろうと勇者だろうと、規格外は全部“管理対象”になる」
画面の隅には、魔王に関する単語も断片的に現れた。
『対“魔王階梯存在”作戦プロトコル案』
『人類側戦力不足につき、ダンジョン産戦力の再利用を検討』
『レッドオーガ計画:覚醒探索者との交戦シミュレーション』
「……この国、詰んでないか?」
「今さらだろう」
レイは肩をすくめた。
「魔王が出てきた時点で、とっくに詰んでる。その上で“よりマシな詰み方”を選ぶために、こういうことをやってるんだよ」
「よりマシな詰み方、ね」
俺は、拳をぎゅっと握った。
学校で受けたテスト。教室で、ダンジョン内で、俺たちが汗を流してやっていた訓練。教師たちが“安全だ”“将来のためだ”と言っていたこと。
その裏で、どこかの誰かが、俺たちをどうやって処理するかのマニュアルを作っていた。
怒りはあった。
だが、それ以上に、今この場で感情を爆発させる余裕はなかった。
ここで机を叩いたところで、このログが消えるわけではない。むしろ消そうとする連中の方が、これから動き始めるだろう。
「レイ」
「何だい」
「ログ、どこまで持ち出せる」
「全部は無理だ。回線が細すぎる。優先度の高いものから、妹さんの方にミラーを作っている。覚醒者関連とレッドオーガ計画、それから魔王関連の断片──この辺りはもう外に出た」
「なら、最低限は拾えたってことか」
「ああ」
レイは端末の画面をちらりと見て、苦笑した。
「その代わり、ここにも“ログ”が残ったけどね」
「俺たちのか?」
「軍の制御システムからすると、“誰かがここに侵入して、データを持ち出した”という事実そのものが新しいログになる。しかも、かなり赤いラベル付きで」
冗談めかして言ったその瞬間だった。
天井のスピーカーから、甲高い電子音が鳴り響いた。
次いで、無機質な女の声。
『警告。ローカルデータベースからの不正な外部アクセスを検知』
『封鎖シーケンスを開始します』
「……やっぱりそう来るか」
レイが舌打ちした。
室内の壁に埋め込まれたランプが、赤く点滅を始める。廊下の方から、ガシャガシャと金属が動く音が響いた。通路を塞ぐシャッターが、順番に閉まり始めているのだろう。
「急げ。出られなくなる」
「分かってる」
俺たちは制御室を飛び出した。
廊下の奥で、分厚い防火シャッターが降りかかっているのが見えた。その手前の区画はまだ開いているが、時間の問題だ。
「どっちに抜ける」
「来た道を戻すしかない。ダンジョン側の扉は、まだロック解除を偽装した状態のはずだ」
「片っ端からシャッター切り落として行ったら間に合うか?」
「間に合うかもしれないが、そのたびに警報レベルが上がる。……とはいえ、もう手遅れか」
その時、別の音が混じった。
重い何かが、ゆっくりと動き始める音。
厚いガラスの向こう。さっき生体兵器の残骸が飛び出してきた部屋とは別の方向。冷却設備と書かれた扉の向こうの区画から、かすかな振動が伝わってくる。
振動に合わせて、空調の風が微妙に変わった。冷たく乾いた空気が、どこかから吹き出している。
レイが顔をしかめた。
「……嫌なタイミングだ」
「何か、動いたか」
「自動防衛の一部か、別の“試作品”か。どちらにしても、ろくなものじゃない」
厚いガラス越しに覗くと、遠くの部屋の中で大型のカプセルが並んでいるのが見えた。そのひとつのランプが、赤から緑へと色を変える。
カプセルの蓋が、ゆっくりと持ち上がり始めた。
中身は、まだ見えない。ただ、魔力の濃度がひときわ高い何かが、目を覚ましつつあるのは分かった。
「ログはもう外に逃がした」
レイがぽつりと言う。
「ここにあるデータを消されても、誰かがどこかで読む。……その代わり、僕たちは完全に軍の敵になった」
「元から、味方って感じでもなかったけどな」
俺は大剣の柄を握り直した。
現場は、もう炎上している。赤鬼との戦闘で、ダンジョンも、施設も、十分すぎるほど掻き回した。その上で、軍の裏口に火をつけたようなものだ。
あとは、焼け残ったものをどこまで拾えるか。
遠くのカプセルから、ガコン、と重いロックが外れる音がした。
続けざまに、床を震わせるような足音。
一歩、二歩と、何かが目覚めたばかりの身体で歩き始める。
通路の奥の闇の向こうから、その気配がゆっくりとこちらに近づいてきた。




