第23話 指名手配犯・竹内涼太と、天才妹のプロパガンダ
昼休みの騒動から、どれくらい経っただろうか。
俺は人混みを避けるように歩き続け、気がつけば、駅前から少し外れた路地裏にいた。
薄暗い路地の奥は、ごみ収集用のコンテナと自転車が雑然と並び、湿ったコンクリートの匂いが立ちこめている。
頭上から、甲高いアナウンスが降ってきた。
『――続いては、市内の高校で発生した銃撃事件についてです』
路地の入口。ビルの谷間から、巨大ビジョンの光が差し込んでいる。
駅前ロータリーに設置されたニュース用モニターだ。
何気なくそちらに目を向けた俺は、次の瞬間、足を止めた。
『昨日正午過ぎ、市内の私立高校の校庭で、謎の武装集団と正体不明の男による銃撃戦が発生しました』
ヘリからの空撮映像が流れる。
俺がさっきまでいた学校だ。
上空から見た校庭には、削り取られた土と、ひしゃげた装甲車の残骸が黒い傷のように残っている。
『現場からは、重火器で武装した部隊とみられる複数の負傷者が搬送されました。学校側は「生徒に死者は出ていない」と説明していますが――』
画面が切り替わる。
校門前の監視カメラ映像らしい。
そこには、巨大な黒い剣を担いだ男が映っていた。
フード付きの作業着。鉄塊のような大剣。土煙の中を、装甲スーツの兵士たちを薙ぎ倒しながら歩く姿。
顔には粗いモザイクがかかっている。だが、シルエットで分かる。
あれは、紛れもなく俺だ。
『こちらの映像は、現場付近の防犯カメラが捉えたものです。専門家は「対モンスター用パワードスーツ部隊に並ぶ、あるいはそれ以上の運動能力だ」と指摘しています』
道行く人間が立ち止まり、ビジョンを見上げてざわめいている。
「やば……何これ」
「テロ? うちの市だよな、ここ」
「この黒いの、人間かよ」
知らない誰かの言葉が、刺すように耳に入る。
アナウンサーが、冷静な声で言い放った。
『警察は、学校を襲撃したテロリストの一人として、この男の行方を追っています』
テロリスト。
ずいぶんと雑なラベリングだ。
「……害虫駆除しただけなんだがな」
思わず口から出た独り言は、路地裏の暗がりに吸い込まれた。
ポケットの中で、スマホが震える。
通知アイコンが赤く染まっている。
クラスのグループトーク。ギルドからの不在着信。見覚えのない番号からの履歴がずらりと並んでいた。
警察か、ギルドか、あるいはもっと厄介な連中か。
適当に出て、「俺です」と正直に名乗れる相手は一つもない。
家に帰ればどうなる。
マンションの前に、さっきの装甲車がお行儀よく並ぶ光景が、簡単に想像できた。
学校には戻れない。
ギルドも、あの軍産複合体にどこまで抗えるか分からない。
俺の居場所は、一瞬で、世界から切り離されていた。
「さて、どうしたもんか」
路地裏の奥。コンビニの裏口の明かりを見ながら、俺は壁にもたれた。
今日は妙に、世界が遠く感じる。
そんなときだ。
スマホがまた震えた。
画面には、一つの名前だけが表示されている。
遥。
俺の妹だ。
数秒だけためらったあと、通話ボタンを押した。
「……もしもし」
「お兄ちゃん?」
いつもと変わらない声が、耳に飛び込んできた。
だが、その奥にある空気は違う。わずかな緊張と、張り詰めた静けさ。
「今どこ」
「ちょっと散歩中だ。駅の近く――」
「戻ってきちゃだめ」
俺の言葉を遮るように、遥が言った。
いつもの甘えた調子ではない。冷静で、情報だけを吐き出す参謀の声だ。
「うちのマンションの前、さっきから同じ車が3台、エンジンかけたまま止まってる。スーツ姿の男と、迷彩服っぽい人間がずっと出入りしてる」
「……そうか」
「インターホンにも、さっきから『宅配です』って来てるけど、配達業者の制服着てるのに、足元が軍靴」
遥が息を吐く音が聞こえた。
「お母さんには『今、工事やってるから』って誤魔化したけど、多分もうバレてる。テレビもずっと、お兄ちゃんのニュースやってるから」
「モザイクかかってただろ」
「歩き方と、剣の振り方で分かるわよ、そんなの」
呆れ半分、怒り半分の声。
俺は苦笑した。
「悪かったな。派手にやりすぎた」
「それはいいの」
遥はきっぱりと言った。
「むしろ、あれぐらいやってくれないと困る。問題は、その後の“物語”の方」
「物語?」
「今、表の世界ではね。お兄ちゃんが『学校を襲ったテロリスト』っていうストーリーが、一方的に書かれ始めてるの」
テレビの音が、遥の声の向こうで微かに聞こえる。
アナウンサーの滑らかな声。コメンテーターの適当な正義感。
「でも、全部が向こうの筋書き通りってわけじゃない」
「どういう意味だ」
「こっちの“現場”の話をする」
キーボードを叩く音が、すぐ近くで鳴り始めた。
「さっきね、委員長から動画が送られてきたの。クラスのグループじゃなくて、個別で」
「委員長?」
「教室の窓から撮ったやつ。兵士たちが校庭に入ってきて、最初に銃を撃った瞬間が、ばっちり映ってる」
遥の声が低くなる。
「最初に引き金を引いたのは、向こう。こっちはただの高校生たち。なのに、ニュースでは逆になってる」
「だろうな。あいつらは、自分たちに都合のいい物語を信じさせたいだけだ」
「だから、書き換える」
キーボードの音が速度を増した。
「お兄ちゃんは、物理担当」
遥が言う。
「情報戦は、私の領域だから」
「お前、一体何をする気だ」
「簡単よ。見たものを、そのまま見せるだけ」
数秒の沈黙。
その間にも、キーを叩く音と、マウスのクリック音が続いている。
「今、動画を30秒くらいに切って、字幕を入れて。アップロード完了」
「早くないか」
「こういうのはスピード勝負」
遥は淡々と言う。
「ニュースで流れる“編集済みの真実”より先に、“現場の生の映像”を広げるの。誰かが疑問に思ってくれれば、それでいい」
「……炎上させる気か」
「炎上っていう言い方、好きじゃない」
遥が小さく笑う。
「これはプロパガンダよ。向こうがやってることと同じ。ただ、目的が違う」
「目的?」
「お兄ちゃんを“完全な悪者”にさせないこと」
スマホが震えた。
画面に通知が溢れていく。
遥が送った動画のリンク。コメントの嵐。見覚えのないアイコンからのメッセージ。
『これ軍が先に撃ってない?』
『ニュースと話違うじゃん』
『学生相手に何やってんだよ』
『これフェイク動画じゃね?』
『でも、音は本物っぽい』
「今、ハッシュタグが一つ、トレンド入りした」
遥の声が、少しだけ楽しそうになる。
「『誰が最初に撃ったのか』。平仮名でね」
「そんなもの、何の意味がある」
「あるわよ」
キーボードの音が止んだ。
「軍も政府も、大義名分が欲しいの。『正義の制圧』っていうストーリーが」
「それが怪しくなれば、派手なことはしづらくなる、ってわけか」
「そういうこと。さっきまで、近所はパトカーと黒い車だらけだったけど、今は表向きの検問は片付け始めてる」
遥が、窓の外を見ている気配がした。
「代わりに、目立たない車と、歩き回ってる人間が増えた」
「暗殺モード、か」
「多分ね。『逮捕しました』ってニュースにできる状況じゃなくなった。だったら、“気がついたら行方不明になってました”の方が楽」
遥はさらりと残酷なことを言う。
「だから、お兄ちゃん」
「なんだ」
「表の世界に居続けたら、本当に“いなかったこと”にされる」
路地裏の空気が、少し冷たくなった気がした。
「分かってる」
俺は息を吐いた。
「家にも、学校にも、ギルドにも、長居はできない。居場所ってやつは、一度狙われたら脆いもんだ」
「うん。だから――」
遥が何か言いかけたとき、スマホが別の着信を通知した。
レイからだ。
探索者ギルド所属、頭脳派のインテリ野郎。
「悪い、遥。一回切る」
「待って。三者通話にする」
カチ、と小さな音がして、通話画面が切り替わる。
「――竹内か。無事か?」
低く、焦った声が耳に飛び込んできた。
レイだ。
「生きてる。どうにか」
「生きている、ね」
レイが、安堵とも呆れともつかない息を吐いた。
「さっきからギルドは上からの問い合わせラッシュだ。“例の学生の身柄を確保しろ”だの、“情報をすべて提出しろ”だの。正面からは突っぱねているが、長くは保たない」
「そりゃ、あんな騒ぎを起こせばな」
「騒ぎを起こしたのは軍の方だ」
レイの声に、わずかな怒気が混じった。
「学園の周囲を勝手に包囲し、問答無用で威嚇射撃。一般生徒を人質に取り、探索者ギルドにも一報なし。完全に越権行為だ」
「でも、あいつらには“国家の安全”って便利な盾がある」
「そうだ。だから、今のうちに動く」
レイが言葉を切り替えた。
「竹内。今、お前はどこにいる」
「駅前の路地。人目は多いが、直接の追手はいない」
「なら、今はそこから動くな。変に目立つ場所へ出るより、雑踏の端に紛れていた方が安全だ」
「了解」
「状況を整理する」
レイの声が、いつもの分析モードに戻る。
「ギルド本部は監視されている。セーフハウスも、時間の問題だろう。お前のマンションも、妹さんの情報によれば既に張られている」
「バレてるらしい」
「だから、今、表世界には安全圏が存在しない」
「なら、裏世界に潜るしかないってわけか」
「その通りだ」
少しの間。
レイが、言葉を選ぶように沈黙した。
「候補は三つある」
「聞こうか」
「一つ。別の街へ逃げる。身分証を偽装し、遠方でゼロから生活を始める」
「パスだな。顔と名前と職業が全国ニュースになってる」
「分かっている。二つ目。ギルドが管理する地下拠点。軍の法的権限が及びにくい場所だ」
「そっちもパスだ。ギルドごと押しつぶそうとしてる連中だぞ」
「だから、三つ目だ」
レイが、一拍置いて言った。
「Bランクダンジョン『奈落の竪穴』」
聞き覚えのある名前だった。
腐敗の谷と同じ方面にある、縦型のダンジョンだと噂だけは耳にしている。
「奈落の……なんだって?」
「奈落の竪穴。アビス・シャフト」
レイの声が、少し低くなる。
「地表から真っ直ぐに穿たれた巨大な縦穴。その内側に、踊り場と横穴が蜘蛛の巣のように張り巡らされた構造のダンジョンだ。深度が一定値を超えると、軍のセンサーも電波もほとんど通らない」
「縦穴、ね」
俺は無意識に、足元のアスファルトを見下ろした。
「Bランクなら、俺のランクでも挑戦は可能だ」
「正確には、ギリギリだ」
レイがため息をつく。
「Cランク探索者が挑戦できる最高難度。普通なら、足を踏み入れるべき場所ではない」
「普通ならな」
「だが――」
レイが言い淀み、続けた。
「奈落の竪穴の構造は、特殊だ。垂直方向に細長く、途中の踊り場の床や柱が、常に崩壊ギリギリのバランスで保たれている」
「つまり」
「お前の【構造欠陥】が、最大限に活きるダンジョンだ」
路地裏の薄暗がりで、俺は思わず笑った。
「それはありがたいお仕事だな」
「笑い事じゃない」
レイがほんの少しだけ声を荒げた。
「上からの爆撃もできず、重装備部隊も降りられない。ドローンも、一定深度から先は魔力の乱流と電波障害でまともに動かない」
「つまり、軍からしたら“入りたくない穴”ってわけだ」
「そうだ。だが、お前にとっては違う」
レイが続ける。
「縦の荷重、偏った支点、崩落寸前の踊り場。お前の目には、そこら中が“弱点だらけ”に見えるだろう」
「……それは、歩いてみないと分からないが」
「竹内」
レイが、低く呼びかけた。
「逃げ込むんじゃない。戦場を選ぶんだ」
その言葉は、不思議とすんなり胸に落ちた。
気づけば、俺は頷いていた。
「いいだろう」
「本気か」
「表の世界じゃ、俺はもう“指名手配犯”だろ」
駅前のビジョンでは、まだ俺の剣がスロー再生されている。
黒いモザイクと血塗れの校庭。
「なら、裏の世界で“現場”を構えるだけだ」
遥が、小さく笑った。
「やっぱり、お兄ちゃんはそう言うと思った」
「妹さん」
レイが問いかける。
「ご家族はどうする?」
「避難させる」
俺が答えるより先に、遥の声が返ってきた。
「ギルドの手を借りて、別の場所へ。一時的にでも安全圏を確保する。表の世界で、お兄ちゃんの家族って分かったら、間違いなく狙われるから」
「お前はどうする」
俺は尋ねた。
「私は残る」
即答だった。
「ここで、表の情報を集めて、お兄ちゃんに流す。政府や軍の発表、ニュースのニュアンス、世論の空気。全部、リアルタイムで」
「危ないぞ」
「そっちも危ないでしょ」
遥が、少しだけ拗ねたような声を出す。
「お兄ちゃんが奈落の底で鉄骨振り回してる間、私だけ安全圏で隠れてろって? それ、筋が通らない」
「筋肉の話をしてるんじゃない」
「“仕事”の話をしてるの」
遥は言い切った。
「お兄ちゃんの仕事は、壊すべき構造を見つけて、物理的に解体すること」
「……まあ、そうだな」
「私の仕事は、書き換えるべき物語を見つけて、情報の側から解体すること」
その言葉には、迷いがなかった。
「どっちも、生きて帰るための仕事。違う?」
返す言葉はなかった。
代わりに、レイが静かに言う。
「妹さん。ギルドの安全ルートについては、こちらで手配する。あなたの母親を、正式には“証人保護プログラム候補”という名目で移送できるよう、書類を整える」
「助かります」
「竹内」
レイが、改めて俺の名を呼んだ。
「今から合流地点を送る。そこからギルドの車で、奈落の竪穴のゲートまで行く」
「了解した。現場は任せろ」
通話が切れた。
路地の出口で、ビジョンのニュースが別の話題に移る。
きらびやかな芸能ニュース。誰かの結婚報道。さっきまで映っていた血と煙は、もうどこにもない。
「……そういうもんだよな」
世界は忙しい。
一人の高校生が指名手配されようが、軍が学校を包囲しようが、明日の話題はまた別のものになる。
だからこそ、自分の物語ぐらい、自分で選ばなければならない。
俺は壁から背中を離し、スマホに送られてきた地図を確認した。
少し離れたコインパーキング。そこが合流地点だ。
「行ってくる」
誰にともなく告げて、路地裏を後にした。
◇
夜の街は、昼間の喧騒が嘘のように静かだった。
合流地点のコインパーキングには、白いワンボックスカーが一台、目立たないように停まっている。
運転席から降りてきたのは、ジャージ姿の男だった。
ギルドの運転手――という名目の、実質護衛担当だ。
「竹内さんですね。乗ってください」
「ああ」
スライドドアを開けると、車内にはレイがいた。
ジャケットを脱ぎ、ワイシャツの袖をまくり上げた姿は、いつものクールなインテリというより、徹夜明けのサラリーマンに近い。
「ギリギリだな」
レイが苦笑した。
「何がだ」
「今、この周辺の監視カメラ映像は、軍の回線に直結している。お前が一人でうろうろしていたら、すぐに捕捉されていたはずだ」
「だから車だってわけか」
「そういうことだ。座れ」
俺はレイの向かいの席に腰を下ろした。
車が静かに発進する。
窓の外を流れる街の灯りが、しだいに少なくなっていく。
「母さんは」
「ギルドの保護車両で別ルートだ」
レイが答える。
「今頃、郊外の安全拠点に向かっている。妹さんが付き添っている」
「遥が?」
「一度、まとめて移動してからだ。そこから先は、妹さんだけ街に戻す。彼女の希望だ」
俺は窓の外を見た。
高速道路に差し掛かり、街の光が遠ざかる。
ボロアパートの明かりも、学校の校舎も、もう見えない。
日常は、完全に背後に流れて行った。
「後悔は」
レイが、控えめに尋ねた。
「ないのか」
「あるに決まってるだろ」
即答だった。
「本当は、学校で昼寝して、バイトして、適当にダンジョン潜って、それで生活できるなら最高だ」
「そうだな」
「でも」
俺は拳を握った。
「あいつらが、勝手に現場に工事車両を突っ込んできた」
「工事車両?」
「俺の生活っていう建物にな」
レイが、ふっと笑った。
「やっぱり、君の比喩は独特だ」
「現場の人間は、全部構造に見えるんだよ」
俺は肩をすくめた。
「壊すべき梁と、残すべき柱。それを見極めるのが、解体屋の仕事だ」
「今、君が壊そうとしている構造は」
「決まってる」
窓に映る自分の顔を見ながら、俺は答えた。
「人を使い捨てにして、その上に塔を建てている“国の形”だ」
車内に静寂が落ちた。
やがて、運転手が「そろそろです」と声をかけた。
「着いたぞ」
レイが窓の外を顎でしゃくる。
そこは、街外れの丘陵地帯だった。
柵で囲まれた空き地の中心に、巨大な穴がぽっかりと口を開けている。
照明に照らされた縁からは、冷たい風が吹き上がってきていた。
Bランクダンジョン『奈落の竪穴』。
地面が、そのまま地獄へ落ちていくような光景だった。
「相変わらず、見た目からして趣味が悪い」
レイが眉をひそめる。
「ここから下が、お前の新しい“現場”だ」
「悪くない」
俺は車を降り、穴の縁まで歩いた。
足元から吹き上がる風が、作業着の裾を揺らす。
見下ろしても、底は見えない。ただ、遠くで水が滴る音と、どこかで岩が崩れるような鈍い響きだけが聞こえた。
「上から押さえつけられる心配はない」
レイが言う。
「ここでは、君とモンスターと、そして――」
「壊れかけの構造だけ、ってわけだ」
俺は大剣の柄に手をかけた。
「悪くない現場だ」
口元に、自然と笑みが浮かぶ。
表の世界でどう呼ばれようが、ここではただの一探索者。
いや。
一人の解体屋だ。
「行くか」
穴の縁に、一歩足を踏み出す。
暗闇の底から、冷たい空気が一層強く吹き上がった。
「――表の世界で指名手配犯だろうが、関係ない」
胸の中で呟く。
「壊すべき構造があるなら、全部まとめて解体するだけだ」
俺は黒鋼の大剣を背負い直し、奈落へと歩みを進めた。




