第21話 崩壊する悪徳の塔と、王との邂逅
Bランクダンジョン『腐敗の谷』、最深部。
企業の極秘施設、中央管理室。
無数のモニターが並ぶ薄暗い部屋で、白衣を着た男――工場長が、頭を抱えて悲鳴を上げていた。
「ありえない! ありえないありえないありえないッ!!」
モニターには、絶望的な光景が映し出されていた。
正面ゲートからは、瓦礫の山を築きながら進撃する、一人の男。
地下廃棄場からは、重力魔法で全てを無に帰しながら浮上する、黒い影。
上と下、両方向からの侵攻により、要塞とも呼べる施設はわずか数十分で壊滅状態に陥っていた。
「どいつもこいつも化け物か! 私の……私の工場が!」
工場長は血走った目で、部屋の中央に鎮座する巨大な培養槽を見上げた。
緑色の溶液の中に、異形の怪物が浮かんでいる。
人間の青年をベースに、オーガの剛腕、ジャイアント・スパイダーの脚、ポイズン・サーペントの尾を無理やり縫い合わせた、醜悪な融合獣。
「ええい、こうなったらアレを使うしかない! 起動しろ! 『アダム』を目覚めさせろ!」
工場長がコンソールを叩きつける。
プシュゥゥゥゥ……!
培養槽のロックが外れ、溶液が排出される。
ガラスが割れ、中から濡れた肉塊が床に崩れ落ちた。
「あ……ぅ……」
怪物が呻き声を上げる。
その声は、獣の咆哮ではなく、か細い人間のものだった。
「痛い……痛いよぉ……お母さん……」
うわ言のように繰り返される言葉。
歪んだ肉体に閉じ込められた魂が、助けを求めて泣いている。
だが、工場長は狂喜の笑みを浮かべた。
「素晴らしい! 聞こえるか、この明瞭な発声! 魔物の破壊力を持ちながら、人間の知能と自我を残している! これこそが進化の到達点、最高傑作だ!」
「……趣味が悪いな」
ズドォォォォォンッ!!
轟音と共に、管理室の分厚い防護扉が蝶番ごと吹き飛んだ。
ひしゃげた鉄塊が工場長の真横を通り過ぎ、壁にめり込む。
土煙を割って入ってきたのは、灰色の作業着を着た男――竹内涼太だった。
肩には、自身の背丈ほどもある巨大な黒い剣を担いでいる。
「ひぃッ!?」
「よう。ここが社長室か? 随分と散らかってるな」
涼太は部屋を見渡し、視線をキメラに止めた。
異形の怪物。だが、その瞳には理性の光と、終わらない苦痛の涙が浮かんでいる。
「た、助け……て……」
キメラが涼太に手を伸ばす。
その手は、鋭い鉤爪に変異していた。
「……ッ」
涼太の眉がピクリと動いた。
ただのモンスター退治のつもりだった。
降りかかる火の粉を払うだけの、害虫駆除のつもりだった。
だが、目の前の光景は、一線を超えていた。
「お前ら……人間をなんだと思ってる」
涼太の声から温度が消える。
静かな、だが底知れない怒りが、部屋の空気を重くした。
「殺せ! 殺せアダム! そいつは敵だ! お前を痛めつける悪い奴だ!」
工場長が金切り声を上げて命令する。
その言葉に反応し、キメラの目に埋め込まれた制御チップが赤く発光した。
「ウ、ガアアアアアアアアッ!!」
キメラが頭を抱えて絶叫する。
強制的な興奮状態。脳を焼かれる苦痛が、彼を暴走する破壊兵器へと変貌させる。
背中から生えた蜘蛛の脚が床を砕き、蛇の尾が鞭のようにしなる。
「死ネェェェェッ!!」
キメラが床を蹴った。
速い。
Bランク上位の速度だ。
八本の脚による不規則な機動は、動体視力を狂わせる。
オーガの剛腕が、涼太の頭蓋を砕こうと迫る。
「……チッ」
涼太は逃げなかった。
大剣を構え、真正面から迎え撃つ。
ガギィンッ!!
重い金属音が響く。
涼太は一歩も引かず、その剛腕を大剣の腹で受け止めた。
「重いな……! だが、泣き言言いながら殴るんじゃねえよ!」
涼太は大剣を返し、追撃の蛇尾を弾く。
キメラの攻撃は止まらない。
右から剛腕、左から爪、死角から毒の尾。
嵐のような連撃だ。
普通の冒険者なら、数秒で肉片に変えられていただろう。
だが、涼太にとって、この手数の多さは好都合だった。
《 チャージ+1 》
《 チャージ+2 》
《 チャージ+3 》
視界の端で、ログが凄まじい勢いで流れていく。
弾く。受ける。流す。
涼太のスキル【チャージ&リリース】は、攻撃を当てるか、防ぐか、パリィするたびにエネルギーが蓄積される。
ただし、維持時間は7秒。
攻撃が途切れれば、溜めた力は霧散する。
だが、このキメラの怒涛の猛攻は、涼太に息つく暇を与えない代わりに、無限の燃料を供給し続けていた。
「オラオラ! もっと来いよ! 全部受け止めてやる!」
ガンッ! ゴギンッ! バキィッ!
涼太は叫びながら、大剣を振り回す。
防戦一方ではない。
攻撃こそが最大の防御。
敵の爪を剣で叩き折り、迫る尾を剣の柄で殴りつける。
もはや剣術ではない。鉄塊による暴力的な迎撃。
「あ、ありえない……! アダムの出力はAランクに匹敵するんだぞ!? なぜ生身の人間が拮抗している!?」
工場長が頭を抱えて後ずさる。
拮抗?
違う。
涼太はまだ、溜めているだけだ。
《 チャージ回数:12 》
《 段階:【黄】へ移行 》
ヴォォン……!
黒鋼の大剣が、黄金の光を帯び始めた。
バチバチと弾ける雷光が、周囲の空気を焦がす。
涼太の筋肉が膨張し、血管が浮き上がる。
「……楽にしてやる」
涼太はキメラの目を真っ直ぐに見据えた。
そこにあるのは、敵意ではない。
哀れな被害者への、せめてもの介錯の情だ。
「そんな体じゃ、生きてるだけで地獄だろ。……全部吐き出せ、俺が終わらせてやる」
涼太が大剣を構え直した、その時だった。
ズズズズズ……。
突如、部屋の床が黒く変色し始めた。
重力が歪み、瓦礫が不自然に浮き上がる。
異様な魔力の気配に、涼太とキメラが同時に動きを止める。
「……なんだ?」
涼太が足元を見る。
床が、まるで泥のように溶けていく。
底知れぬ闇の穴が開き、そこから一人の男が、重力を踏みしめるようにして浮上してきた。
漆黒の衣を纏い、銀の髪をなびかせた魔族。
その双眸には、世界を凍らせるほどの冷徹な怒りが宿っていた。
「……見つけたぞ、下郎」
【魔王】が、工場長を見据えて低く囁いた。
地獄の蓋が開いた瞬間だった。
「ま、魔王様!? なぜここに!?」
工場長が裏返った声で叫ぶ。
漆黒の衣を纏った男――魔王は、瓦礫の浮く空中に静止したまま、冷ややかな視線を工場長に向けた。
「……私の名を呼ぶな。その口で紡ぐ言葉は、全てが汚らわしい」
魔王の声は静かだったが、そこには空間そのものを圧迫するような重圧が込められていた。
部屋の窓ガラスが一斉にヒビ割れ、モニターが火花を散らして爆発する。
「誤解です! これを見てください! あなたが望んだ進化種ですよ! 人間の知能と魔物の力を併せ持つ、完璧な共存の形です!」
工場長は必死にキメラを指差した。
だが、魔王の瞳に浮かんだのは、深い悲哀だけだった。
「……これが、進化だと?」
魔王はゆっくりと視線をキメラに移した。
異形の肉体。埋め込まれた機械。そして、理性を焼かれて涎を垂らすその姿。
そこにかつての協力の面影はない。あるのは一方的な蹂躙と冒涜だけだ。
「魂を弄び、尊厳を砕き……それを進化と呼ぶか、人間よ」
魔王が指を鳴らす。
パチン。
その音と共に、工場長の足元の床が圧壊した。
「ひぃっ!?」
「貴様には死すら生温い。……無に還れ」
「や、やめろ! 殺せ! アダム、やれ! 私を守れぇぇぇッ!!」
工場長が錯乱してコンソールを連打する。
制御チップからの過剰な電流が、キメラの脳を焼き切った。
「GA、A、AAAAAAAAッ!!!」
キメラが絶叫と共に膨張した。
筋肉繊維が千切れ、体内の魔力炉が暴走を始める。
自爆覚悟の特攻。
部屋全体を吹き飛ばすつもりだ。
「……チッ、最後まで迷惑な野郎だ」
俺は舌打ちをし、大剣を構え直した。
チャージは満タンだ。
これ以上、あいつに惨めな声を上げさせる必要はない。
「……哀れな魂よ」
魔王もまた、キメラに掌を向けた。
その手に宿るのは、全てを飲み込む闇の重力。
俺と魔王。
二人の視線が、一瞬だけ交錯した。
言葉はない。
ただ、「邪魔だ」という意思と、「目の前の悲劇を終わらせる」という目的だけが重なった。
「「消えろ」」
声が重なる。
「《リリース》ッ!!」
俺は大剣を振り抜き、黄金の物理衝撃を叩き込んだ。
暴走するキメラの核を、正面から粉砕する。
ズドォォォォンッ!!
「あ、が……」
キメラの体が光に包まれ、霧散していく。
最後に一瞬だけ、人間の青年の穏やかな顔に戻った気がした。
『ありがとう』
そう動いた唇が、光の中に消える。
「あ、ああ……アダムが……私の最高傑作が……!」
工場長がへたり込み、絶望に震えている。
最強の盾を失った男に、魔王が静かに近づいた。
「……終わりだ、人間」
魔王が掌をかざす。
「ひ、ヒィッ! 助けてくれ! 私は命令されただけで……」
「言い訳は冥府でするがいい」
「《ブラック・ホール》」
魔王の手のひらに、極小の闇が生まれた。
それは空間そのものを歪め、工場長を引きずり込む。
「いやだ、死にたくない、いやだぁぁぁぁぁッ!!」
断末魔は一瞬で途切れた。
工場長の体は闇に飲み込まれ、圧縮され、存在ごと消滅した。
後に残ったのは、静寂だけ。
◇
「……ふぅ」
俺は残心をとったまま、大剣を地面に下ろした。
目の前には、巨大なクレーターだけが残っている。
キメラも、工場長も、痕跡すら残っていない。
完全な消滅だ。
「……人間か。奇妙な力を使うな」
頭上から声が降ってきた。
見上げると、魔王が空中に浮いたまま、興味深そうに俺を見下ろしている。
「アンタもな。派手な魔法だ」
俺は肩をすくめて答えた。
敵意はない……と思う。
少なくとも、今の俺に向けられているのは殺気ではなく、値踏みするような視線だ。
魔王の目が、俺の防具と、背負った大剣を行き来する。
ワイバーンの皮。デュラハンの装甲。そして、魔鉄を含んだ大剣。
「……ほう。竜の皮に、騎士の鎧か。人間にしては、魔をよく理解している」
「商売道具だ。……やるか?」
俺はグリップを握り直した。
相手は底知れない。戦えばタダでは済まないだろう。
だが、魔王はふいっと視線を逸らした。
「……今はよい。興が削がれた」
魔王は夕焼け空を見上げた。
その横顔には、怒りよりも深い、疲労と悲しみが滲んでいた。
「今日は弔いの日だ。……名を覚えておこう、人間。次会う時は、敵かもしれぬぞ」
魔王の体が黒い霧に包まれる。
転移魔法だ。
「おい、待てよ」
「……なんだ?」
「俺は竹内涼太だ。……あいつを、楽にしてくれてありがとな」
俺が言うと、魔王は少しだけ目を見開き、フッと自嘲気味に笑った。
「……礼を言われる筋合いはない。あれを作ったのは、私の愚かさゆえだ」
言い残し、魔王は霧となって消え去った。
後に残されたのは、半壊した施設と、俺一人。
「……なんだあいつ。ま、いっか」
俺は大剣を背負い直した。
仕事は完了だ。
害虫は駆除したし、あいつも安らかに眠れただろう。
「帰るか。晩飯に間に合うかな」
俺は崩れた壁の隙間から、夕日の沈む荒野へと歩き出した。
こうして、俺と魔王の初めての邂逅は、奇妙な共闘という形で幕を閉じたのだった。




