第20話 腐敗の谷と、二つの災害
翌朝。
俺はリビングで、遥が解析したデータを覗き込んでいた。
「……間違いないわ。ここよ」
遥がモニターに地図を表示する。
Bランクダンジョン『腐敗の谷』。その最深部に、不自然な空洞反応がある。
地上の送電網からは独立した、膨大なエネルギー供給ラインがそこに集中していた。
「ただの工場じゃないわ。検出された魔力波形が異常よ。これは……『生体融合炉』。人間と魔物を混ぜ合わせて、新しい生物を作るための禁忌の実験施設だわ」
遥の声が震えている。
人間と魔物を混ぜる。
昨日俺を襲った強化兵士や、地下水路のネズミ。あいつらの正体がそれか。
「……混ぜるだぁ? 料理のつもりかよ」
俺はコーヒーを飲み干し、カップを置いた。
カチン、と硬い音が鳴る。
「ふざけた真似をしてくれる。そんな胸糞悪い調理場は、俺が『解体』してやる」
俺は立ち上がり、カンナ特製の作業着に袖を通した。
ずしりと重い30キロの防具。
だが、今の俺にはこれが皮膚のように馴染む。
「行ってくる。夕飯までには片付ける」
「気をつけて。……お兄ちゃん、無理だけはしないでね」
遥の心配そうな声を背に、俺は玄関を開けた。
今日はソロだ。
これは俺自身の落とし前であり、害虫駆除だ。他人を巻き込むような仕事じゃない。
◇
Bランクダンジョン『腐敗の谷』。
転移ゲートを抜けると、そこは死の世界だった。
足元にはぬかるんだ毒の沼地が広がり、立ち枯れた木々が墓標のように並んでいる。
空気中には黄色い毒霧が充満し、視界を遮る。
「グゥゥゥ……」
沼の中から、腐りかけた死体が這い出してくる。
ゾンビ、グール、スケルトン。
アンデッドの群れだ。
普通なら聖職者が浄化魔法を使いながら進む難所だが、俺にそんな小細工は必要ない。
「邪魔だ。俺は忙しいんだよ」
俺は背中の『黒鋼の大剣』を抜き放ち、一振りした。
ブンッ!!
斬撃ではない。ただの風圧だ。
だが、480キロの鉄塊が音速で振るわれれば、それは暴風となる。
毒霧が吹き飛び、群がっていたゾンビたちがボウリングのピンのように彼方へと弾け飛んだ。
「道が開いたな」
俺は毒の沼地を、安全靴で踏みしめて進んだ。
毒霧が肌に触れるが、ワイバーンの皮で作られた作業着が全て無効化する。
Bランクの環境ダメージなど、今の装備にはそよ風だ。
地図にある座標。
谷の突き当たりにある、巨大な岩壁の前で俺は足を止めた。
一見ただの崖だが、よく見れば岩肌に偽装された継ぎ目がある。
「ここか」
隠し扉だ。
通常ならスイッチを探すか、解錠スキルを持つ盗賊を呼ぶところだろう。
だが、俺は解体屋だ。
俺にとっての鍵は、腰にあるこの鉄塊だけだ。
「開けゴマ――物理だ」
俺は大剣を振りかぶり、偽装された岩盤ごと、鉄の扉を殴打した。
ズドォォォォォォォンッ!!
轟音。
分厚い防護扉が、蝶番ごとひしゃげて吹き飛んだ。
警報音が鳴り響く中、俺は土煙を割って施設内へと侵入した。
◇
施設内部は、無機質な鉄の回廊だった。
白衣を着た研究員たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中、武装した警備兵たちが殺到してくる。
「侵入者だ! 殺せ! 実弾許可ッ!」
ダダダダダダッ!!
アサルトライフルの銃弾が雨のように降り注ぐ。
俺は顔だけを腕で守り、突っ込んだ。
カンカンカンッ!
銃弾が作業着に当たり、火花を散らして弾かれる。
ワイバーンとデュラハンの複合装甲だ。小銃程度で抜けるわけがない。
「な、なんだこいつ!? 撃っても止まらないぞ!?」
「戦車かよ!」
「お仕事中ご苦労。だが、ここは閉鎖だ」
俺は警備兵の真横を駆け抜けざまに、大剣を振るった。
狙うのは人間ではない。
彼らが背にしている柱だ。
ゴガァァン!!
鉄筋コンクリートの太い柱が、紙細工のように粉砕される。
支えを失った天井が崩落し、瓦礫が警備兵たちの退路を塞ぐ。
「ひ、ヒィッ!?」
「建物ごと壊す気か!?」
「当たり前だろ。解体しに来たんだからな」
俺は止まらない。
壁をぶち抜き、床を踏み抜き、最短ルートで最奥を目指す。
現れる実験体――キメラや強化兵士も、大剣の腹で叩き伏せる。
斬る必要すらない。
480キロの質量が直撃すれば、どんな生物も活動を停止する。
俺はただ歩くだけで、施設を機能不全に追い込む災害そのものだった。
◇
一方。
施設の最下層、地下廃棄場。
地上からは光も届かない、汚泥と廃棄物が溜まる闇の底。
そこにもまた、招かれざる災害が訪れていた。
ズズズ……。
地面が揺れる。
廃棄場の床が、まるでアリ地獄のように陥没していく。
そこから静かに浮上してきたのは、漆黒の魔力を纏った【魔王】だった。
「キシャアアアッ!」
廃棄場の番犬である巨大な合成獣が、侵入者に気づいて襲いかかる。
だが、魔王は一瞥もしない。
ただ、悲しげに目を伏せただけだった。
「……かわいそうに。人の業によって歪められた哀れな魂よ」
魔王が指先を僅かに動かす。
ギィン。
空間が軋む音がした。
飛びかかった合成獣が、空中で静止する。
次の瞬間、その巨体が内側から押し潰されるように収縮した。
「《グラビティ・コラプス》」
グシャリ。
断末魔すらなく、合成獣は一瞬で砂粒ほどのサイズに圧縮され、塵となって消えた。
重力崩壊。
魔王はそれを見届け、静かに呟く。
「……すまぬ。せめて安らかに眠れ。人間の業に付き合う必要はない」
魔王は歩き出した。
彼が通る道、すべての障害物が重力に押し潰され、消滅していく。
警備ロボットも、強化された防護壁も、彼にとっては薄紙と同じだ。
その瞳には、深い慈悲と、それ以上に深い激怒が燃えていた。
「人間よ。……我が同胞を弄んだ罪、その魂で贖うがよい」
上からは物理の暴風。
下からは重力の深淵。
悪徳の塔は今、二つの災害によって、上下から同時に磨り潰されようとしていた。




