第17話 Cランクの壁と、脳筋殺しの筆記試験
数日後。
俺たち一家は、新居への引っ越しを完了していた。
冒険者専用高級賃貸マンション、『メゾン・ド・ガーディアン』。
エントランスには24時間の有人警備、窓ガラスは対魔法防弾仕様。
そして何より、建物全体がダンジョン素材を混ぜた強化コンクリートで作られている。
ゴトン。
俺はリビングの床に、100キロの特注ダンベルを置いた。
以前のアパートなら、ミシッという嫌な音と共に床板がたわんでいたはずだ。だが、この床はビクともしない。音さえ吸い込まれるように静かだ。
「すごいわねぇ……。オートロックなんて初めて見たわ。スーパーも近いし、夢みたい」
母さんがシステムキッチンを撫でながら、うっとりと呟いている。
これまでの苦労が報われた瞬間だ。
俺は満足感に浸りながら、ソファに腰を下ろした。
ああ、平和だ。
大黒商事も潰れ、家族の安全も確保された。
これからは悠々自適なハンターライフが……。
「はい、休憩終わり。現実に帰りましょうか」
そんな俺の目の前に、ドサッという音と共に分厚い本の山が積まれた。
妹の遥だ。
彼女は鬼軍曹のような冷徹な眼差しで、俺を見下ろしている。
「Cランク昇格試験まであと3日。今日中にこの過去問を終わらせないと、夕飯抜きよ」
俺は本タワーを見上げた。
絶望しかない。
「……遥さん。俺、魔王を倒すより辛い気がするんだが」
「何言ってるの。お兄ちゃんの脳みそまで筋肉になるのを防ぐための、愛の鞭よ」
遥は有無を言わさず、問題集を開いた。
「まずは基礎知識。魔法式の計算問題よ」
「……」
「問1。マナ濃度係数が0.05上昇した場合の、結界強度の減衰率を求めよ」
「……わかるわけないだろ」
俺は即答した。
魔法なんて、気合で耐えるものだと思っている人間に、計算などできるはずがない。
「……だめね。もう時間が足りないわ」
遥がペンを置き、深い溜息をついた。
俺の頭には、魔法式の計算もギルド法も、全く定着していなかった。
「お兄ちゃん。真っ当に解こうとするのは諦めましょう」
「えっ」
「今の知識量じゃ100年かかっても無理。だから、『戦略的回答法』に切り替えるわ」
遥は黒板代わりのタブレットに書き込みを始めた。
「Cランク試験の配点は、知識問題が4割、状況判断が4割、その他が2割よ。知識問題は、お兄ちゃんには理解不能な言語だと思って」
「じゃあどうすんだよ」
「捨てるのよ。全部、鉛筆転がして運に任せて」
遥は真顔で言い放った。
そして、一本の鉛筆を差し出した。
側面には1から4までの数字がマジックで書かれている。ただの自作サイコロ鉛筆だ。
「いい? わからない問題に時間を使うのは無駄。秒で転がしてマークする。その代わり……『状況判断問題』だけは、絶対に外さないで」
遥が俺の顔を指差す。
「状況判断の正解には、必ずある共通点があるの。それは……『最も臆病な選択肢』が正解だということ」
「臆病?」
「そう。ギルドが求めているのは勇者じゃない。『部下を死なせない指揮官』よ。だから、『戦う』『突っ込む』は全部ひっかけ問題。『逃げる』『報告する』『待機する』……お兄ちゃんの本能が一番嫌がる選択肢を選びなさい。それが正解よ」
「……なるほど。俺がやりたいことの逆を選べばいいのか」
「ご名答。それが一番の合格への近道よ」
◇
試験当日。
ギルド本部の大会議室は、異様な緊張感に包まれていた。
集まっているのは、Cランク昇格を目指すDランク上位の冒険者たちだ。
誰もが歴戦の猛者といった顔つきで、装備も煌びやかだ。ミスリル銀の鎧、魔獣の革で作ったローブ、宝石の埋め込まれた杖。
そんな中、俺一人が浮いていた。
「……おい、あれ見ろよ」
「作業着? 業者の人か?」
「馬鹿、あれだよ。噂の『解体屋』だ」
ヒソヒソという声が聞こえる。
俺の格好は、いつもの新品作業着に、ヘルメット。
カンナが作った最強の防具だが、見た目はどう見ても現場のおっさんだ。
周りのファンタジーな装いの中で、俺だけがリアリティの塊のような異物感を放っている。
「君が、竹内涼太か」
不意に、涼やかな声がかけられた。
振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
歳は俺と同じくらいだろうか。
銀色の髪を綺麗に整え、知的なリムレス眼鏡をかけている。身に纏っているのは、見るからに高級そうな純白の魔導衣。
まるで、王子様か貴公子といった風貌だ。
「……誰だ?」
「氷室レイ。君と同じ受験者だよ」
レイと名乗った男は、眼鏡の位置を直しながら、俺を値踏みするように上から下まで眺めた。
「噂は聞いているよ。運と筋肉だけで成り上がった、野蛮な解体屋だってね」
「なんだと?」
「事実だろう? 君の戦い方には美学がない。ただ力を振り回しているだけだ」
レイの言葉には、明確な敵意というよりは、純粋な軽蔑が含まれていた。
「Cランクからは、個人の武力だけでなく、状況判断能力や指揮能力が問われる。知性のない人間に、その資格はないと言っているんだ」
「……言ってくれるな」
俺は言い返そうとしたが、言葉に詰まった。
悔しいが、図星だ。俺には学がない。
「まあいい。筆記試験で落ちて、恥をかかないことを祈っているよ」
レイは冷ややかに言い捨てると、優雅な足取りで自分の席へと向かっていった。
嫌な奴だ。だが、纏っている魔力は本物だった。
「……上等だ」
俺は指定された席に座り、遥特製の鉛筆を握りしめた。
筋肉馬鹿だと笑いたければ笑えばいい。
俺には俺のやり方がある。
「それでは、試験を開始します」
試験官の合図と共に、俺の戦いが始まった。
カツ、カツ、カツ。
静まり返った試験会場。
俺の目の前には、わけのわからない呪文が並んでいる。
【問12:マナ濃度係数が0.05上昇した場合の結界強度の減衰率を求めよ】
知るか。
コトッ。
俺は迷わず鉛筆を転がした。出た目は『3』。
俺はマークシートの3を塗りつぶす。
考えるな、転がせ。
遥の教え通り、知識問題は全て数秒で処理していく。
そして、後半の『状況判断』パート。
ここからが本番だ。
【問45:ダンジョン内で『オーガ・ロード』に遭遇した。パーティの平均ランクはD。あなたの行動を選べ】
1:先手必勝で奇襲をかける。
2:タンクを前に出し、詠唱時間を稼ぐ。
3:食料を囮にして、その隙に全速力で撤退する。
4:一騎打ちを挑み、士気を高める。
俺なら1か4だ。いや、4だな。タイマンでボコる。
俺の手は自然と『4』へ伸びそうになる。
だが、そこで遥の鬼の形相が脳裏をよぎった。
『お兄ちゃんの本能が一番嫌がる選択肢を選びなさい!』
くっ、嫌だ。食料を捨てて逃げるなんて、肉がもったいない。プライドが許さない。
俺は歯を食いしばり、震える手で『3(撤退)』を塗りつぶした。
断腸の思いだ。
魔物を前にして逃げるなんて。
だが、これが試験だ。俺は心を殺して、次々と「逃走」「報告」「待機」を選んでいった。
「ふん……」
隣の席から、呆れたような鼻息が聞こえた。
氷室レイだ。
俺が鉛筆を転がしたり、頭を抱えて唸ったりしているのを見て、完全に馬鹿にしている。
「遊んでいるのか、苦しんでいるのか。忙しい男だ」
レイは涼しい顔で正解を書き連ねている。
うるせえ、こっちは自分自身の闘争本能と戦っているんだよ。
「止め!」
試験官の声が響いた時、俺は真っ白に燃え尽きていた。
戦った。
俺は、俺の中の「脳筋」に打ち勝ったのだ。
◇
1時間後。
会場のロビーにある掲示板の前に、人だかりができていた。
筆記試験の合格発表だ。
「あった! 受かったぞ!」
「くそっ、落ちた……。また半年後かよ……」
歓喜と落胆の声が入り混じる。
俺は恐る恐る人垣をかき分け、掲示板を見上げた。
受験番号404番。
上から順に目で追っていく。
ない。
ない。
やっぱりダメだったか。
俺が諦めて視線を外そうとした、その時だった。
「……ん?」
合格者リストの一番下。
ギリギリの場所に、404番の数字があった。
「あ、あった……」
俺は全身の力が抜けた。
首の皮一枚で繋がった。遥、お前は天才だ。
「……信じられないな」
背後から、レイの声がした。
「あの適当な回答態度で合格とは」
「適当じゃねえよ。俺なりに必死だったんだ」
「ほう? 例えば、問45のオーガへの対処。君なら『戦う』を選ぶと思ったが」
「……撤退だろ。食い物を囮にして」
俺が不貞腐れて答えると、レイの目が見開かれた。
「……正解だ。君のような好戦的な男が、あの場面で『損切り』の判断ができるとはな。……少しだけ、見直したよ」
言えない。
妹に言われた通り、自分が一番嫌なことを選んだだけだなんて、死んでも言えない。
「合格者は実技試験の説明を行う。地下訓練場へ移動せよ!」
試験官の声に従い、俺たちは移動した。
地下訓練場には、巨大な転移ゲートが設置されていた。
「これより二次試験、実技を行う。今回は即席のツーマンセルで行ってもらう」
試験官がリストを読み上げる。
そして。
「次。竹内涼太」
「はい」
俺が一歩前に出る。
「君のパートナーは……氷室レイだ」
一瞬、時が止まった。
俺は横を見た。
そこには、俺と同じくらい絶望的な顔をしたレイが立っていた。
「……冗談だろう?」
「……マジかよ」
俺とレイの声が重なった。
最悪の組み合わせだ。
脳筋の解体屋と、潔癖な理論派エリート。
「異議あり!」
レイが手を挙げた。
「試験官。このペアリングは不適切です。彼の戦闘スタイルは私の理論と対極にあります。連携など不可能です」
「俺も同感だ。こいつとは合わない」
だが、試験官は冷酷に告げた。
「却下する。嫌なら辞退しろ。ただし、その時点で不合格とする」
「なっ……」
「Cランク冒険者は、どんな味方とも連携し、最善の結果を出す義務がある。相性が悪い? それを補うのが指揮官の仕事だ」
ぐうの音も出ない正論だった。
レイは悔しそうに唇を噛み、俺を睨んだ。
「……いいだろう。受けて立つ。ただし、竹内。私の邪魔だけはするなよ。君は私の指示通りに動けばいい」
「そっちこそ。俺の前をチョロチョロするなよ。巻き込まれても知らないぞ」
火花が散る。
俺たちは最悪の雰囲気のまま、転移ゲートの前に立った。
前途多難な実技試験が、幕を開けた。




