第16話 進路指導室の攻防と、妹の極秘レポート
翌日の学校。
俺が教室に入ると、空気がピリリと張り詰めた。
昨日、大黒商事の件がニュースになり、俺の名前は出なかったものの、謎の学生冒険者が企業ぐるみの悪事を暴いたという噂が校内を駆け巡っていたからだ。
「た、竹内様! おはようございます!」
席に着くやいなや、隣の席の木戸がすっ飛んできた。
彼は恭しく頭を下げ、机の上にコンビニの袋を置いた。
「本日の献上品、焼きそばパンでございます! 紅生姜は抜いておきました!」
「……おう。悪いな」
俺は困惑しつつも受け取った。
パシリにしたいわけではないのだが、拒否すると彼が発作を起こしたように怯えるので、受け取るしかない。
クラスメイトたちは遠巻きに俺を見ているだけだ。
完全に、触れてはいけない存在になっている。
平和といえば平和だが、居心地は悪い。
放課後。
俺は進路指導室の前に立っていた。
制服の襟を正し、隣を見る。今日は三者面談だ。
本来なら父親が来るべきところだが、うちは母子家庭だ。パートを早退して来てくれた母さんが、隣で小さくなっている。
「涼太……ごめんね。母さんがもっとしっかりしていれば……」
「何言ってるんだよ。母さんは十分頑張ってる」
俺は母さんの肩を抱いた。
少し草臥れたスーツの母さんと、着古した制服の俺。
傍から見れば、生活に疲れた貧困家庭そのものだろう。
「どうぞ」
中から声がかかり、俺たちはドアを開けた。
担任の教師が、難しい顔で書類に目を落としている。
「竹内。最近、校内でお前の噂をよく耳にするぞ」
「噂、ですか?」
「ああ。危険な場所に出入りしているとか、ガラの悪い連中と揉めたとか……。お母様も心配されているんだ。学生の本分を忘れるなよ」
担任は俺を睨むと、母さんに向き直った。
やはり、噂は届いていたか。だが、教師フィルターを通すと、それは「冒険者としての活躍」ではなく「素行不良」に変換されるらしい。
「お母様。単刀直入に言います。涼太君の成績と、現在の素行、そしてご家庭の経済状況を鑑みますと……進学は諦めて、堅実な就職をお勧めします。市内の工場なら、私のツテで紹介できますが」
「あ、ありがとうございます先生……。やはり、そうですよね……」
母さんが申し訳無さそうに頭を下げる。
俺は溜息をついた。
先生の言っていることは正しい。一般論としては。
だが、俺の現実はもう、一般論の枠には収まらない。
「先生。母さんを責めないでくれ」
「竹内、お前のために言ってるんだぞ。現実を見ろ」
「現実は見てますよ。だから、進路は決まってるんです」
俺は真っ直ぐに担任を見据えた。
「俺は、探索者一本でいきます」
部屋の空気が凍った。
担任が呆れ果てた顔で口を開く。
「お前な……。それが一番現実を見ていないと言うんだ。探索者がどれだけ不安定な職業か分かっているのか? Fランクの平均年収はバイト以下だぞ。一発当てればデカイなんて夢を見るな」
「夢じゃありません」
俺はポケットからスマホを取り出した。
銀行アプリを起動し、画面を机の上に置く。
そこには、妹の遥が管理している俺の口座残高が表示されていた。
「……え?」
担任の目が点になった。
母さんも、息を呑んで口元を押さえる。
「ご、5,000万……!?」
担任が裏返った声を出した。
無理もない。地方の教師が一生かかって稼ぐ額の何分の一かを、教え子が持っているのだから。
「今月だけで、それだけ稼ぎました。これでもまだ、不安定だと言いますか?」
「ば、馬鹿な……。一体何をしたんだ!? 法に触れるようなことは……」
「真っ当なダンジョン攻略の報酬です。ギルドに問い合わせても構いませんよ。それに、先生が心配している噂の件も、全てこの仕事の結果です」
俺はスマホをしまった。
担任は口をパクパクさせて、言葉を失っている。思考が追いついていないようだ。
俺は母さんに向き直った。
「母さん。もうパートは辞めていい。これからは俺が、母さんと遥を養うから」
「涼太……あなた、本当に……」
母さんの目から涙が溢れた。
ずっと苦労をかけてきた。女手一つで、俺たち兄妹を育ててくれた。
その肩の荷を、ようやく下ろさせてやれる。
俺はこれまでのどんなボス戦よりも、大きな達成感を感じていた。
◇
その夜。
ボロアパートの我が家は、ささやかなお祝いムードに包まれていた。
夕食はスーパーの特売肉ではなく、駅前の精肉店で買った国産和牛のすき焼きだ。
母さんが嬉しそうに台所に立っている。
俺はリビングで、新しいパソコンに向かう遥の背中を見ていた。
先日、俺が稼いだ金で買ってやった最新鋭のゲーミングPCだ。
今まで遥は、学校の図書室や型落ちのスマホで必死に情報を集めていた。自分専用のパソコンなんて、夢のまた夢だったのだ。
「どうだ? 使い心地は」
「最高よ。やっぱりPCだと作業効率が段違い。……ありがとう、お兄ちゃん」
遥が椅子を回転させて、こちらを向いた。
その顔は、新しい玩具を手に入れた子供のように輝いている。
だが、画面に表示されている内容は、子供の遊びではなかった。
「で、例のチップの解析が終わったわ」
遥の表情が、参謀のそれに切り替わった。
画面には、複雑な回路図と、英文の羅列が表示されている。
先日の事件で俺が回収した、変異ネズミに埋め込まれていたチップの解析データだ。
「お兄ちゃん、これ……ただの強化薬投与デバイスじゃないわ」
「どういうことだ?」
「これは『魔力強制循環回路』。海外の論文にあった理論を悪用した、違法コピー品よ」
遥がキーボードを叩き、画像を拡大する。
「魔石のエネルギーを暴走させて、宿主の身体能力を限界まで引き上げる。その代わり、脳と神経系が焼き切れる。……完全に、使い捨てを前提にした兵器よ」
「……胸糞悪いな」
「ええ。でも、こんなものを作れるのは、大黒商事レベルの企業じゃない。もっと巨大な……軍事産業クラスの組織がバックにいるはずよ」
遥の指摘に、俺は息を呑んだ。
ただのモンスター退治だと思っていた。
だが、俺が足を踏み入れたのは、もっと深く、暗い闇の入り口だったのかもしれない。
「……情報収集は任せる。俺にはさっぱりだ」
「ええ、任せて。ネットの海なら、私の庭みたいなものだから」
遥は不敵に笑った。
頼もしい限りだ。物理担当の俺と、情報担当の遥。
そして、資産管理も彼女の仕事だ。
「それと、遥。相談があるんだが」
「なに?」
「引っ越そうと思うんだ」
俺は切り出した。
「大黒商事の一件で、俺の顔と名前はある程度割れてる。このボロアパートじゃ、セキュリティが甘すぎるんだ。母さんが狙われたら終わりだろ?」
「それは……そうだけど」
「金ならある。5000万あれば、もっとまともな場所に住めるはずだ」
俺の提案に、遥は少し考え込んでから、渋い顔をした。
「気持ちはわかるけど……無駄遣いはダメよ。そのお金は、お兄ちゃんが命がけで稼いだものなんだから。それに、セキュリティ万全な戸建てなんて買ったら、5000万なんて一瞬で消えるわよ?」
「じゃあ、どうすればいい。俺は、母さんとお前を守りたいだけなんだ」
俺が食い下がると、遥は溜息をつき、パソコンの画面を切り替えた。
「わかったわよ。お兄ちゃんがそこまで言うなら……賃貸にしましょう。それなら、初期費用を抑えつつ、最高クラスの安全が買えるわ」
遥が検索したのは、一般の不動産サイトではない。冒険者専用の物件情報だ。
「これなんてどう? 『メゾン・ド・ガーディアン』。24時間有人警備、対魔法結界完備、地下トレーニングルームあり。家賃は月50万と高いけど……今の収入なら、必要経費として割り切れる範囲ね」
「月50万……」
以前の俺たちなら卒倒する金額だ。
だが、遥が選んでくれたなら間違いない。
「よし、そこにしよう。母さんにも話してくる」
俺は立ち上がった。
貧乏生活からの脱却。そして、新たな拠点での生活。
俺たちの環境は、劇的に変わろうとしていた。
だが、その前に越えなければならない壁があることを、俺はまだ知らなかった。
「あ、そうそう。もっと稼ぐにはCランク昇格が必要だけど……お兄ちゃん、これ解ける?」
遥が笑顔で差し出してきたのは、『Cランク昇格試験・過去問題集』だった。
「……は?」
「Cランクからは、『知識』と『指揮能力』が問われるの。筆記試験、あるわよ?」
俺の動きが止まった。
筆記試験。
それは、筋肉では解決できない、俺にとって最大の強敵だった。




