第10話 鉄骨二刀流と、地下鉱山の死線
翌朝。
俺は早朝の資材置き場を訪れていた。
朝露に濡れたブルーシートの横で、作業着姿の叔父さんが待っていた。
「……とんでもねぇもん頼みやがって」
叔父さんは呆れたように溜息をつき、シートをめくった。
そこには、二本のH型鋼が鎮座していた。
長さ2メートル。重量は一本82キロ。
以前のモノより一回り太く、長い。
だが、最大の特徴は持ち手部分だ。俺の手の形に合わせて削り出され、何重にも衝撃吸収用の特殊ゴムが巻かれている。
「どうだ。これなら多少の衝撃じゃ滑らねえし、手も痛まねえはずだ」
「最高だよ、叔父さん」
俺は両手でそれぞれのグリップを握った。
ずしりとした重み。
合計164キロの鉄塊。
普通の人間なら持ち上げることすら不可能だが、STR178の俺には、これが適正重量だ。
「ふっ!」
俺は二本の鉄骨を軽々と持ち上げ、空中で十字に構えてみせた。
筋肉が軋むこともない。身体能力強化スキルが、この重量を体の一部として統合している。
「……人間辞めてんな、お前」
「解体屋だよ。行ってきます」
俺は叔父さんに礼を言い、二つの相棒を担いで現場を後にした。
だが、本当の地獄はそこからだった。
◇
資材置き場から駅前のギルド支部まで、徒歩で約30分。
俺はその道のりを、死ぬ思いで歩いていた。
重さのせいではない。視線だ。
「え、なにあれ……」
「工事? にしては鉄骨だけ担いで……」
「関わらない方がいいよ、目が合ったら殴られそう」
すれ違う通行人が、露骨に距離を取り、ヒソヒソと噂話をする。
スマホを向けてくる高校生もいた。
当然だ。作業着の男が、背中に2メートルの鉄骨を二本もクロスして背負っているのだ。
特撮ヒーローの合体武器か、あるいは処刑台か。
どちらにせよ、朝の通勤ラッシュにはあまりに異物すぎた。
パトカーとすれ違った時は、心臓が止まるかと思った。
幸い、警察官は俺の堂々としすぎた歩き方を見て、急ぎの現場業者と判断したのか、スルーしてくれた。
もし職務質問されていたら、どう説明すればよかったんだ。武器ですと言えば銃刀法違反、資材ですと言えば過積載で捕まりそうだ。
俺は顔を伏せ、逃げるようにしてギルドの自動ドアをくぐった。
「ふぅ……着いた……」
俺はロビーの床に、二本の鉄骨を下ろした。
ズズズンッ、と重低音が響き、大理石の床がわずかに悲鳴を上げた。
その音に、朝のギルドが静まり返る。
「……なんだありゃ」
「鉄骨? 改修工事なんて予定あったか?」
「いや、あいつ背負ってたぞ……まさか装備品か?」
冒険者たちがざわつき始める。
剣や杖を持った人間は珍しくないが、建築資材を持ち込む人間は前代未聞だ。
奇異の視線が集まる中、俺は受付カウンターへ向かった。
今日の受付は、いつものお姉さんではなく、小柄な新人らしき女性だった。
名札にはすずとある。
「あ、あの……本日のクエストは……」
すずさんが、俺と、俺の足元にある鉄の塊を見比べて絶句した。
「地下鉱山の探索だ。入館証を頼む」
俺はEランクカードを提示した。
すずさんはカードを受け取ると、おずおずと口を開いた。
「あの……竹内様。その、お荷物は……」
「武器だ。二刀流でいく」
「ぶ、武器ぃ!?」
すずさんの声が裏返り、ロビーに響いた。
周囲の冒険者がマジかよ、正気かとどよめく。
「そ、その……長さも重量も、規定ギリギリですが……」
すずさんは引きつった顔でマニュアルを確認し、かろうじて許可を出した。
そして、スタンプを押した後に、救いのような提案をしてくれた。
「竹内様。もしよろしければ、その……武器を、当ギルドの装備品預かり所でお預かりしましょうか?」
「えっ、預かってくれるのか?」
「はい。大型装備をお持ちの方は、移動の負担を減らすためにギルドの倉庫を利用されることが多いので……。その、街中を持ち歩くのは、色々と……大変でしょうから」
すずさんは言いにくそうに、だが必死に提案してくれた。
彼女の目には、これを持って街を歩くなんて通報案件ですというメッセージがこもっていた。
「助かる。毎日これを担いで通勤するのは、精神的にきついと思ってたんだ」
俺は心底安堵した。
これで明日からは、手ぶらでギルドに来て、ここで鉄骨を受け取り、そのままダンジョンへ直行できる。
俺は解体屋スタイルの確立に感謝しつつ、転移ゲートへと向かった。
背後で、すずさんが先輩職員に、あの人、本当に死なないでしょうかと泣きついている声が聞こえた。
◇
地下鉱山。
湿った土の匂いと、ツルハシで岩を叩くような音が響くダンジョンだ。
薄暗い坑道を進むと、早速客が現れた。
「グォォッ!」
ゴブリン鉱夫だ。手には錆びついたツルハシを持っている。
3匹。
俺は両手の鉄骨を構えた。
「よし、二刀流のテストだ」
俺は右手の鉄骨を突き出した。
リーチが長い。ゴブリンの間合いの外から、82キロの質量が顔面を捉える。
ゴッ!!
一撃。
ゴブリンの上半身が弾け飛び、壁のシミになった。
チャージなしでもこの威力だ。
「ギィッ!」
残りの2匹が左右から飛びかかってくる。
俺は左手の鉄骨で、左側のゴブリンのツルハシを受け止めた。
ガキンッ!
《 チャージ+1(左) 》
弾かれたゴブリンがよろめく。
同時に、右手の鉄骨を返し、右側のゴブリンを薙ぎ払う。
ドォン!
右側撃破。
そして、返す刀ならぬ返す鉄骨で、左側のゴブリンも脳天から叩き潰す。
「……ふぅ」
戦闘終了。
圧勝だ。だが、違和感があった。
「……難しいな」
俺は両手を見つめた。
【チャージ】スキルの仕様上、エネルギーは接触している武器に蓄積される。
つまり、左手でガードして溜めたエネルギーは、左手の鉄骨にしか宿らない。
右手で攻撃しても、左手のチャージは消費されないし、威力も乗らない。
さらに問題なのは維持時間だ。
今のスキルレベルだと、最後にヒットしてから5秒以内に次のアクションを起こさないと、チャージがリセットされてしまう。
二刀流だと、左右どちらかの手が5秒間暇になると、せっかく溜めたチャージが消えてしまうのだ。
「常に両手を動かし続けろってことか。……脳トレだな、こりゃ」
俺は苦笑した。
だが、可能性は感じる。
上手く回せば、左手で防御してチャージを溜めつつ、右手で牽制し、最後は両手同時のダブル・リリースなんて芸当もできるはずだ。
俺は坑道の奥へと足を進めた。
◇
中層エリア。
広い採掘場に出た俺を待っていたのは、岩の巨人たちだった。
ズシン……ズシン……。
【 ロック・ゴーレム 】。
身長3メートル。全身が硬い岩盤で構成されたモンスターだ。
その数、6体。
四方を取り囲むように配置されている。
「数は多いが、動きは遅い。……いい練習相手だ」
俺はニヤリと笑い、二本の鉄骨を構えた。
右手に一本、左手に一本。
この重量感が、今は頼もしい。
「グオオオオッ!!」
先頭のゴーレムが、丸太のような腕を振り上げる。
遅い。
俺は左手の鉄骨を掲げ、その剛腕を受け止めた。
ガギィィンッ!!
重い衝撃。
だが、STR178と叔父さんの特製グリップのおかげで、体勢は崩れない。
《 チャージ+1(左) 》
「お返しだ!」
俺は右手の鉄骨を、ゴーレムの脚部関節に叩き込んだ。
ドゴォッ!!
岩が砕け、巨体がバランスを崩す。
だが、倒れきる前に、背後から別のゴーレムが迫っていた。
俺は振り返りざまに、今度は右手の鉄骨で裏拳気味にガードする。
ガンッ!!
《 チャージ+1(右) 》
左で受け、右で殴り、右で受け、左で殴る。
リズムだ。
思考を止めるな。動きを止めるな。
5秒のカウントダウンを常に意識しながら、鉄の暴風を巻き起こす。
俺は6体の巨人に囲まれながら、まるでドラムを叩くように、二本の鉄骨を乱れ打っていた。
脳筋と脳筋のぶつかり合い。
火花と破片が飛び散る、重厚なデスマッチ。
だが、俺は忘れていた。
この戦いにおいて、俺だけが致命的な弱点を抱えていることを。
「グォォォッ!!」
6体目のロック・ゴーレムが、死角から腕を振り回した。
見えていた。
だが、反応が遅れた。
右手の鉄骨でガードしようとしたが、間に合わない。
俺は体を捻り、直撃だけは避けた。
岩の拳が、俺の左肩をかすめる。
ただ、かすっただけだ。
普通の前衛職なら、バランスを崩す程度の軽い接触。
だが、耐久(VIT)22の俺にとっては、それは交通事故に等しかった。
「がッ、ぁ……!?」
衝撃が肩から全身に走り、視界が白く弾けた。
骨が軋み、HPバーが一気にレッドゾーンへ突入する。
俺はゴムまりのように吹き飛ばされ、地面を転がった。
「……は、ぁ、ぐ……ッ」
息ができない。
肩の感覚がない。
たった一撃。それも、直撃ですらないかすり傷でこれだ。
遥の言葉が脳裏をよぎる。
『かすっただけでも致命傷よ』
俺は震える手でポーチを探り、赤い小瓶を取り出した。
ポーションだ。
キャップを歯で噛み千切り、中身を一気に煽る。
苦い薬液が喉を通り、焼けるような熱さと共に、HPが回復していく。
「……助かった」
俺は荒い息を吐きながら立ち上がった。
冷や汗が止まらない。
これが俺の現実だ。
攻撃力はAランク級でも、防御力は一般人。
一度でもミスをすれば、そこには死が待っている。
「グルルルル……!」
息つく暇もなく、奥から新たな影が現れた。
これまでのゴーレムとは違う。
体色が黒く、一回り小さい。だが、その動きは俊敏だった。
【 ハイ・ロック・ゴーレム 】。
スピードに特化した上位種だ。
「……冗談だろ」
俺は二本の鉄骨を構え直した。
逃げる? 無理だ。
今の俺の敏捷値では、あのスピードから逃げ切ることはできない。背中を見せた瞬間に潰される。
なら、やることは一つ。
受けるしかない。
「シィッ!!」
ハイ・ロック・ゴーレムが地面を蹴り、ボクサーのような連打を繰り出してくる。
速い。
重い。
だが、俺は逃げない。
左で弾き、右で弾く。
思考を止めるな。リズムを刻め。
ガガガガガガッ!!
火花が散る。
一発でも受け損なえば死ぬ。
その極限の緊張感が、俺の集中力を研ぎ澄ませていく。
皮肉なことに、敵の攻撃速度が上がったおかげで、チャージの維持が容易になっていた。
5秒なんて待つ必要はない。コンマ数秒ごとに衝撃が供給される。
《 チャージ+5(左) 》
《 チャージ+5(右) 》
両手の鉄骨が熱を帯びていく。
見える。
死の連打の向こう側に、勝利の道筋が。
《 チャージ段階:【青】(左) 》
《 チャージ段階:【青】(右) 》
両手の鉄骨が同時に青い光を放った。
今だ。
「あばよ、脳筋野郎」
俺は敵の連打の終わり際に、懐へと飛び込んだ。
防御じゃない。
殺しに行く。
「ダブル・リリースッ!!」
俺は両手の鉄骨を、ハサミのように左右から叩き込んだ。
STR178の剛力。
左右それぞれの青チャージ倍率。
それが一点、ゴーレムの胸部にあるコアに集中する。
左右から迫る圧倒的な質量が、一点で交錯した。
衝撃音すら置き去りにするほどの圧壊。
坑道内の空気が一瞬にして弾け飛び、遅れて暴風が吹き荒れる。
黒い岩の巨体が、内側から弾けるように砕け散った。
コアごと粉砕されたゴーレムは、砂利の山となって崩れ落ちた。
《 戦闘終了 》
《 レベルアップしました 》
《 HPが全回復しました 》
光の粒子が体に吸い込まれ、傷ついた肩が癒えていく。
勝った。
死線を越えた。
「……はぁ、はぁ……」
俺はその場に膝をつき、鉄骨を杖にして体を支えた。
鉄骨はボロボロだ。表面のゴムは焼け焦げ、鉄そのものにも無数の亀裂が入っている。
あと数回打ち合っていたら、武器の方が先に壊れていただろう。
だが、試練は終わっていなかった。
ズシンッ……ズシンッ……。
重苦しい足音が響く。
俺が顔を上げると、崩れ落ちたハイ・ロック・ゴーレムの残骸の奥から、さらに巨大な影が姿を現した。
全身が鋼鉄の装甲で覆われた、銀色の巨人。
【 アイアン・メイラー 】。
鉱山ダンジョンの階層主クラスの魔物だ。
「……嘘だろ」
俺は絶望的な声を漏らした。
武器は限界だ。
俺の精神力も尽きかけている。
何より、あいつの装甲は、今のボロボロの鉄骨で貫ける硬度じゃない。
アイアン・メイラーが、蒸気機関車のような音を立てて突進の構えを取る。
終わった。
俺は死を覚悟して、それでも鉄骨を構えようとした。
その時だった。
ドォンッ!!
俺の目の前で、アイアン・メイラーの上半身が消し飛んだ。
「……は?」
何が起きたのかわからなかった。
突進しようとした銀色の巨人が、突然、見えない何かごっそりと抉り取られたのだ。
轟音と共に巨体が倒れ、黒い霧となって消滅していく。
その向こう側に、一人の男が立っていた。
全身を漆黒の軽鎧で包み、背中には身の丈ほどの大剣。
だが、彼は剣を抜いてすらいなかった。
ただの拳。
右の拳から微かに立ち上る硝煙が、彼が素手で鉄の巨人を粉砕したことを物語っていた。
男がゆっくりとこちらへ歩いてくる。
鋭い眼光。歴戦の覇気。
俺は知っている。
この街を拠点にするトップクランのリーダー。Aランク冒険者、桐谷隼人。
「……無茶しやがって」
隼人は俺を見下ろし、冷たく言い放った。
「初心者が、自分の力量も考えずこんな奥まで来るなよ。死にたがりか?」
俺は言い返そうとしたが、言葉が出なかった。
事実だ。
ポーションがなければ死んでいた。運がなければ死んでいた。
「火力だけは上位者クラスだ。認めてやるよ」
隼人は俺のボロボロの鉄骨を一瞥した。
「だが、それだけだ。防御も、回避も、立ち回りも素人以下。攻撃力だけのハリボテだ」
悔しさが込み上げてくる。
だが、反論できない。
彼は剣すら使わず、俺が絶望した敵を一撃で葬ったのだ。これが格の違いだ。
「死にたくなきゃ、まず死なない戦い方を覚えろ。……今日は帰れ。二回目は助けねぇぞ」
隼人はそれだけ言うと、興味を失ったように踵を返した。
その背中は、俺なんて視界に入っていないと言わんばかりに遠かった。
「……くそッ」
俺は地面を殴りつけた。
悔しい。
助けられたことも、見下されたことも。
そして何より、自分の未熟さが。
俺は誓った。
あの背中に、いつか必ず追いつく。
ただの火力馬鹿で終わってたまるか。
俺は折れかけた二本の鉄骨を担ぎ上げ、重い足取りで出口へと向かった。
今日の勝利は、勝利じゃない。
ただの生存報告だ。




