四話 夜の鬼ごっこ
――バタバタバタッ!!
目の前の棚から、狸の焼き物が次々に跳ね落ちた。
陶器が床を転がり、ぶつかり合いながらも不思議と割れる気配はない。何かに守られているようだった。
「っ……!」
神崎は一歩、思わず下がる。
けれど、焼き物の動きには混沌だけでなく、妙な“秩序”があった。
まるで、見えない何者かが遊びの指揮をとっているかのような……。
「誰かが……遊んでる?」
神崎がぽつりと呟く。
「確かに。攻撃の意思は感じられない。……何かの意図があって“仕掛けてる”のかもな」
アイリが周囲を警戒しながら口を開いた。
冷静な声だが、その目は真剣だった。
「この動き、私たちを何かに巻き込もうとしてる。かなり積極的だ」
焼き物たちはやがて、床の中央に集まり始める。
ひとつずつ、順番にコロリ、コロリと転がりながら、円を描いた。
その動きはどこか、誰かが「まだ遊ばないの?」とせがんでいるように見えた。
「……鬼ごっこ、かな?」
神崎がぽつりと言った瞬間――
ちりんと、小さな鈴の音が響いた。
——くすっ。
どこからともなく、くすぐったそうな笑い声が聞こえた。
「……」
アイリが無言のまま、ちらりと神崎を見た。
その袖口が、そっと、誰かに引かれたように揺れている。
「……またか。私は付き合う気はない。遊ぶなら、あっちにしろ」
アイリが神崎の方を指差して言い放つと、袖の揺れがぴたりと止まる。
何かがそこに“いる”のは、確かだった。
その時、コロリ……と、小さな狸の焼き物がひとつ、神崎の足元に転がってきた。
神崎が拾い上げる。
その顔には、子どもっぽい笑顔が描かれていた。
「……君が、やってるの?」
問いかけると――
あははっ!
今度は、工房中に響く透明な笑い声。
焼き物たちが、一斉に走り出した!
「うわっ、ちょっ、来た来た来た!?」
神崎の足元を、狸たちが跳ねる、転がる、ぶつかる!
まるで「こっちおいで!」とでも言っているようなはしゃぎ方。
「アイリさん! これ相手にひとりは無理ですって!」
「誘われて応じるからだ。学ばないな」
アイリは焼き物の隙間をすいすいと歩きながら、棚の影や空気の流れを見ていた。
「……あっち。次、左後ろ」
「え? うおっ、マジだ!見えないのにどうやって感知してるんです? センサーみたい」
「そう言うな。こっちは真面目にやってる。ある程度動きにパターンがあるから、先読みしているだけだ」
「真面目に遊びを監視してるアイリさん、貴重ですよー!?」
と、そこへ——ドンッ!
神崎の背中に何かがぶつかる。
振り向くと、棚の上から落ちてきた狸の焼き物が、肩にちょこんと乗っかっていた。
「……お兄ちゃん、つかまえた!」
「つかまえたって!? 俺が鬼じゃなかったの!?」
——ドサッ!
神崎はわざとらしく床に転がり、悔しがるふりをしてみせた。狸たちがくすくすと笑うように揺れる。
「……まったく、よくあそこまでできるな」
アイリが呆れ気味にぼやく。
神崎は起き上がると、床に座ったまま狸の隙間をひょいと覗き込んだ。
ーーそこに、いた。
くたびれたキャラクターの長袖シャツ。
輪郭は薄く、でも表情は、はっきり見える。5〜6歳の、男の子の霊。
「……見つけた。ずっと、誰かと遊びたかったんだね」
神崎が静かに語りかけると、少年の霊は小さくうなずいた。
「じゃあ、もう一回だけ、ちゃんと遊ぼっか。でも、今度で終わり。俺が鬼の番ね。つかまったら……帰ろ?」
霊は少し黙ってから、にこっと笑った。
「……いいよ」
そして、すっと姿を消す。
次の瞬間——バタバタバタッ!!
焼き物たちが一斉に駆け出す!
「よーし、今度こそ“鬼”は俺だ!」
神崎が立ち上がり、笑いながら駆け出した。
「まてまて〜!」
「……まったく。よく本気でやれるな」
アイリの小さな声が、追い風のように漏れる。
工房の中に、笑い声が広がっていく。
懐かしくて、あたたかい。まるで、子どもの頃の放課後みたいな音。
この場所には、ずっと“寂しい夕暮れ”が残っていたのかもしれない。
でも、今は少しだけ——空気が変わっていた。