プロローグ
信楽の町を歩けば、あちこちで狸たちと目が合う。
駅前、商店街の軒先、古い窯元の門前。
愛嬌たっぷりの笑顔を浮かべた焼き物の狸たちは、まるで町そのものの守り神のように、人々をじっと見つめている。
——だが、そんな信楽で、最近妙な噂が立っていた。
「夜中に、狸の焼き物が動いた」
「窯に入れたはずの作品が、翌朝、別の場所に……」
「誰もいないはずの工房で足音がした」
最初は、誰かの勘違いだと思われていた。
だが、職人たちの目の前で狸の置物が転がったり、天井から落ちてきたりするようになってからは、誰もがその“異変”を認めざるを得なくなった。
「もしかして、狸に化かされてるんじゃ……?」
「いやいや、まさか……」
笑い飛ばす者もいれば、夜の工房に残るのを避ける者も出てきた。
やがて、窯元の主人は地元の寺に相談を持ちかけた。
「これは、狸が怒っているのかもしれない」と。
——けれど、なぜ狸が騒ぎを起こしているのか、その理由は誰にもわからなかった。
その夜。
町がすっかり眠りについた後のこと。
誰もいないはずの工房で、ひとつの音が響いた。
カタリ。
陶器が、わずかに揺れた。
ゴトリ……ゴトリ……
狸の焼き物がひとつ、またひとつと、静かに位置を変えていく。
天井から吊るされた風鈴が、風もないのにチリンと鳴った。
工房の奥。
鎮座する大きな狸の焼き物が、かすかに口角を上げる。
それは、まるで——
「さあ、遊ぼう」とでも言いたげに。