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第四話 初陣、猫族、豪傑兄弟

相変わらずの長さとなっております。お付き合い頂ければ幸いです。

 琥珀(こはく)の生まれ故郷であり、玉英(ぎょくえい)子祐(しゆう)にとっても第二の故郷と呼べるまでになった、白虎族の――西王母の(むら)を出て、一行(いっこう)は北を目指していた。

 王室に最も忠実と言われる北部の有力者・鎮戎公(ちんじゅうこう)を訪ねるためである。

 京洛を脱した足で訪ねていても良さそうなものだが、()()()()()()()して()けた。父王(ふおう)の言い付けも、その点を考慮したものだったのかもしれない。


 新たな旅路も早三日。

 かつて来た道を戻ったのも(つか)()、雪に覆われた山中(さんちゅう)の道なき道を助け合いながら踏破(とうは)し、今朝は(ようや)く森の小道(こみち)と呼べるところまで来ていた。

 良く晴れて、ところどころ、雪の表面が溶けている。

「予定では、三月(みつき)、だったな」

 五年前程の差こそないものの、左隣……やや前の子祐を見上げつつ問う。玉英は、邑の皆から贈られた被り物で、年齢相応に目立ってきた角と金髪を上手く隠していた。

「はい。真冬ですから、致し方ありません」

 少し振り返り、眉を落として答える子祐に、

「ああ、焦ってはいない。ただの確認だ」

玉英は微笑みを返し、右手の先の琥珀にも改めて微笑みかける。

「そろそろ離してくれても良いと思うんじゃが」

 琥珀の方は、やや眉尻を下げて唇を(とが)らせる。

「ダメ」

 すげなく答えた。

 琥珀は旅の初日、生まれて初めて邑から一定以上に離れ、はしゃぎすぎて足を滑らせた。

 幸い大事(だいじ)無かったが、その結果が、仲睦(なかむつ)まじく繋がれた手である。

 共に暮らした歳月により、子祐の前だからと恥ずかしがることこそ滅多に無くなったが、今回は話が異なるらしい。

「子供扱いかや?」

 琥珀は背丈の差が出来たことを()()気にしている。

「……婚約者扱いだよ」

 玉英は、琥珀の耳元へ顔を寄せて(ささや)いた。

 琥珀は顔を真っ赤にしつつも息を吸い、表情だけは澄ませて、

「ならば、仕方ないのう。じゃがな――」


 続けて繰り広げられるじゃれ合いも、この五年で見慣れた光景。

 子祐はいつものように微笑ましく思いながら、さり気なく警戒を続けた。



 叛乱から五年。――正確には五年と三月。

 天下は、乱れていた。

 年に数度ばかり邑を訪れる商賈(しょうこ)の話によれば、簒奪者(さんだつしゃ)(帝王・君主の地位を不当に奪った者。)は酒と鉄、塩を国家の専売としたらしい。

 徐々に広がり始めていた庶民の酒と農具に用いる鉄、そして生存に必須の塩が急遽(きゅうきょ)専売となれば、生活は困窮(こんきゅう)し、民心(みんしん)は乱れる。

 結果的に、簒奪だけでは起き得なかった程の混乱が加わり、賊徒が横行するようになった。

 眼前(がんぜん)に広がる光景のように。


 山中に小道があるならば、邑も近くにある。

 小道の先に邑が見えたのは当然のことで、しかし、明らかに賊徒に占拠されている、というのは流石に当然とは言い難かった。

「多いな。まず(かしら)(ども)の首を()ね、他も可能な限り斬るぞ」

「ハッ」

 賊徒を認識した時点で迂回(うかい)し、邑を一望(いちぼう)できる位置から実情を測って、小声で打ち合わせた。

 賊徒は邑の入り口に三名。緩やかな坂をいくらか登った先、中央の広場におよそ二十名。その一部は、集められた十数の猫族――主に白虎族の支配地域に居住する種族。体格が小さい――に、種々(しゅじゅ)の武器を突き付けている……とは言え、全体に気が抜けているのは、立ち姿からして明らかだった。

 広場の西側、玉英達から最も近い、長老宅と思しき建物の前に胡床(こしょう)(携帯可能な小型の椅子(いす)。)を並べ、酒――であろう――を酌み交わしている一際大きい男が二名。賊徒の頭達、に見えた。

「琥珀はここで待っていてくれ」

「妾とて――」

「頼む」

 頭を下げた。

 琥珀も全く戦えないというわけではないが、今回は分が悪い。

「ふんっ、何を言うたところで、また婚約者扱いじゃと言うんじゃろ」

 唇を尖らせる琥珀。

「それもある。ただ、私とて実戦は初めてなのだ。護る余裕が無いやもしれぬ。……未熟者と(わら)ってくれて良い」

 顔を上げた玉英の目に、切実な光が宿っているのを見て、琥珀が折れた。

「わかった、わかったのじゃ。迂闊(うかつ)なことはせぬ。ここで待つ。これで良いかや?」

「ああ。ありがとう、琥珀」

 少しだけ、玉英の口調が緩んだ。それ程に心配していたらしい。

 何しろ、賊徒は、見えた範囲では全員が()()男性だった。

 目算だが、小さい者でも玉英より七寸(ななすん)(約十二・六センチメートル)以上大きく、琥珀と比べれば優に二尺(にしゃく)(約三十六センチメートル)以上の差だ。西王母ならばいざ知らず、琥珀の腕では、まともに戦える、と考える方が無謀である。

「では、行ってくる。子祐、北側を頼む」

「ハッ」

 子祐は、余程のことがなければ、作戦には口を挟まない。


 動き始めてからは、(はや)かった。

 建物を左右に回り込み、宣言通り『頭』達の首を刎ねてから広場へ走り、何が起きたかも()()()()()()()()、次々に斬る、斬る、斬る、斬る。

 最後の五名程は多少抵抗したが、子祐の槍を使うまでもなく制圧完了した。思っていたよりも、手応えが無かった。

 その中で、一名だけ生きていた。

「な、お、お前ら、一体、何で……」

 体格こそ子祐に近い――鬼族男性としては平均程度――が、既に右腕を失い、恐慌(きょうこう)状態に近かった。

「それはこちらが訊きたい。何が目的だ」

 玉英が問う。

「ヒ、ヒヒ、王様の命令だよ、逃げた王女を(かくま)ってるかもしれねぇ、(しらみ)潰しにしろ、ってなぁ。ハ、ハ、ハァ……あ、赤? ぁ」

 鬼族の優秀な回復力を(もっ)てしても、出血量の限界には抗えなかったのか、(わず)かな声を最後に、賊徒は息絶えた。

 いや、賊徒にしか見えなかったが、末端の兵、ということなのだろうか。

「これは……」

 厄介なことに、なっている。



 各家屋の安全を確かめ、最低限死体を片付けた上で、広場に残る猫族の者達から又聞(またぎ)きした結果、わかったことがいくつかある。


 まず、今回と同程度の賊()が、あと五隊はあること。

 五隊はそれぞれが勝手に邑を襲っているが、三日後、近隣で最も大きな邑を示し合わせて襲う予定であること。

 その大きな邑は、ここから四日程、東へ行った先にあること。


 話の途中で合流した琥珀を見るや否や、猫族が全員平伏(ひれふ)恐懼(きょうく)していたせいで――不思議と()()()らしい――やや時間はかかったものの、必要な情報は得られた。

 問題は、既に通常の速度では間に合わなくなっているということ、そして兵力の不足だった。

「鬼族の不始末だ。片付けねばならぬ。私には、その義務がある」

 しかし、だ。

 先程の賊()は、数えてみれば二十五名。その、五倍。徒歩の二名で挑むのは、いくら何でも困難だろうと思えた。


「琥珀様、もしや、救援に向かわれるのですか?」 

 先程まで捕われていた、長老の次男という、いくらか剽悍(ひょうかん)な猫族が、平伏したままで言う。

 立ったままの琥珀は玉英と視線を交わし、(うなず)き合ってから、答える。

「うむ。そのつもりじゃ」

「でしたら、その道行き、どうか我らにもお命じ下さい」

 再び顔を見合わせ、その猫族へ視線を移す。

「この茶貝(ちゃがい)と勇猛なる戦士八名、琥珀様に付き従いとうございます」

 一層、地に頭を擦り付けて言う。

 後ろの()()()()()()()()も続いた。

 茶貝はその名の通り、耳も尾も基本的には茶色いが、他の者も同様だった。そういう一族の邑、なのかもしれない。

(おもて)を上げよ、茶貝……それは()か?」

「ハッ、姓を茶、名を貝、字を叔益(しゅくやく)と申します」

「では、叔益と呼ぼう」

「ご随意に!」

「うむ。して叔益。何が得手じゃ?」

「ハッ、我ら猫族、総じて弓を修練してございます」

「それは頼もしいのう。……ところで、そこまで丁寧に話さずとも良いのじゃ」

 西王母の気持ちが、琥珀にも少しだけわかった。

「ハッ、弓が得手です!」

「うむ、良し。……これでは母上の口癖がうつってしまうのう」

 琥珀はここではない場所を見るように微笑んだ。

 たった数日ながら、初めて親元を離れているのだ。自ら望んだこととは言え、何も感じないわけではない。

「これなるは我が婚約者、玉英じゃ。玉英の指揮に、従ってくれるかえ?」

 左腕で指し示した。

「仰せのままに!」

「感謝するのじゃ」

 鷹揚(おうよう)に頷きつつ、叔益の口調はなかなか直せそうにないな、と琥珀は思った。



 居残る猫族の者達には、いざとなれば西王母を頼れるよう、木簡(もっかん)(細長い木の板。)に琥珀が一筆したためて渡しておいた。

 叔益と()()()()()()()()(かえ)れなかった場合、生活が立ち行くはずもないためだ。

 改めて叩頭(こうとう)が続きそうになったので止めて、早々に東への移動を始めた。

 一行の数が増え、賊軍と遭遇(そうぐう)した場合の対処が悩ましくなったため、子祐に斥候(せっこう)を頼み、本隊は早足程度に抑えつつ、話す。

「ところで、叔益()()ろうとも、我等は十二名。十倍の敵と当たるのは、流石に厳しくないかえ?」

 玉英の顔を右下から覗き込みつつ投げかける、当然の疑問。

「地形が聞いた通りなら、ある程度はどうにかなると思うんだけどね」

 眉尻を下げつつ微笑む玉英。

 子祐は先行している。猫族達は『琥珀様』に遠慮しているのか、あるいはその「婚約者」と聞いたためか、少し離れて付いて来ている。

 結果的に、逢瀬(おうせ)のような格好になっていた。……速度と話題は兎も角として。

「しかし、短弓じゃぞ」

 やや眉根を寄せて言い募る琥珀。不満、というわけではない。客観的な戦力分析である。

 猫族は男女平均すれば琥珀並、という程度には身体が小さく、当然ながら引ける弓にも限界がある。

 叔益達は戦士を名乗るだけあって猫族の男性平均よりはやや体格に優れるものの、玉英より一尺(いっしゃく)(約十八センチメートル)近く小さいことに変わりはない。

「高所から(はな)てば、十分だよ」

 微笑んだままの玉英。

「それはそうじゃが、叔益等を高所に置いて、先のように玉英と子祐のみで当たる、というつもりかや」

「上手くやれれば、どうにかなる……はずなんだけどね。出来ればあと一手、欲しいことは欲しいけど」

「ならば、妾が――」

と話しているところへ、子祐が戻ってきた。

「前方五里(ごり)(約二キロメートル)、道沿い北側の邑が、襲われています」

 目標の邑ではないが、

「無論、助けよう」

迷いはなかった。



 夕刻前。急ぎ辿り着いてみれば、邑はもはや襲われていなかった。

 邑が壊滅していたから、ではない。

 賊軍が、全滅していたのだ。

「お、(わり)ィな、エっへっへ」

 叔益等の邑とよく似た邑の入口付近で、黒毛の猫族から(かめ)ごと渡された酒――と思しきもの――を立ったまま豪快に(あお)る、子祐より一尺近くは大きな男。胡服(こふく)(騎馬民族の服。)の上からでもわかる、尋常ではない身体の厚み。……北方の、熊族だ。

 大きな身体に見合った背中の槍と腰の剣、甕を右手に持ちつつも左手から離してはいない、一際(ひときわ)大きな弓。

 周囲に転がる賊兵の死体を見れば、誰がやったかは明らかだった。

「もし、そちらの豪傑殿」

 玉英が声を掛ける。

「うっぷぁー……あん?」

 信じ難いことに既に甕を空けたらしく、ぶらぶらと逆さに持ちながら、思い切り眉根を寄せた髭面(ひげづら)を上げる。黒と茶の混じったような髪は短く、鼻は高く、目は、案外(つぶら)だった。

「邑をお救い頂き、感謝致します」

 丁寧に礼を述べる。

「礼ならもう貰ってラァ」

 ぶっきらぼうに答えに、

「それでも、感謝致します」

頭も下げた。

「オイオイ、なんだか気持ち(わり)ィなァ? またぞろ厄介事でもあルってぇのかァ?」

 単なる(なま)りか、酔っているのか、時折発音が怪しいものの、勘は鋭い。

(オレ)ァ兄貴のとこへ行かなっキャナんねぇんだ。後にしてくれぇ」

「ここ以上に大きな東の邑が、三日後、滅ぼされようとしているのです」

 失礼は承知で、やや被せ気味に、訴えた。

「あん?」

 男の左眉と(まぶた)が釣り上がる。

「何百という民の命が、懸かっているのです。どうか、ご助力を願えませぬか」

 玉英は地に膝を突き、上体も倒そうとする。

「オォッと、そいつァ待ってくれ。そコまでさせちまったら、俺ァ恥ずかしっくってどうにもならなくナっちまう」

 慌てて止める男。

「東の大きな邑ってぇんナら、俺の兄貴もそコに居るはずナんだ。民のため、っテェのも気に入った! これも縁、ってぇことで、一緒に行コうぜ、ナァ?」

 男は玉英を助け起こしながら、裏表を感じさせない笑顔で言う。

「俺ァ突雨(とつう)。よロしくなァ、……あぁ、ナんだっけか」

 やはり、酔っているらしい。

「申し遅れました。玉英とお呼び下さい、突雨殿。よろしくお願い致します」

 玉英も、鏡映しのように笑った。



 三日、駆けた。

 通常ならば四日の距離だった。

 身体の小さな琥珀と叔益等九名、そして話を聞いて新たに加わった黒猫族――で良いらしい――の十五名には(こく)な速度だったが、どうにか脱落者は出さずに済んだ。

 玉英は西王母に鍛えられた甲斐あって、まだまだいけるという程度には力を残せている。

 子祐と突雨は、余裕綽々(しゃくしゃく)だった。斥候まで交代で買って出ながら、である。見た目通りに、頑健(がんけん)だ。


 玉英は目標の邑を、西に傾き始めた日を背にして見つめた。

 最後に斥候へ出た子祐の報告から状況は動いておらず、まだ襲撃はされていない。

「地形は、どうじゃ?」

 肩で息をしながら、琥珀が登ってきた。邑を一望出来る、丘の上である。

 各情報の正誤と程度の組み合わせを幾通りか想定してあったが、そのうち最も理想に近かった地形が、目の前に広がっていた。

「うん、思った通りだよ。……これなら、大丈夫。突雨殿や仲権(ちゅうけん)達も加わってくれたし、ね」

 仲権とは、黒猫族を率いる者である。やはり『琥珀様』で一悶着(ひともんちゃく)起きかけたが、叔益が上手く()()してくれた。

「それなら、良かったのじゃ」

 微笑む琥珀に、

「ただ、時間は無いだろうからね……皆に、無理をしてもらうことには、なる」

やや眉根を寄せつつ、微笑みを返す。

「それは織り込み済みじゃろ?」

 更に口角を上げる琥珀。

 玉英は目を丸くしてから今度は素直に微笑み、深呼吸。

「……ありがとう、琥珀。お陰で、落ち着いてやれる」

「ならば、妾も任を果たしに行くのじゃ」

 邑に危難(きなん)を知らせる、重要な役割だ。

 まずは話を通すことが第一。白虎族の支配領域において――西王母を除けば――『琥珀様』以上の適役はなかった。

「気を付けてね」

 いくら策に自信があろうと、万が一、を考えないわけにはいかない。

「いざとなれば『力』を使う。大丈夫じゃ」

 不敵に笑う琥珀。

「でも、限界はあるんでしょ?」

 食い下がる玉英。

「こことて()()じゃ。どうとでもなる」

 琥珀は不敵な笑顔を崩さず、数瞬、見つめ合う。

「……わかったよ。じゃあ、行ってらっしゃい」

「うむ。行ってくるのじゃ!」



 山間(さんかん)の、僅かながらも平原が広がる一角。

 (くだん)の邑は、農地や牧草地を確保する上では恵まれた位置にあった。

 三方を山に囲まれてはいるものの、南の山は裾野(すその)が広く、日差しが存分に降り注ぐ。

 北の山は邑へ迫るようにして(そび)え立ち、天嶮(てんけん)(自然につくられた(けわ)しい場所。天然の要害(ようがい)。)として機能している。

 東には、周華の大地を(うるお)す大河・竜河(りゅうが)の源流に当たる巨大な川が流れ、豊かな水と共に()()(もたら)している。

 残る西側も概ね山だが、邑の近くでは丘が南北に二つ連なっており、その麓を通る北西及び南西から伸びる二本の道を、合流点である邑西側の門を含め、見下ろす形になっていた。


「まともな軍同士の(いくさ)なら、ここを見逃すわけもないが」

 旗碁(きご)においても、武の極致――『()』においても、敵手の()()を見極め、それに応じて手を変える。

 無論、想定通りに()()()()()()()()()()()()()()のだが、今回は、そう難しいことにはならずに済みそうだった。

 数こそ多い――六隊相当、百五十は居るものと見えた――が、夕刻に差し掛かろうという時間帯、南西から続く道を歩調も隊列も整えず漫然(まんぜん)と歩く(さま)は、到底(とうてい)調練(ちょうれん)された軍には見えなかった。

 移動中、突雨にも確認したが、今のところ接触した賊軍は殲滅(せんめつ)しているため、玉英達や突雨の情報は賊軍本隊へ伝わっていない、はずである。

 ()()は居ても()()()()()()()賊軍にとっては、偽装する意味も当然無い。

 即ち、ただの弱兵である。

「油断こそが死を招く、か」

 玉英は自らに言い聞かせつつ、長く延びた賊軍の先頭が邑の(もん)へ近付き、最後方が南寄りの丘の半ばを過ぎたところで、手を振って合図した。

 賊軍の中程(なかほど)から多数の悲鳴が上がる。丘から賊軍の背後を狙う、二十名の猫族隊による斉射(せいしゃ)である。

 賊軍にも一応の指揮官が居るのか、一部は散開(さんかい)し、北西へ撤退していくが、そうしなかった(かたまり)は弓矢の餌食(えじき)になっていく。

 無論、散開した賊兵とてそのまま逃がすわけではない。

 戦における数の優位は、あくまでも集団としての力が発揮されてこそのものだ。散開してしまえば、圧倒的な個にも、容易に敗れる。

 北寄りの丘から駆け下りた子祐がそのままの勢いで賊軍へ(おど)り込み、自在に槍を振るう。

 邑の門が開き、遠目には突雨と似た偉丈夫が、挟撃(きょうげき)(はさ)み撃ち。)する形で賊兵の命を()り取り始めたかと思えば、邑壁に登った灰毛の猫族達も右往左往する賊兵を射抜く。

 趨勢(すうせい)は定まったと見て玉英も丘を駆け下り、さほど多くはないが南西へ潰走(かいそう)する賊兵を、丘の猫族隊の助けも得て全て斬り捨て、見える範囲の敵を殲滅、あるいは捕縛したところで、北西へ向かった。



 南西の道は山間としてはそれなりの広さだったが、北西の道は、(まさ)しく隘路(あいろ)(狭い、通行の難しい道。)だ。

 最後に欲しかった一手……その隘路を(ふさ)ぐ豪傑・突雨と、北寄りの丘から撃ち下ろす四名の猫族によって、残る賊兵も見事に全員片付けられていた。

「おお、玉英、もう終わりか」

 突雨は当然のように無傷であり、弓を手に、辺りを睥睨(へいげい)していた。

「はい。ありがとうございました」

 深く頭を下げる。

「なぁに、この程度。無辜(むこ)の民を救うのに惜しむ労じゃあねぇ。そうだろ?」

 圧倒的な自信と、信念。身体や武芸だけではない、強さを(たた)えた笑顔だった。

「はい。正しく」

 憧憬(しょうけい)を感じつつ、笑顔を返した。

「では、お先に邑へどうぞ」

 背後を右腕で示す。

「あん? どうして一緒に行かねぇ?」

 突雨が片眉を上げる。不機嫌、ではない。単なる疑問だ。

「賊の死体を、片付けてから、と思いまして」

「カーッ、水臭(みずくせ)ぇこと言うなってんだ。俺もやる」

「ですが」

「なんだ、俺が、たかだかこれだけのことで参っちまうように見えるのか?」

 玉英より二尺(にしゃく)(約三十六センチメートル。)以上も高いところから、突雨が顔を近付ける。

「いえ、とんでもない」

「なら皆でやりゃあいいじゃねぇか。隣にゃあ居なかったが、俺(たち)ゃもう戦友だろう」

 身体を起こし、また、裏表を感じさせない笑顔。

「では、お願いします」

 玉英の口調も、当初よりいくらか砕けたものになった。

「頼む、でいいんだ、頼む、で」

「頼みます、突雨殿」

「ったく、どうしても()()なのか?」

 まだ丁寧過ぎる、と言いたいらしい。

「すみません、癖なもので」

 玉英は、眉尻を下げて笑う。

 突雨は、玉英の左肩を右手で軽く叩きながら笑った。

「はっはっは、なら、しゃあねぇか」

 気持ちの良い笑い方をする男だ、と思った。



 賊軍の残骸(ざんがい)を片付け、夕闇に包まれた邑へ入った直後、

「玉英っ!」

琥珀が玉英に飛び付いてきた。

「無事で何よりじゃ」

 玉英の右首筋に顔を擦り付けている。

「琥珀も、無事で良かった」

 しっかりと抱き締める。

 邑には指一本触れさせていないはずだが、それでも、万が一、ということはある。

 隠密行動の賊兵が入り込む、ということも想定の中にはあって、それも琥珀には邑へ伝えてもらった、はずだ。

「こちらは全て順調じゃった。そちらも、手は足りたんじゃろ?」

「ああ、当初の想定よりも、随分と(たす)けて貰った」

 最初は、玉英と子祐だけで、と思い詰めていた。

 茶猫族の九名、突雨、黒猫族の十五名、突雨の兄と灰猫族……彼らの円滑な参戦は琥珀の功績でもある。

 仮に灰猫族達が自力で襲撃を察知していたとしても、あそこまで引き付けることなく戦いに入ってしまっていれば、少なくない犠牲を払っていたかもしれず、また殲滅出来ずにいくらか取り逃すことにもなっていたかもしれない。

 もしそうなっていれば、今後この地域にどれだけの精強(せいきょう)な兵が送り込まれることになったか、考えるまでもない。

 殲滅したところで、最終的には賊軍からの報告の()()によって露見(ろけん)するだろうが、それまでは、(とき)を稼ぐことが出来るのだ。

 その刻がどれくらいになるかは、捕虜から無理矢理にでも情報を聞き出して――

「よう、お熱いねぇ御両所(ごりょうしょ)

 背後から声を掛けられた。

 玉英は最後に邑へ入ったつもりだったが、まだ外に居たらしい。

「突雨殿」

 玉英の声よりも早く、琥珀は飛び退こうとしたが、玉英は腕の力を緩めなかった。

「ま、止めはしないが先に行くぜ、友よ。俺は酒が飲みてぇ!」

 左の口角を上げる突雨。

「はい、すみません」

 目でも謝る玉英。

「なぁに、家族は大事だ。そうだろ?」

 軽く言っているようで、心からの言葉。そう思えた。だから、

「はい、誰よりも」

真剣に答えた。まだ密かに暴れていた琥珀が、静かになった。少し、首筋が熱い。琥珀の尾が立っているのも見えた。

「はっはっは、じゃあ、あとでな」

「はい」

 突雨が背中越しに右手を振って去ったところで、琥珀が抗議の声を上げる。

「どうして離してくれなかったんじゃ」

 玉英からでは近過ぎて顔は見えないが、唇を尖らせているのは、想像に難くなかった。

「ごめんね琥珀。私は少し……怖くなったんだ」

 玉英は、(かす)かに震える声で言う。

「うむ?」

 琥珀が顔を動かしたのがわかった。

「この先、私の手がどんなに汚れても、一緒に居てくれる?」

 突雨に声を掛けられる前、何を考えていたのか。

 害為す者、道を外れた者は斬る。そこに疑問は無い。

 しかし、()()()()()()()

 自分が道を外れていないと、言い切れるのか。

「今何を考えておるのかはわからんがのう」

 琥珀はいつになく落ち着いた声で、優しく言う。

「玉英がしたことは、妾が全て共に背負うのじゃ。家族とは、(つがい)とは、そういうものじゃないかや?」

 頬と首筋に熱を感じながら、しばらく、琥珀を抱き締めていた。

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