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第二十二話 再来

当作平均程度の長さとなっております。お付き合い頂ければ幸いです。

 房葉(ぼうよう)広常(こうじょう)(じん)(らい)の三名――(ごう)して猪三傑(ちょさんけつ)を加え、玉英(ぎょくえい)一行(いっこう)帰路(きろ)()いた。

 素朴(そぼく)送別(そうべつ)(うたげ)――海の魚が美味(びみ)だった――の翌日、房葉を出発。浦津(うらづ)での補給(ほきゅう)は不要だった分、十日目の昼に八松(やまつ)へ到着。(ゆかり)への報告、今後についての打ち合わせ、「また遊びに」来る約束を()わしてこちらでも宴……と三日過ごし、難波津(なにわづ)へ移動。田額(でんがく)()と合流後、竜津(りゅうづ)のある南西ではなく西の内海(ないかい)を行き、邑久津(おくつ)伊豫津(いよつ)赤津(あかつ)波津(はつ)(赤津の西、華津の北東。)等を経由して華津(かつ)裴泉(はいぜん)(むか)えられたのは、難波津を(はっ)して二十六日目の昼だった。


裴通(はいつう)、お前は殿下(でんか)に付いて行け。……お許し頂ければ、だが」

 裴泉()の大きな建物――紫のものを見た後ではやや小さく感じるが、それでも大きいことに変わりはない――にて例の(ごと)く少数で話し合い、()()けてきた(ころ)、裴泉が(めい)じた。

「はい」

 素直(すなお)(おう)じた裴通は、裴泉の右隣(みぎどなり)に座っている。――玉英()に聞かせるためだろう、(いず)れも周華(しゅうか)の言葉だ。

「私達は(おお)いに助かるが、良いのか?」

 裴通は利発(りはつ)な少年である。通事(つうじ)としては勿論(もちろん)、蓬莱に関する知識も、(よわい)を考えれば(おどろ)くべき程だ。

 裴泉にとっては()()重要だろう。何しろ裴通は、玉英は(もと)より紫との面識(めんしき)もこの旅で()ており、北の周華(しゅうか)、東の八松に(はさ)まれたこの『クニ』を発展させようと思えば適材(てきざい)そのもの。手元(てもと)に置いておきたいはずだ。

「そりゃあいつかは()()()(もら)いてぇが、今は、学ばせてぇ、ってとこだ」

 左の(ほほ)を上げる裴泉。

 裴通が玉英()(かたわ)らで得られるものを重視する、ということだ。(うつわ)を育てたい、と言い換えても良い。裴泉が玉英等を()()()いるのであれば、納得(なっとく)出来る判断だった。――玉英等には裴通を()()()()()(せき)が生じる。

「そうか、わかった。感謝する」

「なら、その分は(いろ)を付けてくれよ」

 交易で、ということだ。

「裴通の働き次第、としておこうか」

「ありがてぇ。そういうことだ、裴通、しっかりやれよ」

「はい!」

 幼い裴通は新たな責務に背筋(せすじ)()ばしているが、玉英や裴泉にとってはあくまでも名目(めいもく)である。

 十年後、二十年後を見据(みす)えての()()()()、その一貫(いっかん)だった。


 三日後に華津を()ち、一支(いき)津島(つしま)を経て十四日目の夜には那耶(なや)へ戻った。

 那耶の(おさ)金台(きんだい)()と――実質的には金台の部下と――交易について話し、各所を視察(しさつ)して五日。那耶を出て、西の弁津(べんしん)へ馬を()った。十六日目の昼に着き、こちらでは七日を(つい)やした(のち)馬津(ばしん)へ。

 馬津は、北西へ突き出た百漁(ひゃくりょう)半島の東側の()()に当たる、麗海(れいかい)に面し漁業(ぎょぎょう)(さか)んな小都市である。――「ちょうど今が()()()(しゅん)」だという異様(いよう)に長い魚を(じん)(らい)の兄弟が好んだため、四日の間に(みな)三度(みたび)(しょく)した。

 馬津を出た(あと)は南西へ馬で三日半、百漁である。百漁(ひゃくりょう)には五日半滞在(たいざい)し、遼南(りょうなん)半島や青東(せいとう)半島、燕薊(えんけい)との交易がより円滑(えんかつ)に進むよう話し合った。那耶や弁津、蓬莱からの荷はこの地を通るのだ。



 百漁半島を含む広義(こうぎ)での麗羅(れいら)半島視察を終え、玉英(ぎょくえい)一行(いっこう)青東(せいとう)半島北岸、青水(せいすい)の東側ないし南側にある青陰(せいいん)へ立ち寄った。

 年明けまでには一月半(ひとつきはん)近くあるが、やけに冷え込んでいる。

 到着したのが夕刻(ゆうこく)だったこともあり、青陰を(まか)せている趙敞(ちょうしょう)出迎(でむか)えを受けて早々に内城(ないじょう)へ向かい、休んだ。


 翌朝、執務室(しつむしつ)()ずは趙敞の話を()くことにした。

 趙敞は表向き「万事(ばんじ)無難(ぶなん)なだけの老将」と見せておいて()がある……という老獪(ろうかい)な男だったが、その降伏(こうふく)()れる(さい)に玉英が()()して以来、()()()()()()()精勤(せいきん)していた。

 挨拶(あいさつ)程程(ほどほど)に、本題へ入らせる。

「昨夜も申し上げました通り、『三つ子半島』全体と(いた)しましては、大きな問題は起きておりません。……(わし)のところへ入っている報告では、に御座(ござ)いますが」

 だからこそ、一旦(いったん)は休むことにしたのだ。

 玉英が(うなず)くと、(つくえ)(はさ)んで玉英と琥珀の反対側、椅子(いす)へ座った――玉英が座らせた――趙敞が続ける。

「青東半島と(いた)しましては、塩の流通(りゅうつう)、鉄製農具の普及(ふきゅう)屯田(とんでん)拡充(かくじゅう)、交易の促進(そくしん)……(いず)れも順調に御座います。特に農事(のうじ)の成果は、まだ十全(じゅうぜん)とは申せませんが、数年後には少なくとも三倍以上の収穫(しゅうかく)を見込んでおります」


 屯田とは、駐()しつつ()畑を(たがや)す意であり、民を兵とすることで起こる作物(さくもつ)等の生産(せいさん)減退(げんたい)兵糧(ひょうろう)消費の増大、並びに()()への兵糧運搬(うんぱん)負担(ふたん)緩和(かんわ)する方策(ほうさく)である。

 鎮戎公(ちんじゅうこう)と呼ばれる()の……(じゅう)(犬族。)と争っていた頃の雲理(うんり)が発案し、対熊族に(おい)ても用いられた一方、青東半島から京洛(けいらく)(いた)るまでの地域でも定着(ていちゃく)した。――南の傳水(でんすい)(さかい)として竜爪(りゅうそう)族領域と接しているためだ。

 玉英はこの屯田と他の施策(しさく)を合わせることで、(いま)上供(じょうきょう)上納(じょうのう)。)せざるを得ない重税(じゅうぜい)をどうにか(しの)ごうとして来た。――不用意(ふようい)に上供を止めれば、『三つ子半島』情勢の露見(ろけん)(ふせ)ぎようもなくなるのだ。

 しかしながら、趙敞も()べた通り増産(ぞうさん)には(とき)(よう)すため、(いま)だ鎮戎公領域からの()()()()に頼るところが大きいのは(いた)(かた)無いことだった。


「想定通りか」

「ハッ。少々上回ってはおりますが、(おおむ)ね」

 趙敞が頭を下げる。

「良くやってくれた。引き続き頼む」

「ハッ! 有難(ありがた)き幸せ!」

 更に深く頭を下げた趙敞を見て、玉英は頷き、

「うむ。では次、竜爪族領域……兄上については?」

 光扇(こうせん)相毅(しょうき)のところへ上がってくる上越(じょうえつ)一家(いっか)によるものとは別に、青東半島でも調査は進めさせていた。

 無論(むろん)青陰からでは距離があるものの、例えば青東半島南端部にある(むら)小墨(しょうぼく)にとっては、竜爪族の(みやこ)――龍邪(りゅうや)は傳水の対岸に当たる。民の往来(おうらい)()()()()()()()なのだ。一定以上に()()なり過ぎなければ、(もぐ)()ませること自体は難しくなかった。なお、小墨は(もと)より竜爪族監視地点であるため、狼煙(のろし)早馬(はやうま)の用意があり、()()()()()相当な規模を(ほこ)る。追加の監視要員や屯田兵を受け容れる余地(よち)があった。

 趙敞は一度上げた頭を再び下げて答えた。

「ハッ。(まこと)に申し訳御座いませんが、王太子(おうたいし)殿下に関しましては一向(いっこう)消息(しょうそく)(つか)めておりません。しかし、関係も真偽(しんぎ)も不明……という(ただ)()()きでは御座いますが、注意を(はら)うべき、と(しる)された報告は麩椀(ふわん)から上がっております」

 麩椀は青山の戦いで青東連合軍の指揮を()った将である。青東半島中央にあり十三万の民を抱える半島内の第三都市、()()()()()()青東の長でもある。青山の戦いの(のち)「青東半島全体を任せる」という話を断って青東の長で()り続けることを選んだ、(おだ)やかながら確固(かっこ)たる信念を持つ男だ。

 とは言え、各都市や邑との(つな)がりは()(がた)く、()()()()()()()はして(もら)っていた。青東半島の(まつりごと)の長は趙敞、二番手が麩椀、といった具合である。

「内容は?」

「ハッ。例の『教え』――龍天教(りゅうてんきょう)が勢いを増しておるとのこと」


 龍天教。(りゅう)族こそが天下を()べるべきだ、とする思想であり、当然ながら叛乱の要因(よういん)として記録されている。

 ()()族ではなく、()族である。竜爪族の先祖返(せんぞがえ)りによって数百年に一度生まれるかどうかの『神の如き者』だ。

 ()()族はその名の通り強靭(きょうじん)この上無い(つめ)を手足に備えているものの、二本の足で()ける点は鬼族と変わらず、背丈(せたけ)も三寸(約五・四センチメートル)ばかり劣る。

 対して()族は、四丈(約七・二メートル)にも(およ)長大(ちょうだい)な身体で(かす)かに(ちゅう)に浮き、()一振(ひとふ)りで百名近くを()(はら)うと()う。

 存在としての()の差は明らかであり、()()()()()()()()()()()()、竜爪族の(おさ)として(あが)められ、育てられる。――不思議(ふしぎ)と、龍族が()()並び立った例は無い。


「今すぐ()()、という話ではないようだな」

 危急(ききゅう)であれば、この話が先に出てくるはずである。関係も真偽も不明、という前置きもあった。

御意(ぎょい)に御座います。現状(もっと)も考え()るのは、王太子殿下を御旗(みはた)に京洛を奪還後(だっかんご)(おそ)れながら、両殿下を……」

 言い(よど)む趙敞。

(はい)す、ということか」

 暗殺である。

「ハッ」

 顔を伏せる趙敞。

 正統(せいとう)王家の声望(せいぼう)を利用し、麒角(きかく)から玉座(ぎょくざ)を取り戻した後、その(こう)を言い立てて竜爪族に有利な状況を作り上げ……簒奪(さんだつ)

――()()()()()話だ。

 少なくとも、竜爪族単独で麒角へ反旗(はんき)(ひるがえ)すよりは、(はる)かに()が良い。

「仮にそうした狙いがあるとして、当代(とうだい)龍鱗(りゅうりん)公――劫廣(ごうこう)の意志だと思うか?」

 (よわい)二百十五、現在確認されている唯一の龍族である。前回の竜爪族叛乱は、劫廣が生まれる前のことだ。――(かつ)て王城へ届いた竜爪族からの報告が()()()()()()、だが。

()()怨恨(えんこん)(いだ)いた者達が、当初(とうしょ)(ひそ)かに育てていたとすれば、十分(じゅうぶん)にあり得ることとと(ぞん)じます」

 (くだん)の竜爪族からの報告は、端的(たんてき)に言えば「赤子(あかご)が誕生した」だったが、最初の数十年は存在が隠されていた、と見ることも出来た。――龍族の記録は非常に少ないため個個(ここ)の違いが()()()()あったところで不審(ふしん)とまでは言い(がた)く、龍族の寿命(じゅみょう)が極めて長いことも相俟(あいま)って、数十年程度の差は(あと)になれば誤魔化(ごまか)せてしまうのだ。

 知らせを受けた周華の王――玉英の先祖からすれば詮議(せんぎ)も視野にあったはずだが、そうはしなかった。叛乱鎮圧(ちんあつ)から数十年という段階で竜爪族を、あるいは()()()()()()()()()殊更(ことさら)刺激(しげき)すれば、今度こそ竜爪族を(ほろ)ぼすことになりかねない、と判断したらしい。

 幾度(いくたび)もの叛乱を()ても(なお)竜爪族の滅亡(めつぼう)を避けて来たのは、一つには、鬼族の()たる麒麟(きりん)と竜爪族の祖たる青龍(せいりゅう)が――もとい五神(ごしん)の全てが――盟友(めいゆう)であった、と伝わっていること、もう一つには、青龍の(つかさど)何某(なにがし)かの均衡(きんこう)(くず)れる危惧(きぐ)否定(ひてい)()ないことに()る。――幾百年(いくひゃくねん)も雨が降り続き、天下の全てが水に(おお)われる……といった|ことすら起きかねないのだ。

 そうした事情を逆手(さかて)に取り、またも竜爪族が――劫廣が叛心(はんしん)を抱いているとして、流浪(るろう)()玉牙(ぎょくが)を殺したところで意味は無い。仮定(かてい)の中の話ではあるが、やはり(かく)されている、と見るべきだった。

「ふむ。……最大限に警戒しつつ、調査を継続。短慮(たんりょ)(つつし)め、と伝えよ」

「ハッ!」

 備えるべきことは、多い。

「そなたも、適宜(てきぎ)休め」

「ハッ! 有難き御言葉(おことば)老骨(ろうこつ)()()りまして御座います!」

 (くだ)った当初と比べ、力強い声。

 趙敞の下げた頭に、黒いものが増している気がした。



 その後、茗節(めいせつ)相毅(しょうき)(まじ)えて麗羅半島から蓬莱に掛けての分析(ぶんせき)、今後の交易や(いくさ)についての詳細(しょうさい)な打ち合わせを行い、一旦(いったん)休憩(きゅうけい)、としたのは夕刻(ゆうこく)手前(てまえ)のことだった。

「裴通の様子を見に行かぬかや?」

 そう誘われて、玉英は琥珀、子祐(しゆう)と共に内城を出た。

 蓬莱からやって来た者達のうち、裴通は言葉こそ遜色無(そんしょくな)く話せるが、幼い子供。猪三傑は身体こそ鬼族に匹敵(ひってき)するが、言葉は(ほとん)どわからない。袁泥は(いず)れも問題無いが、青陰を訪れるのは他の者達と同様に()()()である。

 見聞(けんぶん)(ひろ)めるという名目(めいもく)で、五名(そろ)って梁水(りょうすい)と共に(しん)へ向かったことはわかっていた。


 青陰北側から北西側――青水河口部(かこうぶ)の津は各地との交易を(にな)うに()る巨大なもので、出入りする舟を数えているだけで日が暮れそうな程である。

 事実、それに近いことをしていたのかもしれない。玉英()が津へ着いた際、裴通は色付(いろづ)き始めた陽光に小さな背を()らされながら、十丈(約十八メートル)近く前方(ぜんぽう)、舟の荷下(にお)ろしを静かに見つめていた。――裴通と一緒に居たはずの体躯(たいく)(めぐ)まれた五名は、(まさ)しくその荷下ろしを手伝っている。梁水は玉英の御伴(おとも)として()()()()()(かお)()くのだ。

「何が見える、裴通」

 背後まで近付いてから声を掛けると、

「殿下! 琥珀様に、子祐殿も!」

振り向いた裴通が丁寧(ていねい)一礼(いちれい)した。

 蓬莱に居た頃と異なり、十分(じゅうぶん)に着込んでいる。那耶で受け取ったものだ。

「あの舟の荷……あれは、那耶からのものですよね?」

 小さな左手の指す先へ改めて目を()れば、確かに()()()()那耶から――百漁経由で――送られて来たものだった。

「ようわかったのう」

 琥珀が顔を(ほころ)ばせて裴通の頭を()(まわ)す。

「あの箱には見覚(みおぼ)えがありましたので」

 基礎を固めた荷下ろし場へ積み上げられた箱は、三辺(さんぺん)が二尺(約三十六センチメートル)、一尺(約十八センチメートル)、五寸(約九センチメートル)という横長の平たいもの。鉄が入っているのだ。鬼族と(いえど)も、箱を大きくし過ぎれば(あつか)(にく)くなる。特に舟では、荷の重さの均衡(きんこう)(たも)つ必要があった。

「そうして学べるものを学ぶと良い」

 見えるもの全てが……(いな)、見えぬものとて学びになり得るのだ。

 玉英が微笑(ほほえ)み掛けると、

「はい!」

裴通は、琥珀に撫でられ続けながら、満面の笑みで(こた)えた。


 しばらく()()続けた後、琥珀は裴通の手を引いて荷下ろし場へ()けて行った。

 玉英の背丈より余程(よほど)高く、所狭(ところせま)しと積み上げられているのは、鉄の入った箱ばかりではない。

 他の荷の中身は何か、何処(いずこ)から来たものか――といったことを当てられるや否や、という遊びを琥珀が裴通に仕掛(しか)けたのだ。

 交易関係の地名は教えてあるが、裴通にとっては行ったことのない場所が殆どである。本当にただの()()だった。

 琥珀は見た目こそ幼い頃とさほど変わらないが、実のところ面倒見(めんどうみ)が良く、故郷の邑では郭玄(かくげん)のことを(なに)くれと可愛がっていた。邑を出た頃の郭玄と裴通を重ねている部分もあるのかもしれない。

 と、琥珀達が五丈(約九メートル)(ほど)離れたところで、琥珀達の付近の荷山(にやま)が複数、突如(とつじょ)として崩れ――

「子祐っ!」

咄嗟(とっさ)に呼んだのは、()()()()も信頼する相手。無論、既に駆け出していた。

 多くの荷に()もれ視界から消える直前、琥珀が裴通を(かば)い、そこへ子祐が疾風(しっぷう)の如く飛び込んで行ったが――

――間に合ったはずだ。

――琥珀の『力』もこの地では……。

――間に合っていてくれ。

――裴通は……。

――間に合っただろう?

――子祐。

 (いの)りと共に錯綜(さくそう)する思考を(おさ)()け、数歩遅れて駆けていた玉英の首筋(くびすじ)()()()()()

「――ッ!」

 (きた)え上げた剣同士(どうし)がぶつかり合う、深いところから(しび)れるような感触(かんしょく)

 背後に気配を感じたら、急所を守りつつ、可能な限り一撃入れながら距離を取ること。

 西王母の教えが無ければ、あるいはそれを守れていなければ、死んでいた。

 (いきお)いのまま()(なお)り、愛用の剣を(にぎ)()める。

「おやおや、()()()()()()随分(ずいぶん)と成長()されたな、()()

 命を()()ろうとしておきながら、飄飄(ひょうひょう)とした声。

 忘れもしない、子祐に(まも)られ()()びた旅。鬱蒼(うっそう)とした森。十尺(約百八十センチメートル)を超える尋常(じんじょう)ならざる長尺刀(ちょうじゃくとう)

 凶刃(きょうじん)の再来だった。

「ど、ッ!」

 どこから入り込んだ、(など)と問い掛ける(ひま)は与えられなかった。

 夕日を半ば背にして、遠い間合いから剣閃(けんせん)幾筋(いくすじ)(きら)めく。

 如何なる術理(じゅつり)か、左から(せま)()(さき)を打ち払った瞬間には、右へ(おそ)()ている。

――(はや)い。

――否、疾い上に洗練(せんれん)されているのだ。

 全身の連動があまりにも流麗(りゅうれい)で、攻撃から攻撃へと移る『起こり』を見出(みい)だせない。

 結果的に、一つの動作で幾度(いくど)も攻撃されていると錯覚(さっかく)する。

 とは言え、幼かった頃とは違う。見える。()()()いる。

 (ゆえ)にこそ、鮮明(せんめい)に感じ取る。

 一閃(いっせん)一閃が濃密(のうみつ)(まと)う、死の気配を。


 五つ数える程の間に十五(ごう)は凌いだ。

 猛攻(もうこう)()ぐように()み、玉英は視線を()らさぬまま荒く息を()いて、

「どこから入り込んだ、強き()()

(おぼ)えておいでか。これは光栄至極(こうえいしごく)

 問いには答えず、悠悠(ゆうゆう)一礼する男。息を(みだ)してさえいない。

 見た目には四十まであと三、四年というところだが、強さに(かげ)りは無い……どころか、(みが)きが掛かっているようですらある。

「そなたには、私に(つか)えて貰ッ! うのっ! だからなっ!」

 (たわむ)れのような剣閃を三度(みたび)(ふせ)いだ。

「ならば、死んでくれるなよ、()()

 口角を上げる男。

――よく言う。

 言葉にはせず、玉英も口角を上げて見せた。

 だが、こうして玉英へ数呼吸を与えたのは、確かに――

折角(せっかく)待ったのだ。もっと(たの)しませてくれ」

死舞(しぶ)への(いざな)いのようだった。


 直後、再開された男の攻撃は徐徐(じょじょ)に疾さを増し、玉英は一合(ごと)に『()』の境地(きょうち)から()()がされていく。

――まだ()があるのか……!

 長尺刀が()う。

 右へ左へ、右へ左へ上へ下へ、右へ左へ右へ下へ上へ。

 左へ右へ、左へ右へ下へ上へ、(なか)へ上へ下へ左へ中へ左へ右へ。

 韻律(いんりつ)の如き攻防が、終わりを(むか)えようとしていた。あと数合で、

――死ぬ。

 はっきりとわかった。『理』の境地からは既に遠い。

 対して男は、こちらの実力を(はか)り、愉しみながら、(つい)には()()()()()()()()()

 男の(ひとみ)諦念(ていねん)を視た刹那(せつな)、踏み込まれてはならない一歩を踏み込まれ――

御免(ごめん)

 声が耳に残る中、異様(いよう)緩慢(かんまん)な剣閃が(せま)り――――――

――――

――

覚悟したそれは、(おとず)れなかった。

「無事か、玉英」

 袁泥が、剣を構えてそこに居た。


 男は目を見開き、一歩退()いて笑った。

「クックッ、奇遇(きぐう)よなぁ、二刀(にとう)とは」

 袁泥の右手には長尺刀に匹敵(ひってき)する漆黒(しっこく)の大剣。左手には、夕日を向こうにして(かげ)りながらも(なお)白い、七尺(約百二十六センチメートル)ばかりの長剣があった。

「……」

「おや、彼奴(かやつ)とは正反対のようにござるな」

 両の(まゆ)を上げ、再び笑う男。

「……」

 挑発(ちょうはつ)するようなその笑みから視線を外さず、頭だけで僅かに振り返る袁泥。

 問い掛けに応えていなかった、と気付く。

「っはい、無事です。ありがとうございます袁泥殿」

「気にするな」

 素気無(すげな)い返事だが、その赤い(かわ)を纏った背中は、命を預けるに足る雄大(ゆうだい)さに満ちている。

「クックックッ、良き武士(もののふ)と見た!」

 男は心底(しんそこ)愉快(ゆかい)そうに笑い、一息(ひといき)に踏み込んだ。

 澹澹(たんたん)と応じる袁泥。

 眼前(がんぜん)で数段()の攻防が繰り広げられ、玉英は己の未熟と幸運を()()めた。



 袁泥の動きは、対面する男の流麗な動きとは()()なるものだった。

 ある状況における、おそらくは最適な動き……それが突如(とつじょ)()()()()()()()また別の最適な動きへと移っている。『起こり』は明白(めいはく)だが、何を(もっ)()()すると決めているのか玉英には読み取れず、ただ、男の動きに対応し切っていることだけがわかった。


 五十合は重ねただろうか。

「はっはっはっ、これは、お強い」

 男が大きく()退(ずさ)って笑った。

「……」

 袁泥は玉英の前から離れない。

 ()充溢(じゅういつ)は玉英にも感じられた。

「さて、正味(しょうみ)決着(けっちゃく)まで続けたいのだが……」

 男は数多(あまた)の小さな(やいば)を玉英へ弓なりに投げて寄越(よこ)し――

「さらばだ()()好敵手(こうてきしゅ)

袁泥がそれ()(たた)()とした頃には、十丈(約十八メートル)も離れていた。

「ありがとうございます、袁泥殿。おかげさまで助かりました」 

「無事ならそれで良い」

 袁泥は油断(ゆだん)無く男の消えた方向を見据(みす)えている。

「玉英! 大丈夫かや」

 背後からの声。

「琥珀!」

 ()()って来た琥珀を抱き止める。

「ああ、大丈夫だ。琥珀も――」

「妾は大丈夫じゃが――」

「良かった」

「すまぬ、玉英――」「裴通も無事か」

 姿を確認し、息を()く。玉英等に背を向け、地に座り込んでこそいるが怪我(けが)は無さそ――

「子祐?」

 裴通の向こう側、地に寝かされている、鬼族女性としては極めて恵まれた身体。

「子祐!」

 後頭部(こうとうぶ)不意打(ふいう)ちを()らい、中身が全て吹き飛んでしまったかのようだった。

 琥珀から離れ、足を(もつ)れさせながらも裴通の右側――子祐の頭の横へ辿(たど)()き、両膝(りょうひざ)()いた。

「子祐……」

「デンカ、――――、――――、――――!」

 子祐へと伸ばした手を、いつの間にか右へ来ていた迅に止められる。――デンカ、というのは迅が覚えた数少ない周華の言葉だった。あとは、わからない。

「殿下、お手を触れぬようお願い申し上げます。頭を打っており、動かさぬことが肝要(かんよう)に御座います……と」

 正面で片膝を突いた梁水が――蓬莱の言葉をいくらか覚えている――迅の意を伝える。『すまひ』では稀に起こる事故だ、とも。

「わかった。……良くぞ止めてくれた。……どうすれば良い?」

 (ふる)えを隠し切れぬ声で問うた。

 自力では何も()かばなかった。子祐が倒れる(など)と、考えたことも無かったのだ。

 九つ違う。玉英が物心付(ものごころつ)いた頃には(かたわ)らに居り、常に助けてくれていた。当初は子祐とて子供だったが、玉英にとっては大きく強き者であり、(のち)には【麒麟の双角(そうかく)】とまで称された。そして()()()からは命を丸ごと預けて――今に至るのだ。

 玉英の生は、子祐と共にあった。子祐の居ない状況(など)、あり得ぬことで――

「デンカ、ヨベ」

 梁水の横――玉英から見れば向かって左側へ座り込んだ広常が言った。

「デンカ、ヨベ。シユウ、ヨベ。テ――――――」

「手なら……手を触ると良い、とのこと」

「わかった」

 子祐の左手を両手で握り、

「子祐……子祐、すまぬ、無理をさせた」

 一切の猶予(ゆうよ)が無い中、琥珀達を庇うために荷箱の落下を敢えて受けたのだろう。荷箱を壊したところで、中身が()(そそ)いではむしろ危険だったかもしれず、その上、数が多過ぎた。

「子祐、目覚めよ子祐! まだ我等(われら)の旅は終わっておらぬ!」

 手に一層(いっそう)力を()める。

「子祐、子祐! 私が死ぬまで(つか)えると言ったであろう!」

 玉英の()れた瞳が、背後の夕日が映り込んだように輝き――

貴様(きさま)に死を許してはおらんぞ! 子祐!」

「ッ――」

 子祐の目元が微かに動いた。

「子祐!」

「――ぁ、でん、か……」

「子祐! 大丈夫か、動くな、しばらく横になっていろ!」

「……はい、殿下」

 微笑む子祐に、玉英も微笑み返す。

「幼い頃のようだな」

 最初は、今のように「はい」と返事をしていた。

「軍……「答えずとも良い。いや、今は休んでおけ。命令だ」

 最大限、()()()()命じた。

 (まぶた)の動きだけで子祐が応え、長く、長く、主従は見つめ合った。

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