第二十一話 勇者、姫巫女、猪三傑
当作平均よりいくらか長い程度となっております。お付き合い頂ければ幸いです。
華津へ着いた二日後の朝。
対価は後に、という約束で補給を受けた上で、高楼――『塔』のある島を目指して華津を発った。
裴泉からは、各舟へ乗り込む水先案内計三名に加え、周華と蓬莱、双方の言葉を言い換えられる者――通事を借り受けている。通事の試しは昨日済んでおり、頼れることはわかっていた。――仮令年端も行かぬ少年であっても、だ。
先日裴泉の屋敷で見かけた、あの少年である。狸族らしい容姿だが、齢十一ということもあり、琥珀より五寸(約九センチメートル)程小さい。名を、裴通と付けられたばかりである。
数年間那耶や弁津との遣り取りを見聞きし続け裴泉による指導も受けて来たが、初めて重大な仕事を任されるに当たり、幼子としてではない正式な名を――それも周華風の名を――ということになったらしい。
しかし名とは関係無く、甚く素直且つ聡明な裴通は、玉英一行の誰にも可愛がられた。
『塔』のある竜津島、その表口に当たる竜津までは、十四日半を要した。
華津の東、最初の補給地とした赤津まで三日半。補給と荒天回避に二日半掛けた後進発。大きな島同士――らしい――の間を抜けて南東、また別の大きな島――らしい――にある宇和津まで四日。宇和津でも赤津と同様二日過ごし、宇和津から南方へ伸びた半島を回り込むようにして竜津へ至るまでには――海流に乗れたため相当に疾かったが――二日半。計十四日半である。
竜津到着直前、昼前のこと。
「『竜津』は、元は『竜頭』だったそうです」
先頭を行く舟の舳先(舟の前寄り。)に立った裴通が――雲儼がいつでも抱えられるように大きな手を添えて備えている――子供特有の高い声で語った。
「その由来となっているのが、あの岬です」
裴通が右手で前を指しつつ振り返った。小さく細い指の先――概ね進行方向、北にあるはずの竜津を隠すように西から伸びた岬。高さ四丈(約七・二メートル)程の先端部は、確かに竜と見紛うような白い巨岩から成っていた。
竜津島はより大きな島にほぼ囲われている内海の島だと云うが、その竜津島の中でも竜頭岬によって一段と波濤から護られている、絶好の津が竜津である。
裴泉の話の通り、竜津へ来ることで『姫巫女様』の怒りを買うことは無いらしく、無事に辿り着くことが出来た。
竜津の小さな邑――『ムラ』の狸族達が『塔』への訪問者を迎えるのは三度目らしく、大勢で押し掛けても殊更怯えられたり敵対されたりすることはなかった。
「ただ、我々がここで過ごすだけでも『ムラ』には負担が掛かりますので――」
と裴通を通して要求されたのは、『ムラ』の者達と協力して働くことだった。
玉英、琥珀、子祐、雲儼、玲、の五名が受け持ったのは魚獲りである。
「妾達のせいで『ムラ』の者達を餓えさせるわけにはいかんからのう」
「たくさん獲るぞ!」
琥珀も玲も随分と乗り気だ。
「獲り過ぎぬようにな」
窘めこそしたが、『ムラ』から程近い川は底まで見通せる非常に美しいもので、水や魚と戯れたい気持ちがあったのは玉英も同じだった。――詰まる所、皆で楽しみながら魚を獲った。
幸い、夕刻までには一尺(約十八センチメートル)前後の魚が十分に獲れ、同行した『ムラ』の者達の勧めに従い、その場で調理することとした。
小刀で刮ぐように鱗を取り、胸から腹に掛けて軽く扱くように糞を押し出す。適宜洗った上で塩をまぶし、子祐が手早く作った竹串を打つ――口から鰓へ通し、鰓の近くから縫い込むように刺して背骨を絡めつつ尾の方へ出す。焚き火からやや離した位置に置き、腰を据えて焼く。
四半刻(約三十分)程掛かるとのことで、焼いている間に他の者達を呼び集め、皆で共に食した。
「ふむ……この独特の風味……気に入ったのじゃ!」
「ああ、滋味深い、良い味だ」
「玲も好きだぞ! ご馳走だ!!」
川の流れにも似た透き通るような味わいを、腹の部分の仄かな苦みが際立たせている。
幼い裴通には少々苦過ぎるようだったが、「裴泉様の教えですから」と食べ切っていた。
『ムラ』から西北西へ川沿いに山を登り、三日目の朝。
舟の番に残った田額以下の兵達と琳琳等、そして舟に関わる者達を除いた一行は、『塔』の手前最後の坂を越えようとしていた。
森の中にあって坂の上は拓けているらしく、前方右、坂の向こうには山頂が僅かに頭を出しているが、その左、正面には、山頂より遥かに高く聳え立つ円柱状の白い『塔』が随分前から見えていた。
直径六丈(約十・八メートル)、高さ二十丈(約三十六メートル)はある、信じ難い程に巨大な高楼が、緻密に組み上げられ、磨き上げられた石肌で陽光を照り返しつつ、玉英等を睥睨している。
明らかに蓬莱の建築様式ではなく、周華のものとも異なる。
もしこの『塔』が周華の西で発見されたのであれば、石造りが盛んだという【果ての国】から流れ着いた者達でも居たのか……と思うところだが、ここは蓬莱である。しかも『塔』が真っ当に建てられたのだとすれば多大な労力を必要としたはずであり、門番以外の者達も噂になっていて然るべきだった。畢竟――
「母上のような者が住んでおるんじゃろうか」
琥珀が見上げながら呟いた通り、『神』ないし『神の如き者』が関わっている、と考える方が自然だった。
坂を登り切り、『塔』まであと五丈(約九メートル)というところで、門扉の前およそ一丈(約一・八メートル)の位置に男が姿を現した。
姿を現した、とは文字通りの意味である。遠目には誰も居ないように見えていた場所に、いつの間にか居たのだ。――益々何らかの『力』によるもの、と思えた。
玉英等があと数歩の距離へ至ると、警告の低い声が響いた。
「止まれ」
「承知しました」
玉英がすぐさま応じ、右隣の琥珀、左やや後ろの裴通と子祐、後に続く他の者達も当然従った。
警告を聞いた瞬間に言い換えるべく口を開き、しかし玉英の返答により不要らしいことに気付いた裴通が首を傾げている。――玉英には周華の言葉に聞こえているが、裴通には蓬莱の言葉に聞こえている。そういうことなのだろう。これも『力』のうちか。
「何用だ、魔族」
敵愾心も無く、ただ必要だから、といった様子で問い掛けてきた男は、子祐よりも一寸(約一・八センチメートル)ばかり大きい無角鬼族……に見える。齢は玉英より一つ二つ上か。――定命の者であれば、だが。
ほぼ全身を覆う赤い革らしき衣が目立つものの、胡服に近い独特な装いと共に垣間見える引き締まった肉体、隙の無い立ち姿からは、突出した才と弛まぬ鍛錬とを感じる。
玉英は、
――マ族とは鬼族のことだろうか?
という疑問は一旦措き、
「私は玉英。この蓬莱の西、周華の王女です。ここには、あなたのお力をお貸し頂くべく参りました」
真っ直ぐ男の目を見て言った。
乱雑に切ってそのまま伸ばしたような、やや長めの灰色の髪の下から、青味掛かったやはり灰色の瞳が玉英を見つめ返している。
続けろ、の意だと受け取った。
「八年前、我が父母を含む数多の者達が叛逆者に殺され、国を奪われました。簒奪者は専横を窮め、天下万民が苦しんでおります。……国を取り戻すため――」
と言い掛けて、玉英の瞳の奥に昏い紅蓮の炎が渦巻いた。
「――いえ、父母の仇を、私を護って死んだ者達の仇を討つため、どうか、「わかった」お力を……っ!?」
「……お貸し、下さるのですか?」
玉英が目を見開いて問うと、
「そう言っている」
男は秀でた眉でも肯んじ、
「国がどう、と言われても俺の知ったことではないが、仇を討つためであれば――」
一瞬自身の胸元へ視線を落としてから、
「――嗚呼、良いだろう」
改めて承諾し、微かに口角を上げた。
「ありがとうございます!」
玉英の満面の笑みに、
「気にするな。所詮は暇潰しだ」
自嘲するように鼻で笑う男。
玉英は男の瞳に言葉と裏腹の僅かな――隠し切れていない――熱を感じたが、別のことを問うた。
「それでも、ありがとうございます。……ところで、何とお呼びすれば宜しいでしょう?」
「袁泥とでも呼べ。それと、そう畏まって話すな。俺はこの『塔』の門番に過ぎない」
裴泉の手の者が伝えたのと同じ言葉だ。
「わかりました、袁泥殿。しかし、だとすれば、この美しい『塔』から離れてしまっても大丈夫なのですか?」
袁泥の目の前――『塔』から二丈(約三・六メートル)に満たない距離では、『塔』の表面は、京洛で最も精緻に琢かれた玉よりも滑らかに見えた。如何なる『力』によるものか、と思わずにいられない。『塔』の――おそらく――全体がそうなのだ。
代わりの門番が居なければ、いずれ略奪の憂き目に遭うことは想像に難くなかった。
「美しい、か。――そう評してもらえるのは、嬉しい」
袁泥は再び胸元に目を遣り、先程までとはまるで違う柔らかい――どこか切なげな笑みを浮かべたが、数瞬経って顔を上げると、
「問題無い。どこへなりと連れて行け」
表情を消し、ぶっきらぼうに答えた。
「はい。よろしくお願いします」
玉英は笑顔で応え、頭を下げる。
「嗚呼、しっかり護ってやるよ」
袁泥が口の中で「今度こそ」と付け足したのを、琥珀の耳だけが捉えていた。
下山には二日掛かった。
初日の昼過ぎにふと振り返って見れば『塔』が消えていたのには皆驚いたが、袁泥によれば「そういうもの」らしい。袁泥はそれ以上話さなかったため、玉英も強いて問い詰めはしなかった。――孰れ『神』に類する者の影響であれば、言い難いこともある。
竜津を離れていた四日間、残った者達の働きは十分なものだったようだ。
気前良く受けられた補給と海流のおかげで再度の舟旅は円滑に進み、六日目の昼前には竜津の北東方向にある難波津へ到着。
難波津からは陸路となるため、竜津の際とほぼ同様、舟の番に田額等を残し――今回、琳琳のみは玉英等に同行した――東へ発った。
北に川を見ながら山を登り、その川が北寄りに曲がった四日目からは北東へ。下りが多くなった七日目の夜、雨呼びの姫巫女が居るとされる八松へ辿り着いた。
「華津より栄えておるようじゃのう」
最後の坂を下る途中見えた限りでも、要所の明かりと建物は倍近くあったのだ。
東側の海――津付近の舟は華津と比べれば少なかったが、『クニ』全体へ幾重にも張り巡らされた堀には北西から流れ込んだ川の水が通っており、朔原のようにとまではいかぬにせよ、一部は小舟で移動出来るようになっていた。
玉英等が扉の無い門へ近付くと、門の奥、中途で折れ曲がった通路――防衛のための仕組みだろう――の陰から、玉英より一尺(約十八センチメートル)は小さい、円な黒い瞳の女が現れた。
肩程まで伸ばした薄い褐色の髪に一部白が混ざっており、髪と同じ色の楕円に近い形の耳が特徴的だった。鹿族だ。
「ようこそいらっしゃいました。どうぞこちらへ。姫巫女様がお待ちです」
……とは、裴通が言い換えているのだが、柔らかい声ではあった。
件の姫巫女の側仕えだろうか。蓬莱でこれまで見てきた大半の者達と比べ、いくらか手の掛かった着物を纏っている。――朱に染めた麻である。
裴泉は紫に染めた絹を身に着けていた――絹は那耶との交易で得たもので、紫は華津南方の海の貝から得た染料による、という話は聞いた――が、他の者達の着物はやはり麻だった。華津から八松に至るまで、麻が主であることは変わらないのだろう。
「案内、感謝する」
玉英は女に言い、左の裴通に目で合図を送った。
玉英等は、裴泉のところにあった巨大な建物を更に数段大きくしたような、三十六本の柱に支えられた建物へ招かれた。――『カミ』が在所とするに相応しい、非常に立派な建物である。
柱の一本一本が直径五尺(約九十センチメートル)はあり、支えとして、水平の柱が縦横異なる高さで各々の柱を貫いている。全体の高さは『塔』と比べればほぼ半ば――十丈半(約十八・九メートル)というところだが、三丈(約五・四メートル)の高さにある床幅はおよそ九丈(約十六・二メートル)とより大きい。
その上へ、下から順に板壁と板葺きの屋根、板壁と草葺きの屋根、と二階がやや小さくなるように連なっており、屋根は四方から中央上部へ集まる形で傾斜して、風を受け流す構造になっている。
各壁面の窓から差し込む月明かりと数本の松明――松の枝そのままではなく脂の多い部分を切り出して束ねたもの――で照らされた一階の部屋、その東寄りへ出る階段を玉英と琥珀が上り切った途端、
「よく来てくれたね」
玉英等から見て左前方――部屋の奥、一段高くなった部分へ両手を突いて座り脚を前へ投げ出している、見た目では齢十三程の少女に、見た目通りに幼く、しかし見た目に反して深く響く声で歓迎された。――どうやらまたしても裴通の仕事はここまでのようだ。
背丈は琥珀より三寸(約五・四センチメートル)近く大きいだろうか。鮮やかな紫の絹越しにもわかる程に華奢である。ひたすら伸ばしたような明るい紫の髪が床へ広がっているものの一切気にする様子は無く、ただただ底知れぬ紫根の瞳で玉英を、琥珀を、そしてまた玉英を見つめた。
「そんなところで止まっていないで、もっと近くへおいでよ」
玉英と琥珀は言われるが儘に種族不明の少女から一丈(約一・八メートル)程の位置――筵が並んで敷かれた場所へ進み、子祐と裴通も後ろへ続いた。
「どうぞ、座って」
やはり皆言われるが儘、揃って胡坐をかいた。
少女は一旦視線を左へ――玉英等から見れば右へ向け、
「朱、ご苦労だったね」
と階段付近、壁際に控えていた案内の女性――朱を微笑みと共に労った。
下がって良い、という含意を読み取ったのだろう、朱は少女へ恭しく一礼し、階下へ去った。
少女は視線を戻し、八つ数える程の刻を掛けて四名の目を見た後、
「さて……君達は、戦をしに来た、ってわけじゃないよね?」
首を傾げ、無邪気な笑みを見せた。
「私は、玉英と申します」
玉英が背筋を伸ばして言うと、
「琥珀じゃ」
琥珀もすぐに続けた。――子祐と裴通は立場上、口を出さない。特に裴通は、今回も言い換える必要が無いと知って拍子抜けするやら安心するやら少女の美貌に見惚れるやらで忙しい。
「うんうん、紫は紫だよ、よろしくね玉英、琥珀。それで、どんな用?」
少女――紫がまた笑顔を見せる。
「はい。紫様に願い奉りたき」
「あ、ちょっと玉英」
「はい」
「様、はやめて欲しいな。あと奉るとかさ、別に紫は『カミ』様じゃないからね」
「……違うのですか?」
「です、もやめてよ」
と、紫は息を大きく吸い込んで、
「紫は紫。明後日には雨が降るな~みたいなことを予見出来るだけだよ」
「ですが……」
紫が玉英をわざとらしく睨む。
「いえ、いや、でも、それは十分な『力』……じゃないか?」
「ううん、こんなの、みんなが何日か堪え忍べるようにするだけのことだよ。わかっていれば耐えられる、ってやつ」
紫は眉尻を下げて笑い、
「大体ね、紫は一番強く感じるから『姫巫女』なんて言われてるだけで、『巫女』はたくさん居るんだよ。さっきの朱だってそう。だから、朱の着物」
ここへ来るまでに見掛けた他の民は――夜のこと故さほど多くはなかったが――特に染めていない麻の着物だった。染めた着物は『巫女』としての身分を表すのだ、とすれば納得である。
「その、耳飾りや首飾りも?」
朱もいくらかは身に着けていたが、それとは比べ物にならない量と色彩の飾りが、紫の耳と細い首の周りにはあった。――これ等も、他の民は着けていなかったものだ。
「そうだよ~。重くてしょうがないけどね?」
愉快そうに笑う紫。
玉英と琥珀も一頻り共に笑ってから、琥珀が尋ねた。
「『巫女』の名は後から決めるものなのかや?」
「お、鋭いね。『巫女』の体質に生まれるのは大抵女で――だから『巫女』って謂うんだけど――齢十にもなると体質はわかるから、選ばれたら、付ける」
「元の名もあるんじゃろ?」
「うん。でも、家族以外は呼ばなくなるね」
「『巫女様』じゃから?」
「そういうこと」
「ふむ……」
『琥珀様』として親しまれ、可愛がられてはいても、対等な者は居ない。――玉英と出逢うまでそうした寂しさを抱えていた琥珀にとっては、我が身のことのようで。
ましてや『姫巫女』として『巫女』の中ですら祀り上げられている紫は、尚の事……そう思うと、言わずにはいられなかった。
「紫、妾達と、友達になるのじゃ!」
「えー、ありがと!」
「何やら軽いのじゃ!?」
「そんなことないってば~。嬉しいよ。それとも、琥珀が紫とずっと一緒に居てくれるってことだった?」
微笑みの中、紫の瞳が怪しく光る。
「そういうわけには……いかんのじゃが……」
勢いを削がれた琥珀。
「なら玉英が?」
紫の視線が動く。
「それもダメなのじゃ! 玉英は妾の番になるのじゃ!!」
勢いだけは取り戻した。
「じゃあ、いつまで経っても友達で居てくれる。それだけでいいよ」
「うむ、それなら、無論じゃ! のう?」
左の玉英に笑い掛ける琥珀。
「勿論! よろしく、紫」
玉英の答えは決まっていた。
仮令紫がちょっとした嘘を吐いていたとしても、言うことは同じだった。
紫がそういうことにしておきたいのであれば、今は騙されておいてやりたかった。
友達として。
蓬莱と故郷――周華との違い等、しばしの取留無い歓談の後、
「ところで、結局聞いてなかったけど、どんな用で来てくれたの?」
紫が切り出した。本題である。
「二つ、いや、三つある」
玉英は表情を引き締めて言った。
なお、周華の王女である、ということは流れの中で話してある。紫は「ふーん、そうなんだ。改めて、遥遥良く来てくれたね」と笑っていた。
「一つ目は、交易の許可。紫の『クニ』や西の王――裴泉の『クニ』と……どちらにも属していないところがあるなら、その『クニ』ないし『ムラ』とも」
「いいよ。元々紫の許可なんて要らないけどね」
紫は屈託無く笑う。品目について訊きもしなかった。後で良いということだと判断し、続ける。
「ありがとう。二つ目は、同盟の締結。と言っても、お互いに敵対せず、お互いの敵とも結ばない、というのが主眼だが……」
「それもいいよ。友達なんだから当然だよね!」
――琥珀が言い出していなかったらどうなっていたのだ?
と瞬間考えたが、それよりも確認すべきことがあった。
「先程も名を出した、裴泉については――」
「気にしなくて良いよ。『お詫び』は貰ってあるからね」
と紫は身に纏う絹を摘んで見せる。
「そうか……わかった。では、三つ目……と言っても、可能なら、だが……」
「うんうん、何でも言ってよ!」
玉英も笑顔を返し、しかし眉尻を下げて、遠慮がちに言った。
「遅くとも二年後、私達は強大な敵との決戦に挑むこととなる。その際力を借りられる、突出した戦士の当てがあれば教えてくれないか? 竜津の『勇者』程でなくても良いのだが」
袁泥程の者はそうそう居ないだろう。
「うーんと、報酬は出せるのかな? あ、これは紫にとかじゃなくて、その、戦士達に、なんだけど」
紫にしては歯切れが悪かった。
「出せる、つもりでいる。周華の全土を寄越せ、と言われても困るが……」
当面の糧食や武具の手配は元より、功を挙げれば何処かの地に封ずることも考えていた。――実際には、王となった兄玉牙に頼む、ということになるだろうが。
「そっか、それなら大丈夫。新天地が欲しいって子た……連中だからね。猪族と、仲良くやれそう?」
猪突猛進という言葉があるように、直情径行そのもの……かと思いきや、実は警戒心が強く、優秀な将、あるいは護衛となり得る種族である。
森での狩猟採集を主として周華各地にも暮らしているが、十分に成熟した男性は伴侶を求めて単独で旅に出ると云うから、新天地を欲するのは理解出来た。
「会ってみなければわからないが、そうしたいとは思う」
「そういう答えで良かった」
紫が満面の笑みを見せた……かと思えば、表情が微かに翳り、
「ただ、迎えに行って貰わないといけないんだけど……」
「どこへ?」
「房葉。――東の果て、に近いところだよ」
「用意なら任せておいて!」と言われていたため、翌日は八松内をいくらか見て廻った後、先の建物の二階――北側にしか窓が無い――へ玉英と琥珀のみ招かれ、紫と話して過ごした。
更に翌日、先導を含めて十四艘の小舟で出立。半島や島々の間を抜けて東南東の伊津まで五日、三日で北東の浦津、半日でそのまた北東の房葉……天候に恵まれ、補給を含めておよそ十日半の旅になった。
房葉へ上陸したのは、昼過ぎである。
着岸前から波音を掻き消す程に騒がしかったため、先導が居るとは言え、見知らぬ来訪者への警戒か……と身構えたが、そうではなかった。
八松の者達を番に残し、浜辺から小さな坂を上がってみれば、強烈な日射しの中、ほぼ裸のむくつけき男達が、互いの身体を激しくぶつけ合い、殴り合い、蹴り合っていたのだ。
戦でないことは、闘う二名の周囲で囃し立てている者達の存在が示していた。――全ての男達が日に焼けた褐色の肌を晒しており、隠しているのは腰から下の一部だけである。
「練武かや?」
玉英の右、首を傾げる琥珀に、反対側――左の裴通が見上げつつ答える。
「『すまひ』です。争う、という意味で、力比べ……つまり比武ですね」
「ふむ、それでここまでやるのかや?」
全力の立ち合い、と言った方が良いくらいには双方力が籠もっているようだが――
「鹿族も行いますが、猪族のものは特に猛烈で、死者が出ることもあるそうです。大抵、女性を取り合う場合だとか」
「ならば当然じゃな。望む番を得るために命を懸ける、本懐じゃろう」
繰り返し頷く琥珀。――常に、そのつもりで玉英と共に在るのだ。
「そう……ですね」
幼い裴通はそこまで思い切れないのか、困ったように笑った。
話している間に『すまひ』は決着し、両者が皆に肩や背を叩かれ、称えられていた。――その音も随分と大きく、激しかった。
勝者だけでなく敗者も称えるのは、生き残ったことに対してか、はたまた先の雰囲気からして一種の祭りのようなもの故なのか。
思案する玉英に、輪から出て来た若者が声を掛けた。一部剃り上げた黒褐色の短髪は、猪族特有のものだ。瞳も同色である。
「あんたら、どこのもんだ」
と、今回は、裴通が仕事をすることとなった。張り切っている。
「私は玉英。八松の紫に紹介されて来た」
周華から、等と言っても通じるとは限らない。事実そうであるように、紫の名を出すのが無難だった。
「紫? 紫っていやぁ……ムラサキだから……姫巫女様じゃねぇか!? 舐めてんのかてめぇぶっ殺すぞ!!」
裴通が驚きつつも迫真の演技で伝えようとしているが、剣幕だけならば若者自身からも読み取れる。
どうやら紫は相当に慕われているらしい。
「紫がそう呼べと言ったのだ、仕方あるまい。我等は紫の友となった」
と琥珀の肩を抱き、左手では他の者達に「待て」と合図を送っている。
「友ってこたぁ……ダチ……だと……いや……ですか」
急に矛を収める若者。口は悪いが、案外素直な質らしい。あるいは若さか。――玉英より一つ二つ下に見える。
「で……何の用で?」
渋渋、という顔。
「この地では力を振るい切れない若者が居る、と聞いて来た。その力を、私に貸して貰いたいのだ。……そなたも、どうだ?」
若者は背丈こそ子祐より二寸近く小さい――茗節と同程度だが、身体の厚さは何れよりも数段上で、膂力に優れているのは見て取れた。その上、玉英等に気付いて最初に声を掛けて来た度胸もある。
ただ、出来れば一度試して――
「はっ、姫巫女様のダチだとしても関係ねぇ! 俺を従えようってんなら、俺を倒してみな!!」
おきたかった。渡りに舟、だ。……やや無鉄砲ではあるが、これも警戒心の現れ、と言えなくもない。一般に、より強き者に従わねば、滅びるのだ。
「剣で良いか?」
どうせなら、自ら確かめようと思った。
「あん? 剣……?」
若者は玉英の腰に目を遣り、
「俺はそんな大層な剣持ってねぇし、そもそもあんたじゃ小さ過ぎんだろ。俺の相手すんなら……後ろの兄ちゃん、あんたでどうだ」
「……自分か?」
玉英のすぐ後ろに居た、梁水である。梁水の方が一寸(約一・八センチメートル)上回る程度で、体格はほぼ同等。『すまひ』であれば、良い相手になりそうだった。
「よろしいですか? 玉英様」
「ああ、頼む」
玉英は振り向いて頷く。
「ハッ。……脱いだ方が良いか?」
「どっちでもいいけどよ、脱いだ方が強えと思うぞ?」
「わかった。いい奴だな、お前」
「んなこと言っても手加減しねぇぞ」
「当然だ」
梁水は話しながら腰の剣といくつかの道具袋を置き、着物と靴を脱いで、犢鼻褌(ふんどし。)だけの姿となった。
「向こうが空いたみてぇだ。あっちでやろうぜ」
「ああ」
若者に誘われて、先程まで『すまひ』の行われていた拓けた場所へ移る。――梁水の荷は文孝と成長著しい猫族の季涼が手分けして持った。
周囲に居た者達は若者と玉英等の様子を見守っていたが、どうやら始まりそうだ、とまた騒ぎ出した。
「決まり事は?」
「降参するか、死んだら負けだ」
「死ぬなよ」
「あんたこそな!」
と言うが早いか、若者が突進。
梁水は真っ向から受け止めた。
足はいくらか滑ったが、体勢を崩しはしない。むしろ、若者の両肩を掴み、押さえ込んでいる。
敗勢を悟った若者がどうにか逆転しようと試みるが、力の出処たる肩を押さえられてしまってはどうしようもない。二十数える程は粘ったが、次第に体勢を崩し、降参した。
若者は座り込んで深く息を吐き、問うた。
「あんた、強えな……俺は真庭の雷。あんたは?」
梁水は手を伸ばし、若者――雷を助け起こす。
「梁水。……他の者達は、もっと強いぞ」
「嘘だろそりゃ」
「本当だ」
一部は嘘、もとい言葉足らずで、一部は本当だった。
玉英と出逢ってからの二年半、梁水とて可能な限り鍛錬し、また御伴として玉英の近くで戦を経験して来たのだ。
剣や槍、弓の腕となると他の熟練者達に及ぶべくもないが、こと単純な膂力と『受け』――止めるにせよ、流すにせよ――に限って言えば、極一部の例外以外には負けない水準に達していた。――水との付き合いが活かされているのだ。
「梁水、あんたが従う相手なら、ええと……」
「玉英様だ」
「ぎょくえいさま? なら、俺は従う」
気持ちの良い割り切り方だった。
「しかし、梁水なら兄貴にも勝てるかもしれねぇな。俺とそこまで変わらねぇし」
「誰が変わらねぇって?」
他所者でも『すまひ』に参加したら関係無いのか、周囲の者達がやはり称えに来る中、雷と良く似た若者が、雷の背を叩きつつ口を挟んだ。
「兄貴!」
「お前が負けたからって俺も負けるってか? あん?」
「多分負けるって!」
「こんにゃろ~うりうり」
さして背の変わらない雷の頭を撫で回す『兄貴』。
「やめろって!」
じゃれ合いを眺めつつ玉牙のことを思い出し、玉英は笑みを溢した。
結局、雷の兄――迅も梁水との『すまひ』に挑み、最初の当たり方の段階で別の形を作ろうとしたものの大差無い負け方をして、
「負けちまったぜ!」
「だから言っただろ!」
じゃれ合いが続いたところへ、また別の男がやって来た。
「雷も迅も負けたんなら、俺の出番ってことになるな」
「「広常殿」」
迅と雷の兄弟が揃って声を上げた。
齢は文孝程度――二十五といったところか。外見の特徴は迅や雷とほぼ同じだが、一層身体が大きい。十一尺二寸(約二百一・六センチメートル)に近い上、分厚いのだ。
広常は迅、雷へ左の口角だけを上げて見せた後、梁水へ向き直り、
「どうだい?」
受けて動かした梁水の視線に玉英が頷いて返し、
「ああ」
三戦目が決まった。
広常殿と呼ばれるだけあって、広常は強かった。
重心を低く保ち、大地の気を活かそうとする梁水。
その気を途切れさせようと大きな身体で意外な程に素速く動く広常。
三十を超える攻防の末、互いに互いの腕を掴み合う形で膠着した。
体格で優る広常にとって本来勝勢のはずだが、梁水は大地へ根を張ったように動かなかった。
かと言って梁水から攻め切ることも出来ず、互いに決定機を得られぬまま百を数え――
「已め」
玉英が声を掛けた。ここまで拮抗した状態から無理に動かそうとすれば、予期せぬ事故が起こりかねない。それは本意では無かった。
梁水と広常は視線を交錯させたまま頷き、同時に離れる。
示し合わせたかのように溜息を吐き、
「本当に強いな、あんた」
「お前もな」
「広常」
「梁水だ」
双方、既に名を聞いてはいたが改めて名乗り、微笑んで、抱擁を交わし称え合った。




