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第二十話 蓬莱

当作平均よりやや長い程度となっております。お付き合い頂ければ幸いです。

 青山(せいざん)の戦いから十七日後。玉英(ぎょくえい)軍は青陰(せいいん)を攻めた。

 正確に言えば、謀計(ぼうけい)により奪取(だっしゅ)制圧(せいあつ)した。降伏(こうふく)した青淄(せいし)軍を用いたのだ。

 青東(せいとう)連合軍()()()に追い立てられた……という(てい)で青陰に助けを求め、三万余りで入城。あとは、青淄でやったのと同じである。ここでは青淄軍の降将(こうしょう)山克(さんこく)(こう)()げた。――突雨(とつう)匹敵(ひってき)する体格の豪傑(ごうけつ)である。

 青陰には十二万の兵が居たが、突然(とつぜん)城内(じょうない)で戦闘が始まる、と考えているわけもない。内城(ないじょう)で若干の戦闘は起きたものの、それだけだった。

 どれ(ほど)(わず)かな犠牲(ぎせい)であろうと(いた)まないわけではないが、少ないに()したことはない。玉英にとっては、最上の成果(せいか)だった。


 青陰制圧後、軍の再編(さいへん)(など)並行(へいこう)して降将(こうしょう)文官(ぶんかん)へ玉英の()()を明かし、民への布告(ふこく)について(はか)った上で、燕薊(えんけい)でのものより幾分(いくぶん)(こな)れた演説(えんぜつ)施策(しさく)を各地で行って、青陰、青淄とその他青東(せいとう)半島内の民を味方に付けた。

 もとより『三つ子半島』の民は王位簒奪(おういさんだつ)とその後の苛政(かせい)に反感を抱いており、(がく)家の支持も糧食(りょうしょく)の支援もあったため、()()()()()()円滑(えんかつ)に進んだ。

 とは言え、半島を(めぐ)って民の声を聞き、太水(たいすい)沿()いで行っている以上の警戒網(けいかいもう)()き終えて燕薊へ戻るまでには、ほぼ四月(よつき)を要した。



 暑い季節である。

 恵水(けいすい)や太水、劫海(ごうかい)の氷は既に()け、漁も程程(ほどほど)に行われている。――秋冬が(しゅん)の魚を()()ぎぬようにと制限する(なら)わしによる。

 その制限の範囲内でも、燕薊近辺では、一尺(約十八センチメートル)にも満たない魚――未成熟(みせいじゅく)ではなくそういう(しゅ)――から五尺(約九十センチメートル)以上のものまで()がり、漁師達が暮らしに困らぬ程度にはなっている。……と、玉英は葉網(ようもう)から聞いていた。

 燕薊帰還(きかん)の翌朝である。生憎(あいにく)()模様(もよう)ということもあり、(しん)で舟の手入れをしていた漁師達を(おとな)ったのだ。同行者は琥珀(こはく)子祐(しゆう)のみという、身軽な訪問である。

愚息共(ぐそくども)もご厄介(やっかい)んなってるってぇのに、あっしらまでご支援(たまわ)っちまって、どうお礼(もう)()げりゃあいいか――」

 漁師達が平伏(ひれふ)そうとするのは「作業を続けよ」と止めてあったため、葉網は手を動かしながら器用(きよう)に頭を下げて見せる。

 漁師に限らず、民への支援は続けていた。――かなりの部分鎮戎公(ちんじゅうこう)領域の商隊(およ)輜重(しちょう)隊に頼っており、それ(ゆえ)限度(げんど)もあったが、この春から夏に掛けていくつかの作物が収穫期(しゅうかくき)(むか)えたことで、多くの民が燕薊()()()豊かさを享受(きょうじゅ)し始めていた。

「むしろ私の方こそ感謝している。葉棹(ようたく)は重大な役目を(にな)ってくれているぞ」

 (むら)の建設を(まか)せた茗節(めいせつ)からの報告はいくつも上がっていた。それに()れば、葉棹は三百数十名の少年達をしっかりと(まと)め上げ、近隣(きんりん)各邑との関係も良好、とのことだった。

「いえ、そんな、(おそ)れ多いこって……」

「良い。子の成長は素直に喜べ」

 玉英は微笑んだ。――九泉(きゅうせん)の下の父母を(おも)いながら。

 右腕に、琥珀が柔らかく抱き付くのを感じた。



 葉網との話を終えてからも、玉英等は各所の訪問を続けた。

 不在中(ふざいちゅう)の報告のうち、急を要するものへの対処(たいしょ)は昨夜のうちに済ませてあったため、幾日(いくにち)か掛け、民の暮らしぶりを直接確認することにしたのだ。

 農民、(きこり)梓匠輪輿(ししょうりんよ)(家具や建具(たてぐ)を作る木匠即ち大工(だいく)と、車台や車輪を作る者を纏めて指す言葉。)、陶匠(とうしょう)鍛冶師(かじし)、肉屋、料理屋、その他様々な商賈(しょうこ)、あるいは家のことに加えて機織はたおりをする女達……仕事は数多(あまた)あり、各々(おのおの)が各々の領分(りょうぶん)で一定の成果を出し、互いに支え合って暮らしが成り立っている。

 実のところ、農閑期(のうかんき)の農民が釣りをしたり、狩猟(しゅりょう)採集(さいしゅう)を――(りょう)と同じく一定の決まりの(もと)で――(おこな)ったりと、必ずしも全ての民が一つの仕事で生計(せいけい)を立てているわけではない。

 自然、利害の対立からしばしば(いさか)いが起きるものの、葉網のような代表者が話し合うことで(おおむ)ね上手くやっていた。時折(ときおり)解決出来ずに長官――燕薊の場合は玉英――のところまで()()()()来る場合もあり、これに対しては極力(きょくりょく)公正(こうせい)裁定(さいてい)を下すこととなる。裁定を通じて民を導くことは(まつりごと)の本質の一つであり、そのためにも、実地(じっち)見聞(けんぶん)を広めておくことは重要だった。



 割ける(とき)は日によって()()()()ながら、各所の視察をし続けて十日。

 幸い大きな問題は起きておらず、数日以内に対応(たいおう)を決定出来ることばかりだった。……が、いくらか(すず)やかな風が吹いた夕刻(ゆうこく)、重大な知らせが舞い込んだ。

 遼南(りょうなん)から使者が来た、と。


 燕薊の――劫海を挟んで――東にある遼南半島、その西側の付け根付近にあるのが『三つ子半島』第四の都市、遼南である。

 民の数、およそ四十五万。盛んな漁業と()()との交易中継(ちゅうけい)によって(さか)えたが、大地の肥沃(ひよく)さも持ち合わせている。この地方には、遼南の西で劫海へ注ぐ大河――遼河(りょうが)があるのだ。

 遼河本流(ほんりゅう)は、河口からほぼ北東千七百里(約六百八十キロメートル)、国境付近の山中に(たん)(はっ)する。河口へ向けて真っ直ぐ流れているわけではなく、最初はおおよそ西へ千二百五十里(約五百キロメートル)、次いで南南西へ六百七十五里(約二百七十キロメートル)――ここで北西七百里(約二百八十キロメートル)から流れ来る支流と合流する。合流後は南東へ三百二十五里(約百三十キロメートル)、南西へ同じく三百二十五里、で河口に至る。


 大河の例に()れず、周辺地域はこの遼河を(さかい)にして大きく()()に分けられる。

 一つは遼北(りょうほく)。文字通り遼河の北側を()い、東寄りの山岳以外は、寿原じゅげん西寿(せいじゅ)を合わせた(ほど)の広大な平原である。――()()()()()()()()()()()()()だ。

 別の一つが()()()()()()遼南である。遼河本流に(いだ)かれるように概ね南側ないし東側に位置し、遼北同様、西寄りの広大な平野部と、北東から南の遼南半島まで続く東部の山脈を内包(ないほう)する。

 残る一つは遼西(りょうせい)。西側、恵水に至るまでの地域であり、遼北並びに遼南と(こと)なり燕薊の管轄下(かんかつか)にある。北西部で接する恵北(けいほく)から山岳(さんがく)()()して来ているが、海沿(うみぞ)いは平坦(へいたん)であり、燕薊と遼南を(つな)ぐ道となっている。

 その()を通って――結局は舟を使うことになるが――やってきた使者が、遼南の()()()()()()()()う。



 鬼族には(めずら)しい程に痩身(そうしん)の男が執務室へ入って来て、視線を合わせることもなく平伏(ひれふ)した。

(おもて)を上げよ」

「ハッ!」

 やや長めの黒髪、日に焼けて()()()(はだ)、切れ長の目から黒い瞳が(のぞ)く。

 鬼族らしい部分と()()()()()部分とが混在(こんざい)しているが、やはり()()()(まさ)る印象だ。

 玉英と目が合った瞬間、また頭を下げてしまったため、

「面を上げよ」

もう一度命じた。

「ハッ! 申し訳御座いません!」

 いくらか高めの声と共に、男は()()げるように頭を上げ、今度こそ、(かす)かに(ふる)える瞳が玉英を見つめた。

 齢は四十にはなっていないだろう。

「玉英である。そなたの知りたかったことは知れたか?」

「ハッ、殿下(でんか)、どうかこの陶岱(とうたい)と遼南の民に、臣従(しんじゅう)をお許し頂きたく存じます!」

と言った勢いのまま、(ひたい)(ゆか)(たた)き付けた。

()()へ知らせようとは思わなかったのか?」

幾度(いくたび)か試みましたが、全て失敗に終わり……」

 卑屈(ひくつ)とも取れる声音。

(あきら)めた、ということか」

()(ほど)(わきま)える(たち)に御座いますれば」

 敵対行為の告白(こくはく)だが、ここは正直に()()()()()()(ほう)が良い、と判断したのだろう。

「戦おう、とも?」

御覧(ごらん)の通り、(わたくし)は根っからの文官(ぶんかん)に御座います」

「将兵は精鋭であろう」

 遼南には熊族と戦った古参兵(こさんへい)が多いはずである。仮に遼南軍が精兵(せいへい)十万に農民、老兵(ろうへい)十数万を加えて燕薊へ()()せれば、玉英軍は苦戦することになるだろう。軍の大半は各地の監視に(おもむ)いているのだ。遼南軍に対応しようとすれば、結果的に(すき)が生じることとなる。――無論(むろん)(さく)は用意しているが。

「皆、(さき)の長官を(あつ)(した)っておりまして、(わたくし)(ごと)きでは、どうにも……」

 前の長官は国境を長く任されていた。戦場を共に()けた将兵が慕うのも無理からぬことだ。

「では、そなたは何を望む?」

「文官の端くれとしてお使い頂ければ幸いです」

「長官でなくても良いのか?」

「身に余ることと存じております」

 陶岱は顔を伏せたまま、身体を小さくしている。

 今この瞬間だけならば小心(しょうしん)にも見えるが、数名の護衛(ごえい)のみで燕薊へ来訪(らいほう)し、玉英の前で(はら)(そこ)を見せた胆力(たんりょく)は相当なものである。

 しかも、そうした行動を選んだということは、限られた情報から現状をおおよそ把握するだけの智慧(ちえ)(そな)えているものと思えた。

「面を上げよ」

 三度(みたび)命じた。

 陶岱は(おそ)る恐る従う。

「陶岱、改めて、遼南長官として私に仕えよ。ただし、当然ながら、民を安んずること。また、遼南の視察に同行せよ」

「………………ハッ!」

 陶岱は目を見開いてしばらく(ほう)けていたが、どうにか返事を寄越(よこ)し、また頭を下げた。

「遼南のこと、そなたのこと、もっと私に教えてくれ」

 玉英が柔らかく言うと、

「ハッ! 光栄に御座います!」

陶岱は額を床に(こす)()けた。



 遼南が自ら下ったことで、『三つ子半島』の支配は早々に確立した。

 光扇(こうせん)筆頭(ひっとう)として送り出した使者達が百漁(ひゃくりょう)半島を含む麗羅(れいら)半島を()(まと)めるのに、ほんの三月(みつき)(ほど)で済んだのだ。

 とは言え、玉英自身もその()以上の月日(つきひ)を掛けて遼南、遼北、遼西を視察していたため、光扇から報告を受けたのは翌春(よくしゅん)、燕薊へ戻った後だった。


「西の王、『(とう)』の勇者(ゆうしゃ)、そして雨呼(あまよ)びの姫巫女(ひめみこ)、か」

 夕刻、燕薊の執務室である。太水の氷こそ溶けているが、朝夕(あさゆう)はまだ燭台(しょくだい)の火が心地良(ここちよ)い。

「ハッ。殿下に御足労(ごそくろう)頂くのは大変恐縮(きょうしゅく)で御座いますが……」

 いつも通り椅子(いす)()()()()()光扇が、(まゆ)(ひそ)めて言う。

 先に玉英が言及(げんきゅう)したのは、麗羅半島の南ないし東に()る長大な列島(れっとう)――蓬莱(ほうらい)に関する(うわさ)だった。


 (いわ)く、蓬莱西部を()べる王が()り、周華との()()()()()()交易を求めている、と。

 曰く、西の王の(みやこ)から遠く東、天を()かんばかりの高楼(こうろう)があり、その門番(もんばん)は『神』に類する力を使う無双の勇者である、と。――高楼を『塔』と呼ぶのは門番自身に(なら)ったものらしく、玉英も一先(ひとま)ず合わせた形だ。

 また曰く、蓬莱東部を統べる八松(やまつ)なる王朝の姫巫女は自在(じざい)風雨(ふうう)を呼ぶ、と。


 国家としての交易は是非とも成立させたいが――蓬莱でも良鉄(りょうてつ)が出る、と近年交流が盛んだと云う麗羅半島南東部、那耶(なや)半島の者から報告が上がっている――それ自体は、条件を()めるだけで済む。

 しかし、仔細(しさい)不明(ふめい)の勇者は()(かく)、姫巫女は――もし本当に風雨を呼ぶのであれば――『神』ないし『神の(ごと)(もの)』に相違無(そういな)い。その存在(そんざい)を知ったからには、会っておかねばならなかった。

 基本的に政治と関わろうとしない西王母(せいおうぼ)祝融(しゅくゆう)のことを()まえれば、周華()の『神』に謁見(えっけん)を求めるのは無謀(むぼう)とも思えるが、『神』の()(さわ)危惧(きぐ)(いだ)いたまま交易を()(すす)めるよりは、(さき)んじて(れい)()くし、(こいねが)う方が()()であろう……というのが光扇や雲仁(うんじん)の出した結論であり、

「良い。私もそうすべきだと思う」

玉英の賛同(さんどう)するところでもあった。――元より(えにし)のある祝融とて連絡相手には()()を指定している。縁無き『神』であれば(なお)(こと)、玉英自らが(おもむ)他無(ほかな)い。()()()()()とはそういうことだ。

警護(けいご)は子祐殿等(どのら)にお任せせざるを得ませんが……」

 仰仰(ぎょうぎょう)しく軍を連れて行くわけにはいかない。――それこそ『神』の怒りを買うであろうことは想像に(かた)くなかった。

「いつものことだ。むしろ身軽(みがる)で良い」

 玉英は目を細め、口角を上げた。

「……今回に関しては何も申し上げられませんが、平生(へいぜい)はその悪癖(あくへき)(おさ)えて頂きたく、臣下一同(しんかいちどう)、伏してお願い申し上げます」

 椅子に座っておくことが命令である以上、実際に床へ伏せることは出来ず、ただ限界を超えて頭を下げる光扇。

「そなたの忠言(ちゅうげん)はありがたく思う。だが、燕薊を守ってくれている皆のことを、私は信頼している」

 突雨(とつう)()による太水沿いの監視、燕薊外城()から内城()に掛けての幾重(いくえ)もの巡邏(じゅんら)並びに要所の衛兵、それに――

「何より、子祐が居るのだ」

 全幅の信頼が、そのまま笑顔に表れていた。

「ですが如何に子祐殿とて――」

 (かば)()れぬ場面はありましょう、と続ける前に、

「いや、すまない。これは私の我儘(わがまま)だ。……蓬莱から帰った(のち)、警護の体制は見直すこととする。それで、勘弁(かんべん)しては(もら)えぬか」

 眉尻(まゆじり)を下げる玉英。鍛錬(たんれん)甲斐(かい)あってか、日日(ひび)凜凜(りり)しさが増してはいるものの、こうした表情をするとまだ幼さが出る。

 (よわい)十八なのだ。()()()()()が無ければ、王族としての(つと)めは多多(たた)あれど、また如何(いか)兵法(へいほう)の才あれど、軍を(ひき)いることすら無かったであろう、少女。

 最も気安(きやす)い琥珀と子祐だけを連れて歩きたい、という(おも)い自体は、九つ上の光扇にも察せられた。(かつ)ての光扇にも、()()()()()欲求はあったのだ。

()()そうして頂きますからね」

 光扇は()えて口調(くちょう)(ゆる)めた。

「ああ、勿論(もちろん)だ。感謝する」

 笑みの戻った玉英を、光扇だけでなく、玉英の(となり)の琥珀も笑顔で――玉英の左脇(ひだりわき)(ひか)えた子祐は(ほとん)ど表情を動かさぬまま――優しく見つめていた。



 麗海(れいかい)と呼ばれる内海(ないかい)がある。

 西から北の遼南半島、北から南の――広義(こうぎ)での――麗羅半島、そして南西の青東半島で()()()()囲われており、西の劫海だけでなく南の東海(とうかい)(周華の東の海、の意。)とも(つな)がっている。

 燕薊から蓬莱を目指す場合、地図上だけで見れば劫海、麗海、東海と出て、そのまま百漁半島、麗羅半島沿いに東へ行けば良さそうなものだが、外海(がいかい)()危険(きけん)()らすべく、光扇()が麗羅半島との往復(おうふく)に用いた経路(けいろ)と同様、()ずは麗海沿岸部を舟で(つた)うこととなった。

 (すなわ)ち、燕薊を出て劫海を東進(とうしん)。遼南半島沿岸を進み、東岸へ(いた)って北上。麗海最北部、遼南半島東側の付け根にある小都市番丹(ばんたん)補給(ほきゅう)し、今度は麗羅半島に沿って南下。麗羅半島の最大都市韓陽(かんよう)()に立ち寄ることとなる、半島やや南寄りの城塞都市(まち)郡津(ぐんしん)で上陸し馬で南東へ。各都市での視察を含め、燕薊から数えて六十日で、沿岸都市那耶(なや)辿(たど)()いた。


「――だもんで、明日には出航(しゅっこう)出来やす……ああ、いや、出来ると存じやす? 殿下」

「そなたが言い易いようにして構わない、金台(きんだい)

 首を(かし)げた鬼族の男――金台に、玉英は微笑(ほほえ)んで見せた。

「へぇ! ありがとうごぜぇやす!」

 金台が満面の笑みを返す。作業する手は止めていないが、玉英はそれも許している。

 那耶の内城に隣接した一角、民の数五万という都市の規模からすれば(しん)(がた)(ほど)に広大()充実(じゅうじつ)した鍛冶場(かじば)を、玉英一行(いっこう)(たず)ねていた。

 蓬莱への旅に同行したのは、琥珀、子祐、文孝(ぶんこう)梁水(りょうすい)伯久(はくきゅう)以下十五名の猫族、という最も古株(ふるかぶ)面々(めんめん)に、玉英麾下(きか)から雲儼(うんげん)(れい)田額(でんがく)及び選びぬかれた兵四名、茗節(めいせつ)相毅(しょうき)、そして上越一家の娘、大熊猫(おおくまねこ)族の琳琳(りんりん)――偽名(ぎめい)もとい愛称(あいしょう)だ――と()(もの)十名。

 玉英を含めて四十名の一団だが、琳琳以下の十一名は舟旅を共にする以外は姿を見せず、猫族や田額以下の兵達はいくらか距離を置いて警護に当たっているため、この場に居るのは九名である。

 その九名の視線を()(かい)さず鉄と向き合う金台は、那耶の(おさ)でありながら鍛冶をしている方が(しょう)()うらしく、一日の大半を鍛冶場(こちら)で過ごしていると云う。

 春の終わりの昼過ぎ。盛大(せいだい)に火を使っていることもあり異様(いよう)に暑いが、金台は(たき)のように汗を流しつつ、玉英の(どう)よりも太そうな剛腕(ごうわん)を振るい続けている。齢十にもならぬうちから二十五年以上も(はげ)めば、こうもなろうか。

「こちらこそ、(いそが)しいところ、手配(てくば)りに感謝する。また後程(のちほど)会おう」

「へぇ、殿下。と、ここを出て右へ行きゃあ井戸(いど)がありやすんで、どうぞお使いくだせぇ」

 豪気(ごうき)なようでいて、気配(きくば)りも出来る。こうしたところが、那耶の長として(した)われる要因(よういん)だろう。

「ああ、ありがたく使わせて(もら)う。そなたも自愛(じあい)せよ」

「へぇ! ありがとうごぜぇやす!」

 玉英は(うなず)き、(きびす)を返した。



 金台の言った通り、三艘(さんそう)のやや大型の舟の準備は既に済んでおり、波の静まった翌朝、那耶を出た。

 対岸(たいがん)(しょう)しても良い位置の島、津島(つしま)北岸へ(わた)るだけならば海の水の流れ――海流(かいりゅう)(あらが)いながらでも二日というところだが、西岸南方までとなると八日(ようか)掛かった。次の島である一支(いき)までは海流に上手く乗れたとのことで一日。そして津島や一支とはまるで異なる規模の巨大な島――らしい――にある、華津(かつ)という(むら)へ辿り着くのにやはり一日を要した。


 十日間の舟旅の終わり、極力同時に着岸(ちゃくがん)するよう調整した昼過ぎ、(ようや)く華津へ上陸したところで、

「どいつが(かしら)だ?」

低く落ち着いた、しかし良く通る声と共に、百を超える集団に囲まれた。距離は、一番遠い者で十丈(約十八メートル)というところ。砂浜(すなはま)もあるが、三つ数える間には(おど)()める。

 玉英は前に出ようとする子祐を止め、歩み出て名乗った。

「周華の王女、玉英である。そなたが『西の王』か?」

 最初に声を掛けてきた、飛び抜けて大柄(おおがら)な男へ問う。――子祐よりも四寸半(約八・一センチメートル)は大きいだろうか。身体も格段(かくだん)(あつ)く、()に焼けている。周囲の者達と同様、犬族よりもやや丸みを帯びた耳、丸丸とした短めの尾が目立った。(かみ)を含め、(いず)れも黒味掛(くろみが)かった褐色(かっしょく)。なお、()以外の者の背丈(せたけ)は、子祐と一尺(約十八センチメートル)差まで成長した玉英より(さら)に六寸(約十・八センチメートル)前後は低く、()を含めた多くの者が(ひげ)(たくわ)えている。

(たぬき)族じゃな」

 背後で琥珀が(ささや)いた。――玉英からは見えないが、茗節と相毅も(かす)かに頷いている。

 男は(つぶら)な黒い目で玉英を見つめると、はっ、と笑って、

西の王と(そう)呼ばれることもあるがな、大周華の王女殿下に()()()()()にはまだ足らねぇ。だから殿下のお身柄(みがら)(あず)かって、とも思ったんだが――」

 子祐を筆頭(ひっとう)にした面々は既に()()()っていた。――()まる(ところ)、玉英と琥珀を(まも)りつつ、男と周囲の者達を(みなごろし)にする(かま)えだった。

 琳琳とその手の者達はこうした闘争にはさほど向かないが、犠牲(ぎせい)になることを(いと)いもしない。――()()()()()()()()()ことが役割である。

「――ちと()(わり)ぃな。やめだやめ、お前ら、帰っていいぞ」

 男が「散れ」と言うように手振(てぶ)りも(まじ)え、何か続けて言っているが、意味はわからなかった。蓬莱の言葉なのだろう。――先程(さきほど)は玉英()に聞かせるために、()えて周華の言葉を(つか)ったのだ。

「これで、俺だけだ。……おっかねぇ気配(けはい)は引っ込めてくれよ、美貌(びぼう)が台無しだぜ、(ねえ)ちゃん」

 どうやら子祐に言っているようだ。が、当然子祐には一切(いっさい)(ひび)かない。

「良い、子祐。あの男は力量差(りきりょうさ)見誤(みあやま)る者ではないらしい」

「ハッ」

 玉英は(あらた)めて一行を率い、男のところまで進み、

「周華の王女、玉英である」

一悶着(ひともんちゃく)(など)無かったかのように、名乗った。

「はっは、こいつぁ確かに王女殿下らしい。……裴泉(はいぜん)ってもんだ、殿下」

「裴泉、良い関係を(きず)きたいものだ、が、先に確認せねばならぬことがある」

「なんだ?」

「蓬莱に、『神』は居るのか?」

 最も重要な点へ、()(こう)から切り込んだ。



 その話をするなら、と裴泉が移動を提案(ていあん)したため承諾(しょうだく)し、琳琳と手の者達は何処(いずこ)かへ()り、田額以下の兵達は舟の番に残った。

 道中立ち並ぶ建物は、地に直接屋根を()せたようなものから床を高い位置――地に立てた柱の上――に作ったものまで様々あったが、各々(おのおの)の大きさや()た建物同士の配置には一つの意思による統制(とうせい)が感じられ、裴泉の統治の強力さが(うかが)()れた。

 十六本の柱によって支えられた高床の巨大な建物――高さ九丈(約十六・二メートル)、床の位置でも二丈五尺(約四・五メートル)はある――を眺めていたところ、

(めずら)しいか?」

前を行く裴泉が振り向いて言った。

「ああ、華南(かなん)の一部には似たようなものがあると聞いているが、見るのは初めてだ。それに――」

 ()()は読んで字のごとく、周()()部を大雑把(おおざっぱ)に表す言葉だが、おおよそ双龍河(そうりゅうが)流域、と考えても良い。鬼族と竜爪族(りゅうそうぞく)、白虎族がそれぞれ一部を、鳥翼族(ちょうよくぞく)が残る大部分を支配しており、鳥翼族が極めて多くの氏族(しぞく)を持つことと南方の気候とが相俟(あいま)って、華南の民の暮らしは華北(かほく)とは大きく異なり、しかも多彩(たさい)なものとなっている……と(かつ)て教わった。

「――稲作(いなさく)が非常に盛んなのだな」

 この点も、華南との共通点だった。華北では(あわ)(きび)(ひえ)(むぎ)(など)栽培(さいばい)が主であるのに対し、華南では稲作が主である。

 裴泉の屋敷は高台(たかだい)にあるらしく、坂を登っていく途中、周囲を見渡すと、植えられたばかりであろう(なえ)水田(すいでん)青々(あおあお)(かがや)いていた。

「鉄のおかげよ」

 裴泉が左の頬を上げる。

「那耶や弁津(べんしん)の連中には、(おん)()てる」

 弁津は麗羅半島南部、那耶から見れば西にある小都市であり、那耶と同様、良鉄の産地だ。

「俺達もちまちま作っちゃあいるが、なかなか大きなものは出来ねぇからな」

 蓬莱の地には、周華では一般的となっている(どう)青銅(せいどう)。)や鉄を()かし(かた)に流し入れて固める技術――鋳造(ちゅうぞう)普及(ふきゅう)していないらしい。が、完全に鉄を溶かせずとも、土器(どき)を焼き上げるのと同程度の熱で無理矢理に作り上げる技術はあると云う。

「風の通る場所でな、(まき)の上に砂鉄(さてつ)を集め、その上にまた薪を載せ、何日も燃やし続ける。すると(くず)れたような鉄の(かたまり)が出来る。勿論(もちろん)まだ完成じゃあねぇ。質もまちまちでな。良さそうなもんを熱しては叩き、熱しては叩き、と繰り返しゃあ、小さな刃物くれぇなら作れるってぇ寸法(すんぽう)よ」

 白虎族の邑で玄鉄(げんてつ)が行っていた方法――鍛造(たんぞう)と似ているものの、玄鉄は専用の()を使っていた。

「で、大周華じゃどうやってんだ?」

(くわ)しくは知らぬが、もっと大きな設備(せつび)でやっておったな」

「大きな、ね……」

「すまぬな、私に経験があれば良かったのだが」

「いいや、殿下がやるこっちゃあねぇな、確かに」

 裴泉は声を出して笑い、玉英も微笑んだ。

 (うそ)を、()いた。だが、鉄は、国を支える力そのもの――その一つ――である。それも、玉英が持つのは西王母の邑で学んだ技術だ。軽々(けいけい)に他国の者へ教えるべきものでは無かった。

 対して、裴泉が簡単(かんたん)に技術を開示(かいじ)したのは、周華の者からすれば不要と知ってのことだろう。もう一段や二段上の技術を秘匿(ひとく)していても(おどろ)きはしない。――その程度には油断ならぬ男として、玉英の【眼】には映っていた。

「――と、ここが俺の家だ」

 裴泉の屋敷(やしき)は、邑の中の邑、といった様相(ようそう)だった。

 高台を()()いた深さ二丈(約三・六メートル)(ほど)空堀(からぼり)とその内外に設置された木の(さく)。各方面を見張れるだけの物見櫓(ものみやぐら)。武器や糧食(りょうしょく)を蓄えるためであろう()()が複数並び、奥まった部分には先の巨大な()()に匹敵するものが一棟(ひとむね)。邑の外縁部(がいえんぶ)を外城とした場合、内城に当たる、と言えるだけの施設が揃っていた。

「この高台は、俺がこの辺りへ来て最初に陣取(じんど)った場所でな」

 裴泉がどこか遠くを見るようにして言う。齢三十過ぎ、とすれば十数年前のことだろうか。

「万が一の備えとして残してる」

また、左の頬を上げながら振り向いた。

「『西の王』は気苦労(きぐろう)()えぬな」

 建築物はなんであれそうだが、特に堀は、しばしば手入れしなければ(たも)てないのだ。原因が何であれ、労力を掛ける必要がある、ということだった。

「大周華の王女殿下には到底(とうてい)(およ)ばねぇがな」

 笑い合い、大きな建物へ向かった。

 倉庫の類と思しき建物の(かげ)に、少年が見えた。



 裴泉は最奥(さいおう)()け、入口から見て左側の奥へ横向きに座り、玉英は裴泉の正面へ座った。互いに胡坐(あぐら)である。

 十名は並んで座れるだろう広さだが、琥珀が玉英の隣へ座り、子祐が背後へ控えた以外は、外で待っている。

 一つ深呼吸をして、裴泉が切り出した。

「早速、『神』についてだが、殿下が()う『神』ってなぁ、単なる英雄豪傑(えいゆうごうけつ)のことじゃあねぇってことでいいんだよな?」

「ああ、無論だ」

 間髪(かんぱつ)入れずに頷く。

「そうか……ってこたぁ、俺は(ちげ)ぇ、ってわけだ」

「何?」

「蓬莱では、何かを()()げた者が『カミ』を自称(じしょう)することがある」

「そなたはこの(あた)一帯(いったい)(おさ)め、自称した、ということか」

「征服して、だな。『カミ』であった方が征服地の民も従い易い」

 左頬を上げて見せる裴泉。癖なのだろう。――この男の場合、何かの合図を隠すためにそう思わせたいだけ、ということも考えられるが。

随分(ずいぶん)(はら)()って話すのだな」

「大周華の王女殿下相手に気取(きど)ってどうする。殿下の一声で、俺の『クニ』なんぞ滅ぼせるんだろう?」

「必要ならば、そうだ」

 もしこの邑――玉英から見れば――が根拠地(こんきょち)に過ぎず、他に同規模の邑がいくつかあったとしても、せいぜい小さな城塞都市(まち)程度に過ぎない。それも民の数だけの話で、銅の武器すら行き渡らせられないらしい現状、相手になるわけもない。

「はっ、ありがとよ」

 必要ならば、と言ったことに対してだろう。やろうと思えば、ではない。玉英は、()()()()()()()()()()()、と言ったのだ。

「だから俺としちゃあ、なるべくご機嫌(きげん)を取って、少しでも気に入って頂くのが最善(さいぜん)。……なら、こんなことで嘘を吐く意味も無い」

「それも、その通りだ」

「ご納得頂けて幸い、ってな。で、俺以外の(カミ)についてだが……」

「うむ」

「ここから東へ行って、南へ行って、また東へ行って、少しばかり北……って辺りの島に『塔』ってもんがある」

「噂だけは聞いている」

「そうか、なら話が早い。そこの門番は、火に焼かれず、矢に当たらず、姿が掻き消えてはまた現れる……と、『カミ』みてぇな『(ちから)』があるってぇことだが、そいつは多分『カミ』じゃあねぇ」

「ほう、何故(なにゆえ)そう言える?」

 裴泉が両の頬を上げた。

「殿下の謂う『神』ならどうか知らねぇが、本当に『カミ』なら、俺も俺の民も、無事で済んじゃいねぇ」

「戦ったのか!?」

 両眉(りょうまゆ)を上げて問うた玉英へ、裴泉は眉間(みけん)(しわ)を寄せて答える。

戦ったと(そう)言えるかどうか。……多少強引(ごういん)にでも『クニ』へ(まね)こうと五十名送り込んだが、(かえ)()ち、いや、全員がほぼ無傷(むきず)で帰された以上、()なされた、と謂うべきか。何しろ、あっちは()()()無傷だったってんだからな」

「それは……」

 子祐ならば、玉英が命じればやってのけるだろう。もし同等のことが出来るとすれば、『(ちから)』も含めてにせよ、勇者と呼ばれるに相応しい(うで)である。

()()()だろ?」

 裴泉が、幾度目だろうか、左頬を上げた。

「そなたにとっては、()()が居なければその地に手を伸ばせる、か?」

 玉英は色を付けずに言った。

「おっと、戦をしよう、ってんじゃあねぇぞ。五十も送ったのは、()()敬意(けいい)(はら)ったまでだ。大体、『クニ』としては、あの一帯も東の姫巫女様の影響下だしな――」

 裴泉は続けて本題に入った。――当たり前に考えれば誤魔化(ごまか)しているようにしか見えないが、手を出す気がない、というのは本心と思えた。

「――()()と違って、姫巫女様は、ありゃあ、本当の『カミ』……少なくとも『カミ』に(ちけ)ぇ存在なのは確かだ。(さか)らえば、舟が(しず)められる」

 玉英に――周華に対してさえ(いだ)いていない(おそ)れのようなものが、裴泉の剛毅(ごうき)な顔へ、確信と共に浮かんでいた。

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