表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/23

第十七話 恵陽

当作平均より若干短い程度となっております。お付き合い頂ければ幸いです。

 鎮戎公(ちんじゅうこう)領域の()半分を支えている二本の川を、西から順に太水(たいすい)恵水(けいすい)と呼ぶ。

 両河川(りょうかせん)()半分を更に()()区切(くぎ)るように南下しており、それらの地域はやはり西から太西(たいせい)太東(たいとう)恵北(けいほく)と呼ばれている。

 太水、恵水共に中流域で鬼族領域へ入り、太水は大きく東へ転じてから、恵水は(ほとん)ど流れを変えないまま、東の劫海(ごうかい)へと(そそ)ぐ。

 (いず)れも竜河(りゅうが)には及ばないものの豊かな水量を(ほこ)り、周辺ではいくつもの有力家門が勃興(ぼっこう)した。

 その代表こそが鎮戎公──雲理(うんり)輩出(はいしゅつ)した亀甲(きっこう)本流(ほんりゅう)(げん)家であり、玄家の根拠地(こんきょち)たる恵陽(けいよう)は、現在でも鎮戎公領域の()()中心地となっている。

 玉英(ぎょくえい)一行(いっこう)の、今回の目的地だ。



 周華(しゅうか)北辺の初夏。

 朝の日差しは暑過ぎず、寒過ぎず、心地良(ここちよ)い具合を(たも)っていた。行軍日和(こうぐんびより)である。

 三日間の準備を経て朔原(さくげん)を出た際、玉英は──表向(おもてむ)雲儼(うんげん)は──七万一千の兵を(ひき)いていた。

緊張(きんちょう)しているのか」

 形の上では先鋒(せんぽう)牽引(けんいん)する雲儼(うんげん)に、夕照(せきしょう)と共に右を行く玉英が声を掛けた。──夕照の方は、もう一つ右隣で琥珀(こはく)を乗せて歩く白馬、皎月(こうげつ)と何やら目で会話している。

「ハッ! 私には、荷が重いです」

 いくらか強張(こわば)った笑みを見せる雲儼。

 何しろ、朔原軍の半数以上に当たる大軍である。

 内訳(うちわけ)は、緑野(りょくや)帰りの玉英麾下(きか)千騎以外に、歩兵五万三千、騎兵一万七千。──これには輜重(しちょう)隊一万八千を含んでいる。

 種族で言えば、頑健(がんけん)な亀甲族五万四千を中心に、兵站(へいたん)精通(せいつう)した犬族一万六千、状況次第で別格の活躍を見せる鳥翼(ちょうよく)族四百も加わっていた。

 ただし、全軍が共に恵陽を目指すわけではなく、大半の兵の(にん)は、熊族移民達のため、(むら)を建設、運営、防衛することである。

 協力者として、旅慣れた商賈(しょうこ)の集団──商隊(しょうたい)が、担当の()西()で大きく分けて二つ。大量の物資を延々(つら)なる馬車で運びつつ、後に続いていた。

 そうした大集団の中で、玉英()の周囲には子祐(しゆう)(はじ)めとした(もと)の玉英一行と──

「大丈夫だ! ()れは玲が率いる!」

──雲儼の妻にして熊族の姫、(れい)しか居ないため、口調に気を(つか)う必要は無かった。

「ええ、そうですね、玲。よろしくお願いします」

「いいぞ! 任せろ!」

 玲の満面の笑みに、雲儼の余分な力が抜けた。



 朔原から東の(しん)まで三日。

 軍の規模が大きくなり、特に輜重隊が多くなったことで動きに制約(せいやく)を受けている。(きた)え上げられた兵達の健脚(けんきゃく)により猫族の徒歩と比べれば速いが、ほぼ騎兵のみでの移動と比べれば倍する(とき)を要した。

 (ふね)での渡渉(としょう)となれば尚更(なおさら)である。

 そこで軍を分け、()()()()()()も用いることとなっていた。


 朔原東の津を便宜的に()の津とすれば、()の津は()の津から東へ九日(ここのか)()の津は更に東へ六日(むいか)行った先にある。──三の津では竜河が南下に転じているため、()()太西へ(わた)る。

 一の津ではまず玉英麾下一万一千が渡渉。北岸の突雨(とつう)以下と合流し、(さき)んじて移民達との旅を再開。

 ()いで一万が後を追い、長城(ちょうじょう)沿()いに東へ進んで、()の津から渡渉する二万と共に太()へ向かう。よって()商隊はこの軍に身を寄せる。

 三の津では三万と西()商隊が渡渉。西商隊は最初の邑建設予定地へ移動して玉英等との合流を待つ。

 なお、移民計画の(かなめ)となる()西()の商隊には、それぞれニ千の兵が護衛に付く手筈(てはず)である。──最も賊徒(ぞくと)(ねら)われ(やす)いのは、彼等(かれら)なのだ。



 計画は恙無(つつがな)く進んだ。

 太西二十箇所(かしょ)、太東十箇所の邑建設予定地へ東西合わせて五万六千もの兵が分散(ぶんさん)先行し、定住(ていじゅう)に不慣れな熊族のため、()()()()()として邑の基礎(きそ)を築いていった。

 無論、二千以上が暮らすための建築が即座に終わるわけもなく、玉英に率いられた移民が辿(たど)()いた段階では邑の萌芽(ほうが)に過ぎなかったが、()()()()よりは(はる)かに過ごしやすく、()()()()()


 近場で手に入らない物が必要となれば、各邑の輜重隊と各地を(めぐ)る商隊とが連携(れんけい)し、今後(いく)百年も続けられるような流通(りゅうつう)を整えていった。──元々太西、太東に住んでいた者達との調整も必要だったのだ。雲儼が老将田額(でんがく)(ともな)って直接交渉に当たることもあった。


 防備に関しては、太東は鬼族領域との間に相当の高低差があり──鎮戎公領域は全体が高原ないし山岳地帯である──要所(ようしょ)を固めていれば良かったが、太西は同じ高原地帯の中で鬼族領域と接しているため、より緊密(きんみつ)に邑を配置した。

 ()()の隣邑同士は、歩兵の通常行軍でも一日半、熊族騎兵ならばやりようによっては半日掛からない距離となっている。


 とは言え、全ての予定地を(まわ)るだけでも太西で五十一日、太東でも三十日(ほど)掛かった。

 恵陽へ到着したのは、朔原を()った日から数えて百二十六日目。

 夏が過ぎ、秋も終わり、冬の(おとず)れを実感し始める頃だった。



 地名に用いる(よう)という字は、川の()側、もしくは山の()側を指す。──北に山を()いつつ南に川を望む場所があれば、「(ことごと)く陽」……(すなわ)咸陽(かんよう)と名付けても良いだろう。

 また、(いん)は反対に、川の()側、山の()側のことである。

 以上に(のっと)れば、恵水中流域、北西から来た流れがやや東へ向かい、また南東へと転じる辺りの()側にある恵陽は、恵()であるべきだが、そうはなっていない。

 これは、(かつ)ては恵水の()側にあったため……もとい、恵陽の()側を流れていた恵水が、洪水によって今の位置へ移ったからに他ならない。

「──こうした経緯(けいい)もあって、恵水では治水(ちすい)に力を入れている……と聞いています」

 雲儼が、雲理や田額から教わった内容を玉英等に説明していた。

 恵陽の負郭(ふかく)へ足を踏み入れたところである。

 空は晴れ渡り、太陽は真南に近付きつつあるが、冬の装いでなければ耐え難い程度には冷え込んでいた。

 輜重隊が十分(じゅうぶん)な装備を用意してくれていなかったら、(つら)い旅になっていただろう。──馬達は、(かま)わず元気そうだが。

「朔原や紅水(こうすい)(ほり)は、恵陽の真似(まね)じゃったのかや?」

 恵陽も、都市の周囲に堀を(めぐ)らせているのだ。

「はい。父や(じい)……田額からは、そのように」

 設計した当事者達である。これ以上の証言は無かった。

 皆が(うなず)く中、滅多(めった)なことでは口を(さしはさ)まない梁水(りょうすい)(たず)ねた。

不躾(ぶしつけ)ですが、雲儼殿。(きょ)(つく)られた水路。堀も渠の一種。)については何かご存知(ぞんじ)でしょうか?」

 他所(よそ)の邑でさえ勝手に作業し始めてしまう者も居る、という河狸(かり)(ビーバー!)族である。

 恵陽までに幾本(いくほん)も目にした大規模な渠に、興味を抑え切れなかったようだ。──()()()()()()()本来抑える必要は無いが、梁水自身が御伴(おとも)として(つつ)ましく()ろうとしているため、好きにさせていた。

「申し訳ありません梁水殿。あれ等については私は存じません。以前見たものとは(いささ)か──」

と、苦笑して続ける。

「──異なっているようです。城か屋敷で、()()()へお()き下されば、おそらく」

 教えて貰えるだろう、ということだった。

然様(さよう)でしたか。ありがとうございます」

 頭を下げる梁水に、

「いえ、その際は是非(ぜひ)(とも)に」

笑顔で答える雲儼。

「妾も聞きたいのじゃ」

「私も聞きたい……(ゆえ)に、(みな)で聞くこととしよう」

「うむ!」

「「ハッ!」」

 誰からともなく笑い合ううちに、およそ二十万の民を抱える城塞都市(まち)の門が、目前(もくぜん)(せま)っていた。



 入城手続きは簡素なものだった。

 早馬(はやうま)を出してあったのだ。最初の確認さえ済ませれば止められることも無かった。

 長城と同様多重(たじゅう)の──三重(さんじゅう)の門を、案内役の若い亀甲族に従い通り過ぎる。

 (よわい)三百六十に近い周華の長老、雲理が()()()()()()、亀甲族の古都。

 至る所にある修復の痕跡(こんせき)が、乱世(らんせ)の城であることを物語(ものがた)っていた。


 愛馬(あいば)達を(ねぎら)い、用意された営舎(えいしゃ)で兵達を休ませ、玉英、琥珀(こはく)、子祐、突雨、雲儼、玲、田額のみと身軽になった一行を謁見(えっけん)の間で迎えたのは、見た目のみならず、(まと)雰囲気(ふんいき)までもが雲理と良く似た亀甲族だった。

「よくぞ来た、雲儼」

 深みのある声も似ている。

 二段高い位置の巨大な椅子(いす)に座っているが、雲理と比べると、七寸(しちすん)(約十二・六センチメートル)ばかり小型の山、といったところか。それでも、(ひざまず)いている一行からすれば、大きな山である。

御無沙汰(ごぶさた)しております、()()兄上」

 雲儼が頭を下げた。──「兄」とは言っているが、(よわい)の差は三百。(ほとん)叔父(おじ)のようなものだと()う。

「父上は、御壮健(ごそうけん)か」

「はい、このところは、益益(ますます)

「そうか、それは良かった。……田額も、久しいな」

 老将に視線が向いた。

御健勝(ごけんしょう)御様子(ごようす)、何よりで御座(ござ)います、雲仁(うんじん)様」

 (なつ)かしむような響き。道中聞いていた通り、傅育(ふいく)(つと)めていただけあって、気安い仲のようだ。

「ああ、そなたもな」

有難(ありがと)う御座います」

「せっかくだ、ゆるりと旧交を温めたい。(みな)下がれ」

 ()()()()()()()(つな)がりである。疑う要素は無く、雲仁以外の恵陽の者達は去っていった。

 しばしの後、子祐と雲儼、田額が周辺を(あらた)め、頭を下げて見せたところで、雲仁は頷いてから(おもむ)ろに立ち上がり、段を下りて玉英の前へ平伏(ひれふ)し、(ひたい)を床に打ち付けた。

「殿下、大変に(れい)(しっ)(もう)した」

「良い。私の案だ。何を責めることがあろう」

 ()()()()()は隠せる限り隠しておく。

 既定の方針に付き合わせた形なのだ。

有難(ありがた)御言葉(おことば)、感謝に()えませぬ」

 再度、額を打ち付けている。──(まぎ)れもなく、雲理の長男だ。

「良いと言っておる。それより、話すべきことを、話そう」

 そう言いながら、玉英は立ち上がった。



 場所を移した。

 雲仁の私室である。

 出入り口以外、全ての壁面(へきめん)竹簡(ちくかん)や武具で()まっている点は雲理の私室と同様だが、それら以上に、渠の模型(もけい)と思しきものが目立った。……にも(かか)わらず広さには随分(ずいぶん)と余裕があり、中央の大机(おおづくえ)には周華の地図が広げられていた。

 玉英の指示で、子祐や田額、それに別の間から呼び寄せた文孝(ぶんこう)、梁水、伯久(はくきゅう)()十分(じゅうぶん)な数の椅子(いす)を運び込み、その周囲に並べた。


 ()()を終えた部屋へ全員が入り、田額が見張りに立って早々、雲仁が玉英の足元へ跪いた。──跪いても(なお)高い位置にある頭を、無理矢理下げている。

「改めまして、御挨拶(ごあいさつ)申し上げます。恵陽を任されております、玄岳(げんがく)長子(ちょうし)、名は(しょう)(あざな)は雲仁に御座います」

 (ちゅう)(あつ)さは(雲理)(ゆず)りのようだ。

「雲仁、雲理(そなたの父)は我が頼みとするところ。そなたも同じである。構えず、楽にしてくれ」

「ハッ! 光栄に御座います」

 玉英は眉尻を下げて笑い、

一先(ひとま)ず座ることとしよう。そなたも座れ」

「しかし……」

「良いから座れ。雲理もそうした」

「ハッ!」

各々が着座したところで、一行の者達を紹介していった。

 内実(ないじつ)は知らせてあったため特に波乱(はらん)は起きなかったが、突雨が名乗った瞬間、雲仁の目付きが(わず)かに鋭くなったのは(いた)(かた)無いところだろう。

 三百年の(なが)きに(わた)った戦の相手、熊族の王──単于(ぜんう)である。

 仮令(たとえ)直接戦った者同士でなかろうと、意識しない方が不自然だった。

「安心しろって雲仁。(オレ)と兄貴が生きてる間は何も起こさせねぇよ。……()()()()、な」

 最初はいつもの軽口のように、最後は玉英と琥珀へ視線を向け、芯に重いものがこびり付いた声で言った。

 旅の中で玉英等は既に聞いていたが、あの(らん)を襲った熊()は、墨全(ぼくぜん)、突雨の(めい)に背いた一派だったらしい。……そのことを言っている。

 玉英()と別れて(のち)国境沿(こっきょうぞ)いの全ての集団を引き()め直した、という話だった。

 玉英が突雨、雲仁へそれぞれ頷いて見せると、突雨は苦苦(にがにが)しい笑みで、雲仁は口元を固く引き結んだまま頷いて(こた)えた。

 玉英はもう一度頷き、紹介を続けた。



「どの程度、出せる?」

 玉英が問うた。

 兵力についてである。

 話は既に本題──恵陽、()いては鎮戎公領域の抱える問題とその解決策(かいけつさく)──へと入っていた。

 国家専売(せんばい)となっている塩と鉄、酒のうち、特に塩と鉄に関連した事柄である。


 塩は、『神』にとっては()(かく)定命(じょうみょう)の者にとっては無くてはならないものだ。──(しょく)していなければ徐々に心身の力を失い、いずれ死に至る。

 主な産地は海に面した地域──周華北東部の王家直轄領『三つ子半島』やその南の竜爪(りゅうそう)族領域、更に南の鳥翼族領域であり、他に内陸の一部にある塩湖(えんこ)塩池(えんち)塩井(えんせい)等も周辺を支えている。

 各産地の製塩業者は莫大(ばくだい)な利益を上げつつ近隣住民や商賈(しょうこ)()との付き合いの中で()の上げ下げをし、多少の融通(ゆうずう)()かせる面も備えていたが、国家専売制はその利益を(うば)い取り、更に増大させる意図を(もっ)施行(しこう)されており、必然的に値上げ。民を苦しめていた。


 これに(あらが)うように、鎮戎公領域では(ひそ)かに塩池を開発。民の暮らしを支えて来た。

 が、最近になって、その塩池周辺へ明らかに良からぬ目的を持った鬼族軍──『三つ子半島』代官の軍が出没(しゅつぼつ)するようになった。

 様々(さまざま)()()くしたが、面従腹背(めんじゅうふくはい)も限界である……というのが第一の問題。


 もう一方の鉄に関しては、良鉄を算出する『三つ子半島』からの移入を()の出没と前後して止められており、民の暮らしを支え切れていないことが問題となっていた。

 鉄製農具が農業生産を飛躍的に伸ばすことは明らかとなっており、塩(ほど)に生命と直結するわけではないにせよ、長い目で見れば必須(ひっす)である。

 太西の数箇所では近年鉄鉱石が発見されているものの、製鉄業と呼べるまでになるかはまだわからず、早急(さっきゅう)に入手経路(けいろ)を確保しなければならなかった。

 民を(まも)ってこその領主なのだ。ましてや()()()の一族である。


 ()まる(ところ)、もはや(いくさ)は避け得ない情勢(じょうせい)だった。(ゆえ)(さき)の問いが()り──

「最大限動員すれば、城塞都市(まち)と領域の守備を除いて()ず五万。加えて()()()()()私兵が一万五千ばかり」

「六万五千か」

御意(ぎょい)

 玉英軍は、雲儼と玲の一千騎、突雨の麾下ニ千騎、移民軍三千騎、歩兵一万から()る、一万六千である。

 合わせれば、八万一千。

()()燕薊(えんけい)、相違無いか?」

 燕薊は三つ子半島を管轄する、にも(かかわ)らず半島ではない場所──太水河口付近にある大都市である。

 民の数、五十万。

 鬼族領域には鎮戎公領域の()()の民が暮らしているとされ、特に民が集中する平野部においては、同じ五十万都市と(いえど)も朔原とは意味合いが異なる。 

「ハッ! 通常十二万の兵を(よう)するものと思われます。うち三万は、恵北付近に()りますが」

 ()()とは、徴兵期間ではない農民や老兵、体格に優れた女性(など)を動員()()()場合、という意味だ。それ()も含めれば、途方も無い数になる。鬼族の大半はいざとなれば戦えるのだ。──とは言え、滅多なことでは動員されない。

「将兵の練度(れんど)は?」

「我が方は……」

 雲仁はやや言い(よど)んだ。

()()()()()()()()()古参兵(こさんへい)が四万五千、新兵が一万、将校は全員が古参、調練の上では全て精兵と自負しております。対して燕薊は──危険な推定で御座いますが──二万に満たぬかと」

 古参兵が、である。

『三つ子半島』と称される地域の北辺は、鬼族領域としては唯一(ゆいいつ)熊族領域に接している。

 条件としては鎮戎公領域に近いが、燕薊は長城最寄(もよ)りの城塞都市(まち)ではないため、さほど経験を積んでいない()()()……といったところか。

「将は? 代官は()()(がく)家であろう?」

 一生涯(いっしょうがい)王家に忠実だった(かつ)ての名将の後裔(こうえい)であり、代々『三つ子半島』代官を任されて来た黒貂(くろてん)族だ。先祖(せんぞ)はもっと東の出で、戦の(おり)に鬼族に(つか)えたらしい。

 幼い頃、当代の代官とその娘には会ったことがある。娘の方は当時、今の玉英よりも若いくらいの子供に過ぎなかったが、父の方は極めて厳格な男に見えた。練兵(れんぺい)(おこた)るとは思えない。

「いえ、(くだん)簒奪(さんだつ)(のち)代官の交代があり、(がく)家と腹心(ふくしん)の将校は粗方(あらかた)()(くだ)った(よし)

 玉英は目を見開いた。

──何故。

と一瞬思ったが、民から(しぼ)り取るためであろうことは想像に(かた)くなかった。

 楽家は民を(やす)んずる。簒奪者麒角(きかく)にとっては、邪魔だったのだろう。

 玉英は民の困窮(こんきゅう)を想って(まぶた)を固く閉じ、数瞬の(のち)、再び雲仁へ目を向けた。

勝機(しょうき)はある、か」

「御意」

 戦に(おい)て数は重要だが、それ()()で勝敗が決するわけではない。

 個々の兵を鍛え、集団としての動きを身に付け、各隊の力を理解した将校が率い、それらを将軍や王が適宜(てきぎ)用いることで、初めて軍としての力を発揮するのだ。

 無論、軍紀(ぐんき)を徹底することは前提である。──統制(とうせい)()れない軍(など)、賊徒と変わらない。(いな)、賊徒よりも(なお)悪い。

「私の軍は、()()()()と考えて良い。策はあるか?」

 この四月半、いや、緑野から考えれば半年間、ただ行軍していたわけではない。

 行軍しながら各陣形を身体に覚えさせ、夜には──馬は休ませつつ──簡易(かんい)の擬戦もしばしば行って、各隊の連携を磨きに磨いて来たのだ。

 玉英自身の実戦経験の(とぼ)しさが最大の不安材料だが、騎馬隊五千は突雨が率い、歩兵一万は田額が(まと)めており、(いず)れの下にも熟練の将校が名を連ねる。また、麾下一千騎を率いる雲儼と玲の呼吸は絶妙(ぜつみょう)で、玉英は全体の動きにさえ気を(くば)っていれば良かった。

 彼等の力を無駄(むだ)にさえしなければ、()()()()()()()()()倍する兵に相当する……それだけの自信はある。

「殿下、太西、太東の軍から一万騎、お借り出来ませんでしょうか? それと……舟旅(ふなたび)はお好きで御座いますか?」

「ああ……そういうことか。誘引(ゆういん)する将は?」

「我が()()()って退()けましょう」

 雲仁が(かげ)るところのない笑みを見せ、玉英も口角を上げて頷いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ