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第十六話 玲、擬戦、夕照

第三話以来の文量になっております。お付き合い頂ければ幸いです。

 翌朝。

 空が(しら)む頃に起きるのは、このところ(くせ)になっていた。

 身体の下にあるのは、幾分(いくぶん)手触りの荒い白い布。

 宛行(あてが)われた天幕(てんまく)の中、寝台の上だ。

 天井(てんじょう)(かべ)に当たる部分も、骨組み以外は、似たような白い布の部分が多かった。

 玉英(ぎょくえい)が寝転んだまま右に目を()れば、琥珀(こはく)の安らかな寝顔が玉英の方(こちら)を向いていた。

 騎乗の旅にもいくらかは慣れたが、()()()慣れたとは言い(がた)い。

 いくら馬の方で()()()()()()()()()()とは言え、身体の小さな琥珀には、単なる行軍(こうぐん)でも相応(そうおう)の負担が掛かっているはずだ。

 なるべく休ませてやりたかった。

 玉英は半ば身体を起こし、腕を突いて琥珀の方へ()()る。

 雪よりも白い耳が数度、何かを確かめるように(わず)かに動いたが、すぐに力が抜ける。

 五感に(すぐ)れる白虎族、それも西王母の娘たる琥珀が、本当に何も察知出来ない……ということはまず無い。

 ただ、悪意が無ければ反応しない。ましてや玉英に対しては油断すら見せる。

 だから玉英は、その油断に乗じて左手を琥珀に向ける。

 少しでも力を入れたら壊れてしまう。──そう信じ切っているかのような手付きで、ゆっくりと琥珀の頬へ触れ、親指だけで(かす)かに()でた。

 琥珀がニ回鼻を鳴らし、玉英の左手へ顔を押し付けてくる。

 (てのひら)口付(くちづ)けされ、そのまま舌で三度()められて、また口付け。──玉英の胸の奥で、()()感触が広がった。

 琥珀は満足したかのように身体を丸め、深い寝息を立て始める。

 小さな右手で隠された可憐(かれん)(くちびる)に、玉英はつい吸い寄せられて──

「オマエが(れい)婿(むこ)か!?」

朝の静寂を吹き飛ばすような、天幕への闖入者(ちんにゅうしゃ)()()()()()



「女だったか! でもいいぞ。玲は強き者なら誰でも受け()れる。さあ、勝負だ!」

 天幕の入口で胸を張る熊族の少女。玉英や琥珀と大差無い年頃……一つ二つ下か。

 声量とは裏腹(うらはら)に、体格は(ひか)えめだ。

 熊族は鬼族と同等以上の体格を誇ると()うが、これは()()()()の話。()()同士では一般に八寸(はっすん)(約十四・四センチメートル)以上、鬼族よりも小さい。男女差の大きい種族なのだ。

 少女の背丈は熊族女性の平均をニにすん(約三・六センチメートル)近く上回っているが、玉英の背丈もあと半年もすれば鬼族女性の平均へ届きそうなところまで来ており、真っ直ぐ立てばいくらか見下ろせる程度の差はあった。

 玉英は、万が一に備え、いつでも琥珀を護れるよう(あわ)てずに寝台から下り、

「私は玉英。そな──」

「玲は玲だ! 玉英! 勝負だ!」

 (さえぎ)られた。

 初めて出会う類の相手だ。

 敵意も悪意も無く、話を聞かないだけ、と思えた。

──あるいは一つずつならば、聞いてくれるか?

 気を取り直して宣言(せんげん)する。

「私はそなたの婿ではない」

「ならそっちのちっこいのか? 弱そうだ。でもなんだか強そうだ。なんでだ?」

 玲は首を(かし)げ、大きく(つぶら)な目を見開く。左右だけ伸ばした濃い褐色の前髪が、日に焼けた顔に掛かった。

 はっきりわかっているわけではないようだが、もし琥珀の()のことを言っているのであれば、(かん)(するど)い、(など)という水準では無かった。

「彼女もそなたの婿ではない」

「そうか。残念だ」

 唇を(とが)らせ、目を伏せる玲。

 どうやら、真っ直ぐ()()()だけらしい。

「そなたの婿になるべき男は、別に居る。これか──」

「そうか! どこだ!」

「……これから、会いに行こう」

「うん! 玉英は良い奴だ! 友達だな!」

「そうだな、友達だ」

 満面の笑みを見せる玲に、玉英もやや眉尻を下げつつ、笑顔になる。

 手の掛かる妹が出来た。そんな気がした。

 ()と言動からして、墨全(ぼくぜん)突雨(とつう)の実の妹、なのだが。


 玲に「外で少し待て」と言い渡し──「わかった玉英! 外で少し待つ! でも少しだぞ!」──琥珀を起こした。

 ()()()とは思うが、琥珀を残して行く気にはなれなかったのだ。

「ごめんね琥珀」

「ん……むぅ……」

 琥珀の不均等に伸ばした前髪を撫でながら、手短に事情を説明し、共に着替えてから外へ出る。

「玲、待たせた」

「玲、待った。偉いだろ!」

 天幕の外、すぐ左で胸を張る玲。

「ああ、偉い。では、行こう」

(おう)!」

 返事を聞くと、(まさ)しく突雨の妹だな、と玉英は思った。



 雲儼(うんげん)が宛行われた天幕は、玉英等の天幕の隣にあった。

 正確には、家畜を囲う区画がしばらく続き、その先に雲儼の天幕……という具合だった。──なお、子祐の天幕は反対側。こちらは本当にすぐ隣にあったため、玉英等が移動し始める際、子祐は既に後ろへ控えていた。

 着いてみれば、雲儼は既に天幕の外、鍛錬には十二分(じゅうにぶん)に広い場所で、大型の鉄戟(てつげき)(槍の穂先(ほさき)よりやや手前に、(かま)型の刃を()したような武器。)を振っていた。特注の愛用品である。

「お(はよ)御座(ござ)います、でん……玉英殿」

 戟を置き、丁寧に礼をする雲儼。

 それなりの日数共に過ごしたはずだが、呼び方や態度を適宜切り替えるのは案外難しいようだ。

「おはようございます、雲儼殿」

 玉英も適切と思われる言葉と態度で返したが、話を始める前に、

「オマエが玲の婿か!」

玲が問いを()()()()いた。

「……はい。雲儼と申します」

 硬い表情で答え、頭を下げる雲儼。

 昨夜既に話は聞いていたのだ。こちらに関しては、素早く切り替えられていた。

「良し! 勝負だ雲儼!」

「はい。今すぐにで──」

「すぐだ!」

「待て玲。玲の兄上達を呼ぶ」

 玉英が割って入った。

「なんでだ?」

 首を傾げる玲。玉英の瞳に答えが書いてあるはずだ、というような見上げ方をしている。

「玲の勇姿を観たいと言って──」

「そうか! じゃあ待つ!」

「いい子だ」

 満面の笑みを見せる玲に玉英が微笑みを返す。

 主君の意を受けて子祐が走った。



 墨全(ぼくぜん)突雨(とつう)の兄弟は早々にやって来て、

「玲、俺を相手にしていると思ってやってみると良い」

「雲儼、本気でやれよな!」

それぞれに声を掛けた。

 玲は強者を(たっと)(ふう)尋常(じんじょう)でなく、自身の実力も相当にある……とは昨夜聞いているが、背丈には二尺(にしゃく)五寸(約四十五センチメートル)程の差がある。

 墨全や突雨に(きた)えられてきた玲の側は兎も角、雲儼の側からすれば、どう言われたところでやり(にく)いだろう。

 ともあれ、やらざるを得ない。

「始めっ!」

 わざわざ熊族の国(ここ)まで来た理由……()()を任された玉英が声を発するや、金属が激しくぶつかり合う音が響いた。

 玲の細長い双剣が、二本揃って雲儼の大戟(おおげき)──とでも呼ぶべきだろう──に弾かれた音だ。

 体格でも得物(えもの)の長さでも劣る、即ち射程では(まさ)りようのない玲が、瞬時に間合いを詰めて()り掛かった結果だ。

 大戟を逆さにする形で受けた雲儼はさほど力を()めていなかったらしく、玲はすぐさま次の攻撃へと移った。

 もう一度二本同時に斬り掛かって同様に弾かれ、左から、右からと順に振ってどちらも弾かれ、上下で揺さぶっても石突(いしづき)を利用していなされ、突こうが斬り上げようが何をしようが、全てを(ふせ)がれ続けている。

 玲があまりにも(つたな)い……わけではない。大抵の軍の最精鋭兵に匹敵する腕はある。

 相手をする雲儼が、天賦の才に恵まれているのだ。

 事実(じじつ)、墨全や突雨、子祐にはまだまだ及ばないものの、旅の間の修練(しゅうれん)──立ち合い──で徐々に差を詰めて来ていた。たった十数日で、目に見えて、である。──これまでは三百前後も(とし)の離れた父や兄を(あお)ぎ見るだけだったところへ、()()刺激(しげき)になったらしい。

 五十(ごう)を数えただろうか。

 玲の剣撃(けんげき)を雲儼が(あぶ)()なく受け止め続けたことで、(つい)には玲も双剣を左右の腰の(さや)(おさ)めた。

「強いな雲儼! なんで攻撃しないんだ!?」

 不満……ではない。純粋な疑問だ。

「自身の妻を傷付けたいと思う男は居ません」

 予定ではありますが……と付け足して雲儼は答えた。

「そうか! 強い男だな!」

 玲の、幾度目かの満面の笑み。

「なら次は、()()で勝負だ!」

 声こそ明るいが、表情は一転。

 獰猛(どうもう)な獣の目が、雲儼を見据えた。



 騎兵五百同士。多少の端数は「実戦では自然あること」として互いに許容。

 緑野から五十里(ごじゅうり)(約二十キロメートル)は離れた草原。

 二つある緩やかな小高い丘を陣地に見立て、その奪い合い、もしくは相手の殲滅(せんめつ)を目指す擬戦(ぎせん)

 剣、槍、戟、矢等あらゆる武器を、調練用の適当な長さの棒や(やじり)を重りだけにした矢へ持ち替えて行うが、一歩間違えれば死者は出る。

 ()()を避けるべく、各々(おのおの)徹底的に言い聞かせた。──長らく共に調練して来た軍ならまだしも、装備どころか言葉すら異なる、長らく敵対関係にあった軍同士なのだ。

 違反すれば首を()ねる。軍に(おい)ては当然のことだった。


 東の丘に雲儼軍、西の丘に玲軍。

 配置は(くじ)で決めた。

 既に陽は高く昇り、北西からの風が強まって、双方の丘で旗がはためいている。

 玉英等は、近い方からでも三里(さんり)(約一・二キロメートル)ある、両陣地とは別の、より高い丘の上へ位置取(いちど)った。

「始めっ!」

 再び、玉英の合図で開始。──正しくは、玉英の合図で振られた巨大な旗に応じて、だ。

 五里(ごり)(約二キロメートル)近くあった両軍間の距離が一気に縮まり……ぶつからないままに離れた。玲軍が引き返した形だ。

 雲儼軍の数十騎が隊列を抜け、()()から遠ざかる。

 玲軍の騎射(きしゃ)三連ないし四連の()()である。


 熊族の騎射は通常、数本の矢を手に持ち、次々に(つが)えて都度(つど)放つ。熟練(じゅくれん)した者は同時に複数を()る。

 用いる弓は熊族の体格に合わせて長さ一丈(いちじょう)(約一・八メートル)程と大型で、木は(もと)より動物の骨や(つの)(けん)(など)を組み合わせて作られた複雑なものだ。

 その強力な弓で散散に矢を放ってから一旦離れる。あるいは退()()()()()()ち続ける。それだけで、大抵の軍には白兵戦(はくへいせん)(至近距離での戦闘。)をやるまでもなく勝ててしまう。

 なお、お互い同じことが出来る熊族軍()()の場合、敗勢と見れば早々に撤退する。

 無論()()()()()()だが、戦の()()()でさえ、移動を基盤とし、土地に縛られない遊牧民の性質が表れている。


 こうした根本的な軍の性質の差──機動力(きどうりょく)の差は如何(いかん)ともし(がた)く、雲儼軍は玲軍へ追い付くことも出来ていない。

 とは言え、今回は勝利条件が存在する。

 ()()(うば)って三百(かぞ)える間維持(いじ)すれば良いのだ。──五百騎同士ということで条件は()()なっている。

 玲軍が再度浴びせ掛けた騎射を、雲儼軍は自慢の甲羅(こうら)(たて)で今度こそ粗方(あらかた)防ぎつつ、前へ出た。

 三手に分かれ、更に極力散開して、玲軍陣地を目指して駆け出したのだ。

 鎮戎公(ちんじゅうこう)の軍は熊族への対処の必要から騎兵も充実させているが、亀甲族の本分は歩兵としての堅守である。

 雲儼軍が一度陣を確保すれば、玲軍による奪還(だっかん)はまず不可能と思われた。


 雲儼軍が猛然(もうぜん)と追い始めたため、玲軍は()られるだけ()つつ距離を取り、丘へ戻った。

 弓の射程分だけ元々離れていたため、即座に衝突(しょうとつ)することにはならないが、熟考(じゅっこう)する時間があるわけでもない。

 瞬時に覚悟を決めたのだろう。玲軍は(あた)う限り丘上(おかうえ)から騎射を続け、次いで剣を抜く。

 馬の頭を()した(つか)の装飾が特徴的な、熊族様式の直剣だ。陽光が反射して(きら)めいている。

 中央の玲が右手の剣を天高く(かか)げ、大きく五回()(えが)くように振ってから、振り下ろした。

 途端、()()に分かれ駆け出す玲軍。

 左右に二隊ずつ。うち中央寄りの隊が先行し、一つに(まと)まろうとしていた雲儼軍の左右前方を(かじ)り取るように駆け抜ける。

 ()を置かず、()()()()()()きず(ひろ)げるようにして、残った左右の隊が(なな)()から()へ突っ込み、先頭が止められた辺りへ後続が殺到(さっとう)してまた齧り取る。

 先に抜けた二隊による()背後からの挟撃(きょうげき)へ合わせるように、玲率いる中央の隊が、左右を切り崩されてどうにか反転しようとする雲儼軍の細長い先頭へ、その()()()()()を斬り落とすように突入した。


 雲儼軍()()から切り離された全員が()()()()()()わけではない。

 初めて熊族と戦ったような若手もある程度含むとは言え、仮にも鎮戎公麾下だった精鋭である。

 小さな(かたまり)になって耐えられるだけ耐え、味方と合流し、()()()()()のでない限り、馬から降りてでも()(とど)まり続けた。──落とされた場合は()()判定だ。

 歩兵が固めているところへ突っ込めば騎兵も無事では済まない。()()()()()()()()()()()亀甲族相手となれば尚更(なおさら)である。

 その上、ここ百年程で導入された()は騎乗技術に於て圧倒的な熊族騎兵に対しても有効で、心強い武器となった……が、全てをひっくり返せる超常の武器(など)では勿論(もちろん)無い。

 孤立させられた雲儼と周囲の四十騎余りは活路を前に見い出し、玲軍陣地へ足を踏み入れ、旗を奪ったが、その頃には味方が壊滅していた。

 四十一対三百六十五。

 雲儼や田額(でんがく)を中心としたこの隊と()(こう)からやり合える()は居なかったが、遠巻きな弓矢での攻撃と()を見ての突撃の繰り返しにより、二百九十八を数えたところで文字通りの()()となった。



「殿下、申し訳御座いません」

 後始末(あとしまつ)を済ませ、一先(ひとま)ずは緑野へ戻った夕刻。

 玉英と琥珀の天幕にて、雲儼が地に()していた。

 玉英、琥珀の他、周囲には子祐のみである。

「そなたは良くやった。相手を褒めよう」

 不利な条件の中、あと一歩のところまで(せま)ったのだ。

 玲軍には地の利があり、両軍の騎兵としての根本的な差もあった。

 しかも、提示された条件を生真面目(きまじめ)に受け取って、()()()()()()()()(こだわ)ったことも大きかっただろう。

 本来ならば田額に(はか)るべき場面でも諮らず、隊を分けて大きく迂回(うかい)させる、等の手も使わなかった。

 三手に分けた場面では二名の副将格に左右を任せたが、白兵戦の際には合流していた。結局手綱(たづな)を放さなかったのだ。

御厚情(ごこうじょう)(たまわ)り感謝に()えません……が、これでは婚姻(こんいん)は──」

 条件からすれば、()らない。「勝たねばならぬ」と言われたのだ。

「今回は致し方ない。墨全殿や突雨殿とならば、別の方法も話し合えよう」

 そもそも和平と親善の促進、安定化が目的であり、この組み合わせ、この婚姻でなければならないわけではない。──成就(じょうじゅ)すれば最善に近かったが。

「立て、雲儼。共に墨全殿達のところへ行こう」

 名目上は、雲儼が使節(しせつ)である。同席は必要だった。


「呼ぼうと思っていたところだ」

 天幕へ入った玉英()を見て、墨全が苦笑交じりに微笑んだ。

「まあ座れよ」

 突雨も、左頬だけを上げて苦笑している。

 各々、昨夜と同じ席に着いた。

「うし。いいぞ、玲」

 促された瞬間──

「雲儼! 玲の婿(むこ)になれ!」

 全員の目が、墨全の──玉英等から見て──左に立っていた、玲に向いた。

()()は玲が率いる! 雲儼が玲を護る! 良いだろう!」

 言うべきことは言った、としたり顔の玲。

「私は、良いと思う」

 玉英が許可を出し、

「私は、勿論、是非とも」

雲儼が受ける。

「良し、(いわ)いだ!」

 無邪気に笑う玲を、

「ただ、聞かせて頂きたい。何故、負けた私でも良いと?」

雲儼が止めた。玲はすぐさま答える。

「雲儼は強い男だ! 玲じゃ勝てない。玲を大事にする。群れでも()()減らされた。強い男だ! 婿にする!」

 一対一での武芸。玲を傷付けないようにしたこと。敗勢からの粘り。──雲儼の懸命(けんめい)さが(こう)(そう)したのだ。

(オレ)(たち)ゃ女を大事にする。そうは見えねぇかもしれねぇがな」

 突雨が補足すると──

()()()()玲のこと、倒そうとしなかった」

玲は雲儼の背後へ回り込んで抱き着き、亀甲族特有の()()()()()左耳へ(ささや)いた。 

 雲儼は擬戦の最終局面ですら、突撃してきた玲の攻撃を受け止めるだけで、自ら玲を攻撃することは無かった。

 見ようによっては()()だが、女性を大切にする気持ちは、熊族に於て想定以上に評価されるようだ。

「雲儼、玲を大事にする。玲、雲儼を大事にする。良いな?」

 再び囁く玲。

 雲儼は振り向き、

「はい、喜んで」

満面の笑みを返した。



 婚姻が決まってからは、早かった。

 忙しかった、と言うべきか。


 熊族流に盛大に()り行われた婚姻の()自体は元より、熊族の各小集団──(かつ)ての部族単位──からの祝いとその返礼が連日連夜。

 雲儼が玉英に仕える立場であることの玲への説明と、玲軍五百十四騎の兵権(へいけん)及び軍紀徹底。──玲はその()()()()()()()である程度察していたらしく、案外簡単に納得した。

 騎乗並びに騎射の修練。突雨や玲の指導が的確だったおかげで、玉英もかなりの精度で射ることが出来るようになった。他の者達も恩恵に与ったが、特に元々弓を得手(えて)とする猫族の成長は目覚(めざ)ましく、十五名全員が二本()()同時での騎射を身に付けるに至った。……猫族については実際のところ、騎乗技術面での躍進(やくしん)が大きかった。

 移民第一陣となることを希望した三万の民達との顔合わせ。──雲儼と玲が仲睦(なかむつ)まじい様子を見せていたのもあり、全体が前向きな雰囲気で順調に進んだ。


 また、日付は前後するが、玉英等の今後を左右するかもしれない、極めて重大な出逢(であ)いもあった。

 (かね)てから(すす)められていた、熊族の馬のことである。



 擬戦の翌日、夕刻に入ろうかという頃合い。

 空は晴れ渡り、徐々に強くなってきた北西の風が、草原に(もう)けられた二つの広大な(まき)を吹き抜けている。

 いずれの牧にも、玉英一行(いっこう)のために()りすぐりの若駒(わかごま)達が集められていた。

「好きに選べ」

 突雨が口角を思い切り上げた。「どいつもこいつも名馬だ」と言うが、真意は別のところにある。

 馬に()()()()ことが出来るかどうか、()()()()()選ばれるか──だ。

『馬上に生まれ馬上に死す』……熊族は、馬と共に生を送る。そこには、自らが選ぶだけではない、相手からも選ばれてこその()()だ、という思想がある。

 無論、一頭には限らない。馬の生は短く、何頭も乗り()いでいくのは前提である上、替え馬を常備するのも熊族のやり方だ。

 ただ、その中でも、特別な一頭は存在し得る。

 如何(いか)なる(とき)、如何なる状況でも命を預けられる、乗り手以上に乗り手を理解し、文字通りに一心同体となれる馬。

 生涯の中でそうした一頭に出逢うことが、熊族にとっての()()()()()の一つに数えられている。

 斯様(かよう)()()(つか)めるかどうか。

 (いな)()()()()()()()かどうか。


 玉英は一方の牧へ入り、辺りを見廻(みまわ)す。

 百頭は居るだろうか。

 どの馬も大きく、疾い。

 熊族の駿馬(しゅんめ)達の中でも特に(すぐ)れていることは、気儘(きまま)に駆ける(さま)からも、全身の肉付きからも見て取れた。

 ()()()()()警戒(けいかい)して遠ざかる慎重(しんちょう)な馬、逆に近付いて来る好奇心旺盛(おうせい)な馬、我関(われかん)せずとばかりにひたすら草を()む馬、そう見せ掛けて様子を(うかが)う馬、馬同士での追い掛けっこに夢中な馬……()一口(ひとくち)に云っても、性格は個々で全く(こと)なることがよく()えた。

 玉英は、寄ってきた馬の首筋を撫でたり話し掛けたりしつつ、馬達を(おどろ)かさないよう、ゆっくりと歩いて回った。

 ()べ四、五十頭を撫で、陽光が(あか)みを帯びてきた頃、ふと、その(あけ)の中へ溶け込んでいる馬に()()()()

 牧の西側、やや南寄り。一頭だけ離れて(たたず)んでいる。

 強まってきた風へ逆らうように頭を上げ、知性の光を宿した黒い瞳で、草原の果てを眺めている。──そう見せておいて、本当は玉英を意識している。何故か、はっきりとわかった。

 玉英はこれまでよりも一層速度を落とし、()()をするように、遠い遠い、地平線のもっと先を眺めている……そんな()りをしながら、歩み寄った。

 すぐ横へ辿(たど)り着くと、見上げる程に大きな()()は玉英の方へ顔を向け、挨拶(あいさつ)でもするかのように耳を少し動かした。

 しばらく、黙って見つめ合う。

 夕映(ゆうば)えが馬の形になった。……そう言われたら信じるような(あか)く輝く毛並みが、玉英の(あか)い瞳にも溶け込んでいた。

「私は玉英。そなたを、夕照(せきしょう)と呼びたい。私の(とも)に、なってくれるか?」

 ()()は数度(まばた)くと、玉英の顔へ鼻先を寄せ、右頬を舐めた。

「っ! ははっ、くすぐったいよ、夕照」

 瞬間、少女の顔が()れ、お返しとばかりに鼻先から首筋、尾に至るまで撫で回した。


 夕照と共に歩み出た玉英を迎えて、突雨が髭面(ひげづら)を笑みの形にして()()()()()

(ヤトガ)()だ! ほれ見ろ兄貴、玉英は最高の一頭に選ばれたぜ!!」

 (ヤトガ)。その名の通り黄金に輝く毛並みの、突雨の愛馬である。

 西()()()で誕生に立ち会って以来の、無二の友だという。

 夕照は玉英の背丈とほぼ変わらない体高(たいこう)(馬の肩辺りの高さ。)を持つ極めて大きな馬だが、(ヤトガ)は更に一段と大きく、それでいて洗練された美しさは親仔(おやこ)で共通している。──突雨程の大男を乗せながらも他馬に先駆(さきが)ける、名馬中の名馬だ。

『駿馬は駿馬から生まれる』──名馬の()()()()ことは熊族にとって当たり前であり、(ヤトガ)の仔は累計数百頭以上になっていた。

 夕照は、そのうちの()()らしい。

「子祐も、最高の一頭に選ばれたようだがな」

 墨全も右頬(みぎほほ)を強烈に上げ、視線で指し示す。

 子祐は玉英と交代で牧へ入ったが、早々に出てきた。

(ウォラ)の仔か……確かにこいつも、最高の一頭だ」

 突雨は笑って認めた。

 (ウォラ)は墨全の、やはり北の国で産まれる前から世話をしてきたという愛馬だ。

 (とし)(ヤトガ)よりも一つ下だが、(ヤトガ)よりも若干大きく毛艶(けづや)の良い、漆黒(しっこく)の馬体を(ほこ)っている。──こちらも、墨全という巨漢を支えて(なお)抜群(ばつぐん)の名馬だ。

 子祐の後ろには、額の流れるような白模様だけが(ウォラ)と異なる、立派な体格の馬が(ひか)えていた。

「名を付けて頂ければ幸いです」

 子祐が玉英に頭を下げた。

「貴様の相棒だ。貴様が付けるべきだろう──」

 玉英の言葉で、下げたままの子祐の頭がほんの(かす)かに揺れた。

「──が、わかった。一字出せ」

 玉英は苦笑しつつ言う。

(えい)、で如何(いかが)でしょう」

「では、()飛影(ひえい)でどうだ?」

有難(ありがた)き幸せ」

 子祐が改めて頭を下げる。

 名付けられたばかりの飛影も、何を思ってか、一緒に頭を下げた。


 もう一方の牧では、どこかで見たような光景が数段壮大(そうだい)に再現されていた。

 全ての馬が(こうべ)()れ、琥珀に道を譲っていたのだ。

 琥珀が気負(きお)いもせずにその道を()くと、北東の一角に、周囲を寄せ付けない馬が待っていた。

 全身が雪のように白い、神秘的な馬だ。

 雪()()()白い、『神』()()()()()()である琥珀とは、似て非なる、しかし似合いの馬だった。

 周華の馬ですら本来持て余す琥珀からすれば、明らかに大き過ぎる馬体ではあったが、銀泉で出逢い、緑野まで共に歩んでくれた馬と同様、この白馬も自ら頭を垂れ、(ひざまず)き、琥珀に全てを差し出していた。

 (はた)から見れば危ういが、馬の方で(みちび)こうとしているのもあり、琥珀の体格に合わせた特製の(あぶみ)や手綱を用意出来れば上等な乗騎になりそうだった。

 何しろ()()()()の全ての馬が()()()()()()()と認めた、女王の如き馬である。

 能力に疑いは無かった。


 その後、玉英、琥珀、子祐が熊族流に替え馬を選び出した上で、雲儼、田額、文孝(ぶんこう)梁水(りょうすい)伯久(はくきゅう)()体格的な問題の無い者達──むしろ一部は周華の馬では文字通りに()()()()()()者達──も同様に選んだ。

 当然、残る雲儼軍にも別途べっと十分な馬を(はい)し、()()()を継続的に行うことで、軍全体の質も上がった。



 緑野へ着いた日から数えて十三日目の朝。

 朔原(さくげん)へ向けて出立(しゅったつ)した。

 雲儼、玲の婚姻に対する祝いはまだまだ続くはずだったが、待っていては何十日掛かるかわからない……とのことで、切り上げた。

 墨全は緑野へ残るため、大きな問題は無かった。

 犬族の青年商賈(しょうこ)陸繁(りくはん)は緑野で熊族の言葉を数種類学んでいる。別れの際には泣いて感謝していたが、突雨に背中を叩かれてまたも言葉を詰まらせていた。

 玉英等は三万に及ぶ移民達を連れて出たため、一行は大いに(ふく)れ上がっている。

 元の玉英一行、雲儼軍と玲軍合わせて一千余、謹直そのものの輜重隊、突雨の麾下ニ千、兵として動ける者達を含む移民三万。

 ここに、八万以上の馬と、十二万に及ぶ他の家畜が加わる。

 これでも()()()の援助を当てにして随分(ずいぶん)(おさ)えたと言うのだから、遊牧とは途方(とほう)も無い。

 最終的には、財産を持たない移民すら受け容れられるような、豊かな邑を築き上げることが目標だが、第一陣はあらゆる活動が手探りになる。

 これまでの生活を完全に捨て去るのは無謀であり、一定の担保として家畜を導入する(はこ)びとなった。



 熊族は土地ではなく、()()()()()()()と言っても良い。

 移動の準備も実践も(とどこお)りは無かった。

 無論、大量の家畜を(ともな)うことによる移動速度の低下は(まぬか)れなかったが、玉英()には貴重な体験となった。


 一日目にしてわかったことだが、皎月(こうげつ)と名付けられた真っ白な乗騎は、琥珀を背に駆けることが余程嬉しいのか、しばしば先頭から飛び出すことがある。

 そうして先んじて登った丘から後ろを振り返り、琥珀は大きく目を見開いた。

「これ程とはのう」

 真昼の太陽を背にして(なお)黄金に輝く瞳に、広大な空と新緑の草原、そして草原を埋め尽くす家畜の群れが(うつ)っている。

 数瞬(すうしゅん)遅れて追い付いた玉英も振り返って見れば、琥珀の感嘆(かんたん)を共有出来た。

 十二万頭の山羊(やぎ)(ひつじ)、牛、駱駝(らくだ)──なる馬とやや似ているが異なる動物──だけでなく、誰も乗っていない馬が四万五千頭以上。

 一定の集団を作り、荷運びに従事しているものも多い。

 家畜は主に熊族達が管理しており、いずれの家畜にも時折(ときおり)草を喰ませているが、移動に遅れたり(はぐ)れたりしそうなものが出れば何気(なにげ)ない動作で追い立てている。

 遊牧民の生活を(いく)百年……もしかしたら幾千年以上も支えてきた光景。

()()()ね……本当に」

 玉英の胸から、何か熱いものが全身へ広がった。



 緑野を出てから十七日後、長城を通過。

 一晩休み、三日掛けて竜河(りゅうが)北岸の(しん)へ到着。

 移民達は鎮戎公領域の()半分へ(おもむ)くため、家畜の大部分共々、突雨の指揮により北岸の津(ここ)で待つこととなっている。

 その間、元の玉英一行に雲儼軍と玲軍、輜重隊、空馬一千五百余だけで、朔原を目指す。……雲儼と玲の婚姻の儀を、()()()でも行うためだ。

 馬が多いせいもあって渡渉には二日(よう)したが、無事に全員が南岸到着。

 南岸の津から朔原まで三日で辿り着き、その夜から綿密に雲理と打ち合わせた上、翌日、翌々日まで使って主に玲軍への指導(しどう)を徹底した。

 玲軍の大半には断片的(だんぺんてき)にしか周華の言葉が通じず、玲や雲理の手の者を介して()における()()()()いを教え込むのには苦労したが、その甲斐(かい)あって、二度目の婚姻の儀も大成功を収めた。



 儀を終えた、夜。

 王族専用区画にある部屋。寝台の上、玉英の右腕の中で、

(わらわ)達も、いつかは……」

と琥珀が不意(ふい)(こぼ)した。

 玉英と琥珀は、(いま)()()()ということになっている。

 本当に(むす)ばれるのは、復讐(ふくしゅう)()え、西王母(せいおうぼ)(むら)へ揃って帰ってから。

 言葉にして約束したわけではないが、幼い頃に婚約して以来、玉英はそういうつもりで過ごして来た。

 西王母はお見通しだっただろうし、琥珀も、わかっているからこそ「いつかは……」と言っているのだ。

 互いに(よわい)十六の娘。

 二度に(わた)る華やかな玲の姿、勇ましい雲儼の姿に、まるで羨望(せんぼう)を覚えなかったと言えば(うそ)になる。

 だが、琥珀を単なる()()()の妻にするつもりは無い。

 ()ずは、確固たる立場と強さを得る。

 自分に出来る限りのことをし尽くして、堂々と胸を張り、自分自身が信じられる言葉で伝えたいのだ。

 だから今は──

「いつか、必ずね」

──そう言って、雪よりも白い耳に、柔らかく口付けた。

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