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第十一話 銀泉

当作平均よりも長めですが、お付き合い頂ければ幸いです。

 季涼(きりょう)の体力回復を丸三日待った、その翌朝。

 明華(めいか)丹行(たんぎょう)(すう)宋林(そうりん)を始めとする多くの者に見送られ、玉英(ぎょくえい)一行は紅水(こうすい)()った。

 (さいわ)いにして、一行(いっこう)は変わらず二十名。

 玉英、琥珀(こはく)子祐(しゆう)文孝(ぶんこう)梁水(りょうすい)と、猫族の面々……叔益(しゅくやく)以下の茶猫族五名、仲権(ちゅうけん)季涼(きりょう)以下の黒猫族九名、そして灰猫族の伯久(はくきゅう)である。

 季涼は自力で動けない程に消耗していたが、三日と一晩で、隊の指揮へ戻れる程になっていた。

 空腹と疲労が原因だったのだ。若さもあり、回復までは早かった。


 進行方向はおよそ北東。

 予定としては、左へ折れて三、四日歩めば紅水ないし合流後の竜河……という位置関係を(おおむ)ね維持し、十日と少しは歩く。

 その()、右斜め前、即ち真東へ八日と、やはり少し。

 更に、進路を北東へ戻して三日。

 全て合わせて、二十二日。

 それで、次の目標たる城塞都市(まち)──商業都市・銀泉(ぎんせん)へ辿り着く計算だ。



 紅水を出て、四日目の朝。

 荒野へ横たわる山々の(けわ)しさは、西王母の領域のものと比べれば、いくらかやわらいでいる。

 その一つ目を(ようや)く越えて、次の山へ向けて歩みつつ、

「次の城塞都市まで、今日を含めて十九日じゃったか」

「そうだね。順調にいけば、だけど」

一行の中心で会話するのは、琥珀と玉英。

 子祐のみ、玉英()からさほど離れずに独自の動きで目を配っているが、他の者達は、()()()()()()()()っていた。

 この日は文孝と黒猫族三名が前、同様に仲権隊が後ろ、梁水と茶猫族三名が左、右には残る五名──伯久と叔益、季涼、更に茶猫族と黒猫族一名ずつ──と、数の上でも指揮能力の上でも、やや右方を重視した形である。

 右方、即ち南東方向は、鬼族の支配領域へ至る道。

 鎮戎公(ちんじゅうこう)の領内である以上、なかなか考え(がた)いことではあったが、鬼族軍及び(ぞく)軍に対する備えは、必要だった。

「うむ……しかし銀泉とやら、紅水よりも大きい、というのは(まこと)かや」

 玉英の視界の右半分で、琥珀の耳と尾が、表情以上に疑問を訴えている。

 紅水で聞いた明華の言葉を疑っている……というより、単純に想像が付いていないのだろう。

「そのはずだよ。鎮戎公支配下の、主要な城塞都市の一つだからね」

 微笑んで答える玉英。

 かつて王城で教わった中にも、銀泉の名はあった。

 紅水の五倍、十万の民が暮らすという。──こちらは明華による、近年の情報だ。

 事実なら、根本的に民の数が多い鬼族の領域を除けば、指折りの大都市である。


 他に玉英の聞き及ぶ限りでは──

 銀泉は竜河からやや離れているが、その名にある通り、巨大な泉──湖を抱えており、そこから引いた水が周囲の田畑も(うるお)している。

 また、()()()銀山が近辺に複数あり、周華王室から正式に認められた権限によって、鎮戎公の代官(だいかん)が銀の算出を管理しており、このおよそ最も確実な産業の存在が、銀泉の勃興(ぼっこう)(もとい)となった。

 更に、鎮戎公の支配領域、その西半分の中心、と言って良い立地。

 以上により銀泉は、(さか)えるべくして栄えている。

──と。


 対して、比較元(ひかくもと)たる紅水は、近隣で採れる鉄鉱や岩塩を(ひそ)かに精錬、使用することで、都市の規模から考えれば不相応(ふそうおう)な程の富を得ていた。

 それも、明華が考案した数々の方法──明華自身は「(いにしえ)聖賢(せいけん)の知恵だ」と言っていたが──、例えば、()()異型(いけい)のような形で、鉄製の(すき)を牛に()かせる農法により、信じ難い程の成果が出ている、らしかった。

 鉄そのものがまだ研究途上の物であり、(ようや)く普及し始めたところを専売制(せんばいせい)によって阻害(そがい)された……と思っていたが、()()の目を逃れさえすれば、独自に研究が進むこともあるのだ。

 独自と言えば、西王母の邑でもそうだった。

 鉄を(きた)えて(つく)る──鍛造(たんぞう)なる方法を、かつて鍛冶師(かじし)玄鉄(げんてつ)は教えてくれた。いや、教えてくれただけでなく、玉英や子祐の武具を丹精(たんせい)込めて打ち整え、与えてくれたのだ。

──ありがとうございます。

 玉英は腰の剣へ目を遣り、剣を通じて礼をするように、ゆっくりと一度、目を閉じた。


 閑話休題(かんわきゅうだい)

 内実は異なるにせよ、紅水の、五倍の民を抱える城塞都市。

 琥珀はたっぷり五つは数える程に考え込んだ末、笑って言った。

「何にせよ、楽しみじゃのう」

「うん、本当に」

 玉英も、満面の笑みで答えた。

──美しい天下の全てを……周華に限らない、広い、広い天下を、一緒に見たい。

 琥珀と出逢(であ)う前からの夢が、いつの間にか、琥珀と共に叶えたい夢になっていた。



 紅水での準備が(こう)(そう)して旅路は順調に進み、二十二日目の夜、銀泉の負郭(ふかく)(再度記すが、城塞都市周辺に広がる貧民街。富裕層の所有する田畑が広がっている場合もある。原義は「郭を背負う(城壁周辺)」である。)まで辿り着いた。

 門限は過ぎていたが、一行の戦力であれば、旅の者や無頼漢(ぶらいかん)の多い見知らぬ負郭とて、夜を過ごせぬ場所というわけではない。

 道中同様、交代で休み、夜が明けるのを待った。


 紅水からの旅の間に、この辺りの季節は春へと進んでおり、朝と夜はそれなりに冷え込むが、昼間は着物を多少薄手にしておいた方が快適だ。

 翌朝、玉英等は怪しまれない程度に身なりを整え、開門を待つ長い列へと加わった。

 列に並ぶ者は、犬族が多い。

 そもそも鎮戎公の名が示す(じゅう)とは、かつてこの近辺を広く支配していた、犬族のことだ。

 犬族は総じて槍を得手(えて)とする、周華に(まつろ)わぬ民であったが、三百年程前、鎮戎公に屈した。

 今となっては文化的に同化した、謹直(きんちょく)な民である。

 小柄な猫族と比べれば全体に大柄(おおがら)だが、白虎族よりはやや小さく、見渡す限り、玉英よりも大きい者は十名につき二、三名居るかどうかだ。

 大小も色も異なる数多(あまた)の尾が、表情豊かに揺れていた。



 一刻(いっとき)(約二時間)経った。

 しかし、一向(いっこう)に列が進まない。

 並び始めた時に立っていた場所が、振り返ればすぐそこにある、という程だ。

「どういうことじゃ?」

 玉英と並んで先頭に居る琥珀が素直に疑問を(てい)し、

(さぐ)って(まい)ります」

背後に居た伯久が、列を外れて半里(はんり)(約二百メートル)は先の門へと走る。

 その様子を見てかどうか、伯久が去ってから十も数えないうちに、列の外から、商賈(しょうこ)風の犬族が声を掛けてきた。

「もし、旅のお(かた)

 年の頃は三十前後。背丈は玉英と子祐の丁度(ちょうど)中間、といったところか。犬族としては相当に大きい。やや伸ばした黒髪に黒目。耳と尾も黒い。

(わらわ)のことかや」

 琥珀が右へ向き直ると、

「はい。いずこかの高貴なお方とお見受けしました。どうかこの豪徳(ごうとく)に、貴方(あなた)様と(えにし)を結ぶ機会をお(めぐ)み下さいませんか」

犬族──豪徳は丁寧に頭を下げて静止した。耳と尾の動きすらもよく抑えて、返事を待っているらしい。

 声を掛けられた段階で、琥珀を庇うように子祐が半ば(さえぎ)っていたが、(ひる)んだ様子は無かった。

 琥珀は一度背後を振り返り、玉英と頷き合ってから答えた。

「面を上げよ。話すが良い」

「はい、感謝申し上げます」

 豪徳は琥珀を見下(みおろ)さない程度にだけ上体を起こし、続ける。

「実は──」

「待つのじゃ」

 琥珀が早々に止めた。

「真っ直ぐ立って話すが良かろう」

 豪徳は琥珀と比べれば二尺(にしゃく)(約三十六センチメートル)以上は上背(うわぜい)があるため、実質的には礼をしたままだったのだ。

「はい、失礼致しました」

 ゆっくりと姿勢を変え、琥珀の承諾を得てから、

「実は──」

と改めて話し始めた。



「では結局のところ、この列はいつまで待とうが進まぬ、と?」

「はい。それもこれも全ては──」

「悪徳商賈連のせいじゃ、と」

「仰る通りでございます」

 幾度(いくたび)目かの礼をする豪徳。

「ふむ……」

「ですから、どうかここは(わたくし)めに、別の門へ貴方様をご案内させて頂く栄誉を、お与え下さいませ」

 そう言って、豪徳は一層深く頭を下げた。

「やや多いが、(とも)も、ということで良いのじゃな?」

勿論(もちろん)のことにございます」

 豪徳は、頭を下げたままである。

 琥珀は顔を左へ向け、隣に近いところまで来ていた玉英と目で会話して、

「良きに計らうのじゃ」

「ありがたき幸せ」

──どこまで下げれば気が済むのじゃ?

と思う程に下がっている、豪徳の頭を見下ろした。

 豪徳の耳と尾は、相変わらず、微動(びどう)だにしていなかった。



 話し終わっても伯久は戻らなかったため、叔益以下三名の茶猫族に伝令を頼み、一行は豪徳の案内で移動した。

 元居た門は南の門。それも明らかに主要な、大きなものだったが、向かった先は、北西の小さな門である。

 小さな、と言っても、途中で合流した豪徳の馬車が通れない程ではなかった。──馬車には羊肉が入っているという包みが満載だった。

 北西の門番には鼻薬(はなぐすり)()がせてあったのか、やけにすんなりと通され、事前に打ち合わせた通り、そのまま豪徳の(すす)める宿へと向かった。

 一階は食堂、二階は宿泊客向けの部屋が並んでいる、形式としては(ごく)一般的な、しかし上等な宿であり、一行が十分に泊まれるだけの広さがあった。

「ご案内させて頂けましたこと、大変光栄にございました」

 部屋の前で、もう見慣れた、豪徳の深過ぎる礼を受け、

「妾達こそ感謝する。そなたの商売繁盛を祈っておくのじゃ」

恐悦(きょうえつ)至極(しごく)にございます。さすれば、商機を逃さぬため、これにて失礼させて頂きます。どうぞごゆるりと、銀泉をお楽しみ下さいませ」

 更に礼を重ねてから去っていく豪徳を、見送った。



 豪徳が去ってからしばしの(のち)、玉英と琥珀、子祐の三名は、身軽に宿を出た。──他の者は、宿へ置いた荷の番である。

 宿は北西の門から入って程無(ほどな)く、という位置にあるため中央通りまでは遠いが、そうとは思えぬ程の店構えだ。

「明華の勧めに従わぬことになってしまったが、これはこれで悪くなかろう?」

 琥珀に(たず)ねられ、曖昧(あいまい)に微笑む玉英。

()()()()おる。……()ずは、食事じゃな!」

 言い切った琥珀に、眉尻を下げつつ笑い掛けて、

「子祐」

「ハッ」

子祐に先導を頼んだ。



 十万の民を(よう)する商業都市、だけのことはある。

 やや南西寄りの市場(しじょう)区画へ出れば、市場そのものが閉まらない限りはずっと喧喧囂囂(けんけんごうごう)取引しているのだろう、と思える店が(のき)(つら)ねていた。

 行き交う者も多く、紅水もそうだったが、話に聞く世の乱れようとは全く異なる様相(ようそう)だ。

「う~む、たまらんのう」

 舌舐めずり、まではしないが、心では()()していそうな琥珀。

 それもそのはず。戎が遊牧民だった頃の名残りか、羊の肉が贅沢(ぜいたく)に使われた串焼きが、数こそ少ないものの、眼の前に並んでいた。

「これにしようか」

 玉英も乗り気である。

「うむ!」

 身分から考えれば、通常、子祐に買わせるところだが、琥珀にとっては生まれて初めての『買い食い』である。

「そなた、これを二十本くれぬか?」

 宝石のような目を輝かせて、直接声を掛けた。

 しかし、声を掛けた先、じっくりと肉を焼いては(わき)へ積み上げている犬族の少年ではなく、やや奥で座っていた、店主と思しき初老の犬族男性が立ち上がり、苦笑い気味に答えた。

「お嬢様、銀泉(こちら)は初めてで?」

「そうじゃが……」

──何か不手際があったかや?

 琥珀が目を(しばたた)かせる。

「結構なお値段になりやすが、よろしいんですかい?」

 言われてみれば、掲示(けいじ)されている値段は、如何(いか)に贅沢と言っても度を越していた──が、そうと判断出来るだけの経験が、琥珀には無かった。

「ダメ……かや?」

 琥珀は左隣まで来ていた玉英を見上げ、目を(うる)ませる。

 玉英は柔らかい微笑みを返してから、子祐が差し出した銭の束を店の者へ渡しつつ、告げた。

「四十本貰おう。それと、話を聞きたい」

「へ、へえっ、喜んで! おい、(でん)、一本も焦がすなよ! 塩もたっぷりだ!!」

「あいよ親父(おやじ)! ありがとよお客さん、へっへっへ」

「失礼な口利くんじゃねぇ! すいやせんね、へっへっへ」

 笑い方があまりにも似ていて、玉英と琥珀もつい笑ってしまった。



 夕刻の、一歩手前。

 宿の部屋、椅子の上。

 昼頃に一度宿へ戻り、既に合流していた伯久、叔益等も含めた全員へ串焼きを渡しつつ、命じていたことがある。

 その、報告を受けていた。

「よくわかった。感謝する。『頼む』と伝えてくれ」

「ハッ」

 最後となった伯久の()()()()()報告も聴き終え、玉英はしばし沈思(ちんし)する。

 右隣の椅子に座っている琥珀も、もう長いこと顔の各所を()()()()()ていたが、漸く心中(しんちゅう)を整理出来たようで、ゆっくりと深呼吸して、言った。

()()()()はおったが、確証を得るとまた違うものじゃのう」

「そうだね。見当違いなら、良かったんだけど」

「うむ。……しかし、やるとなれば、徹底的に、じゃ」

 頷き合っていたところ、宿へ入ってきて大声で叫ぶ者があった。

「旅のお方! どうかお力添(ちからぞ)えを……(あるじ)をお助け下せぇ!」

 顔を見合わせ、揃って片頬だけで笑って、今度は軽く頷き合った。



 琥珀と玉英、子祐が降りて行った先に居たのは、豪徳の馬車で御者(ぎょしゃ)を務めていた犬族の若者だった。その言を聞くに、

「山に囚われている、じゃと?」

「へぇ、悪徳商賈の手先の山賊共に。俺だきゃあ主がどうにか逃がしてくだすったんですが、こんなことで俺が頼れるの、あんた方……あーいや、あなた方くれぇしか居ねぇんで……どうか、どうかお助け下さい!!」

 地に伏せて頼み込む御者。

「良かろう、案内(あない)するのじゃ」

「ありがとうございやす! そいじゃあ、こちらへ!」

 琥珀と玉英は駆け出す御者の背後で視線を交わし、()()()()()()()()()()皆にそれぞれ手で合図を出して、後を追う。

 御者を追うのは十四名。

 伯久と、叔益以下五名の茶猫族の姿は、無かった。



 南洞山(なんどうざん)

 銀泉の西()十里(じゅうり)(約四キロメートル)にある山の名である。

 この「南」は銀泉基準ではなく、南北に二つ連なった山同士の関係から来ているらしい。

 四半刻(しはんとき)(約三十分)程かけて、()()はその南洞山の東側の(ふもと)へ辿り着いていた。

 見渡す限りでは、岩が露出(ろしゅつ)しているところもあるが、半ばは土と木に覆われた、そこまで高くもない山だ。西王母の領域であれば「丘」と呼称していただろう。

 所々(ところどころ)に、見張り台と思しき建築物がある。

 山の東側、中程(なかほど)までが、豪徳が捕まったという山賊の(ねぐら)なのだ。──頂上付近は峻嶮(しゅんけん)に過ぎて、鳥や龍でもなければ寄り付けない。

 北側も、別の山と連なってこそいるものの、行き来が出来るような地形ではなかった。


「この坂の上に開けたとこがあって、(みぎ)(かわ)洞窟(どうくつ)がありやす。多分、そこに……」

 この坂の上……とは言うが、正面の坂以外にも、左右それぞれ、やや離れたところに一本ずつの小道。

 更に左手奥には、()()()からは見えはしないが、最も広い道があるはずだった。

 しかし、そのことについては触れず、

「うむ。そなたはここで待っておれ」

と琥珀が言うと、

「いえ、俺も行きやす。お役にゃ立てねぇかもしれやせんが、どうかお(そば)に居させて下せぇ」

 大きく(かぶり)を振って反対する御者。

「そうかや? ならば、梁水、文孝」

「「ハッ」」

 御者の前後に梁水と文孝が付いた。

 御者の体格は一般的な犬族のものであるため、完全に隠れた形になった。

「俺如きにここまでして頂かなくても……」

「気にするでない。そなたに死なれては困るのじゃ」

「ありがとう、ございやす……」

 御者は、笑おうとして笑えていないような、微妙な表情で礼を言った。

「良い。では、玉英」

()()

 ()()()()()()()玉英が、命ずる。

「子祐、正面。罠警戒。深入(ふかい)りは禁ずる」

「ハッ」

「仲権、四名連れて右。必要となる一歩手前で退け」

「ハッ」

「季涼は三名で後ろ。安全第一」

「ハッ」

「残る私が左……ということで()()()()()()?」

 向き直って仰々(ぎょうぎょう)しく礼をしながら、琥珀に尋ねる。

「うむ。良きに計うのじゃ!」

 満面の笑みである。

「では、()()()()()()()()

「うむ」

 琥珀が季涼隊に囲まれて下がったのを確認した段階で、玉英が剣を抜き、頭上で繰り返し回した。

 八か九数えた頃。左奥──南側から、何百という火矢(ひや)が山肌へ降り注いだ。



 夕刻である。

 徐々に濃くなりつつあった影はその濃淡と形を変え、

「な、何をなさってるんで!?」

御者が慌てふためいて玉英へ詰め寄ろうとする──が、梁水と文孝に止められる。

「賊を殲滅するのだ。盛大にやらねばな」

 玉英は去り際に御者の方を振り返り、笑った。


 山賊とて手を(こまね)いているばかりではない。ただ焼かれるのを待つのは、既に死した者か、囚われた者だけだ。

 しかし、囚われているはずの豪徳が、玉英が向かった左の坂から、真っ先に駆け下りてきた。

「なんと、救出に来て下さったのですね……ありがたく存じます。この御恩(ごおん)は決して忘れませぬ」

 そう言って深々と礼をし、改めて、木の(かげ)に身を隠した玉英へ歩み寄り──


 一閃。


「なっ……何故(なにゆえ)露顕(ろけん)、したのでしょうか?」

 豪徳が、足元に落ちた、剣を握ったままの自身の右手を見つめながら言った。

「そなたには、わかるまいな」

 玉英は豪徳を冷たく見据え、その首筋へ剣を突き付けて、

「全て吐くなら、しばし生かしておいてやる」

 豪徳は痛みに目元を引き()らせながらも頬を上げ、

「正直な方ですね……こういう時は、『命は助けてやる』とおっしゃいませ。……いずれにせよ、申し上げることなどございませんが」

「そうか。……(おぼ)えておこう」

 再び剣が(きら)めき、豪徳()()()()()が倒れた。


 子祐の敵になるような者は、居なかった。

 木の葉がいくら打ち付けたとて、倒される巨木は無い。

 雑兵が()()()()()駆け下りて来たところで、小揺(こゆ)るぎもしなかった。


 仲権と四名の黒猫族は、正面からのぶつかり合いは避けた。

 犬族は、平均で八寸(はっすん)(約十四・四センチメートル)以上は猫族よりも大きい。

 それ以上に恵まれた身体を持つ伯久ならばまだしも、仲権()ではあまりにも不利であり、且つ、()えて不利な立ち回りをしろ、とは命じられていない。

 罠の有無を確認した上で木陰(こかげ)、岩陰を利用し、弓矢で賊徒を射抜き続けた。


 玉英達とは別方面。

 南側の広い道では、犬族同士のぶつかり合いが起きていた。

 とは言え、先制で(はな)った何百という火矢のおかげもあり、血で血を洗うような争いにはなっていない。

 絶え間ない矢に射抜かれ、駆け下り切る前に力尽きる賊徒が(ほとん)どで、辛うじて辿り着いた者とて無傷では済まなかったのだ。

 そうした()()()()数十名を()()せてしまえば、それで(しま)いだった。



 東側の様子が落ち着いたところで、仲権、季涼の隊に見張りを任せ、琥珀、玉英、子祐、梁水と文孝、彼らに()()()()()()()()()は南側の()を訪ねた。

 五百は数えるであろう軍の後方右側──東側が()()、年配の犬族が歩み出て来て、深々と礼をする。

 さほど背丈があるわけではないが、真っ直ぐ伸びた背筋が印象的だ。

「銀泉を預かっております、慎易(しんえき)と申します。この度はご協力頂き、まっこと、ありがとうございました」

 肌はやや焼けており、髪と耳、尾は白い。

 琥珀も前へ出て、微笑みながら言った。

「妾が琥珀じゃ。こちらこそ、助かったのじゃ。妾達だけでは、()()()()()()やもしれぬ」

 慎易が頭を上げ、大袈裟に驚いて見せた。(つぶら)な黒い瞳が輝いている。

「なんと剛毅(ごうき)な……流石は明華様のご朋友(ほうゆう)(わたくし)のような老骨とはわけが違いますな、はっはっは」

「なんの、前線まで出張ってくる者を老骨呼ばわりは出来ぬじゃろう、呵呵呵(かかか)

 相手に合わせているうちに、西王母のような笑い方になっていた。

「ところで慎易、()()に移って貰っても良いかや?」

「勿論、勿論」

 幾度も頷く慎易。

 その眼前へ、御者が引き出され、膝を突いた。梁水と文孝に左右の腕を捻り上げられている。

「あー、いってぇな、畜生。……無駄、ってことだよなぁ、これ」

「そうだ」

 慎易は見下ろしつつ、平坦な声で言った。

「どこで露見し(バレ)た?」

 これには答えず、琥珀の顔を見て、(わず)かに口角を上げ、頭を左へ傾けながら頷いた。

 それを受けて、琥珀が答える。

「まずそなたら、演技が甘いのじゃ」

 西王母の民ではないとは言え、鼻が利き、尾の表情を隠せないことで有名な犬族である。

 本心から()()()()ならば、いくら抑えたところで、何かしらの反応は出る。……とは言え、これだけならば疑いに過ぎなかった。

「馬車に羊肉、というのもおかしかった」

 城塞都市に出入りする真っ当な商賈であれば、()()()()()()連れて入るだろうし、あれだけの量を市場へ(おろ)した形跡(けいせき)も無かった。

 最近は羊肉がなかなか手に入らない、と串焼き屋が言っていたくらいなのだ。値を上げざるを得ず、生活が苦しい、とも。

 店主の口利きで()いて回ったいくつかの店でも、同じことを言っていた。

先程(さきほど)宿へ来た際も、命辛辛(いのちからがら)逃げ出せた、にしては元気そうじゃったし、何より、妾達を頼る必要(など)どこにも無かった。眼の前の忠勇なる兵士達が、それを証明しておる」

 琥珀に真っ向から(たた)えられ、兵士達の尾が奏でる音が五月蝿(うるさ)い程になった。これが本来の犬族なのだ。

 嘘が自然と排除され、誠実な商売を積み重ねることこそが、銀泉の着実な発展の(もとい)だ、と聞いている。

 ただ、極稀(ごくまれ)に、そこから外れたがる者も居る……というのは、どの種族であれ、同じことだった。

「さて、慎易。(あと)は任せるのじゃ」

「はい、承りました。……おい」

 慎易が部下に声を掛け、複数名で御者を連れて行かせる。

「では、しばし失礼致します」

 そう言って頭を下げ、隊の後方へ戻る慎易。すぐに軍が動き出し、山を囲んでいく。一部は玉英等が担当した東側へ、別の一部は西()()へ向かった。



「これで、とりあえずは皆の無事を祈るのみです」

 戻ってきた慎易が言う。周りには、二十名程度が残るのみだ。護衛と伝令だろう。

「ご苦労様、じゃ」

「いえいえ、(わたくし)の責務ですからな」

 慎易が笑みを浮かべると、(しわ)が目立った。

「琥珀様、とお呼びしても?」

「許す」

 琥珀が頷けば、慎易は丁寧に頭を下げ、

「ありがとうございます。ところで琥珀様(がた)は、鎮戎公のお膝元……朔原(さくげん)へ向かわれるのでしたな?」

「そうじゃ」

 朔原は、竜河本流が最も北へ寄った部分、その()()にある大都市である。

 ()()には、徒歩でも二日かからない距離に長城がある。即ち朔原は、(たい)熊族の最前線を統括(とうかつ)する護国(ごこく)城塞(じょうさい)である。

 なお、竜河は朔原を取り巻くように東へ流れを変え、その後ある地点で南下し、京洛(けいらく)鎬安(こうあん)の間で釣水(ちょうすい)と合流してから、東の劫海(ごうかい)へと流れて行く。

「でしたら、馬はご入用(いりよう)ではありませんか?」

「馬?」

「この辺りから北は、広大な荒野となだらかな山が殆どです。今宵(こよい)のように密かに移動する、というのでなければ、馬での往来をお勧め致します」

「ふむ」

「朔原へは、徒歩(かち)壮健(そうけん)な兵で二十一日前後のところ、馬なら多少手間取っても十一日。……(まこと)に失礼ながら──」

「妾や猫族ならば一月(ひとつき)はかかるじゃろうな」

「おそらくは」

 単純な体力差である。

 伯久のような例外は兎も角として、一般的には、鍛えた者同士、種族の差は如実に現れる。

「それに、旅慣れた馬ならば、水源や夜営(やえい)に適した場所も教えてくれます」

 見知らぬ土地を旅する上では、最重要事項(じこう)の一つだった。

(わたくし)一存(いちぞん)で差し上げる、というわけには参りませんが、朔原の兵営へお渡し頂ければ問題ありませんので……」

 馬は貴重な戦力であり、財産である。

 特に騎馬民族である熊族と相対(あいたい)するのであれば、欠かせない要素だ。

「それは無論じゃ。では──」

 左の玉英と視線を交わし、微かな頷きを得て、

「頼むとしよう。……じゃが、妾も猫族も、体格が足らぬのではないかや?」

眉を(ひそ)めて訊いた。

「ご安心下さい。小型の馬も居りますし、(あぶみ)という明華様ご考案の品があれば、大抵の馬をある程度乗りこなせるはずです」

「鐙?」

(くら)からぶら下げた板に足を置く……といったものです。騎乗中の姿勢を安定させられますし、乗り降りも容易(たやす)くなります」

「ふむ。試してみようかの」

「はい。では、そのように」

 慎易は微笑みながら一礼した。

「よろしく頼むのじゃ!」

 周囲の玉英等が頭を下げ、琥珀は、満面の笑みで大きく頷いた。

 白い尾が、火に照らされた宵闇の中で、(たの)しげに揺れていた。

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