第一章 逃げ場所、1
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ガタンゴトン、ガタンゴトン……遠くから僕の耳に電車の音が届いた。頭はクラクラし、鋼管で殴られたように痛む。重たいまぶたをゆっくりと開けると、日差しが目に差し込んできた。朝だと、すぐに分かった。……だが、ここはどこだ?片手で頭を押さえ、周囲を見回す。何だか妙な感覚がする。なぜかというとーー空がまるで硬そうに見えるからだ。それに、緑色が……え?僕、逆さまになってる!?どうやら木の枝からぶら下がっているらしい。そう気づいた瞬間、驚きのあまり枝から落ち、地面に体を強く打ち付けた。周りを見渡すと、どこを見ても木ばかりだ。木から、セミの鳴き声が元気よく響いている。森の林冠を透かして、淡い光が差し込んでくる。太陽に向かって伸びた花々が、じゅうたんのように地面を覆い尽くしていた。もしかして、天国?
昨日の夜、何があったのか?考えてみても、その眩しい光以外はすべて曖昧だ。写真アルバムのページをパラパラとめくるように、様々な断片的な記憶が浮かんでは消えるが、何をしていたかはよく分からない。
体を起こし、服についたほこりを払い落した。あっ……龍登!龍登と会う約束を思い出し、ポケットを探った。が、ポケットの中は、全く空っぽだった。死んだもんだな。「私は……死んでる……」地面に膝をつき、絶望に沈んでいった。目に涙が滲み始めた。が、その時、腹に野球バットを叩き込まれたかのような激痛が走る。化け物のうなりのように、腹の虫が鳴く。思わず腕でお腹を抱えた。
視界がかすみ始める。突然、背後からパタパタと小さな足音が近づいてきた。一歩ごとに軽かった音が、ドンドン重くなる。そして、腕一本の距離まで迫ったところで、その足音はぴったりと止まった。頭をその方向に向けた途端、驚きのあまり心臓が高鳴った。「ん……何が……」
目の前にいるのに、脳が「嘘」だと強く否定してくる。身長は、今の僕の姿勢からして少し低い。つまり、僕の膝あたりまでしかない。頭は長く、どうやら非常に硬そうだ。体は太いが、脂肪ではなく筋肉がしっかりついている。その胴体からは、長い長い尻尾が伸び、腕は小さく、三本の指を持っている。その指には、刃のように鋭い爪が生えている。しかし、腕よりも足のほうがさらに恐ろしい。
避けた口には同じく恐ろしい歯が並び、口を閉じてもあちこちからはみ出している。その歯の間からは、なんとメロンパンが一つ垂れ下がっている。僕は、どんな悪夢から抜け出してきたような化け物を、頭から尻尾の先まで視線でなぞる。どこを見ても、まぎれもなく恐竜の王ーーティラノサウルス・レックスだ。といっても、目が合った瞬間、それはおぞましい肉食獣の視線ではなく、子犬のように明るく赤い瞳だった。気づけば、その尻尾はウキウキと左右に揺れている。僕はぼうっとするしかなかった。
「お前は本物か?」僕の質問に答えるように、ティラノサウルスは、まだ開けていないメロンパンを地面に置き、すぐに自分の舌で僕の顔を舐めた。僕の短く赤い髪は舌の唾液で曲がり、そのまま固まってしまった。顔からは大きな水滴が流れ落ちていくのを感じる。「……本物だ」
僕は視線を地面のメロンパンに移す。「それ、僕の?」ティラノサウルスは純粋な目で僕を見つめ、笑うように舌をぺろりと下げた。
メロンパンを開けて、一口かじりながら、僕はその小さな恐竜を見つめた。なるほど、恐竜も、天国にいるんだ。恐竜の王なのに、その柔らかい目つきで見られているし、恐竜が好きだし、怖くもない。むしろ、不思議と安心してしまう。ティラノサウルスは頭を少し下げ、一歩近づいてきた。
僕はおずおずと手を上げ、恐竜の方へ伸ばす。触れると、額から背中まで小さな羽の感触が伝わった。「大きなニワトリみたい。ありがとう」
パンをくれたお礼をしょうとして……待ってよ。このパン、どこからもらたの?さらに、天国にいるのに、何でお腹が空いている?
「あそこだ!その化け物だ!」近い道の向こうから、大きな声が響いた。コンビニの店員さんと警察官がこちらへ迫っている。「お前のロボットで万引きするつもりか!」店員さんは走りながら怒鳴った。
「そこまでだ!動くな!」警察官はそう叫ぶと、口笛を吹いた。
え!?慌てた僕はパンを見やり、次に気楽そうに笑う恐竜へと視線を移す。「僕、生きてる!?……ちょっと……お前も生きてる!?」
突然、恐竜が頭を下げ、そのまま僕の体を軽々と跳ね上げた。世界がぐるぐると回り、気づけば僕は、ティラノサウルスの背中に乗っていた。倒れないように、両腕で思わず、その首をぎゅっと抱きしめる。