わたくしの外見しか見ない人なんてお断り致します。
「お前のような冴えない女が私の婚約者などと、不本意だな。私にふさわしいのは、それはもう美しく可愛らしい、マリリアのような女性だ。そうは思わぬか?」
きらっきらの派手な容姿しか取り柄のないハリス・パレスト公爵令息がいきなりそう叫んだのだ。
ここは王立学園の教室。その姿を唖然と見ている女性は、エリーディア・クランテスト。クランテスト公爵家の四女である。
栗色の髪の地味な容姿の令嬢だ。
そして、そう叫んだ男、ハリス・パレスト公爵令息と、一年前に婚約を結んでいた。
ハリス様の隣で勝ち誇ったような顔をした女性、マリリアと言われた女性であろう。
エリーディアはその女性の事を知らなかった。同じクラスではないし、お付き合いもない女性だ。
エリーディアは困ったように、
「家の都合でわたくし達の婚約は決まったのです。わたくしとの婚約がご不満ならば、お父上におっしゃって下さいませんか?」
マリリアという、フワフワのピンクの髪の女性は、エリーディアに向かって、目をうるうるさせながら、
「愛のない結婚をさせられるハリス様はお可哀そう。そうは思いませんか?私とハリス様は愛し合っているのです。」
その時、バンと教室の扉を開ける音がした。
「だから、わたくしは反対だったのよ。可愛いエリーディアがこんな浮気男と婚約するだなんて。」
「そうよ。そうよ。わたくしも大反対でしたのよ。」
「あああ、大丈夫?エリーディア。こんな男との婚約は破棄致しましょう。ええ。お父様に頼んで、破棄して頂きましょう。」
中に入って来たのは、エリーディアの三つ子の姉、クラウディア、アルメリーナ、スターシアである。三人はそれはもう、金の髪の派手な顔立ちで、美人で有名だった。特にクラウディアは王太子殿下の婚約者におさまっており、アルメリーナは騎士団長の子息と、スターシアは宰相子息との婚約が決まっていて、それはもう、クランテスト公爵家は王族や高位貴族と縁を結んで、飛ぶ鳥を蹴落とす勢いだったのである。
三人はハリスとマリリアという令嬢を取り囲んで、
「何が真実の愛よ。所詮不貞ですわ。」
「ハリス様が不貞という事は、婚約破棄はこちらからですわね。」
「慰謝料をがっぽりと頂きますわよ。」
ハリスは三人にそう言われて青くなりながら、
「冗談じゃない。私と釣り合うように、精進しないエリーディアが悪いのであろう。私に釣り合うのは美しく可愛いマリリアだ。それに比べて、エリーディアは…勉学は出来るかもしれないが、冴えない容姿な上、私に対する態度は冷たいだろう?」
クラウディア達、三人はそういうハリスに向かって、
「貴方様とて、婚約者に対する態度ではなかったでしょう?エリーディアは夜会でエスコートもしてもらったこともありませんわ。プレゼントも頂いたこともありませんわ。婚約を結んでもう一年経つと言うのに。」
「学園でエリーディアと親しく交流する姿を見たこともありませんわね。エリーディアが冷たい?その前に、エリーディアと親しくしようと努力なさいましたか?」
「本当に自分の事ばかりですのね。エリーディアは、貴族令嬢として高位の教育を受けております。それに比べてその女は誰?いかに顔が可愛らしくとも、可愛いだけで、空っぽの頭では公爵家の妻は務まりません事よ。」
マリリアは涙を浮かべながら、
「酷い!私が男爵家の娘だからって、その言い方はないでしょう?」
クラウディアが扇を手に、
「男爵家の娘が、何故この教室に?男爵家の娘ならば、教室は別でございましょう?ここは高位貴族の教室。」
アルメリーナも馬鹿にしたように、
「そうですわね。どういう事かしら?ハリス様。まさか下賤な令嬢をわざわざこの教室に?」
スターシアがさげすむような眼差しで、
「エリーディアをないがしろにしすぎですわ。」
エリーディアは思ったのだ。
こちらが何も言わずとも三人の姉にかかれば、どんな相手でもやり込められると…
ハリスは叫んだ。
「女は顔だ顔っ。もっと美人になって、私を持ち上げろ。このマリリアみたいに。」
エリーディアは思った。
こいつ最低な野郎だなと…
まぁ、もともと愛などなかった。姉達三人も政略で婚約相手が決まったのだ。
自分だって仕方がなく、父の決定に従ったけれども。
姉達と比べて自分は美しくはない。でも、女は顔だけではないでしょうに。
それに…女は…
エリーディアはきっぱりと、
「わたくしに不満があるのならば、婚約破棄致しましょう。そちらの有責で。当然ですわ。」
ハリスは不満げに、
「何故、こちらの有責なんだ。お前が地味で可愛げがないから、私はマリリアに癒しを求めているというのに。」
「何をおっしゃるのやら。生まれついた顔は変える事は出来ませんわ。それに女は顔だけではございません。特に高位貴族は立ち居振る舞い、知識など、全てにおいて女性の価値は決まるのですわ。」
エリーディアに同意するようにクラウディアも、
「そちらの男爵令嬢とやらに、品のある立ち居振る舞いが出来るのかしら?」
アルメリーナもスターシアもホホホと笑って、
「出来るとは思いませんわね。」
「ホホホ。人の婚約者を奪うような下賤な女…最低ですわ。」
エリーディアは姉達三人に、
「お姉様方。ありがとうございます。わたくしは、ハリス様との婚約破棄をするよう、お父様に頼みますわ。」
ハリスはマリリアの腰を抱きかかえながら、
「こちらこそ、お前のような女、願い下げだ。」
クラスメート達が呆れたような顔でこちらを見ている。
この教室の騒ぎは、全貴族達に知れ渡るだろう。
エリーディアは悲しくなった。
ハリスを愛していた訳ではない。婚約者になって一年、エリーディアに何一つ、好意一つ、示したこともない、酷い男である。
それでも、悲しくて、涙がこぼれる。
「わたくし、今日は、早退しますわ。」
姉達が、心配そうに付き従ってくれて、
「そうですわね。今日はわたくし達も家に帰りますわ。」
「失礼致します。」
「皆さま、お騒がせ致しましたわね。」
そのまま、教室を出て、使いを出して迎えに来てもらった馬車に乗って屋敷へ向かう。
クラウディアが慰めるように、
「わたくしの可愛いエリーディア。もっと良い縁談をお父様にお願いしましょう。」
二女のアルメリーナも、頷いて、
「あの男は、自覚があったのかしら。わたくし達、三人はよそへお嫁にいくから、エリーディアが公爵家を継ぐことになるのよね。」
三女のスターシアも同意するように、
「ハリス様って次男でしょう?これからどうするのかしら。まぁわたくし達が気にすることはないわ。」
エリーディアは三人の姉達に向かって、
「お姉様達がいらっしゃるから、わたくしは心強いのですわ。今度は、良い縁が結べますように、いえ、まずはハリス様との婚約破棄をですわね。」
「「「応援しますわ。」」」
姉達の力強い応援を貰って、エリーディアは父である公爵にその夜、話をする。
「ハリス様は不貞をしています。わたくしに対する態度も酷くて。これが今まで集めた不貞の証拠ですわ。」
しっかりと不貞の書類をクランテスト公爵に提出する。
クランテスト公爵はその書類を眺めながら、
「私はいかに政略とはいえ、お前に幸せになって貰いたかったのだがな。」
クランテスト公爵夫人である母も、
「婿がこのような男では、我が公爵家は安泰とは言えませんわ。」
「そうだな。この婚約は破棄させてもらおう。」
エリーディアは嬉しかった。付き添ってくれた姉達も、
「お父様、エリーディアの今度の婚約者はもっとしっかりとした相手をお願いしますわね。」
「そうよ。お父様。可愛い可愛いわたくし達の妹は幸せになってもらわなくては。」
「その通りよ。あああ…エリーディア。今夜はわたくしと一緒に寝ましょう。」
スターシアの言葉に、クラウディアもアルメリーナも、
「ずるいわ。わたくしが一緒にエリーディアと寝るのですわ。」
「いえいえ、わたくしが一緒に。」
クランテスト公爵夫人がホホホと笑って、
「本当に貴方達はエリーディアが好きなのね。」
「「「だってわたくし達の可愛い妹ですもの。」」」
結局、その夜は四人で同じ部屋で、遅くまでおしゃべりをし、楽しく過ごした。
姉達の気遣いがエリーディアはとても嬉しかったのだ。
翌日、クラウディアが、
「皆のドレスを新調致しましょう。今度、わたくし達の卒業パーティがあるわ。」
二つ年上の姉達は王立学園を卒業する。その時に、身内である人間も着飾って出席することが出来るのだ。
アリーナがエリーディアの手を取って、
「そこで、いい縁が出来るかもしれないわね。エリーディアは学園で気になる方とかいないのかしら。」
エリーディアは首を振って、
「だって、わたくしは学園入学と同時にハリス様の婚約者になったのですわ。他の殿方なんて…」
スターシアが、
「そうよね。わたくし達は貴族なのだから、家柄のつり合いもありますし…簡単に他の殿方と恋に落ちる訳にはいかないわ。勿論、愛しのエドワール以外の男に興味はありませんけれども。」
スターシアの婚約者は宰相子息のエドワールである。
「あら、それを言うなら、ゴーレス様の逞しさと言ったら。」
アルメリーナは婚約者の騎士団長子息、ゴーレスを思い出して頬を染める。
クラウディアはホホホと笑って、
「わたくしのステラウス王太子殿下程、素敵なお方はおりませんわ。」
エリーディアは三人の姉達を羨ましく思う。
三人とも政略とはいえ、相手の事を愛しているのだ。
貴族の中には政略とは言え、愛を育む夫婦もいれば、白い結婚をする程、冷めきった夫婦もいる。
エリーディアは白い結婚なんて嫌――。自分は愛を育む夫婦となるべく結婚したいと強く思った。
ハリスとの婚約で、早々に諦めていた愛のある結婚。
婚約を破棄した今、愛のある結婚をしたい。
エリーディアは強くそう思ったのだ。
姉達はエリーディアに、卒業パーティで思い切りオシャレをして自分を売り込みなさい。
そう言ってくれた。
勉学や、貴族令嬢としての立ち居振る舞いには自信がある。
ただ無いのは、美しさだ。
クラウディアが耳元で囁く。
「女は化粧で変わるのよ。わたくし達がエリーディアを華やかな美人に変身させるわ。」
アルメリーナもスターシアも、
「わたくし達に任せて頂戴。」
「当日が楽しみね。」
仕立て屋で、華やかなブルーのドレスを仕立てて貰い、当日は化粧をし、髪を派手に巻いて貰った。
鏡の前に立って思った。
「これがわたくし?別人みたいですわ。」
三人の姉達もそれぞれ、美しいドレス姿で。
「「「さぁ、参りましょう。」」」
姉達はそれぞれの婚約者達にエスコートをしてもらい、卒業式の会場に入場する。
エリーディアは今は婚約者がいないので、父にエスコートして貰った。
在学生たちも望めば、パーティに出ることが出来る。
ハリスがエリーディアに声をかけてきた。
「エリーディア?なんて美しいんだ。今なら考え直してやろう。婚約を結びなおさないか?」
「マリリアという令嬢はどうしたのです?」
「いやその…マリリアは…」
何故か第二王子殿下の傍に、その令嬢がべったりとくっついている。
どうも、ハリスは捨てられたらしい。
エリーディアがきっぱりと言う前に、いつの間にか傍に来ていたクラウディアが、
「女性を顔だけでみる浮気者の男なんて、我が公爵家の婿にふさわしくありませんわ。」
アルメリーナもエリーディアを抱き締めながら、
「わたくし達の大事な妹を貴方様のような屑と結婚させるわけには参りません。」
スターシアもホホホと扇を手に笑いながら、
「ハリス様は次男でしたわね。我が家を断られたなら、新たな婚約者を見つけて婿入りしないと…苦労なさいますわよ。」
ハリスは真っ青な顔をして、
「父上から廃籍すると言われた。騎士団へ行けとも…どうか、エリーディアお願いだから、私と再び、婚約してくれないか?そもそも、お前が悪い。美しく着飾らないで、私に冷たくして…」
エリーディアは呆れたように、
「わたくしが悪い。何故?わたくしは必要最低限のオシャレしかしませんわ。だって学園は勉学に励む所ですもの。今日はパーティ。必要なオシャレをしたのですわ。それに…冷たくしたのは貴方も同じ。」
「エリーディアは私の事を愛しているのだろう?だったら…」
「わたくしは一度たりとも、貴方に愛を感じた事はありませんわ。」
そこへ、国王陛下が登場した。クランテスト公爵が渋い顔をしている。ハリスの父、パレスト公爵はご機嫌な様子だ。
そして、国王は言い放った。
「婚約破棄等認めん。両公爵家の婚約は王国の発展の為に必要なことだ。王命によって、許可はしない。」
エリーディアは真っ青になる。
ハリスはご機嫌な様子で。
「国王陛下。有難うございます。さぁ、エリーディア。観念するんだな。」
手を差し出すハリスの前にクラウディアが立ちふさがって。
「どういう事ですの?このような浮気者の屑を我が公爵家の婿に迎えろとおっしゃるのですか?」
国王は不機嫌に、
「王命なるぞ。いかにそなたが、ステラウスの、王太子の婚約者とはいえ、我が意に反対を唱えるのか?」
クラウディアは国王に向かって、
「でしたら、国王陛下、お気をつけあそばせ。トリトス第二王子殿下の傍にいるあの男爵令嬢。トリトス様はそれはもう、夢中になっているようですわ。」
アルメリーナも扇を手にホホホと笑って、
「下賤なメギツネです事。ハリス様からすぐに第二王子殿下に乗り換えるだなんて。」
スターシアも眉を顰めて、
「本当に、品も何もないメギツネですわね。国王陛下はあのメギツネを放っておくおつもりで?」
国王は慌てて、
「これ、トリトス。その女はなんだ?」
トリトス第二王子は頬を染めながら、
「真実の愛を見つけたのです。私はマリリア・ルテス男爵令嬢と結婚しますっ。」
マリリアはにこやかに、
「トリトス様ぁが私がいいって。私っ。結婚しちゃいますう。」
収拾がつかなくなってきたこの状況に、パーティに出ている皆、どうなることかと見つめている。
エリーディアは国王の前に進み出て、
「わたくしはいかに王命とはいえ、ハリス様と婚約破棄致します。ハリス様はわたくしに婚約破棄を申し出ましたわ。わたくしは再び、婚約をするつもりはありません。こちらから願い下げです。そちらのマリリア嬢とハリス様は婚約すると言っておりましたわ。」
皆、マリリアの方を見れば、マリリアは、
「だって、トリトス様は王子様よ。私、王子様と結婚するの。宝石もドレスも買い放題。私みたいな可愛い癒される女にふさわしいわ。」
今まで黙っていたステラウス王太子が、一言。近衛兵に命じる。
「その女を牢獄へ連れて行け。王族をたぶらかすとは…トリトスは部屋へ監禁しろ。」
マリリアとトリトス第二王子は近衛兵たちに両脇から拘束された。
「私は悪くないのぉ。私は可愛いんだもの。贅沢も何もかも許されるはずよぉー。」
トリトス第二王子も叫んだ。
「私は真実の愛をっーーー。兄上っーー。父上っーー。」
そして、ステラウス王太子は、エリーディアに向かって、
「私の権限をもって、エリーディア・クランテスト公爵令嬢と、ハリス・パレスト公爵令息の婚約の破棄を認めよう。ハリスの有責でな。」
ハリスは叫ぶ。
「私は悪くありませんっ。エリーディアがっーー。着飾らないエリーディアが悪いっー。だから、私はマリリアにっーー。」
クラウディアが隣のステラウス王太子に愛し気に視線を向けてから、虫を見るようにハリスを見ながら、
「悪い事をエリーディアのせいにするなんて、本当に最低ですこと。」
アルメリーナも、愛しい騎士団長子息ゴーレスの手を取りながら、
「本当に、その点、ゴーレス様は本当に優しくて…」
スターシアも宰相子息エドワールをにこやかな笑みで見つめながら、
「男性は女性に思いやりがなくては、いけませんわ。」
エリーディアは扇を突き付けて、
「わたくしは二度と、貴方様と婚約することはありません。さようなら。ハリス様。」
ハリスはうなだれてその場を後にした。
後にハリスは廃籍されて騎士団へ配属になり、トリトス第二王子はみっちりと王子教育をやり直すことになり王宮内で監禁生活。
マリリアという男爵令嬢は、王族や高位貴族を身分を考えずたぶらかしたとかで、犯罪者として牢へ入れられた。二度と学園に戻ってくる事はないだろう。
婚約破棄はハリス有責で王家からも認められて、エリーディアは新たな縁を探すのに忙しい。
父も母も姉達も、エリーディアにふさわしそうな男性の釣書を持って来る。
クランテスト公爵家を継ぎ、婿を取らねばならない身なので、それなりの家柄の令息ばかりなのだが…
数人の令息と会ってみたりもした。
だが、両親と姉達が付き添うのだが、姉達が口出ししてくるのだ。
「マルク様は我がクランテスト公爵家の名産をご存じでいらっしゃいますか?どのように我が領地を発展しようとお思い?」
「王立学園の成績は中の上でいらっしゃったようですわね。」
「我が妹への接し方はどのようにお考えでしょうかしら。」
それはもう、質問攻めにする。
令息達の大半は、姉達の迫力に負けて、黙り込んでしまい、お見合いが上手くいかなくなるのだ。
姉達が自分を心配する気持ちは解る。解るが…
あまりにも過保護ではないだろうか。
大好きな姉達である。
お見合いは政略的な意味もあるのだ。
向こうの両親も共に来てはいるが、あまりにも三人の迫力が凄いので、ただただ黙りこくって様子を見ているのであった。
同じく様子を見ているように無言でいる両親に相手方の両親は後で嫌味をたっぷりと言う。
「どういうつもりなのかね?おたくの娘さんたちは。我が息子は萎縮しきっていたのだが。」
「そうですわ。どういうおつもりですの?」
クランテスト公爵は、
「申し訳ない。娘たちが気に入る相手を、私も婿にと望んでいるのです。おたくの息子さんは気に入らなかったようですな。」
エリーディアは頭が痛くなる。
自分は結婚出来るのであろうか?両親が政略的に決めてくれたら、それはもう従うしかないのだが。両親は姉達を立ち会わせて令息の人となりを見ているようなのだ。
あああ…わたくしの気持ちは…
わたくしだって自分の目で見て好ましい方と婚約したい。それは公爵家の娘として望んではいけない思いなのだけれども。
ハリス様があまりにもひどかった。
わたくしだって…恋をしたい。素敵な人と幸せになりたい…
諦めに近い思いを胸に抱いていた時に、婚約の申し込みをしてきたのが、とんでもない人物であった。
「私は人ではありません。三つ離れたガリウス王国に住む獣人のケルデス・メッテルという者です。」
立派な毛並みと猫耳と尻尾を持つ彼は、顔は猫に近いが姿かたちは、2m近い大男だ。
丁寧に名刺を差し出すと、
「ガリウス王国のメッテル公爵家の次男です。」
まず父であるクランテスト公爵が客間で応対して驚いた。
「いやその何故?うちの娘を?いやそれより婿入りということで何故?そちらの王国とは離れているだろう?」
「解っております。しかし、私はこのユーシア王国を、緑豊で美しいこの王国を愛しておりまして、永久にこちらに住みたいと思っておりました。勿論、2年前からこちらの王国に住み、色々と勉強致しております。こんな姿ですが、どうかエリーディア嬢との婚約を許していただけませんか?」
クラウディアが待ったをかける。
「獣人はツガイに対して理性が効かなくなると聞いたことがあるわ。ツガイを見つけたからって、エリーディアを裏切ることはないでしょうね?」
アルメリーナも頷いて、
「本能に忠実なのは困りますわ。わたくし達はエリーディアの幸せを願っておりますのよ。」
スターシアも、
「それに…わが公爵家が貴方様の家と結びついて得があるのかしら。わたくしも勿論、エリーディアの幸せを願っております。でも、エリーディアはクランテスト公爵家を夫と共に盛り立てていかなければなりません。それなりにふさわしいお方が婿になって下さらなくては。お分かりですか?」
ケルデスは深々と頷いて、
「私もツガイを求めると思われているようですが、私はメッテル公爵家の、高位貴族の家に生まれた獣人です。それなりに理性もありますし…本能に左右されるつもりはありません。
既に我が祖国でツガイと思われる女性を見つけましたが、私はその方との結婚を断りました。私の心の奥底で納得できなかったからです。身体は相手を求めていても心は違うと…
だから私は、きちっと冷静に、結婚相手を裏切らず生涯大切にすると誓いましょう。ただ、エリーディア嬢が私の外見が嫌だとおっしゃるのなら、困りますが。領地経営につきましては、私はこちらの王国の事を2年間勉強してまいりました。更に精進を重ねて…必ずやクランテスト公爵家の役に立つ男だと証明したいと思います。もし私が信じられないのなら仮婚約ということで私の態度を見て頂けないでしょうか。」
エリーディアは思った。
獣人という種族が違う事は心配だ。
獣人はいい噂を聞かない。ツガイを相手に理性を飛ばすとか…
それでもこの方は理性を優先してツガイと思われる女性を遠ざけた。
彼は誠意ある態度を見せてくれている。仮婚約という事で、彼の性格を見てみよう。
エリーディアはそう思えたのだ。
「お姉様方。お父様、お母様。わたくし、彼と付き合ってみますわ。」
クランテスト公爵は頷いて、
「エリーディアの好きにしなさい。」
公爵夫人も、
「わたくし達は貴方の幸せを願っているわ。」
姉達もエリーディアを見つめて、
「何かあったらわたくし達にまっさきに言うのよ。」
「愛しいエリーディア。」
「頑張るのよ。」
両親と姉達の応援を受けて、ケルデスと仮婚約者として付き合う事になった。
ケルデスは優しかった。
よく二人でクランテスト公爵家でお茶をした。
ケルデスはエリーディアに、
「こんな姿ですまない。私はね…獣人になんて生まれたくなかった。君たちと同じ種族に生まれたかったよ。」
「何故ですの?ケルデス様。」
「獣人は野蛮だと思われている。行動すべてが粗暴とも…私はね。人で言う紳士的に…誰にも尊敬されるような人になりたい。一生懸命仕事をして、愛する人を幸せにして、領地の人々を笑顔にして…」
思わず愛しさが溢れてケルデスの毛に覆われた手を握り締める。
「ケルデス様ならきっと…そのように生きることが出来ますわ。わたくしは冴えない女と言われて婚約者に婚約破棄を言い渡されました。結果、相手の不貞で相手有責になりましたけれども。そんな相手と結婚しないでよかった。わたくしは貴方様を信じたいと思います。もし、貴方様に裏切られたら…わたくしは。」
胸が締め付けられる。
この人を信じたい。でも…信じてよいのであろうか?
ケルデスは優しい眼差しでエリーディアを見つめて、
「君を裏切ることがあったのならば、私はこの心の臓に刀を突きさして、命を絶とう。
私は理性的に人として生きたい。あああ…愛する君を笑顔にしたい。」
「解りました。貴方様を信じてみることにしてみますわ。」
エリーディアはあまりに真剣な彼の態度に、ケルデスを信じることにした。
程なくして二人は正式に婚約者となった。
そんなとある日、事件が起きた。
エリーディアはまだ王立学園を卒業していない。
馬車で王立学園の正門近くまで送ってもらい、そこで降りて学園へ入るのだが。
馬車で降りたところで、布をすっぽりとかぶって、いきなり近づいて来た人物がいた。
布をかなぐり捨てたその人物は…いや獣人が叫んだ。
「私はケルデスのツガイよ。アンタになんて盗られてたまるか。殺してやる。」
エリーディアは慌てて後ずさる。
女が飛び掛かって来た。
そこへ助けに入り、女の攻撃を防いだ人物がいた。
剣で襲い掛かって来た女の鋭い爪を受け止める。
ガキンと音がした。
「逃げろっーーー早くっーーー。」
エリーディアは驚いた。
自分を婚約破棄したハリスだったからだ。
慌てて逃げるエリーディア。
大勢の騎士たちが、その獣人の女を取り押さえたようで、ハリスがエリーディアに近づいてきた。
「エリーディア。俺は今、騎士団にいるんだ。無事でよかった。巡回中に偶然見つけてね。」
「助けて下さってありがとうございます。」
「それでその…やり直さないか?君だって化粧をすれば美しいってことが解った。
だからその…」
「助けて下さった事は感謝致します。でも…」
そこへ、ケルデスが慌てたように馬に乗ってやってきた。
エリーディアの姿を見つけると、叫ぶ。
「エリーディアっ。嫌な予感がして慌ててきたんだっ。」
そこで押さえつけられている獣人を見て、更に驚いたように叫ぶ。
「ミリーナ。」
「ケルデス様っ。ツガイの私よっーー。お願い助けてっーー。」
馬から降りてエリーディアに近づくケルデス。
「大丈夫だったか?エリーディア。」
「助けて下さったのです。そちらの騎士様が。」
ハリスが叫んだ。
「エリーディアは俺の婚約者だっ。返せっーー。」
ミリーナと呼ばれた獣人も叫ぶ。
「私のツガイよっ。ケルデス様はっーー。返して。」
エリーディアはきっぱりとハリスに向かって、
「貴方とわたくしは今や他人です。わたくしはケルデス様と婚約しているの。お断り致しますわ。わたくしの外見しか見ない人なんて…お断り致します。」
ケルデスもちらりとミリーナを見やり、
「何がツガイだ。私が結婚するのはエリーディア以外ありえない。私は国を出る時にきっぱりと君とは結婚出来ないと宣言したはずだ。」
「ああああっーーー。ケルデス様ぁーー。」
ミリーナは騎士団員たちに連れられていった。
ハリスはがっくりと肩を落として。
「君がいけないんだ。君がいけない…」
「まだおっしゃっておいでですの?呆れた話ですわ。女は顔ではございません。そうでございましょう?ケルデス様。」
「顔の事を言われると、私は獣人だからな…勿論…私は見かけだけではないと思っているよ。男も女も要はその人の生き方が大事だと…」
「ですから…二度と、復縁を言わないで下さいませ。よいですわね?」
ハリスは仲間の騎士たちの後を追うように、その場を去ったのであった。
ケルデスはクランテスト公爵家の為に、懸命に領地経営を学んだ。
その真面目な姿勢はクランテスト公爵夫妻や三つ子の姉達をも認めさせて、やがて皆に祝福されてエリーディアの学園卒業を待ってケルデスと婚姻した。
空は晴れ渡っていた。
明るい春の日差しの中、二人は皆に祝福されて、教会の外に出てきた。
両親や姉達も嬉しそうに祝福してくれている。
今や王太子妃となったクラウディアが声をかける。
「とても綺麗よ。愛しいエリーディア。今日という日に立ち会えてよかったわ。」
騎士団長子息の夫人となったアルメリーナがハンカチを手に涙して。
「おめでとう。エリーディア。もし、困ったことがあったらわたくしに言うのよ。わるい奴はこてんぱてんにやっつけて差し上げるわ。」
宰相子息夫人となったスターシアが微笑みながら、泣くアルメリーナの肩に手を置いて、
「わたくし達3人が揃えば、敵なしだから。いいわね?エリーディア。ケルデス様。エリーディアを幸せにしないと承知致しませんわよ。」
ケルデスは三人に向かって頭を下げる。
「義姉上様方にはこれからもお世話になります。どうかよろしくお願い致します。」
ケルデスは父にも気に入られ、母にも良い婿が来てくれると喜ばれ、姉達三人にもとても気に入られている。
エリーディアは姉達に向かって、
「お姉様方。有難うございます。お姉様方のお陰でわたくし今日という日を迎えられましたのよ。」
姉達に礼を言った後、真っ白なドレス姿のエリーディアは愛しいケルデスの方を見上げる。
真っ白なタキシード姿のケルデスは照れたように目を細めて、エリーディアを見つめた。
エリーディアは思う。
結婚はゴールではない。スタートだ。
そして、結婚してから何があるか解らない。
順風満帆な人生ではないかもしれない。
特に、相手は獣人だ。子供も毛深い子が産まれて苦労するだろう。
しかし、エリーディアは前を向くことにした。
領民にもケルデスの顔は知られ、皆、獣人だと解っていても彼を好いていてくれる。
一生懸命仕事をしてくれる優しい人だと皆、知っている。
愛しい夫…そして家族…
両親や姉達も、これから先、力になってくれるだろう。
そして…人は見かけだけではない。生き方こそ…その魂の輝きこそすべてなのだと…
エリーディアは幸せに包まれながら、ケルデスと共に晴れた青空を見上げるのであった。