インスピレーション
所々滲んだインクがやたら目立つ。
私の癖だ。いつも考え中にはペンを紙にくっつけるから原稿用紙は私の思考跡でいっぱいだ。
私は小説家で、いわゆるスランプなのだ。
先週別れた彼女にも心の折り合いがつけられてないし、ましてや新作を書け書けと催促する編集にはうんざりだ。人のことも少しは考えてほしい。
前作だってほんの少し前に発売に漕ぎつけたばっかりじゃないか。
振られたからってしたやけ酒で今も痛む頭を抱える。
長編で続き物を専門とする作家ならまだいいだろうがこっちは単編専門なのだ。半年前映画化された本「世界で一人のアイデンティティ」通称「せかアイ」が映画と本の両方が大ヒットして売れてしまって以降、編集部からの催促がやけに早まったのだ。所詮は金か。人の気も知らないで好き勝手言いやがる。そのせいで会う時間も作れなくなって彼女にも振られちまうんだよ、クソが。と一人ぼやいてもワンルームに寂しく響くだけだった。
売れてからは正直モテるようにはなったが忙しいと分かるとどれも長くは続かずすぐに別れることになった。いっそそれを題材にしてやろうかとも思ったが編集部からの要求はベストセラーとなった本と同じジャンルの似たような感動もの。本の帯に毎回「話題の感動作「せかアイ」の作家による待望の感動巨編」とばかり書かれることも癪だが生きていくためには仕方ないと割り切って書くしかなかったからもちろんそんな暴挙は許されるわけない。
はぁ、ともう何回目かもわからないため息をついた。私には世の中はわからん。
西陽の差す部屋には執筆用のテーブルと椅子のほかには寝具と洋服箪笥、それに本棚一つくらいしかないそんな質素な部屋で、趣味もろくに無いのが丸わかりだ。
もちろん部屋の外には自炊もしないから買ってきた物を温めるだけのキッチンや普段シャワーだけで済ましている風呂場など生活に必要なものはあるが。
執筆のために借りている部屋、というわけではなくこれが全てだ。遮音性は高いから執筆には集中できるが、西陽が最近やけに邪魔に思えて引っ越しを考えて検索しては面倒になって諦めるの繰り返し。なんやねん、と自分でも関西人でもないのに突っ込みたくなる。
いいから執筆しろ、と自分に喝を入れてテーブルに向かう。そして初めに戻る。
一番大変なのが書き出しの一文で。
それさえなんとかできればあとはすらすらと書き出すことはできるのだが。今日も今日とて机に向かうがその時点で詰まっていてどうしようもない。
毎回感動させるなんて簡単にできることじゃないことは誰にだって分かるだろう?
まず主人公がいて何かしらハンデを持っててそれでも奮闘して最後にはハンデを乗り越え夢を叶えたりする、そんなものありきたり過ぎて本屋の中で埋もれてしまう。
前述した「世界で一人のアイデンティティ」なんかはまさしくそれなのだが映画監督か脚本家が良かったのか、はたまた主演俳優が良かったのかでたまたま売れただけだと自負している。
つまり自信がないまま売れてしまって一番テンパってるのが私なわけだ。その後に出した本は一応売れはしたものの世間からの評価はそれなりで未だに感動作といえば彼とはなっていないのが実情だ。山田悠介や湊かなえなんかもそうだが映画化作品ばかり取り上げられるようになると他が霞むのだ。
作家はすぐに主人公を白血病にしたがるしそこそこ認知された重い病がテーマなら没入しやすいという点はある。でも彼はそれが何より嫌だった。
障害を感動に使う24時間テレビのようなものは巷では感動ポルノだなんて揶揄するように言われたりし始めてすらいるから彼の感覚はさほど間違ってもいないのだろう。
そんなことはさておき、だ。
書かなければという圧が加わるほどに余計に書けなくなる。ならばいっそと席を立って散歩に出掛けた。
街頭はすっかり冬支度を始めており草花は枯れ木々は葉を落とし始めていた。しばらく見ない間に随分と変わったものだ、と思った。まだ暑いと思って軽装で出てきたから寒くて仕方ない腕を擦りながら公園に着いた。
公園では変わらず子供たちが元気そうにはしゃいでいて、親御さんたちがそれを温かく見守っていたから少し居心地が悪かったが自販機で買ったホットコーヒーを開けて少し冷めるのを待つ。
ヒュウと吹き込んだ風が落ち葉を舞い上がらせ公園一帯に散らした。
秋の始まりを告げる台風も来なくなってしばらく経つが樹齢数十年はあろうかという公園のシンボルはそんなことなんのそのだ。
パーカーでも羽織ってくれば良かったか、なんて考えているとボールがこちらに転がってきた。
見ると空きスペースでパス回しをしていたらしい。彼はそっと手に取ると少年たちの方へボールを転がした。こちらに近づき、「ありがとうございます!」と元気よく言うとまた戻っていき遊びに熱中し出した少年らを見ながら飲んだコーヒーはやけに苦く感じて、微糖にすれば良かったと後悔した。身体が温まるのを感じながら帰ったら冬物を出さなきゃな、と思った。
ある程度はいい街に住んでいる自負はあったがこうして散策してみるとやはりいつもアイデアが浮かぶもので、この街には随分助けられている。
郊外の喧騒も静けさもある街で、何度か小説の舞台にもした街だ。いわゆる聖地巡礼としてきてくれる人も少なくないのは映画の効果だろうが、からにとってはやっぱり今まで住んだ中では一番いいところだ、と改めて感じた。
自分が小説家になる夢を叶えられたからか夢を叶える系の話が多いがそれで泣いてもらうには紆余曲折が必要で、物語を書く上で一番難しいところかもしれない。昔の楽しんで小説を書いていた頃を思い出すがもうあの頃には戻れない。商業作家のつらいところだよな、と自嘲する。
彼女がいた頃はよく散策をしながらいろんな話をしたものだ。街外れの幹線道路沿いにある流行りのカフェチェーン店でキャラメルマキアートを飲みながら苦労話をしたり紅葉並木を歩いたり、それが楽しかった。結局全員別れているわけで楽しかったのは私だけかもしれないが。
一息つくと家に戻り編集からの電話を受ける。
「進捗はどうなってますか?」
「校正もあるので今月中にはお願いしますよ」
毎度毎度同じような電話で、心の中では飽き飽きしながらも一応丁寧に返事をする。
職を転々としてきた彼にとってこの仕事以外自分にできそうな仕事はないからどれだけ愚痴ろうと結局は下手に出てしまう。テレビやラジオの出演依頼が来たら応えるし雑誌のインタビューなんかも積極的に応えてはいる。
彼の持病のパニック発作とも長い付き合いでそれを和らげるためと薬と相性の良くない煙草も吸うし酒も飲む。これが意外と効くのだ。もちろん医者には言わないが。
償却費が怖いから主に加熱式煙草で我慢しているが喫煙所では紙タバコも吸っている。
家で加熱式煙草を吸いながら構想を練る。
しかしスランプとはうまくいかないもので今日したことは全部効かなかった。寝よう。
明日考えればいいやと早々に諦め床につくと今日も様々な夢を見るのだ。
案外夢からインスピレーションを得ることも少なくない。題材をそこで選びネットで詳細を調べ上げてそこに至るまでの道筋を描く、そんな方法で。
様々な仕事をしてきたとはいえ世の中には知らないことの方が多い。故に文筆と調べ物はセットと言っても差し支えない。
題材を決めてまずはパソコンで詳細を調べる。
今のネットは何でも調べれば出てくるから便利になったものだ。10年ほど前は調べても全く見つからないことなんてざらにあったのに。
その後また原稿用紙と向かい合う。静寂に彼の執筆音だけがこだまする。カリカリと音を立ててペンが原稿用紙に滑る。一度書き出したら止まらないのは彼の天才たるところでもあった。寝食を忘れてしまうのは悪いことかもしれないが。
そうして数日かけてできた新作を編集者に託す。
校正から様々な直しが入ってそれをまた書き直す。
そうしてOKが出て校了。出版に至る。
やっとの事で書いた物語故に愛着も湧くものだ。
発売前に貰う本はいつも本棚に置いておく。
そうしたら今度は出版記念サイン会だ。
全国数カ所を回って本の空白にひたすらサインを入れる。そこで貰える感想や応援が彼の原動力だった。サイン会なんぞ面倒くさいとは言いながらも決して嫌いではなかった。誰にも言ったことはないが。
今度の話は幼い頃見た父の背中を追ってパイロットを目指すストーリー。数々の難関に何度も心折れそうになりながらもやっとの事で叶える。そして最後にベテランパイロットになった主人公が年老いた父に感動の再会を果たすという話、「紙ヒコーキ」。
書くまでは手間取ったが終わってみるとあっけなかった。時間とはやたら早いものだなといつも思う。
ただやっと一息つけると安堵していられもしない。編集部からの催促はまだまだ続きそうだ。
こうやって一生を過ごすのかと絶望しそうになるが、今作は久々に映画化が決まってしばらくそっちに手間取られそうだった。
前の映画化の際もそうだった。監修という形で原作者として関わらざるを得ないからこそいつもの書いて終わりとは違う日々が始まるのだ。ただ監修するだけではない。
インタビュー記事なんかにも応えなくてはならない。これが苦手だった。どんな思いで書いたかと言われてもひたすら編集部に催促されてせっつかれて必死になって書いたとは口が裂けても言えない。
いつも綺麗事を用意しなくてはならないからこそ難しいのだ。何より人との会話が苦手だった。
ラジオならまだ楽なのだがテレビで自分が映されながらの受け答えもしなくてはならず、見返したくもないものばかり増えていく。
親は見るたびに喜んでくれてはいるが自分としては特級呪物ものだ。容姿も自信がないし顔を隠して出られたら良かったのだが編集がそれを許してはくれなかったから嫌々出演していた。
「好きなことで生きていく」だなんて動画サイトの広告に、「そんなこと、できねーよ……」と愚痴った。
ただ、脚本の確認なんかは苦ではなかったがせっかく書いてくれてるものにNGを出すのも気が引けて、低姿勢で「ここなんですが私としてはこういうつもりでして……」と相談する感じ。
それでも快く受け入れてくれる制作サイドには頭が上がらなかった。
そうして出来上がった脚本を元に映画撮影が始まりクランクアップを迎え後は公開を待つのみ。
結果だけ言うとまたしても大ヒット。
公開館数が多かったのもあるだろうが連日満員続きだと聞かされた。売れたのは嬉しいがこれでまた催促が増える、と複雑な心境だった。
インタビューで筆が早い秘訣を聞かれたことがある。期限が短いからだよと言ってやりたい気持ちもあったが街を歩いたりいろんな話を聞いたりする中で書きたいことがどんどん見つかるからと答えたのを覚えている。半分は本当。スランプの時期に書けただけでも褒めて欲しいと思っているが褒めてくれる人などいない。
舞台挨拶ではなるべく角の立たないように慎重に言葉を選んだからか反応は良かった。
その後自分でも映画を見てみたがとても良くできていて、ちゃんと感動させられてるだろうなという確信はあった。
製作陣にはやはり頭が上がらない。製作陣様々である。
おかげで本の売り上げも順調で編集部も好反応だったから、思い切って少し休ませて欲しいと相談した。前々から思っていたがとにかく休みが欲しかった。頭の中の整理にも時間がかかるしネタ探しにも時間がかかる。それっぽい理由を並べ立てて説得した結果、1ヶ月の休みを勝ち取った。
さて、何をしようか。
休みたいとは言ったもののそこまで考えていなかったのでただただ暇だった。
そうして数日が過ぎ、いっそ旅でも行くかって思った。決めたあとは行動は速く、さっと場所を選んで一人旅に出発した。
それで思ったのだが国内なんてみんな似たような街ばかりだった。田舎は田舎で似通っているし都会も都会で同じような発展度合いだしかなり何箇所も回ってはみたものの感動した景色なんて北海道の大湿原と富山のアルペンルートくらいなもんであとは退屈だった。食べ歩きにも興味はないし、ご当地のものを食べたりはしたが心に残るものはなくてどれも東京で食べられるじゃん、って思ってしまった。要は効率厨なのだ。
そうしてあっという間に1ヶ月。
執筆再開だ。一応旅のことも有効活用したくて次のテーマは旅が趣味な男が旅先で会った人と運命的な結ばれ方をする話にしておいた。
半月ほどで仕上げて編集者に渡すといつものように校正が入り、直して再提出し校了。出版となったが我ながらありきたりすぎるだろと思ってはいた。世間の評価も割と近くて、ついに王道を書くようになったかと言われていた。元々そこそこ王道だと自負していたのだが……。
それでもそれなりには売れた。ヒットを出した後は本当につらいものだ。すぐオワコン呼ばわりされるから苦手だった。だからどうせ売れないならとあえてヒット作の後は本気を出さないようにしているところもあるが。
まあまずは2回ヒットしたんだから誰にも一発屋とは言わせないさ。
編集部からの催促によってまだまだ書く必要はありそうだ。
続いて書こうとはしたがやはりスランプを抜けていないようで筆は進まず、書いては消しての繰り返しだった。
そんな中、段々と調子を崩すことが多くなり原因不明の体調不良が続いた為病院へ行った。
最初は軽い気持ちだったのだが血液検査後精密検査に回されて少し不安になってきた。いや、どうせ大したことないだろう。
病院はやたら検査したがるから苦手だ。どうせ診療報酬稼ぎだろと内心思ってはいるが口には出さずに言われた通りにした。
MRIやCTなどを一通りした後、骨髄検査がしたいと言われた。色々な話でものすごく痛いらしいと聞いていたので嫌だったが健康だとわかるなら安いものだと受けることにした。
そうして激痛に耐え検査を受けた結果は最悪だった。
「急性骨髄性白血病」それが診断名だった。
笑えてくる。こんなありふれたストーリーの演者に自分がなるなんて思ってもなかった。進行は早いし死ぬ確率もそこそこ高いだなんて聞いたってうわの空だった。
治療は早いほうがいいと急かされるように入院することになり、編集者に連絡を取った。当然驚かれたがそんなことどうでも良かった。抗がん剤治療で毛は抜け落ちて、帽子をかぶって暮らすようになった。相変わらず体調は悪いが入院中は暇だったので皮肉なことに筆が進んだ。
偶然地上に産まれてしまった神の子をめぐる争いを描いた「Kids」、人類がほとんど滅亡したあとで必死に生きる戦災孤児たちを描いた「世界のそのあとで」、トンネル崩落事故で中に取り残された人たちの生還とその後の繋がりを描いた「accident」。
痩せ細った体で編集者に原稿を渡す度に心配されたが大丈夫だとだけ答え続けた。
そうしている中でふと自伝を書いてみようかと思い立った。
生まれからの境遇、いろんな仕事を転々としていた時代、文筆業になった頃、そして病気になった今。
自分のことだから当たり前だが筆は早かった。
編集者に相談したところ出版しようということになり、出版と同時に現在白血病に罹患しているということを公表した。
世間からの反応は凄かった。
前述の本のドラマ化やアニメ化が次々決まっていた中での発表だった為多くの人が心配してくれた。自分自身の知名度がこれほどとは思っていなかったので驚いた。
完治するようにと編集者がお守りを買ってきてくれた。普段は笑いもしないのにこんな時ばっかりいい顔しやがって。私はそんな彼が嫌いじゃなかった。
トイレでふと鏡に映る段々やつれていく自分を見て、こりゃもうすぐ死ぬのかな、と他人事のように思って鏡をあとにした。
抗がん剤治療は吐き気との戦いでもあった。
血液のがんとの戦いだから副作用もそれなりだろうとは覚悟していたが吐いてしまうことも多々あった。
吐くためのボウルを常に用意されていて病院というのはよくできてるなと思った。
治療しながら執筆して、まずい病院食を食べては吐いての繰り返し。あまりに吐くので点滴も打たれた。腕の違和感が凄くて動かすと痛むので点滴は嫌いだった。
そのうち動くのも億劫になり始めて寝たきりなことが増えていよいよか、と思った。
覚悟はできていた。最後に編集者に連絡を取って温めていた原稿を渡した。
編集者からは驚かれ「弱気になっちゃダメですよ。絶対に治して戻ってくるって約束してください!絶対ですよ!」と涙ながらに言われて、彼のためなら生きていてもいいかなって思ったが後の祭りなんだ。心の中でごめんと謝った。
その時もう医者からは余命宣告を受けていたのだから。
あんなに治療に苦しんだのに最後はあっけないもので緩やかに死に向かっていっているのを感じた。死んだらどこに行くんだろうか。そのようなことを思案した時もあったなと思い出した。
独り身だったから両親が見ていてくれた。
私を見て涙を流す親の目を拭ったのが最期だった。
私の死後出版された遺作は空前の大ヒットを記録したらしい。皮肉にも最後の作品は一番ありきたりな「主人公が白血病のヒロインと出会い最期まで添い遂げる」ものだったのに。映画化までされてどこでも好評だったとか。
私には世の中はやっぱりわからないな、と思う。
今でも主人の帰りを待つワンルームには微かな煙草の匂いが香っていた。