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ツガイと暮らす日  作者: 音春 慧
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石崎裕斗


(良い、匂い……)


石崎裕斗がふっと頭を上げた時に目に映ったのは、ヒールを鳴らして歩く女の姿だった。


薄いアンバー色のショートカットに大ぶりのピアス。背は高く、華奢なふくらはぎがトレンチコートの裾をさばきながら歩く姿は目を引いた。

緑色に煌めく、眦の吊り上がった大きな目に、意志が強そうに引き結ばれた赤い唇。




(きれいな人。でも、泣きそう……かも)


今日の彼女にどんなドラマがあったのかを案じてしまうような、こわばった顔だった。


小さなショルダーバッグの紐をきゅうっと握りしめ、反対の手にはデリの紙袋が抱えられている姿を目にして、思わず踵を返して彼女の後をつけてしまった。




後ろを歩けば、細い項に襟足の柔らかい和毛が悩ましい。


首筋、耳の後ろからは雑踏に交じりきらない、淡い草のような柔らかい花のような香りがした。


(ああ、彼女は……ツガイだ。)


彼女に誘われるように、同じ行先の新幹線の切符を買い、新幹線の車内では少し後ろから彼女の姿を見守る。



完全に、名乗るタイミングを失していた。

どくどくと脈打つ心臓の音がさっきから煩いし、何と言って声をかけようかと考え、選んでいる間に、彼女の仕草1つ1つに目がいって、思考が霞むようだった。


見ているだけでも幸せなのだと、ぼんやりと思う。


それに、彼女は後ろを歩く石崎がツガイであると全く気が付いてもいないようだった。

彼女は、身体的な疾患を抱えている獣人か……もしくは人間だ。



獣人は、匂いの相性が良い相手をツガイと呼んでいる。

そして、めったに出会うことがないツガイをとても大切にするのも獣人の性だった。

ツガイと出会うことができれば結婚したいし子供を作りたいとも思う。

無理に浚ってしまうこと等はないけれど、それでも唯一無二だと思って手にしたいと願うのがツガイだ。


人間をツガイに持てる獣人は少ない。

それは人間がツガイを必要としないからだ。

獣人がツガイを求める性を理解することは難しいし、必要がなければツガイだろう切り捨てることができるのも、人間だ。


ツガイが人間であるなら、慎重に行動せねばならない。そんなことは100も承知していたが、具体的にどうすればいいかということは、全く分からなかった。



************************


「お姉ちゃん……その人、だれ……?」


ふらふらとツガイについて歩き、部屋の中の住人に指摘されるまで自分の行動がストーカー男の典型的な行動をしていることに気付かなかった。

足音を消してついて歩いていたのだと思うけれど、ずっと気付かなかったツガイは最高に可愛いと思う。


うなじが綺麗なツガイは、びくりと背筋をこわばらせてこちらを振り向く。

警戒を滲ませた瞳がこちらをまっすぐに見つめた。


「……すみません。何か私に御用でしょうか」


初めて聞いた声は、澄んだ声だった。聞き取りやすい発音がはっきりした声音だ。

一瞬思考がとんで、何かしゃべらなければと息を吸い込んだ口がはくりと言葉にならない言葉をもらした。


「…………あ、あの……僕は獣人で、えっとあの……いえ、危害を加えるつもりもなくて、あ、安全な獣人です。」


いぶかる瞳に自分が写っていることが嬉しい。


いきなり人間にツガイだと言っても怯えられてしまうか逃げられてしまうことが多いと知ってはいたけれど、都合の良い理由が何もなくて、しどろもどろになって余計に怪しい言葉しか出てこないのも、もどかしかった。


だって、目の前の彼女からは良い匂いがいっぱいするし、肌のどこもかしこもが柔らかく見える。白くてちいさな歯も可愛い。小さなお口で甘噛みしながら甘えてくれたら…………。


「はあ。」


困ったような相槌も可愛い。



「あまり人間の方には聞きなれないのでしょうが、あなたは、私のツガイなんです。つい駅で見かけて声もかけられず……ついてきてしまいました。」


いわゆる変質者であることは間違いない。だったら腹をくくって先に説明してしまおうと思った。

というよりも、ようやく戻ってきた思考が最低限のことをしゃべらせているだけで、石崎はまったくもって明瞭にものを考えることができていなかった。


じりっと後ずさるツガイも可愛い。



「…………要件は伺いましたので……もう時間も遅いですし、この話はまた後日お願いします。」


ツガイはじりじりと扉の内側に後退しながら、適当なことを言って追い返そうとしている。


巣に帰りたがっているツガイを無理強いして引き留めるつもりはなかったけれど、今日の邂逅をなかったことにする気はさらさらなかった。


「はい……そういえば、自己紹介もせずにすみません。石崎裕斗です。」


「ご丁寧にありがとうございます。マリーウェザー・ドルトンです。」


扉から誰何の声をかけたツガイの妹が、群れの雄を連れてきたようだった。

ツガイを押しのけるようにして玄関先までやってくる、体躯の大きな大人の雄。にゃあっと、猫も鳴き声を上げてこちらをのぞき込んできた。


「やあ。こんばんは。マリーウェザーの父のイレイスだ。随分遅い時間だけれど、君はお家には帰れるのかい?」


「石崎裕斗と申します。過分なお心遣いありがとうございます。帰りの心配は不要です。マリーウェザーさんが僕のツガイだと気づいて、つい後をついてきてしまいました。急なことで驚かせてしまい申し訳ございません。」


栗鼠の獣人の石崎は、小柄で未成年に見られることが多い。きっとイレイスと名乗る群れの雄も、未成年者の保護目的で声をかけてくれたのだろうが……初対面の獣人族を巣に招き入れるようとするのは、不用心が過ぎるのではないだろうか。


「いや、大丈夫ならいい。マリーウェザーのことは後日仕切り直して話をしよう。何しろ、人間には君たちのようなツガイというものを感知する力はもっていないからね。私達は君のことを知らなくてはならないし、娘を預けるには信用しなけらばならない。今はそのどちらもが足りない状況なんだ。分かってくれるかい?」


石崎は、思ったよりも理知的な言葉を話す目の前の雄に、目をぱちくりとさせた。

獣人を本能的に厭う人間は多い。

だから、この幸運を石崎はとても大切にしなければならないと思って気を引き締めた。



「……人間と獣人のツガイについては、国の運営施設が近くにあります。ツガイ契約やお互いの種族差を埋めるためのサポートプログラムの提供を行っている施設で、まずはお話ができたらと思うのですが……」


「君はとても聡明だね。いいよ。次に私達が君とが会う場所はセンターにしようか。私の方から後日連絡をしよう。それまでは、マリーウェザーとの接触はだめだよ.



「もちろんです」


そこで、お互いの連絡先を交換して別れた。


獣人と人間は同じコミュニティーで暮らしながら、異種文化を持つものとして線引きがされている。

だが、生活圏が重なれば互いの歩み寄りが必要になる。そのための法律や制度も整えられていた。


ツガイに関する法整備も進められており、話し合いをするための安全な場所の提供や、ツガイ契約が決裂した場合についての対応の仕方も決められている。場合によっては、人間が獣人の記憶を薬で壊してしまうことも許されているのだ。


ことツガイに関して冷静ではいられなくなる獣人に、人間側が己の身を守るための権限が大きくとられていた。



だから、石崎のことも単なる変質者という扱いをせず、冷静に対応してもらえているのだと石崎は理解していた。マリーウェザーには雄の匂いがついていなかったから、大きなヘマが無ければマリーウェザーとの交際は認められるはずだ。





話し合いはセンターと呼ばれる場所で、日曜日の午後3時からという知らせが来たのは、翌日の午前中のことだった。

お互いを上手に尊重する方法を探す話になるのかもしれません。


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