アニマと今に続く神話
絶品を自称するだけあって、そのポークシチューは確かに美味しそうだった。
と言うか、それはもはやシチューではなく、柔らかく煮込んだ豚バラ肉の塊にホワイトソースを垂らしただけの代物だった。
平皿から溢れんばかりのブロック肉を目にしたセレマは、ネコミミをぴょこぴょこさせつつ面々を見回して。そしてレッカが促すように頷くと、パアアッと心の音が聞こえるほど喜びながら、大きく口を開けて肉の塊にかぶりつく。
ナイフとフォークに慣れていないのか、セレマはほぼ手掴みで肉を食べているような有様だったが。レッカはそんな彼女の食事風景を微笑ましげに見守る。
「確かレッカとか言ったな。……あんた、アニマなんだろ?」
レッカたちにもシチューを配りながら、店主が声を潜めて慎重に尋ねてきた。
質問を聞いたレッカはガバッと大袈裟に振り返り、隣に座るヴォルフもジョッキを静かに下ろして店主を見つめる。
「そうだと言ったら、何か不都合なことでもあるのか?」
「いいや、単なる興味関心だよ。都会や戦場ならともかく、こんな山奥までやって来るアニマはそう多くないからな。だから、その物騒なもんは仕舞いな」
店主は苦笑混じりにそう答えると、下ろされたヴォルフの右手に目を向けた。
その手の中には、荒くれを撃退したときと同じ刃物が握られていて。ヴォルフは驚きでまぶたを開き、それからバツが悪そうにタガーから手を退ける。
「……そんなガタイでただの酒場のオヤジであるわけがないと思ったよ」
「そう言うおまえさんは、“変装”が上手いわりに殺気を隠しきれてないな」
「……」
軽口を即座に打ち返されて、ヴォルフは唇をヘの字しかめて閉口した。
そのやり取りに笑いを噛み殺していたレッカは、気を取り直して居住まいを正すと、フードの裾を広げて森人耳を店主に晒す。
「大将さんの御明察の通りで、私は【森人族のアニマ】になります。でも、どうして私がアニマだと分かったんですか?」
「森人は千年前の戦争で絶滅してる。耳の長い人間を見かけたら、まずアニマであることを疑うもんさ。後はそうだな、あんたの眼つきが昔のツレに似ててな」
「眼つき?」
レッカは瞬きしながら耳を動かし、店主は振り返って棚の上を見上げた。
酒樽や瓶が並ぶ棚の上。その壁の額縁には、持ち運びも困難なほど巨大で黒光りするハルバードが、まるで店の守り神のように鎮座されていた。
一緒にそれを見上げていたヴォルフは、目を細めて店主に視線を戻す。
「知り合い、だったのか?」
「戦友さ。若い頃は大陸中の戦場を歩いたもんだが、ある日俺を庇ってアニムスに還りやがった。酒場のオヤジがアニマに詳しい理由なんざ、まあそんなもんさ」
「「 …… 」」
哀愁を帯びた瞳で遠き日を振り返る店主に、ヴォルフもレッカも沈黙した。
すると、既に塊肉のほとんどを食べ尽くしていたセレマが、ベタベタに汚れた顔でレッカを見上げる。
「ねぇねぇレッカお姉ちゃん、【あにま】ってなーに?」
「え? ……えーっと、その、アニマって言うのはね~?」
「なんだいおちびちゃん、おとぎ話も聴かせてもらったことがないのか? アニマってのはな、大昔に神が俺たち人間に与えたもうた天使様のことさ」
もしかしたら、彼なりにレッカに気を遣ったのかもしれない。
店主はズイッとセレマに顔を寄せると、別に頼まれてもいないのに、強引に会話の主導権をもぎ取った。
――それは、大陸で暮らす人間であれば一度は聞いたことのある神話。
千年前、この世界に人間だけでなく多種多様な【人種】が存在した時代。大陸の覇権をかけて、人々は絶えず戦いに明け暮れていた。
いつ終わるとも知れない泥沼の戦争の最中、傷つき倒れていく地上の生き物たちに心を痛めた神は、天界より降臨されて人々に“ある物”を授けた。
それは人が扱う様々な武器を模した、漆黒に輝く武具の数々で。
神が【アニムス】と名付けたそれらの武具は非常に重く鋭く、人程度の力では刃毀れ一つしないほどに頑丈だった。
さらに神が『光あれ』と唱えると、アニムスから人を模した生き物が誕生した。彼らは見た目こそ我々と同じだったが、我々よりも遥かに高い運動能力を誇り、また〈ギフト〉という超常的な力を扱えた。
神は彼らを【アニマ】と呼び、そして人々に向かってこう啓示した。
『これより全ての争いはこのアニマに代行させるように』
『森人は森人のアニマを、獣人は獣人のアニマを用いて戦を行い、アニマが全滅したのであれば疾く自分たちの敗北を受け入れよ』
こうして人の戦争はアニマ同士の争いへと置き換わり、その勝敗が種族の存亡へと直結することになった。
その戦いに最後まで勝ち残ったのが陸人、現在の【人間】なのだ。
敗戦を悟った森人は自ら命を絶ち、獣人は人間に従属する道を選んだ。
海人や土人は領域に引き篭もり、鳥人も大陸を離れ何処かへと飛んでいった。
それ以外の数多の異種族も散り散りとなったことで、ようやく今のように人間が支配する大陸が完成したのである。
「……レッカお姉ちゃんって天使様だったの?」
店主が語る物語を聞き終えたセレマは、理解できなかった枝葉部分は一切無視して、キラキラと尊敬の眼差しをレッカに向けた。
話の隙にブドウ酒を飲み干していたレッカは、困ったような笑みを返す。
「アタシたちはそんな特別な存在じゃないわ。ただ他の人間とは少し“仕組み”が違うってだけで、あとはセレマと変わらない普通の生き物よ」
「あんた、自分のアニムスはどうした。どこかに隠してるわけでもなさそうだが」
店主はそう問いながらレッカの身体を舐めるように見回し、そこで痴女紛いな彼女の格好に気づいて、慌てて咳払いしつつ視線を逸らした。
その反応の意味が分からないレッカはセレマの顔を拭いてあげながら疑問符を浮かべ、それから気を取り直して己の右前腕を叩いてみせる。
「これはアタシの〈ギフト〉のひとつ、自分のアニムスを体内に格納できるの」
「と言うことは、シーフやスカウト系統のアニムスか? まあ、ロールだけでどんな武器か判断できるものじゃないが……」
「???」
二人にまた置いて行かれたセレマは、困惑顔でヴォルフに助け舟を求めた。
しかしヴォルフは冷たく顔を背けてそれを無視し、代わりにレッカが苦笑しながら自分の右手を差し出す。
「――〈ステータス開示〉」
彼女が小声で呟くと、その手の平に碧く半透明に輝く不思議な板が出現した。
板には様々な文字列や図形が規則だって刻まれていて。まだ数字くらいしか識字できないセレマは、パチパチと瞬きしながらレッカを見上げた。
レッカは物憂げに目を細めると、左手の指で七項に分かれた数字をなぞる。
「これは私の筋力や敏捷性、幸運の度合いなんか数値化したものなの。……こんな感じでね、全てのアニマは生まれた時から能力値や役割が固定されてるんだ」
「そして〈ギフト〉ってのは、神がアニマ一人一人に授けた魔法のことだな。その〈ステータス開示〉ってやつもそうだが、火を噴いたり空を飛んだりと、とにかくアニマは全員人並外れたことが出来るのさ」
そう補足しつつ店主が覗き込もうとすると、遮るようにギュッと拳が握られて、半透明の板は掻き消された。
レッカは半眼になりながら「覗きはダメですよ~」と乾いた笑みを浮かべ、店主は肩を竦めながらブドウ酒のおかわりを取りに向かう。
すると、黙々と肉をついばんでいたヴォルフが、わざとらしい溜息を吐いた。
「んな話を子供に教えたところで、明日になれば忘れちまってるよ。そんなことより大将、ギルドへの紹介状は書いてくれるんだろうな?」
「ああん? なんだ、てめぇの女たちと仲良く話してたのが気に障ったのか?」
「いやマジでそういうのはいいから」
あからさまに煽るような店主の挑発に、ヴォルフの顔からスンと感情が消えた。
店主はつまらなそうに鼻を鳴らすと、ジョッキに新しい酒を注いで戻ってくる。
「こんな辺境にあるギルドなんて商会くらいだぞ。紹介状を書いてやるのはかまわんが、それにしても“お土地柄”とは何を調べるつもりなんだ?」
「この辺りで最近起きた事件とか有力者の力関係とか、あとは小遣い稼ぎのネタがないかとか、まあ色々とな。さっきの銀貨で足りないのなら、もう一声くらい都合してもいいぞ」
「……路銀はもうないんじゃなかったの?」
受け取ったブドウ酒をジュース感覚で一気飲みしていたレッカが、ジトッとした目でヴォルフを睨みつけた。
一方のヴォルフも「これは必要経費だよ」とこれ見よがしな嘆息を返す。
そんな二人の表情を見比べていた店主は、顎を撫でながら目元をしかめた。
「ちょうど最近、ここら辺に流れの盗賊団が出没していてな。街を通る荷が減っちまうってもんで、ギルトでも近々山狩りをしようと人手を集めていたんだ。……だが、正直あんたらは首を突っ込まない方がいいと思うぞ?」
「どうしてだ? 流れ物の俺とレッカにはまさにうってつけの仕事じゃないか」
「どうにも、そいつらがあの“魔剣殺し”じゃないかって噂になってるんだよ」
ここまでの安穏とした空気はどこへやら。店主が怪談話でもするような調子で身を乗り出すと、二人の表情に緊張が走った。
その反応を待ってから、店主は人差し指を立てつつことさら声を潜める。
「ここ五年くらいの間に突如として現れた、アニマばかりをつけ狙う正体不明の襲撃者“魔剣殺し”。それがとうとうこの辺境にも現れたってわけだ」
「俺たちがこれまで通ってきた国でも話題を聞いたことがあるよ。しかし、どうして野盗が“魔剣殺し”だなんて話になってるんだ?」
「なんでもメンバーに凄腕のアニマがついてるみたいでな。すでに何人ものアニマが殺され、アニムスを持ち去られてるからさ。投降して盗賊団に加わった者までいるって話だぜ」
面倒臭そうに眉をひそめるヴォルフに答えながら、店主は腕を組んで額縁のハルバードへと振り返った。
レッカはとりあえずジョッキを飲み干して気持ちを落ち着けると、理解しがたそうにフードの下で耳を動かす。
「仲間に勧誘するのは分からないでもないけど、なんでアニムスまで? アニマを失ったアニムスなんてただ重たいだけの骨董品なのに」
「俺に言われても目的なんざ知らないよ。しかし実際、昔馴染みの行商団は用心棒を殺されてこのルートから手を引いちまった。街にとっては死活問題ってわけだ」
「……“魔剣殺し”なんて、自称冒険者どもの与太話だと思ってたんだがな」
ヴォルフは唸るような声をあげて俯いてしまい、レッカも心配そうに胸を押さえながら彼の横顔を眺めた。
店主はそんな二人に同情の吐息を漏らすと、退屈し始めていたセレマに焼き上がったホットケーキを差し出す。
「悪いことは言わんから、連れが大切なら明日にも山を抜けちまいな。……アニムスまで奪われたら、俺みたいに弔ってやることすらできないんだぜ?」
「「 …… 」」
感慨の籠った店主のセリフに沈黙しながら、二人は互いの顔を見合わせていた。