敗北人種と酒場を営む親父
「レッカお姉ちゃーん☆ ヴォールーフー☆」
最初の警戒心はどこへやら、瞬く間に距離感をバグらせたセレマは、年相応の無邪気さを発揮しながら二人に飛びつきアスレチックしていた。
レッカもレッカで、本物の姉母親のような眼差しで彼女を見つめると、沈む夕陽に向かって先行しているヴォルフへと視線を移す。
「なによ、まだ怒ってるの? いつまでもウジウジと男らしくないわよ~?」
「ん? ああ、いや、別にその件に関してはもうどうでもいいんだが……」
ヴォルフは彼女の声で我に返ると、思議を中断して肩越しに振り向いた。
その表情に不穏な気配を感じて、レッカはセレマをおんぶしながら歩み寄る。
「いったいどうしたの? セレマに追手がかからないか、そんなに心配?」
「勿論そのことも心配だけど。でも、今考えていたのはひとつの疑問だよ」
「疑問?」
彼の言葉を聞いたレッカは、耳を動かしながら首を傾げた。
ヴォルフは楽しそうにじゃれているセレマを盗み見ると、遥か後方の馬車のことを思い出して目を細める。
「殺されていたのが、奴隷商かただの運び屋かは知らないが。……子供一人を輸送するにはあまりにも仰々しすぎると思ったんだ」
奴隷を何人か運ぶだけなら、芋づるに繋いで馬で引っ張るのが普通だ。
こんな山道を通るのにわざわざ荷馬車を持ち出し、護衛の傭兵まで連れて移動するなんてまずありえない。ましてや獣人の子供ただ一人のためだと言うのであれば、それはもう異常と呼んでいい次元である。
「そういうもの? 奴隷が云々以前に、獣人や森人が貴方たち【人間】からどんな扱いを受けているのか、アタシはまだよく分かってないんだけど」
「その辺りを説明し出すとキリがないんだよなぁ。……そうだな、レッカはセレマくらいの年頃の獣人にどれだけの値が付いてると思う?」
「え? そりゃあ、せめて金貨で二枚か三枚くらいは――」
「銀貨一枚、それが獣人の子供に付けられる“適正価格”さ」
レッカは思わず息を呑み、会話の内容を理解していないセレマがその背中でキョトンと疑問符を浮かべた。
ヴォルフは立てていた人差し指を下ろすと、やれやれと夕陽を見上げる。
「獣人は多産早熟で特に増やしやすいからな。おまえが酒場で豪遊したり、トイレや風呂のある宿屋に一泊する程度の出費で、こいつらの一生を自由にできちまう。それが今の時代の【敗北人種】の価値ってことだ」
「……狂ってるわね」
汚物を見る顔で奥歯を噛み締めながら、レッカは努めて声を抑えて吐き捨てた。
ヴォルフはその感情を肯定も否定もすることなく、ただ共感するように片眉を吊り上げて話題を戻す。
「偶然セレマが最後の商品で、他の荷物は道中で全部売り払っただけと考えられなくもないけど。そうすると今度は死体の持ってた所持金が少なすぎる」
「物々交換だったにしても、換わりの荷が積まれてなきゃおかしいってことか」
その少ない所持金すら(そして荒くれリーダーの持ち金すら)、ヴォルフは『埋葬代』と称して残らずネコババしてしまったのだけど。
セレマの負い目があるレッカに、そんな彼の火事場泥棒を咎める資格があるはずもなく、切なげに目元をしかめて耳を揺らした。
するとそこで、ヴォルフはセレマの方に視線を移してジロリと見据える。
「おいセレマ、おまえ自分の親はどうした? 年齢は?出身地は?他の同族は? いつから捕らえられていたんだ?」
「ちょ、ちょっとヴォルフ!」
デリカシーなくズケズケと問い掛ける彼の腕を、レッカが慌てて引っ張った。
一方のセレマは「んー?」と他人事のように虚空を見上げ、それからニパッと人懐っこい笑みで首を傾げる。
「ヴォルフの話はよくわかんないけど、ショーヒンが勝手なことするなっていつも怒られてた。昔は同じ耳の人も一緒にいた気がするけど、あんまり覚えてない」
「セレマ……」
彼女の境遇を想像したレッカは、同情で涙を滲ませていたが。
その返答を半ば予想していたのか、ヴォルフは表情を変えずに腕を組む。
「集落を襲われたか、最初から“牧場”で生まれ育ったのか。それとも――」
最後の可能性を口にしようとして、ヴォルフは何故かレッカをジッと見つめた。
唐突な彼の行動に、レッカは「え、なになに?」と赤らんだ耳を動かして。しかしヴォルフは冷淡なもので、面倒臭そうに溜息を吐きつつ視線を逸らす。
「まあ、どちらにしても俺たちには関係ないか。もう止めようぜ、こんな話。根拠のない仮定なんて並べ立てるだけ時間の無駄だ」
「……?」
「あーっ! レッカお姉ちゃんあそこ、お家がいっぱい見えてきたよー!!」
意味深な態度を取るヴォルフを問い質そうとしたところで、セレマが二人の間に割り込むように腕を伸ばした。
上り坂を乗り越えたそのさらに先。山間の盆地には、宿場町から発展したらしいそこそこ規模の大きな街並みが広がっていて。
「やれやれ、どうやら夕食には間に合いそうだな」
ヴォルフがくたびれた声でリュックを背負い直して。その十人並みな横顔を、レッカは訝しげな目でねめつけるのだった。
ヴォルフの予想に反して、街中に入れたのは住民が寝静まった時間帯だった。
遅くなった理由は勿論、予定外に追加された歩幅の短い約一名にあるのだが。
「なによ、言いたいことがあるのなら言ってみたら?」
オイルランタンをかざして振り返ろうとしたところで、フードを目深に被ったレッカが身を乗り出した。
その胸の谷間では、抱っこされたセレマが眠そうに目を瞬かせていて。ヴォルフは深々と溜息を吐くと、無言のまま視線を戻して大通りを進む。
入口に自警団詰所の灯りはあったが、トーチは全て消灯された後だった。
物流の中継点のような扱いなのだろうか。山間の街にしては随分と栄えており、通りには畳まれた露店や荷車が並べられていた。
「……まあ、治安は悪くなさそうだな」
背の高い建物と盆地特有の肌寒さが、夜の不気味さを助長していたけれど。元より幽霊や心霊現象に興味のないヴォルフは、他人事のように感想を述べた。
それは隣のレッカも同じようで、セレマをあやしながらもフードの下でピクピク耳を振るわせる。
「あっちで随分と賑やかな声が聞こえるわ。まだ営業してる酒場があるのかも」
「そりゃ助かるな。さっきの詰所じゃあ宿屋の場所を聴く暇もなかったことだし」
理由は勿論、奴隷の子供を抱っこして歩く不審な女の、その容貌と出自を確認されたくなかったからだが。
如何にも『この街には頼れる知人がいますから』風な雰囲気を出しながら、そそくさと検問を通過せざるを得なかったのは、何もヴォルフの用心深さだけが原因ではなかっただろう。
「むぅ~」
セリフの端々からそんな嫌味を滲ませる彼をジト目で見据えながら、レッカは頬を膨らませて歩みを早める。
そうして辿り着いた酒場は、街のほぼ中心部に存在していた。
むしろ、この酒場を中心として街が広がったのではないかと思わせるほど活気に満ち満ちた、門構えの立派なパブリックハウスで。一寸前まで眠りかけていたセレマですら、宝石のような眩しさと聞こえる笑い声に目を爛々と輝かせていた。
「アハハハハ、おいおいマジかよ! ……んっ?」
「ガハハハハ、あったりめぇよー! ……おっ?」
三人が店の扉を潜ると、人々は談笑しながらこちらへ視線を向けた。
しかし深夜の旅客など珍しくもないのか、それが賊徒でないと確認しただけで、再び自分たちの世界に戻っていく。
「ちょっとヴォルフ? こっちの席が空いてるわよ?」
三人で座るにちょうど良さそうなテーブルを見つけたレッカは、先行して歩くヴォルフを引き留めたが。
彼は気にせずズンズンと店の奥に座ると、バーカウンターを切り盛りしている店主らしきスキンヘッドの大男に笑顔で話しかけた。
「よう、どうもこんばんわ。今日も景気がよさそうだね、大将」
「……らっしゃい」
まるで十年来の友人に向けるようなヴォルフの言葉遣いに、店主は酒を注ぐ手を止めて怪訝に眉をひそめた。
ヴォルフは気にせず空いた席の隙間に潜り込むと、まずは背中のリュックを床に下ろして、そのポケットから取り出した物をカウンターに転がす。
小指の先ほどのサイズの、不格好な楕円形の石が三つ。
それがこの大陸で広く扱われている“銀貨”であることは、中央に刻まれた古の皇帝を拝むまでもなく明白だった。
そして、町酒場の親父なんぞにそんなものをチラつかせれば、釣銭を数えるのが面倒だから止めてくれと敬遠されてしまうことも。
「とりあえずブドウ酒二つと果物ジュース。それと、歯が生え変わってない子供でも噛み切れるような肉料理を頼む」
「……あいよ」
銀貨を手に取り真贋を確認した店主は、後からやって来たレッカとセレマをジロリと一瞥しつつも、余計なことは言わずに後ろの棚へ振り返った。
木製の大ジョッキに酒を注ぎ、それをドンとヴォルフの前に差し出す。
「これまで会った覚えのない顔だが、いったいどちら様だい? 行商人や流れの傭兵をやってますって格好には見えないが」
「ヴォルフ、こっちはレッカとセレマ。あてどなく国を巡るだけの、しがない旅人だよ。今しがたようやくこの街に辿り着いたばかりでね」
「旅人ねぇ。……獣人を連れて旅行する若夫婦なんて聞いたことがないがな」
獣人の子供が安値で買い叩かれているのは、供給数が多いだけでなく、ある程度成長するまでは愛玩以外の使い道がないからなのだが。
その皮肉が通じないレッカは『夫婦』というワードに照れ照れと頬を掻き、ヴォルフは内心でツッコミながらカウンターに肘をつく。
「こいつは単なる先物買いのペットだよ。将来の荷物持ちにと思ってね。そんなことより、顔が広そうな大将に頼みたいことがあるんだけど、いいかい?」
「頼みたいこと?」
店主が不信感の籠った顔で振り向くと、不意にセレマと目が合った。
セレマは反射的に天真爛漫な微笑みを浮かべ、それに店長が怯むと、ここぞとばかりにヴォルフが身を乗り出す。
「この街にギルドはあるか? 出来れば紹介状を書いてくれたら嬉しいんだが」
「ギルド? ないこともないが、いったいどのギルドだ? それに紹介状だと?」
「商人でも傭兵でも錬金術師でも、連絡が取れるなら盗賊ギルドだっていいさ。ちょいとこの辺の“お土地柄”について情報を集めたくてね」
ブドウ酒を一口呷りつつ、ヴォルフは気の抜けた笑顔でそう答えた。
その間に残りの飲み物を用意していた店主は、レッカへと視線を移してフードの奥にある瞳を慎重に覗き込む。
「……どうやら、いろいろ面倒な事情を抱えてそうだな」
店主は声のトーンを落としながら、脇で飲んでいた常連客に目配せを送った。
すっかり出来上がっていたその客は、「いいってことよ」と上機嫌に笑うと代金をツケにして店から出ていく。
「とりあえず全員座んな。この店自慢の絶品ポークシチューを食わせてやるよ」