山賊と奴隷に堕する獣人
それは山賊と呼ぶにも奇妙な集団だった。
倒木に躓いたショックで骨折して動けなくなった馬と、運転席に座ったまま胸に矢を受けて絶命している御者。
地面には奮闘空しく力尽きた護衛の剣士二名が倒れており、荷台の手前ではデップリと肥えた商人らしき中年が、命乞いの姿勢で首を刎ねられ事切れていた。
そんな凄惨たる現場を取り囲んでいるのは、十数人の荒くれたちだった。
護衛の剣士と違ってロクな防具すら身に着けてないその集団は、長剣どころか手斧や鉈を携えている者までいて。
せいぜい街のならず者に毛が生えた程度にしか見えない彼らは、護衛と道連れになって死んでしまった仲間のことも放置して、皆で荷台を見つめ続けた。
「おい、どういうことだ! 中にはがきんちょ一匹しか乗ってないぞ!!」
ガタガタと荷台を荒らしていた男が、外に戻るなり仲間たちにがなり立てた。そして舌打ちと共に腕を引っ張ると、中から小柄な人影を引きずり下ろす。
すると荒くれたちは一斉にどよめき、何人かが入れ替わりに荷台へと殺到した。
一方、地べたに転がされた子供は不思議な服を着せられていた。
この大陸では珍しく、木綿で編まれた上下一括りのツナギ服。身体は複数の革ベルトで縛られ、それだけでなく両腕も自分を抱き締めるように腋へ回された上で、やはり背中で幾重にも縫合されていた。
極端にタイトで裾がつま先まで伸びたスカート部も、這いずるような歩き方しか許してくれず。事実、子供は頭を起こすこともできずに呻くしかなかった。
拘束服というものを見たことがなかった荒くれたちも、それが何を目的としたモノであるかは、すぐに理解することができた。
しかし、どうしてこんな子供をそこまで厳重に縛り上げる必要性があるのか、その理由を想像できずに顔を見合わせて首を傾げる。
「……コイツ、【獣人】か?」
子供を取り囲んでいた中の誰かが呟いた。
雰囲気的に齢十過ぎの少女だろうか。その少女の側頭部は栗色の髪の毛で覆われており、代わりのように犬猫を連想させる巨大な耳が存在していた。
本来であればピンと伸びているはずのその耳も、今は少女の苦悶を示すようにペタンと伏せられていて。
「なんだよクソッタレ! お宝が運ばれてるんじゃなかったのかあ?!」
「……そんな、オレは確かに聞いたんだ。今夜とんでもないお宝が届くってよぉ」
「ザケんな! それじゃあてめぇには、こんな二束三文にしかならなそうな奴隷っ子が“金銀財宝”に見えるってのか!?」
荒くれたちのリーダー格なのだろう。その男は少女の首に嵌められた木製の枷を掴んで仰け反らせ、苦悶の声が聞こえると忌々しげに手を放した。
そして他のメンバーが沈黙してしまう中、えずく少女を唾を吐きながら見下す。
「ケッ、やっちまったもんは仕方ねぇ。どうせ頭を下げたところで“ヤツ”に処刑されるだけだ。金目の物を引っぺがしたら予定通りにズラかろうぜ」
「金目の物って、このガキは?」
「連れてったところで大した邪魔にはならないだろ。適当な旅人に売るなり、俺たちで使ってから捨てるなり、どうとでもあしらえるさ」
リーダーはそれだけ吐き捨てると、興味を失ったように荷台へ踵を返した。
それを受けた他の男たちも、卑下た視線を交わしながら少女ににじり寄る。
会話の意味は分からなくとも、これから自分がとても悲惨な目に遭わされるということは理解できたのだろう。
少女は微かに呼吸を上擦らせると、不自由な身体で必死に藻掻き後退った。
「――もう我慢の限界! いいでしょヴォルフ、アタシは行くわよ!!」
「あっ、馬鹿レッカ?! もう少し背後関係を見定めてから……くそっ!!」
タンタンタンと、リズムよく大地を蹴飛ばして。華麗なタンブリングで草陰を飛び出したレッカは、派手な宙返りを決めつつ少女の間に割って入った。
そうして驚きの視線を集める彼女の背後で、遅れて姿を現したヴォルフも木陰に荷物を降ろしながら深い溜息を吐く。
「な、なんだてめぇら――」
場に鳴り響いた音はスコン!と軽快だった。
いったい何の音だろうかと、リーダーの男は衝撃のあった自らの額を見上げる。
そしてそこに生えたスローイングダガーの存在に気づくや否や、そのまま白目を剥いて仰向けに倒れた。
「………………え?」
泡を噴いて動かなくなったリーダーの形相を見つめていた荒くれたちは、大慌てでヴォルフに視線を戻した。
ヴォルフは振り向きざまにダガーを投げた姿勢で残心を取っていて。そこから面倒臭そうに嘆息したかと思うと、新しいナイフを皮鎧の隠しポケットから取り出してアンダースローに投擲した。
直後。短い悲鳴と共に、今度は弓を携えた男が利き腕を押さえて崩れ落ちる。
「……あの~ちょっとヴォルフさん? そこまで問答無用だと、なんだかアタシたちの方が悪者みたいに思えちゃうんですけど~?」
「俺たちって正義の味方だったのか? 悪いな、それは初耳だった」
単刀直入ってそういう意味じゃないでしょ。と頬を引き攣らせるレッカに真顔で答えながら、ヴォルフのダガーがもう一人の弓兵を沈黙させた。
事ここに至ってようやく事態を飲み込んだ荒くれたちは、大急ぎで武器を持ち上げながら虚勢を張る準備を始めるが。
その前に雌豹が如く屈み込んだレッカは、左手を地面に付き、右手はまるで短剣でも携えているかのように顔の前で構えてみせた。
「〈マルチプル・ストライク〉!」
そこから先の出来事が、地に伏した少女にはナニがナンだか分からなかった。
ただ少女に認識できたのは、荒くれたちの持っていた剣や手斧が、瞬く間に破壊されてしまったということだけで。
単純な素早さだとか、死角に隠していただとかでは断じてない。レッカは刃物を取り出す素振りも見せないまま、舞い散る火花のように男たちの間を駆け抜け、振りかざされた凶器を一瞬で断ち切ったのだ。
折られ砕かれ、使い物にならなくなった鉄塊が転がる中。荒くれたちは呆然と己の手元を見つめ、そんな彼らを振り返ったレッカが猟犬の眼で睨む。
「ここで逃げ出すのなら、アタシもヴォルフも追わないわ。――逃げなさい」
そこで勝敗は決したのだろう。
否。勝敗など、二人が現れたときには既に決していた。
少女がそれを察したときには、荒くれたちは全員悲鳴を残して消えていた。
ヴォルフは嘆息混じりにその後ろ姿を見送り、レッカは人が変わったように優しく微笑みながら右手を差し出してくる。
「安心して、もう大丈夫よ。えっと、アタシはレッカ。……あなたのお名前は?」
「……セレマ」
それは少女が物心を覚えてから初めての行為だった。
少女はポカンと放心しながらも、フードをはだけたレッカに向かって己に授けられし真名を口ずさんでいた。
「これでよしっと~♪」
歌うように声を躍らせながら、レッカはセレマの頭からヘアブラシを離した。
丁寧に砂埃を払われ毛繕いされた少女の髪は、若さの力なのかそれだけでツヤツヤと輝きを放っていて。濡れタオルで清められた素肌と併せて、彼女の愛らしさを十二分に引き出していた。
そんな全体像を見回したレッカは、黄色い歓声と共にセレマを抱き寄せる。
初対面とは思えない馴れ馴れしさに、少女も戸惑っている様子だったが。一方で嫌悪感はないらしく、獣耳をピクピクと嬉しそうに震わせていた。
先の騒動から小一時間も経過しただろうか。
レッカたちに保護されたセレマは、拘束を解かれて己の足で立ち上がっていた。
とは言え、服装は拘束服のまま、邪魔な袖を断ち切り太腿にスリットを入れただけではあるが。それでも久方ぶりに得た自由なのか、セレマは腕を広げたりその場で一回転したりと思い思いに身体を動かしていた。
その小動物のような可愛らしい所作にすっかり魅了されてしまったレッカは、セレマが勢いあまって尻もちをついたところでダラしなく頬を緩める。
「えへへ~。実はアタシ、妹って言うのに憧れてたのよね~」
「ああ、そう言えばおまえは“末っ子”だったんだっけか」
ガサガサと藪を掻き分けて、柄の長いシャベルを肩に担いだヴォルフが、皮鎧に付いた土を払いながら首を傾げた。
べつに彼へ向けた発言ではなかったのだが。レッカは腰に左手を添えて振り返ると、肩を竦めるように右手を掲げてみせる。
「その通り、正真正銘私が一番最後に生み出された“子供”。まあ他の兄姉なんて見たこともないし、妹どころか家族についてすらよく知らないんだけどね」
「家族ねぇ……」
ヴォルフは無感情にそう呟くと、足元を見下ろしてスコップを握り締めた。
しかしそれも一瞬のことで、レッカが気まずさを感じるよりも早く、いつものように眉をしかめて彼女をねめつける。
「んなことより、いつまでその獣人で遊んでるんだよ。結局、俺一人で全員分の墓作りをするハメになっちまったじゃないか」
「そんなの適材適所よ、テキザイテキショ。それとも貴方がこの子の身嗜みを整えてくれたって言うの?」
レッカが対抗して頬を膨らませると、その腰にセレマが抱きついて身を隠した。
どうやら、まだレッカほど彼に心を許していないようで、ヴォルフは複雑な表情で嘆息しながら頭を掻く。
「おまえなぁ、その獣人をどうするつもりなんだ? 言っとくが、他人の奴隷を勝手に連れ去ったりしたら、それは立派な犯罪行為――」
「セ、レ、マ! ちゃんと名前で呼んであげなさいよね!!」
槍で刺すような勢いで、ヴォルフの鼻先にレッカの指が押しつけられた。
ヴォルフはしばらく半眼で彼女とにらめっこしてから、諦念の籠った溜息を吐いてその指を払う。
「……連中の話が正しいとするなら、セレマには次の所有者が決まっている。商品が届かなければ捜索隊が出され、此処で何が起こったかを把握するかもしれない。それとついでに、野犬や熊は絶対に【獣人】を襲ったりしない」
「だから?」
彼の言わんとしていることなど分かっているだろうに、レッカは毅然とした態度で睨み返してきた。
ヴォルフは一度セレマに目を向けてから、ゆっくりと正面へ視線を戻す。
「セレマは此処に置いていくぞ」
「嫌よ、そんなの!」
案の定レッカは即答を返しつつ、セレマを庇うように抱き締めた。
それが単に幼い少女の身を案じるだけでなく、セレマという奴隷の行く末をおもんばかったが故の行動であることは、ヴォルフにもすぐに理解できた。
大陸の至るところで拝見することができる、いわゆる奴隷制度。
それが慣例か、悪習なのかはヴォルフにも判断しかねたが。しかしどの地域でも奴隷の扱いに大差がないことは、十分すぎるほど把握していた。
語弊を恐れずストレートに表現してしまえば、奴隷とは物言えるだけの家畜だ。
地主や商人にとってそれは貴重な労働力であり、王族貴族にしてみれば自らの総資産を表現する指標。高級な調度品に相違ない。
レッカが好んで着ている服も、手に持ったブラシも、今晩飲みふけるだろうブドウ酒も。自分たちが甘受している“そこそこの日常”とは、土台を支える者たちがいるからこそ成り立つもの。
彼女たちの在り様を否定することは、自らの生活をも否定するに等しいのだと、レッカだって重々承知しているだろうに。
「……っ」
しかし、レッカは決してセレマを放すことなく牙を剥き続けていて。
ヴォルフはもう一度視線を落として震える少女と見つめ合い、そして脅えて隠れるそのネコミミに肩を落として脱力する。
「……妹に憧れてた、か」
「え?」
ヴォルフの言葉に、レッカは瞬きしながら疑問符を浮かべた。
シャベルを馬車の荷台へ放り投げたヴォルフは、仏頂面で振り返ると、彼女らの足元に転がっていた木製の枷を指差す。
「首輪は付け直しておけよ。今のこのご時世、奴隷でない獣人を目にする方が珍しいんだ。行く先々で勘繰られたくなければ、せめて『セレマは俺たちの奴隷です』ってフリくらいしておけ」
「ヴォルフ……」
そこが妥協点だと舌打ちする青年に、レッカはじーんと感涙を滲ませていた。
そして呆けているセレマに向きを変えると、その青みがかった瞳を覗き込む。
「ねぇセレマ、一緒に行かない? あなたのことはアタシが絶対に守るから」
「いっしょに?」
微笑みながら耳を揺らしているレッカと見つめ合い。
渋い顔でバックパックを漁っているヴォルフを眺めて。
「行く! セレマ、お姉ちゃんたちと一緒に行く!!」
憮然と口を開けていたセレマは、瞳を輝かせながら彼女の胸に飛び込み、そのままぐりぐりと顔を埋めた。
レッカがその頭をギュッと抱き締めると、ヴォルフは一枚革に縄を結んだだけの簡素な靴を取り出し戻ってくる。
「ほれ、とりあえず街に着くまでは俺の予備を履かせとけ。ああ、その辺で転ぶと面倒だから紐はギッチリ締めておけよ」
「……」
「なんだよ……?」
真顔のセレマに凝視されたヴォルフは、靴をレッカに渡しながら狼狽えた。
そんな二人を見比べたレッカは何かを察したようにしたり顔で嘲笑し、セレマのネコミミにごにょごにょと吹き込む。
「ほらセレマ、せーのでいくよ~? せーのっ!」
「ヴォルフガングお兄ちゃん、ありがとう」
「なっ!?」
セレマが人見知りしながら呟くと、ヴォルフは目を見開いて赤面した。
彼はニシシと下世話に嘲笑っているレッカをひと睨みしてから、深い溜息を吐きながらセレマと目線を合わせる。
「いいか、セレマ? “お兄ちゃん”はやめろ。……俺のことはヴォルフでいい」
「……?」
彼の感情を理解できなかったセレマは円らな瞳を瞬いて、それから子供らしいオーバーアクションで従順に頷き返すのだった。