レッカと旅をする青年
燃え上がる洋館の中、焼け落ちる天井の下。
炎と煙が渦巻く地獄の底で、二つの影が火花を散らしていた。
片方が旅人装束の青年で。煙に紛れてどんな容姿かは判別できなかったが、明らかに傷つき疲弊しているのが見て取れた。
もう片方は黒い甲冑をまとったモヒカン刈りの男で。炎に浮き上がった表情は髪型に相応しい狂喜に満ちていて、携えていた黒槍を楽々と肩に担ぐ。
「だから言ったろう? ただの人間が【アニマ】の俺に敵う訳ないってよぉ!」
モヒカン男は異様に長い舌を伸ばして嘲笑うと、爬虫類のようにギョロギョロと眼球を見開いていた。
それを一切無視して呼吸を整えた青年は、服の裾から柄の短い投擲用ダガー取り出し、それを返す刀で抜き打ちする。
しかしモヒカン男はそれでも余裕を崩すことなく、目にも留まらぬ速度で槍を振り回して、いとも容易く刃を叩き落としてしまった。
「……んあ?」
終始ニヤニヤと笑い続けていた男は、そこで初めて眉をひそめる。
槍を振るった腕のその鎖骨辺り。
装甲の継ぎ目に滑り込むようにして、青年が同時に放っていた二本目のダガーが突き刺さっていた。
「……。……おめでとさぁああん!!」
モヒカン男はキョトンとした顔でそれを見つめて。かと思うと先ほど以上に狂乱した笑みを浮かべ、大きく踏み出しながら槍の柄を横に薙いだ。
その一閃は追撃を試みていた青年の脇腹に直撃し、彼は地面を転げ回った末に炭化した瓦礫の山へと激突する。
「まったく涙ぐましい努力だねぇ。そうやってチマチマ攻撃したところで、何か意味があるとでも? 俺がアニマだってことをもう忘れたのかよ」
ケラケラ笑って唾を飛ばしたモヒカン男は、青年がヨロヨロと顔を上げるまで待ってから、刺さりっぱなしだったダガーを一思いに抜き捨てた。
腕の血管を傷つけていたのか、ドプッと勢いよく血が溢れ出したが。しかしそれらはすぐに黒い靄へと変化し、吸い込まれるように男の傷跡を塞いでしまう。
「いいかげん、そろそろ理解しろよ。こんなカスみたいなダメージをいくら受けたところで、ヒットポイントが残っている限り、俺たちはいつまでだって戦い続けることが出来るんだってなあ!」
「……くうっ」
青年は火傷まみれの身体を抱き締め、這いずるように瓦礫から起き上がる。
だがもう一度ダガーを投げる余力はなかったようで、震える指からバラバラと刃物がこぼれ落ちていった。
それを目にしたモヒカン男はこれ見よがしに喉を鳴らすと、あえて猶予を与えるように、青年がダガーを拾おうとする様を見守る。
「実際テメェはよくやったよ。ただの人間の分際で、ここまで俺について来れた奴はそういない。しかしなぁ、それでも俺にはたとえ一度死んでもお釣りが出るくらいのヒットポイントが残ってるんだぜ?」
だからもう観念しろと勧告しつつ、モヒカン男は笑みを消して槍を突き出した。
だがしかし。青年は素直にそれに従うどころか、煤汚れた顔を目一杯引き攣らせながら鼻を鳴らして嘲笑する。
「なんだ、もうそんなに削れてたのか。もしかすると先にこっちのリソースが尽きるんじゃないかと心配していたけど、おかげで俄然やる気が湧いてきたよ。……あんた、アニマにしては随分と脆いんだな」
「……んだとぉ?」
ボロボロの身体で虚勢を張る青年に、モヒカン男は眉間にシワを寄せた。
青年が強がるようにダガーを構え直すと、背景で火の粉が弾けて舞い上がる。
「さてと、それじゃあもう少しだけリスクを冒そうか。俺のこの身をベットして、貴様のその踏ん反り返った喉笛を喰い千切ってやる!」
「出来るもんならやってみろやぁあああ!!」
青年の挑発に乗ったモヒカン男は、槍を腰だめに引き絞りながら、獣のような速さで駆け出した。
対する青年も痙攣する肉体を必死に御しつつ、まだ見えぬ奇策を発動させるために、命を賭して前に出ようとする。
「――じゃあ、遠慮なくやらせてもらうわね」
初め、炎が声を発したように青年は錯覚した。
風に吹かれた炎が津波のように青年の脇を通り過ぎ、その中から飛び出してきたのは、一人の年若い少女で。
炎の色が染みついたかのように淡く燃える赤髪をなびかせて。
ほとんど裸同然に素肌を晒し、局所に下着が如き黒い装甲を貼りつけて。
そして右逆手に握った黒いナニカを振り切ると、モヒカン男の槍と首が同時に刎ね飛ばされた。
「な、なぁあああ?! そんなバカな、俺の【アニムス】がぁ……!?」
いったい如何なる原理によるものだったのだろうか。宙を舞う男の首は、驚愕の表情でそんな断末魔を発していた。
しかし少女がそれに応えることはなく、モヒカン男の頭と胴体は、そのまま溶けるように黒い靄と化して炎に飲まれていく。
最後に地面に転がったのは、穂先の折れた槍の残骸だけで。
少女は肩よりも長いその髪を振り回すと、残心を解いて青年の方へ振り返った。
「……」
青年が何の言葉も口に出来なかったのは、どうしてだろうか。
驚きと怪我と疲労のためか。
それとも、炎をまとう少女に見惚れてしまったためか。
「えっと~、それじゃああらためて。……キミのお名前を聴いてもいいかな?」
今にも業火に焼き尽くされんとしている洋館の中で。
少女は晴れやかな笑顔を浮かべると、呆けている青年に向かって、まるでダンスにでも誘うように優しく右手を差し伸べた。
「も~、いつになったら街に着くの~? だから駅馬車使おうって言ったのに~」
そんな不満の声が聞こえてきたのは、ちょうど二人の脇を一台の荷馬車が通り過ぎていった直後のことだった。
山中の街道を先行していた旅人の青年は、回想を中断して荷物を背負い直すと、嘆息しながら肩越しに振り返る。
すぐ後を付いてきていたはずの同行人は、ゲンナリした表情でその場にしゃがみ込み、遠ざかっていく車輪の音に羨望の眼差しを向けていた。
「……んな贅沢をする余裕はないって、俺も言ったぞ? だいたいこの前の仕事がロハになっちまったのだって、レッカが大ポカやらかしたからだろ?」
「そうだけどさぁ。でも、アレはヴォルフも合意の上だったでしょ~?」
青年の嫌味たらしい苦笑いに、レッカと呼ばれた少女はムッと頬を膨らませていたが。しかし、結局最後には気まずげに視線を逸らしてしまう。
レッカは特徴的な容姿をしていた。
歳の頃は十六歳くらいであろうか。長いまつげにやや吊り上がった目元、そして整った唇は美人と呼んでも差し障りなく、透き通った肌色とポニーテルに結わえられた赤毛のコントラストも鮮やかだった。
ホットパンツからスラリと伸びた美脚に分厚いジャングルブーツを穿き、上半身のタンクトップはそのグラマラスな胸元の所為で下腹部を隠せておらず。一方でそれを補うように、ローブをカーディガンよろしく肩に掛け流していた。
肌を晒したいのか隠したいのか理解に苦しむレッカの有様が、旅人の装いからおおよそかけ離れていたことは間違いなかったけれど。
しかし、それよりも目を引いたのは彼女の耳の形状である。
サラリとした前髪から覗くレッカの耳は通常より長く、先が角張っていた。
それは千年前の大戦に敗れて以降、長らく歴史の表舞台から姿を消していた【森人】と呼ばれる種族の特徴でもあって。
その耳がプルプル不機嫌に震えている様子が、青年の位置からも観察できた。
一方で、そんなレッカを眺めて片眉を持ち上げているヴォルフは、彼女と対照的に旅人の見本のような恰好だった。
二十歳はまだ越えていないように見える、どこの町村でも目にすることが可能な中肉中背の青年。面立ちに締まりがあるわけではなく、散切りの黒髪がそこまで乱れているわけでもない。
着ている麻服の上下は特に色も染められておらず、腕や胴体に重ねたソフトレザーの安防具だって、枝葉や野犬から身を守る目的と考えれば一般的だ。丸めた毛布を載せたバックパックも、二人分の荷物であれば過剰ではない。
そのような風体の彼とすれ違えば、十人中十人は、おそらく彼の外見を正確に言い当てることが出来ないだろう。
それほどまでには印象に残る要素の少ない、ごくごく平均的な旅人にしか見えない青年こそが、レッカから『ヴォルフ』と呼ばれたこの青年だった。
レッカが拗ねてから、時間にして10分以上も膠着していたか。
一向に立ち上がる気配を見せないレッカを見据えていたヴォルフは、根負けしたようにやれやれと歩み寄って手を差し出す。
「わかったわかった。次の街に着いたら宿を取ってしっかり足を休める。……それでいいか、レッカ?」
「ちゃんとトイレとお風呂のある宿屋にしてよね。それとお酒はおかわり自由!」
ニカッと太陽のような笑みを浮かべるレッカに対して、ヴォルフは肩を竦めながらも彼女の手を掴んで引き起こした。
それを無言の了承と受け取ったレッカは、ピコピコと嬉しそうに耳を揺らしつつ、現金にも先んじて彼の腕を引っ張り始める。
「ほらほら、そうと決まったら急がなきゃ。こんなペースで歩いてたら、街が見える頃には日が暮れちゃうわよ~」
「まあ急がなきゃってのには同意だな。こんな人通りの少ない山中で野宿なんてしてたら、どうぞ襲ってくださいと野盗に首を差し出してるようなもの――」
メキメキ、ドシンと。
轟きはささやかだったが、ヴォルフは確かな大気の振動を肌に感じた。
発生源はどうやら道の先からのようで。視線をレッカの方に戻すと、彼女はまぶたを閉じ、音を集めるように耳を尖らせる。
「最初のはたぶん倒木ね。馬が引っ掛かったのかしら、派手に地面が擦れる音も聞こえたわ。あとは人の喚き声が一人、二人……とにかくいっぱい!!」
ガバッと振り返ったレッカの表情は、すでに何かの決意を固めていたが。
しかしヴォルフは渋く眉をひそめると、進行方向をジッと睨みつける。
「山賊の仕業にしても手際が良すぎる。きっと初めからあの馬車が狙われていたんだ。だったら下手に首を突っ込まず、俺たちはここで迂回した方が……」
「じゃあヴォルフはそうすれば? アタシは一人で様子を見てくるから!!」
宣言するが早いか、レッカはフードを目深に被りながら前方へと駆け出した。
ヴォルフが引き留めようとしたときには、レッカは勾配の向こう側へと消えてしまっていて。
伸ばした右手を持て余しながら、ヴォルフは神を呪うように天を仰ぐ。
「……仕方ない、リスクを冒すか」
そんな諦観の瞬きと共にバックパックを抱え直したヴォルフは、レッカの後を追いかけて喧騒に向かい走り出した。