早朝訓練
七月一日(水)
この日の朝六時、機構本部裏の森の奥では武器のぶつかる音が響いていた。
ミアの横薙ぎに振った斧をヴェーダが大剣で正面から受け止め、武器同士での押し合いを続けたままヴェーダは大剣から右手を離した。
何とかヴェーダとの押し合いに勝とうとしていたミアだったが、ヴェーダが自分を殴ろうとしていることに気づきすぐに後ろに退がった。
しかしそれを予想していたヴェーダはそのままミアに追いすがり、今度はヴェーダがミア目掛けて大剣を横薙ぎに振るった。
ヴェーダの攻撃を何とか斧で防いだミアだったが、元々後ろに移動していたこともありそのまま吹き飛ばされてしまった。
このままでは地面に激突して隙を作ることになると判断し、ミアは自分にかかっている重力を制御して無理矢理動きを止めた。
しかしミアの重力制御は加重以外はまだ完全ではなく、考えた通り飛ぶだけならまだしもいきなり自分の動きを止めた際の衝撃は大きかった。
動きを止めた瞬間、ミアの顔は痛みに歪み、ヴェーダに意識を向けるのを忘れてしまった。
そんなミアにヴェーダは大剣を振り下ろしてとどめを刺そうとした。
ミアの斧と違いヴェーダの使っている大剣は刃を潰してあるので、急所さえ外せば死ぬことはない。
今回の訓練の前にシュウが病院の人間と話をつけていたので、仮にこの訓練で機構本部では手に余る負傷者が出ても今回はすぐに病院に搬送することができた。
そのためヴェーダは当たれば肩の骨が砕ける攻撃をミアの右肩目掛けて繰り出し、ヴェーダの攻撃は横から飛んで来たサヤの『ウロボロス』により中断させられた。
「さすがに体に受けるとまずいかな」
あらかじめヴェーダはシュウから『ウロボロス』の説明を受けていたので、自分に襲い掛かる血の蛇を慌てることなく大剣で斬り払った。
サヤが『ウロボロス』に注いでいる以上の魔力の込もった攻撃を受けた結果、『ウロボロス』を構成する血液は次々と地面に飛び散り、その後『ウロボロス』は発動した側からヴェーダに斬り払われた。
今回のヴェーダとの戦いでサヤはシュウから『ウロボロス』を使う許可をもらっており、それと同時にどうせ『ウロボロス』は通用しないとも言われていた。
その時のサヤはシュウの発言を『ウロボロス』が転移によりリクとヴェーダに回避されるという意味だと考えていた。
しかしいざ訓練が始まるとサヤたちの相手はヴェーダだけで、リクは武器すら持たずにシュウの隣でサヤたちの訓練を見学していた。
今のサヤはさすがに隊長の名前と能力ぐらいは把握しているので、ヴェーダが一人で戦うということがどれだけのハンデかは理解していた。
そのためヴェーダに『ウロボロス』が通用しないというシュウの発言に対して正直半信半疑だったのだが、目の前で自分の創り出した血の蛇が次々と斬り払われていく様を見てサヤはシュウの発言の意味を嫌でも理解させられた。
今回の戦いでヴェーダは一度もリクのもとに転移しておらず、ミアとサヤの攻撃を全て正面から叩き潰していた。
サヤは先月Bランクの邪竜に負けて以来、その悔しさをバネに時間が許す限り訓練を積んできた。それにも関わらず自分の攻撃も能力もまるで通用しないヴェーダを見て、サヤはこれが隊長かと愕然した。
これ以上『ウロボロス』を使っても血液を無駄にするだけだとサヤは判断し、最後の勝負に出ることにした。
「ミアさん、『メリジューヌ』を使います!」
サヤのこの発言を受けてヴェーダに背後から斬りかかろうとしていたミアが動きを止めた。
サヤと戦いながらもミアへの警戒を怠っていなかったヴェーダは、ミアが自分たちから距離を取ったのを見てサヤの言った『メリジューヌ』という技が周囲に無差別に攻撃する技だと判断した。
シュウによるとサヤは能力の威力は高いがまだ制御が追い着いていないらしいので、ここは一度自分も距離を取ってサヤの限界が来るのを待つのが正解なのだろう。
しかし生意気に思われるかも知れないが、ヴェーダは今回後輩に胸を貸すつもりでここに来ている。
シュウからも戦闘時の細かい気配りは自分が教えるので単純に力で勝って欲しいと言われていた。
邪竜との戦いはもちろん隊の訓練から事務仕事までヴェーダはリク共々今も他の隊長たちに面倒を見てもらっている立場だ。
しかしいつまでもこのままではいけないとリクとヴェーダは常々話し合っていた。
自分は言葉や普段の行動で他人を導ける程立派な人間ではないが、それでも能力者としての強さぐらいは示そう。
こうしたヴェーダなりの隊長としての自負を胸にヴェーダは『メリジューヌ』を正面から受けることにした。
『メリジューヌ』は一言で言うとサヤが全身を血液に変えて敵に攻撃を仕掛ける技だ。
全身の血液化自体は以前からできていたが、全身を血液にした状態でも敵の位置を把握できるようになったのはつい最近で名前を決めたのもほんの数日前のことだった。
『メリジューヌ』発動中に敵の位置を感知できるといっても厳密には血液の気配を感知しているだけなので、味方と敵の両方が近くにいる時に『メリジューヌ』は使えない。
そのためミアはサヤとヴェーダに近づかず、自分の近くに人間が一人しかいないことを確認したサヤは自身を血液の波と化して容赦無く近くの血液の気配目掛けて襲い掛かった。
『ウロボロス』や『メリジューヌ』を構成している血液は例えるなら硫酸の様なものだ。
非能力者が受けたら血が触れた場所は跡形も無く消滅し、能力者でも未熟な者が受けたなら致命傷を負うだろう。
特に『メリジューヌ』はサヤが能力で内蔵している血液を全て使用しており、その量は二百リットルにも及ぶ。
それだけの量の血液が至近距離から意思を持って襲い掛かってくるのだから、いくら隊長といえども『メリジューヌ』の間合いに入ったら回避は困難だ。
実際ヴェーダも自分の目前で瞬時に展開された高さ三メートル、幅五メートルの血液の波を見て、リクのもとに転移する以外での回避は無理だと判断した。
おそらく魔力を込めた大剣で何度も斬ればヴェーダを覆うようにドーム状に展開された血液を斬り裂きサヤにダメージを与えられるだろうが、その間に自分も全身にかなりの傷を負うだろう。
そう考えたヴェーダは回避も迎撃も瞬時に諦め、全身の魔力を高めると『メリジューヌ』による血液の波を走って突き抜けた。
厚さ二メートルはあった血液の波を何とか突破したヴェーダは、体中に火傷の様な傷を負っていたがいずれも軽傷だった。
「嘘でしょ?あれ食らって無傷って……」
ミアはこれまで何度か訓練で『ウロボロス』を防ごうとしてみたが、一度も成功したことはなかった。そのため構成する血液の量が『ウロボロス』をはるかに上回る『メリジューヌ』をまともに受けてほとんど傷を負っていないヴェーダを見て、ミアは言葉を失った。
予想外の光景に衝撃を受けていたミアは隙だらけで、今ヴェーダが攻撃対象をミアに変更したらあっけなくやられていただろう。
しかし今のヴェーダにその余裕は無かった。
一見すると浅い傷しか無いように見えたヴェーダだったが、サヤの血液による傷は少し魔力の放出を緩めただけで痛みが強くなった。
おそらく魔力の放出を完全に止めたら、全身の傷口に残ったサヤの血液がヴェーダの体を侵食し始めるだろう。
そうなれば死にはしないにしても戦闘の続行は難しく、かといって魔力の全力放出をこのまま続けるのはきつい。
ミアとサヤには悪いがヴェーダは手早く勝負を決めることにした。
「すみません。本当はもう少し訓練を続けたかったんですけど、サヤさんの攻撃が思ったよりきつかったのでもう終わらせます」
そう二人に告げた後、ヴェーダはせめてもの情けで二秒程待ってから二人に攻撃を仕掛けた。
一方サヤの『メリジューヌ』とそれを正面から突破したヴェーダを見て、リクは驚愕のあまりため息をついていた。
「すごいですね、あの『メリジューヌ』とかいう技。『魔装』使えないと防げないんじゃないですか?」
全身に浅い傷を作りながらも『メリジューヌ』を突破し、その後も魔力の放出を止めないヴェーダを見てリクはヴェーダの現状を正しく理解していた。
リクとヴェーダは実力的には大差無いので、ヴェーダで無理なら自分でも『メリジューヌ』は防げないとリクは考えていた。
そんなリクの発言をシュウは肯定した。
「ああ、『メリジューヌ』だけじゃなくてあいつの技全体的に殺意高いからな。『魔装』使えない接近戦タイプだとよっぽど格上じゃないと勝てないだろうな」
能力で創った物体は先程からヴェーダが行っているように魔力を込めた物体で斬るなり殴るなりすれば比較的簡単に干渉や破壊が可能だ。
もちろん能力や魔力の運用方法の練度の違いによってその難易度は左右されるが、自分の能力の強さに振り回されている今のサヤでは格上の能力者に正攻法で攻略されては勝ち目は無かった。
「あいつも見栄張らないでよけりゃよかったのに」
「シュウさんなら『魔装』が使えなかったらどうしますか?」
無傷での勝利より隊長としての見栄を取ったヴェーダを見て苦笑していたシュウにリクは『メリジューヌ』の攻略法を尋ね、それに対してシュウは即答した。
「あのタイミングだとさっきヴェーダがやった以外の攻略法無いだろう。初見であれかわすのまず無理だろうし」
サヤと毎日一対一の訓練を行っているシュウだったが、そんなシュウでも『メリジューヌ』は今日見るのが初めてだった。
ヴェーダに訓練の相手をしてもらうということは三日前にミアとサヤに伝えていたので、おそらく切り札として取っていたのだろう。
訓練の相手がヴェーダだったからよかったが、『メリジューヌ』はとても訓練で使っていい技ではなかった。
リンドウやクオンが受けたら間違い無く死んでいた技を訓練で使ったサヤにシュウが呆れていた中、ヴェーダは決して『メリジューヌ』に捕まらないように戦いを運び、ヴェーダの大剣で二十回程斬り裂かれて血液を失ったサヤは『メリジューヌ』を発動できなくなった。
サヤが体を元に戻した直後の隙をヴェーダは見逃さず、サヤは大した抵抗もできずに意識を奪われた。




