セツナ
一方もうすぐ朝の九時になろうという頃、南の戦線にも緊張した空気が漂っていたが、南の戦線に漂っている空気はそれだけではなかった。
隊員たち、特に『パニッシュメント』の隊員が一人の男に殺意すら込もった視線を送っているのがその原因だったが、周囲の全ての人間から敵視されていた男、セツナは涼しい顔をしていた。
〈 セツナ(二十六) 討伐局隊長序列九位 能力:毒の生成 〉
「ったく、うぜぇな。久しぶりの外出だってのにどいつもこいつもうっとうしい。少し黙らせてやろうか」
そう言ってセツナが右手の先に毒を生成すると、セツナの横で待機していたアヤネが口を開いた。
「毎回言ってるけど邪竜との戦闘以外で能力使わないで。あんた自分の立場分かってるの?」
「ああ、分かってるぜ。目障りな奴が二人もいるせいで自由に遊べないかわいそうな男だろ?」
死刑囚が偉そうにと思いながらもアヤネはそれ以上何も言わなかった。
セツナはシュウ同様何を言ってものれんに腕押しだからだ。
自分の発言を聞き怒りの表情を見せたアヤネにセツナは笑顔で安心するように伝えた。
「安心しろよ。あいつと雷野郎が生きてる限りは俺も大人しくしてるさ。俺も死にたいわけじゃないからな」
セツナは仮にも隊長なので並の囚人よりは恵まれた生活環境を与えられているが、外部の情報は一切与えられていない。
また面会する者もいないためシュウの自分と互角の実力者が三人いるという発言も妖精女王の存在も知らなかった。
そのためセツナはシュウとコウガが死ぬ日を今か今かと待ちわびていた。
なおセツナを除く討伐局の隊長全員には独断でセツナを殺す権利が与えられており、このことはセツナにも伝えていた。
しかしセツナはシュウとコウガ以外の隊長など全く恐れておらず、コウガはセツナを殺すならシュウにやらせればいいという姿勢を崩していない。
そしてシュウは何故かセツナに好意的で、それを知っているセツナは自分が一線を越えない限りシュウが自分を殺すことはないと確信していた。
そのためシュウとコウガ以外の人間の発言などセツナはどこ吹く風で、現にセツナを恐れてクオンとアヴィスは自分の隊の近くにいた。
アヤネだってできることなら自分を殺しかけた上に数年前当時の自分の部下数十人を殺した男の近くになどいたくなかったが、さすがにセツナを野放しにはできない。
そのため無意味と分かってはいてもアヤネはセツナに対して形だけの見張りを行っていたのだが、もうすぐ邪竜が現れる時刻となったのでその必要も無くなった。
「そろそろ時間だから私はもう行くけど、わざとだろうがそうじゃなかろうがあんたの毒で隊員から死人が出たら、その時点であんたくびだから精々気をつけなさい」
「おいおい、そりゃ厳し過ぎるだろ。どっかの馬鹿が他の奴に押されて俺の毒に触ったらどうするんだよ?」
「その時はあんたがシュウに殺されて終わりよ。一応他の隊は中央から離れた場所で戦うからあんたさえ気をつければ問題無いはずよ」
セツナがシュウと互角といってもそれはシュウが楽には勝てないという意味で、シュウとコウガはどちらもセツナに高確率で勝つことができる。
そのため討伐局がセツナを殺すだけなら仕事の際の不手際を理由にするなどといった面倒な事をする必要は無く、アヤネはもちろん他の隊長も隊員の命をこんなことで失う気は無かった。
「じゃあ、私はもう行くわ。シュウに殺されないように精々がんばりなさい」
そう言ってアヤネが自分の隊のもとに向かった直後、邪竜出現の兆しの渦が現れて北同様千体のCランクの邪竜が現れた。
「はー、めんどくせぇけどさすがに半分は殺しとかないとあいつがうるさいか」
セツナはシュウが他の隊長と違いセツナのことをそれ程嫌っていないことは知っていたが、シュウが殺人に対して抵抗が無いことも知っていた。
セツナが街に逃げ出すことになったのはセツナがシュウの知り合いの夫婦を殺したことがきっかけだったが、外周部にいた時のシュウは自分の身に危険が及ばない限りは他人が何をしようと関わろうとはしなかった。
それなのにセツナが気まぐれで殺した数人の中にたまたまシュウの知り合いがいたぐらいでセツナを殺そうとしたのだからセツナとしてはたまったものではなかった。
セツナは能力を使えるようになって以来ほとんど能力の訓練をしていない。
そのため数年前と今で強さは大して変わらず、数年前のシュウが相手ならセツナは確実に勝つことができた。
しかしあの時のシュウは命を捨ててでもセツナに一矢報いようとしていたため、セツナがシュウとまともに戦ったら負けないまでも眼や手足に一生ものの傷を負わされていただろう。
シュウの自殺に付き合う義理はセツナには無かったため当時のセツナは街へと逃げた。
そこでレイナに捕まったのは計算外だったがちょうどいい機会だったのでほとぼりを冷ますつもりだった。
その後シュウが討伐局の隊長になるなど予想できるはずも無く、その後気づいたらセツナはシュウと同僚になっていた。
セツナは死ぬのはもちろん痛い目に遭うのも嫌で、能力に目覚めて以来ただの一度も他者の攻撃を受けたことが無い。
そのため当時のシュウと戦わなかったことを後悔はしていないが、それでもセツナは今の自分の状況が詰んでいることにも気づいていた。
仮にシュウとコウガが負けるような邪竜が現れたとしても、その場合その邪竜は二人を殺した後アイギスを襲うだろう。
そうなればセツナが殺人を楽しむどころではなく、かといってセツナが楽に倒せる程度の邪竜ではシュウとコウガを倒すことができない。
そう考えるといずれ自由の身になるために危ない橋を渡る必要があり、現実的にはシュウとコウガのどちらかが死んでから行動すべきだとセツナは考えていた。
それまではしゃくだがアヤネの言う通り大人しくこき使われているしかない。
そんなことを考えながらセツナは体中から紫色の気体状の毒を放出し、自分目掛けて突撃してくる邪竜の群れに浴びせた。
セツナが生成した毒は見た目は気体だったが完全にセツナに制御されており、一切拡散することなく邪竜の群れに命中した。
セツナの毒ガスに触れた邪竜たちは悲鳴と共に次々に消滅していき、それを見たセツナはつまらなそうにつぶやいた。
「あー、邪竜の悲鳴とか聞いても全然そそらねぇ。早く気軽に人間殺せるようにならねぇかな」
そう言ってセツナは邪竜を作業の様に淡々と処理していき、その場から動くどころか手もほとんど動かさずに五百体以上の邪竜を倒した。
「何度見てもすごい」
「ふん。あれぐらいできなきゃとっくの昔に死刑になってるわよ」
セツナの毒で邪竜たちが次々にやられていくのを見て思わず出たクオンのつぶやきを聞き、アヤネはおもしろくなさそうにしていた。
そんなアヤネを見て何とかフォローしようとしたクオンだったが何と言うべきか思い浮かばず、実際に口にしたのは別のことだった。
「ねぇ、今さらだけど私来る必要あった?」
セツナの最初の攻撃でCランクの邪竜が二百体は消え、その後も『プロメテウス』、『パニッシュメント』、『オーダー』に加えてアヴィスの召還した小型の邪竜もどきで作った戦線で邪竜の群れは完全に抑えられていた。
こうした現状を見ると戦線構築に必要な『プロメテウス』はともかく自分は必要無かったのではとクオンは思った。
このクオンの発言を聞き、アヤネは裏拳で邪竜の頭を吹き飛ばしながらため息をついた。
「まあ、邪竜たちが思ったより散らばらなかったから今回はぶっちゃけあんたいなくても何とかなったわね。でも隊は出撃してるのに隊長が出ないなんて許されるわけないでしょ?やる気出せとは言わないけど、隊員たちの手前やる気あるってアピールぐらいはしてよ」
「…しかたないか」
ただでさえ自分が隊の訓練を行わないため副官のローグに苦労させているのだから隊の士気高揚ぐらいはしておこう。
そう考えたクオンは邪竜たちの群れの上空に向かうと、邪竜の群れに光線の雨を降らせた。
練度の低いクオンの光線でもCランクの邪竜が相手なら十分な威力を持ち、クオンの眼下で邪竜たちは次々に数を減らしていった。
これなら邪竜が討伐局側の戦線を抜けてアイギスに向かった時に備えてクオンが入れてきた障壁の能力の出番は無さそうだった。
その後も隊長及び隊員たちの奮戦もあり、南の戦線の邪竜はわずか数分で全滅した。
後はこのまま何事も起きなければいいのだがと会議の時のシュウの発言を思い出しながら隊長たちは思っていたのだが、残念ながら隊長たちの望みは叶わなかった。
邪竜の群れがいた場所から紫色の気体が発生したからだ。
「ちょっと!何のつもり?」
セツナの作り出す毒と全く同じものが地面から発生したのを見て、アヤネはすぐにセツナに鋭い視線を向けた。
しかし当のセツナには全く心当たりが無く、慌ててアヤネの疑いを否定した。
「知らねぇよ!そもそもどうやって地面から毒出すっていうんだ?」
「あんたならそれぐらいできたって、」
「アヤネ!」
自分の質問に白を切るセツナを見て更に問い詰めようとしていたアヤネにクオンから通信が入った。
「何?」
「毒が上に集まっていく!」
クオンからの通信に若干不機嫌そうな声で返事をしながらアヤネがクオンの声を聞いて上空に視線を向けると、確かに地面から沸き上がった毒が上空に集まり球体になっていた。
「何が起こるか分からないからとりあえず隊長以外は下がって!」
突然の事態に困惑しながらもアヤネがこの場にいる隊員たち全員に後退の指示を出す中、毒が寄り集まりできた球体が急に動き出した。
球体はこの場にいる人間を襲うことなくアイギスの西を目指し始め、それを見たアヤネはすぐにセツナに指示を出した。
「私は先にあれを追うからあんたは車で後から来て!」
討伐局の人間が邪竜と戦う際は戦闘内容の記録と隊長や隊員が邪竜に負けた場合の連絡要員を兼ねた人間が後ろにおり、彼らは車に乗って移動をしていた。
セツナは今のシュウ、コウガ以下他の隊長以上という強さを維持させるために隊服以外の装備を一切与えられていない。
そのためセツナは『飛燕』の使用訓練をしたことがなく、それどころか存在を知っているかすら怪しかった。
セツナに指示を出した後、アヤネはすぐにリクとヴェーダに連絡を取り、その後自身も西に向かおうとしたのだがそこにセツナが声をかけてきた。
「おい、同僚疑ったんだぜ。謝るぐらいしたらどうだ?」
「ふん。あんたのこと同僚だなんて思ったこと一度も無いわ。嫌なら来なくてもいいわよ。後でシュウに言うだけだから」
それだけ言うとアヤネは『時間加速』を使いすぐにこの場を後にした。
アヤネがいなくなり残されたクオンとアヴィス、及び隊員はセツナを遠巻きに見ていたが、怯えるだけで誰一人動けずにいた。
ここでこの場にいる人間を殺す程セツナも短絡的ではない。
「はー、しかたねぇ。真面目にお仕事しますか。おい、誰でもいいから後ろにいる奴に車ここまで持って来いって連絡入れろ」
一応セツナにも通信機は渡されていたのだが、出撃する機会自体が滅多に無いセツナは個人に通信を繋ぐ方法が分からなかった。
そのためセツナは周囲の人間に連絡要員への連絡を頼み、その後連絡要員が乗って来た車でアヤネの後を追った。




