ネスト
途中で思わぬトラブルがあったものの、ミアとサヤは予定通りテュールの経営している喫茶店、ネストに辿り着いた。
そして二人が店に入ろうとした時、突然サヤが足を止めた。
「どうしたんですか。サヤさん?」
「……何でもないです」
ミアの問いかけにサヤは短く返事をするとそのまま店へと入った。
サヤの言動をミアは不思議に思ったが、サヤに説明する気が無いことを察するとそのまま店へと入った。
「いらっしゃいませー」
女の店員の声に迎えられたミアとサヤの目に飛び込んで来たのは十人も座れば満席になりそうなこじんまりとした店内の様子だった。
店内には二人しか客がおらず、現在の時刻が昼の二時であることを考えるとお世辞にも盛況とは言えない客の入り具合だった。
実際二十代半ばぐらいの男と少女二人の計三人いる店員たちも備品のチェックや掃除をしており、ミアの見た印象では暇そうにしていた。
こんな店に新しく人を雇う余裕などあるのだろうかと心配しているミアの隣でサヤは無言で店の奥に視線を向けていた。
そうして二人がしばらく店内の様子を見ていると、カウンターにいた男が二人に声をかけてきた。
「もしかしてシュウさんから紹介受けた人ですか?だったらテュールさんは二階にいるからどうぞ」
「はい。ありがとうございます」
男の発言を聞いても無言だったサヤに代わってミアが返事をし、そのままサヤは男に勧められるがまま店の二階へと上がっていった。
ミアもさすがに面接にまで同席する気は無かったので、サヤを見送るとカウンター席に座りメニューを手に取った。
「うわっ、すごい。牛乳使った飲み物がある」
メニューに目を通してすぐにミアは驚きの声をあげた。
現在のアイギスでは牛乳は貴重品で、大抵はチーズやヨーグルトといった加工食品となって店頭や食卓には出回る。
そのため言っては悪いがこんな小さな店が牛乳を使った飲み物を提供していることにミアは驚き、そんなミアの様子を見て男の店員が話しかけてきた。
「うちの店はシュウさんが出資した店で、シュウさんが出した出資の条件がいつでもカフェオレを用意しておくことだったんです。だからうちの店では無理してでも牛乳は仕入れないといけないんですよ」
「オーナーだからって無茶苦茶言いますね」
値段もさることながら量そのものが少ないため、牛乳を継続して仕入れるなど大手のチェーン店でもない限り難しいだろう。
自分の隊以外でも好き勝手に振る舞っているのかとシュウに呆れてしまったミアだったが、男はそんなミアを見て苦笑した。
「そうですね。シュウさんは多くても週に二回程しか顔を出しませんし、店のことはテュールさんに任せっきりです。正直名前だけ貸してるって感じですけど、でもこの店が無かったら私は今頃野垂れ死んでたか刑務所にいたでしょうからシュウさんには感謝してます」
「どういうことですか?」
店の話をしていたはずなのに何やら物騒なことを口にし出した男を前にミアは思わず疑問を口にした。
「そのままの意味です。この店の店員は全員外周部の出身なんですが、要するに仕事先が見つからなかった人間なんです」
外周部の住人はそのほとんどが戸籍を持たず、そのため街で職を探そうとしても苦労する。
一応外周部の者も希望すれば戸籍は所得できるのだが、長年外周部を冷遇してきた政治家たちが外周部の人間に投票権を与えるのを嫌がっている影響もありその審査は大変厳しい。
討伐局に入れば外周部の人間も簡単に戸籍を取れるが、その場合最低二年は討伐局に在籍しなくてはならないためこの方法を選ぶ者はそれ程多くなかった。
外周部の人間に与えられる戸籍の総数すら年間の上限が法律で決まっており、外周部の人間は読み書きや四則計算すらできない者が多いのであらゆる面において就職では不利だった。
そうした人間を一人でも多く救おうとシュウが始めたのがこの店で、この店の店員はこの店で働きながら勉強をして別の就職先が見つかったらすぐにこの店を辞める。
一見店員たちの行いは薄情に見えるが、シュウやテュールが自分たちに少しでも感謝しているなら一日でも早くこの店を辞めれるように努力してくれと常々言っているため店員たちは仕事の合間を縫い昼夜を問わず勉強に励んでいた。
こうした男の説明を聞き、ミアは意外そうな顔をした。
「へー、シュウ隊長そんなことしてたんですね」
最強の戦闘狂というのがミアがシュウに抱いていた印象だったので、男から聞いた話はミアにとって驚きだった。
しかし続く男の説明を聞き、自分のシュウへの印象がそれ程間違ってはいなかったとミアは思い直した。
「といってもすぐに思ったより面倒だからと言って、どこからか連れて来たテュールさんにこの店任せちゃいましたけどね。テュールさんは他にも似た様な店いくつか経営してますから、本当にすごい人ですけど」
「そうですね。あんまり新聞とかニュース見ない私でもテュールさんのことは知ってましたし、優しくて強くて実際に人助けまでしてるなんてちょっと勝てませんね」
「はい。テュールさんみたいな人がいると世の中も捨てたもんじゃないって思わされますよ」
こう聞いてますますテュールに会いたくなったミアだったが、まさか今からサヤの面接に顔を出すわけにもいかない。
面接が終わったらサヤと一緒にテュールが出てこないかなとミアが思っていると男が注文を聞いてきた。
メニューを改めて見たミアはせっかくだからとカフェオレを注文し、その後男がカフェオレを作り始めるとサヤが入って行った二階へと視線を向けた。
一方店の二階に上がったサヤは奥から聞こえる声に従いテュールの部屋の前まで行き、扉の向こうから伝わってくる気配に改めて意識を向けて表情を硬くした。
店の近くに来た時から感じていた気配を確認したサヤは、まさかこんなところでという気持ちを抱きながら部屋へと入った。
サヤが部屋に入るとテュールは机に座り本を読んでいた。
室内に入ったサヤが室内を見渡すと壁際に置かれた本棚には畜産に経営、教育など様々な分野の本が並んでおり、それらに混ざって絵本や楽譜なども並べられていた。
部屋自体は整理が行き届いているものの家具は今テュールが座っている机の他には来客用らしき机、本棚、それに冷蔵庫しかなく、私物を一切買っていないサヤの寮の部屋より生活感が無かった。
部屋に入った後しばらく立ち尽くしたままになっていたサヤにテュールが声をかけてきた。
「初めまして。テュールといいます」
テュールのあいさつを聞き、ようやく我に返ったサヤはぎこちないながらも初対面のテュールに返事をしてから部屋に入った。
この時テュールがサヤに探る様な視線を向けていたことにサヤは気づいていなかった。
「どうぞ、座って下さい」
テュールに勧められるがままサヤが席に着くと、テュールは自分とサヤの分のカフェオレを用意してから席に着いた。
「シュウさんから話は聞いています。この店で働きたいそうですけど、その前に一つ質問があります」
「何ですか?」
「ここに来る途中何かあったんですか?あなたから血の臭いがするんですけど」
テュールの指摘を受けてサヤは驚いた。
先程のアヤネとの戦闘で使用した血は全て体内に取り込んだため、今のサヤから血の臭いなどするはずがないからだ。
しかし驚くと同時に納得もしてサヤはテュールに質問を返した。
「今の私から血の臭いがするわけがありませんけど、確かにここに来る途中で血を流しました。それに気づくということはあなたもそういう能力を持っているんですか?」
別に能力でサヤから漂う血の臭いに気づいたわけではなかったため、サヤの質問を受けてテュールは数秒考えこんだ後口を開いた。
「あなたの能力はシュウさんから聞いていますが、あいにく私の能力は見た相手の動きを封じるという能力です。こんな風に」
テュールがそう言った直後、サヤは体と手足が圧迫されるのを感じ、その後何とか動こうとしたが立ち上がることすらできなかった。
その後すぐにテュールはサヤを解放すると話を続けた。
「手荒なことをしてすみません。とにかくそういうわけで私は別に能力で血の臭いに気づいたわけではありません。私も子供の頃は色々あったんで、単純に血の臭いには敏感になっているだけです。で、どうして能力を使うことになったんですか?」
テュールが自分と全く違う能力を持っていたことを知り、サヤはしばらく考え込んだ後で先程のアヤネとのやり取りの一部始終をテュールに伝えた。
サヤの説明を聞いたテュールは数秒絶句したもののすぐに気を取り直して口を開いた。
「うちの店で働きたいなら少なくとも仕事中は能力を使わないで下さい。討伐局にいる時と同じ様な気持ちで働かれても困ります」
「能力で身体能力を上げるのは大丈夫ですか?」
テュールは自分の言いたいことがサヤに伝わっていないことを察し、簡単な指示だけを出すことにした。
「分かりました。能力も身体強化も好きにして下さい。しかし誰かに攻撃する時は必ず先に相手に手を出させて下さい。分かりましたか?」
「分かりました」
嫌がらせが多発した開店当初程ではないが、今もネストに来る客の中には粗暴な者が少なくない。
そう言った客を相手にした場合、サヤでは丁寧な対応はできないだろうと判断し、テュールは大雑把な指示だけを出すことにした。
いざとなったらシュウの出番だ。
そう考えながらテュールは話を進めた。
「どれぐらい稼ぎたいなどの希望はありますか?うちの店は一年以内で辞める人が多く、できればあなたにもそうして欲しいと思っています。だからもし長期的に稼ぎたいなら別の店を紹介しますけど、どうしますか?」
仕事の面接に来ていきなり別の仕事を紹介すると言われたら大抵の人間は戸惑うだろう。
しかし今回はサヤの常識の無さがいい方向に働き、サヤは戸惑うことなく純粋に何故長期で働けないのかをテュールに尋ねた。
そんなサヤの質問に対してテュールは一階で男がミアにしたのと同様の説明をした。
テュールの説明を聞いたサヤはしばらく考えてから問題無いと返事をした。
「一月にはまた給料が出るらしいのでそれまで働ければ問題無いです」
「そうですか。だったらこっちも問題無いです。失礼なことを聞きますけど、あなたは読み書きや計算ができますか?難しい書類を書いてもらう必要は無いですけど、それでもこの程度はすらすら読めないと困ります」
そう言うとテュールは立ち上がり、本棚から絵本を二冊取り出してサヤに手渡した。
「これは今度私が経営している孤児院の子供たちに持っていこうと思っていたものです。どうですか?」
テュールに渡された絵本にしばらく目を通した後、サヤは気まずそうに口を開いた。
「……すみません。何とか読めますけどすらすらは無理です」
「分かりました。だったら初めの内は週に二回程働いてもらって、後の時間は夕方から街でやっている講習を受けて下さい。一ヶ月本気でやればうちの店で働ける程度にはなると思いますから、そうなったら働く時間を増やしたいと思います」
アイギスでは二年前から有志者が出資し、外周部出身者向けの講習を開いていた。
この講習は毎日朝と夕方の二回行われており、教えていることは本当に最低限の読み書きと計算だけだが毎日多くの者が受講していた。
「講習を受け終わったら週に四日か五日働いてもらうつもりですけど大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です。すぐに働けるようになってみせます」
シュウに紹介されたのだからきちんと働いてみせなくてはと意気込み緊張していたサヤを見て、テュールはそんなに緊張しないようにとサヤに声をかけた。
「この店は正直な話利益を出そうと思ってやってるわけではありませんからそんなに気負わなくても大丈夫ですよ。やる気さえあれば問題ありませんし、何かあってもシュウさんに弁償してもらいますから」
そう言って笑顔を向けてきたテュールを前にサヤは意を決してある質問をすることにした。
「一つ質問があります」
「はい。何でしょうか?」
「あなたの家族が生きていたら会いたいですか?」
これまでの会話の流れからは完全に外れた質問に一瞬戸惑ったものの、テュールはすぐにサヤに質問の意図を尋ねた。
「ずいぶん唐突な質問ですけどどうしてそんなことを聞くんですか?」
「私の能力は血を操る能力で、その能力を使えばあなたの家族を見つけられるかも知れません」
この発言を受けてテュールはしばらく考え込み、探る様な視線をサヤに向けた後でサヤがある勘違いをしているのだと気づいた。




