隊長会議
五月六日(水)
週に一度の『フェンリル』の隊員たちへの指導を終えたシュウは、そのまま本部四階の会議室へと向かった。
ほとんどの隊長が朝八時から二時間程を修行の時間にあてるため、会議の開始は十一時となっていた。
シュウが会議室の前に着くと、部屋の前に一人の男が立っていた。
顔立ちは悪くないのだが眼つきの悪さが全てを台無しにしているこの男は、序列五位の隊長コウガだ。
〈 コウガ(二十二) 討伐局隊長序列五位 能力:雷の操作 〉
「こんなところで何やってんだ?もうすぐ会議だろ?」
シュウの当然の質問にコウガはいつも通りの愛想の無い口調で答えた。
「昨日俺の部下が迷惑をかけた件を謝っておこうと思ってな。隊長四人から苦情が来て驚いたぞ。当の馬鹿共は即追放処分にしてやったがな」
「お前ならそうすると思ったよ」
アヤネからも苦情が入ったことは予想できたことなので、シュウはそれについては何も言わなかった。
各隊の隊員の人事権はそれぞれの隊長が握っており、追放というのは隊長が隊員に下せる一番重い処分だった。
単に解雇なら他の隊に移ることもできるが、追放処分を受けると今後機構の全ての局で働けなくなる。
コウガはシュウとは別の意味で仕事への熱意が無い。
本当に最低限の仕事しかせず、他の隊長との間に問題を起こした部下をかばうなどといった面倒な仕事をコウガがするわけがなかったので今回の処分は当然と言えた。
Bランクとの戦い程度では死ぬ恐れの無いそこそこ腕が立つ能力者にとって、討伐局の仕事はかなりおいしい仕事だ。
そのため追放処分を受けた討伐局局員が前よりいい条件の仕事を見つけることはかなり難しかった。
もっともあんな酔っ払い二人がどうなろうとシュウの知ったことではない。
その件については割とどうでもよかったので、シュウは一つだけ念を押しておくことにした。
「俺はともかくリクとヴェーダにはちゃんと謝っとけよ」
シュウは昨日の件を気にしていなかったが、あの二人、特にヴェーダはショックを受けていた。
そのためコウガに念を押したのだが、それは余計な心配だった。
「分かっている。他の三人には謝った。お前が最後だ」
「そうか。じゃあ、あんな馬鹿共のことは忘れて会議始めようぜ」
「何を偉そうに。お前が最後だ」
二人が部屋に入ると、コウガの言う通り任務の時以外は収監されているセツナ以外の全隊長がそろっていた。
シュウとコウガがそれぞれの席に着くと会議が始まり、最初に事務局から報告が行われた。
「以前から検討中だった討伐局の隊員の増員の件ですが、予算と人員の目途が立ったため来月から増員が可能です。最大で二百五十人まで増員が可能なので、増員を希望する場合は事務局に申請して下さい」
近年は邪竜の出現する頻度、量共に増加傾向にあり、それに対抗するためシンラの主導で隊員の増員が進められていた。
現在の討伐局の各隊の隊員数の上限は二百人で、隊を率いていないシンラとセツナ、そして隊長就任以来一度も欠員の補充をしていないシュウ以外の隊長たちは、全員が上限まで隊員の補充を行っていた。
おそらく今回もほとんどの隊が上限いっぱいまで隊員を補充するだろう。
「ところで今回、シュウ隊長は隊員の補充をしますか?」
会議用の口調でレイナに尋ねられ、シュウは少し考え込んだ。
レイナのこの質問は今の『フェンリル』の隊員数が六十八人とあまりにも少ないため行われたものだった。
シュウが隊長として初めて隊を率いて戦った際、二十六人の隊員が殉職したのだが、その時シュウは新しい隊員を補充しなかった。
それどころか残った隊員たちの前で自分はこれからも隊員の補充をする気は無いから、死にたくなければ他の隊に移った方がいいとまで言い放った。
このシュウの発言を受けて百人以上の隊員が『フェンリル』を辞め、その後残った隊員を率いてシュウは戦うことになった。
多くの隊員が辞めた直後にはシュウの隊長としての資質に疑問の声もあがったが、その後半年で六十八人となった『フェンリル』の隊員を率いてシュウは他の隊長に引けを取らない戦果を挙げていた。
そのため『フェンリル』は討伐局最強の部隊と呼ばれている。
もしシュウが人員の補充を望んだ場合、最大で他の隊の四倍近い人員を用意しなくてはならなくなる。
レイナの確認は当然のものだった。
レイナの質問を受けてしばらく考えていたシュウだったが、ようやく考えがまとまったらしく口を開いた。
「二十人、いや四十人か。半分は辞めるだろうし。四十人で頼む。そろそろあいつらをAランクとも戦わせようと思ってたんでちょうどよかった。細かいことはお前とリンシャに任せるからいいようにしてくれ」
シュウのこの発言を聞き、レイナはすぐに返事ができなかった。
Aランク以上の邪竜を倒すのは基本的に隊長の仕事だ。
もちろん異なるランクの邪竜の群れを相手にすることも多いので常にそれを実現できているわけではなかったが、シュウは意図的に一般隊員とAランクの邪竜を戦わせようというのだ。
レイナが言葉を失うのも当然で、実際他の隊長たちも驚きや呆れの表情を浮かべていた。
しかし人員の補充自体は断る理由が無かったので、レイナはシュウの要望を了承して次の議題に移った。
「これはもう聞いている人もいるかも知れませんが、新しい隊長が内定しました。クオン隊長の推薦ですでに試験も終了しています。来月の初めには就任しますので、みなさんお力添えの方をお願いします」
レイナのこの報告についてはやはりみんな知っていたのだろう。
驚く者もおらずそのまま話は進んだ。
その後いくつかレイナからの報告が行われ、次に治安維持局からの報告の番になった。
若干緊張した様子のリクが資料を読み上げた。
「ここ数年邪竜による街への被害が無く、そのため外周部への企業の進出、開発が進んでいます。これ自体は歓迎すべきことなのですが、これに伴い外周部の人と街の人たちの間でトラブルが増えています。死傷者も出ていて警察だけでは対応できなくなっていて、行政府から正式に支援要請が来ました。そこで『パニッシュメント』と『リブラ』以外の隊からも週に五十人の見回りを出してもらえないでしょうか?」
『リブラ』というのはリクとヴェーダが率いる部隊の名前で、アヤネ率いる『パニッシュメント』共々、すでにアイギス全体の見回りに駆り出されていた。
そこで他の隊の手を借りたいということなのだろうが、即座にコウガが難色を示した。
「どうして他の隊まで人を出さないといけない?治安維持任務をしている代わりに邪竜との戦いは少なめになっているんだ。治安維持局だけで何とかするべきだろう」
仕事が増えるのを露骨に嫌がるコウガを相手にリクは何とか説得を試みた。
「コウガさんのおっしゃる通りですけど、現時点ですでに人手が足りない状況で…」
「それなら警察に人を出さればいい。こっちが下手に出るとあいつらはすぐに調子に乗るぞ」
そう言ってリクをにらむコウガとそれを受けて委縮するリク。そしてそんなリクを心配そうに見ているヴェーダを見かねたのか、今まで説明を治安維持局では部下にあたるリクに任せていたアヤネが助け舟を出した。
「確かにあんたの言う通り、私たちは邪竜との戦いを免除されることが多いわ。でもだんだん割に合わなくなってるのよね。最近は隊長クラスの能力者相手にすることも多くなってるし。仕事が増えるのが嫌なんだろうけどこっちはすでに仕事が増えてるのよ。何だったらあんたらが街の見回りする?邪竜と人両方の相手してるこっちの身にもなってよ」
「だから警察に任せろと、」
「馬鹿言わないでよ。警察に能力者の相手なんて任せたらいくら死人が出るか分かったもんじゃないわ」
腕に覚えがある能力者はほとんどが討伐局に入るため、警察は非能力者の割合が高い。
その上所属している能力者の強さも高いとは言えないので、能力者を相手取る際に警察はあまりあてにはならなかった。
その後も徐々に口調を荒くしながらコウガとアヤネが口論を続ける中、うんざりした様子でシュウが口を開いた。
「いいじゃねぇか。人ぐらい出してやれよ。別にお前にやれって言ってるわけじゃねぇんだからよ。どっかの誰かが部下の管理もできてないから治安維持局も大変なんだろうよ」
昨日のことを引き合いに出されたコウガは、忌々し気な顔をしながらも渋々引き下がった。
その後誰からも反対意見は出なかったため治安維持局の要請は受理され、次に討伐局の番になった。
しかし隊長会議で討伐局からの提案が出ることはほとんどなかった。
一応序列一位の隊長が局長を務めることになってはいるが、討伐局が局扱いされているのは形式的なもので実際は各隊が独自に動いているからだ。
そのため特に何も無いということで研究局の報告に移るだろうと誰もが思っていたのだが、今日はそうはならなかった。
「個人的なことで申し訳ないのですが、明日私の孫が討伐局に入ります」
このシンラの発言を受け、室内の隊長たちの何人かが驚きの表情を浮かべた。
そんな隊長たちが落ち着くのを待ってからシンラは話を続けた。
「多少ひいき目が入っているかも知れませんが、ゆくゆくは隊長になれる逸材だと思っています。『フェンリル』に配属されることになっているのでよろしくお願いします」
「は?俺何も聞いてないんだけど」
突然の話に困惑するシュウを見て、シンラの方も困惑していた。
「月曜にそれを知らせる書類が届いているはずなのですが…」
「ああ、なるほど」
シュウは隊の書類には一切目を通さないので、リンシャから報告が無ければ新人が配属されることなど知るはずがない。
報告ぐらいしろと思わなくもなかったが、事務仕事をリンシャに丸投げしている自分が言えたことではないと思い直してシュウは話を続けた。
ちなみに隊長が申請していないのに新しい隊員が補充されることは、討伐局の規則上あり得ない。
シュウ以外の全隊長がこの人事はシンラが独断でねじ込んだものだと理解したが、それについては全員が何も言わなかった。