街での騒ぎ
シュウと別れた後、いくつか業務を終わらせたシンラは妻ともう一人が待つ自宅へと帰った。
シンラが自宅に帰りしばらくしてシンラの部屋の扉がノックされた。
シンラが入室を許可すると一人の少女がシンラの部屋に入ってきた。
「引っ越しは終わりましたか?もし足りないものがあればキキョウさんに頼めば用意してもらえると思います」
妻の名を出して現状を確認したシンラに対し、シンラの孫娘、ミアは端的に答えた。
「もう準備は終わって後は正式な配属を待つだけです。私はどこに配属されることになるんでしょうか?」
会話もそこそこに質問をしてきたミアの態度を嘆きつつ、シンラはミアの質問に答えた。
「正式な決定はあさって以降になりますが、シュウさんの『フェンリル』に配属されることになると思います」
「そうですか」
感情を押し殺した様なミアの声に不安を感じたシンラはここ数日何度も口にしたことをミアに伝えた。
「ミアさん、あなたが討伐局に入ること自体は私の立場では反対できません。しかしあなたの目的がシュウさんへの復讐なら止めて下さい。その様な理由で討伐局に入るべきではありませんし、何よりシュウさんは私やあなたに恨まれるようなことは一切していません。私のけがの件でシュウさんを恨むのは筋違いです」
「そんなことありません!」
室内にミアの声が響いた。
「あの時あの男がしっかり隊長としての仕事をしていればおじい様はそんな体にならずにすんだはずです!おじい様をこんな目に遭わせておきながら今ものうのうと隊長をしてるなんて…」
怒りに声を震わせるミアにシンラは何も言うことができなかった。
シンラが車いす生活を送るようになった原因、そしてシュウが討伐局に入るきっかけになった事件。三年前のとあるSランクの邪竜の襲来の際の誤解がミアの怒りの原因だった。
シンラがここで真相を説明すればミアの怒りはすぐに収まるだろう。
しかしそれができない理由があった。
シュウの隊長就任の経緯は異例尽くしで、詳細を知る者は討伐局内でも限られており口外も禁止されていた。
そのためシンラはミアを説得できずにいた。
今も怒りが収まらない様子のミアを前にどうしたものかと悩んでいたシンラに当のミアが力強く宣言をした。
「あんな男でもアイギスに必要なことは分かっています。ですから私があの男を隊長の座から引きずり降ろしてその穴を埋めて見せます」
それだけ言って部屋を去っていくミアをシンラは黙って見送るしかなかった。
シュウは序列の低さが原因で討伐局の実情を知らない者からは軽視される傾向にあり、ミアもそのせいでシュウの実力を低く見ているのだろう。
またシュウが隊長就任時に決めた『隊長特権』がシュウへの誤解に拍車をかけていた。
隊長特権というのは就任自体が貧乏くじの隊長のために用意された特権で、隊長就任時に一つ望みを叶えることができる。
隊長特権を使えば法外な願いすら叶えられるが、そこまで法外な隊長特権を決める者はまれだ。
シュウの場合は『戦闘以外の仕事はしなくて良い』という内容の隊長特権を決めて隊長に就任した。
この隊長特権の内容のせいでシュウは粗暴だというイメージが世間に定着してしまい、他にもあるいくつかの要因からシュウの外部からの評価は不当に低いものになっていた。
シンラとしてもシュウの外部からの評価はどうしようもなく、またシュウ本人が特に気にしていない様子だったのでこれに関しては大きく動くつもりは無かった。
それより今の問題はミアだった。
命の恩人のシュウに恩を返すどころか迷惑をかける予定なのに、ここにきてミアの一件だ。
シンラの気は滅入るばかりだった。
シンラの部屋を出た後、ミアは明日の予定を考えていた。
シュウを打ち負かすのはあさってに回すつもりだったが、明日を無為に過ごすつもりは無かった。
明日シュウは休日のはずでおそらく外出をするはずだ。
明日もシュウを少しばかり尾行し、問題行為を起こす様ならその場で捕まえてやろう。
小さな頃から自分に能力者としての指導をしてくれ、あこがれの存在だった祖父をあんな目に遭わせたシュウを許す気は無い。
いくら隊長といっても、自分より後から隊長になった後輩に序列を抜かれる様な男だ。
ミアは子どもの頃から討伐局に入るつもりで鍛えており、シンラに時間ができた時はシンラから直々に指導を受けていた。
そのため強さには現時点でそれなりの自信がある。
自分の隊の管理すらまともにできない男に負けるはずがない。
あさってが楽しみだ。
そう考えながらミアは自分の部屋へと戻った。
五月五日(火)
シュウはこの日、街へと出ていた。
討伐局の隊長は週に二人までが一日休みを取ることになっており、今週はシュウとシンラが休む週になっていた。
この制度では隊長たちは二ヶ月に一度しか正式な休みを取れないが、隊長は邪竜が現れない日はほとんどすることがない。
言ってしまえば、毎日が休みの様なものだった。
それに隊長が頼めば大抵の物やサービスは自宅に取り寄せることができる。そのため今のところこの制度を変えようという声は隊長たちの中からは出てこなかった。
シュウはいつもなら休日は自分の修行や他の隊長と遊ぶことに使う。しかし今日は確かめたいことがあったので外出することにした。
外出届を出すためにシュウが事務局に行くと、同僚からシュウの相手を押し付けられている中年の女性がシュウを出迎えた。
「シュウ隊長、今日はお出かけですか?」
「ああ、ちょっと野暮用でな。まあ、外れる可能性もあるけど」
「また何か危ないことをされるんですか?」
「俺のこと何だと思ってるんだ?俺から何かする気はねぇよ」
心配そうに質問してきた女性を見て、シュウは思わず苦笑した。
アイギスには治安が悪い場所も多く、シュウはそこで何度も犯罪者相手に大立ち回りをしていた。
女性の質問はそれを踏まえてのもので、実際周りの事務局局員たちも視線こそ向けないもののほとんどの者がシュウと女性の話に聞き耳を立てていた。
そんな中、女性がシュウに謝罪した。
「すみません。失礼なことを言ってしまって…」
そう言って頭を下げた女性に対し、シュウは気にするなと言いながら近くの書類に手を伸ばした。
「場合によっては新聞沙汰になるかもしれねぇしな。まあ、その時は電話対応がんばってくれ」
いつの時代にもクレームの電話を入れるのが趣味という人間は一定数いるので、シュウが街で何かすれば事務局局員がその対応に追われる。
といっても非通知の電話は機構の事務局にはそもそも繋がらない上に、機構へのいたずら電話は即実刑もあり得る。
そのため事務局の電話がクレームで鳴り響くという状況はかなり考えにくかった。
シュウもそれは知っていたのでシュウの発言は半分以上冗談だった。
「私たちはそれが仕事ですから…。どうかお気をつけて」
「心配してくれてありがとよ」
シュウは女性の発言に適当に返事をすると、外出届を出して玄関へと向かった。
今は午前の十一時を少し過ぎた頃で、一階には出入りの業者や市民の姿が見られた。
機構の一階にどうして市民の姿があるかというと、事務局が民間の企業と機構の能力者の仲介を行っているからだ。
鉱山で怪力や重力操作が必要な場合や要人の護衛が必要でそれに適した能力者を探す場合、民間の紹介所に行くよりも機構の事務局の世話になったほうが話が早い。
そうしたわけで機構の本部の一階には民間人の姿が多く、今も受付近くの掲示板には最近正体不明の能力者がアイギス上空に出没しているという注意書きが貼ってあり、その横には磁力か金属操作の能力者募集中と書いた求人広告が貼られていた。
そうして人々が行き交う機構本部一階を出たシュウはこれからどうするかを考えた。
外出自体が目的なのでこれといった目的地は無かった。
治安の悪いアイギスの外周部に行ってもいいし、適当に店をはしごするのもいい。
どうしたものかと考えながらシュウが街を歩いていると、人の叫び声が聞こえてきた。
ちょうどよかったので、シュウは騒ぎのする方へと向かった。
「や、止めて下さい。何もしてない一般人に暴力を振るうのは規則違反ですよ!」
シュウが騒ぎの現場となっている飲食店に着くと、一人の少女と二人の男が向かい合って何やら口論となっている様子だった。
男二人の首元には討伐局の局員に配られる鉄製の識別表が見えた。
彼らの足下には店の従業員らしき女が座り込んでおり、周囲の野次馬の会話によると酔って従業員の女に絡んだ男たちを少女が止めに入ったらしい。
自分の同僚の少女がこの場をどう収めるかしばらく見守ることにしたシュウだったが、どうやら旗色はあまりよくない様だった。
「あれー、誰かと思ったら隊長殿じゃないですかー?お兄ちゃんいないのに無理しちゃって大丈夫なんですかー?」
男の一人が少女を小馬鹿にした口調で挑発し、もう一人もそれに追従した。
「そうそう、お兄ちゃんが来るまで待った方がいいんじゃないのー?」
相当泥酔している様子の男二人に少女は言い返すことができず、周囲の人間も討伐局局員同士の争いに首を突っ込むつもりはない様子だった。
そんな時、少女と男たちの間に突然一人の少年が姿を現し、男の一人を殴り飛ばした。
少女によく似たその少年は現れるなり男二人に視線を向けて声を荒げた。
「お望み通り二人そろってやったぞ!お前たち、ヴェーダに何するんだ!」
少女をかばう様に立った少年を見て、殴られた男が少年をにらみ返した。
「てめぇ、俺たちは『フェンリル』のメンバーだぞ!こんなことしてただですむと思ってるのか?」
『フェンリル』の名を出され、少年と少女の顔に困惑の表情が浮かんだ。
それを見た男たちが調子づく中、男たちに横から声がかかった。
「へぇ、誰の部下だって?」
突如として割り込んできた声に当事者四人が振り向き、乱入者の顔を見た少年と少女は安堵の表情を浮かべた。
一方の男たちは乱入者の正体が分かっていない様子で、従業員や少年たちに対するものと変わらない口調で恫喝した。
「ああ?何だてめぇは?引っ込んでろ!」
この男の発言を聞き、近くで男の発言を聞いていた少年と少女が顔をしかめた。
しかし二人の表情は気分を害したというよりは、男たちを心配している雰囲気さえあった。
そんな二人を横目に見ながらシュウは首元から隊長の証であるプラチナ製の識別表を取り出した。
「討伐局隊長序列九位シュウだ。もう一度聞くぞ。お前ら誰の部下だって?」
シュウの正体を知った男たちは酔いも引いた様子で、言葉を発することもできずに後ずさった。
そんな男たちにシュウは再度質問をした。
「あれ、聞こえなかったのか?お前らの所属は?十秒以内に識別票出せ。出せなきゃ討伐局の局員の名を騙った一般人として処理するぞ」
シュウにこう言われた男たちは渋々自分たちの識別票を取り出した。
それを取り上げたシュウは男たちの名前を確認した。
「ふーん。一応本物、『シールズ』、コウガの部下か。常に隊長数人がうろついてる街中で騒ぎ起こすとは馬鹿な奴ら」
シュウは取り上げた識別票をポケットにしまうと、男たちにこの場を立ち去るように告げた。
「もう用無いから帰っていいぞ。俺とリク、ヴェーダの連名でコウガに苦情入れるから、お前らはめでたくくびだ。明日から仕事探し頑張ってくれ」
「な、これぐらいでくびだなんて」
「そ、そうだ。俺たちの上司でもないくせに。いくら何でも横暴だ!」
突然のシュウの登場に放心状態だった男たちは、気を取り直したのかシュウの決定に反論を始めた。
しかしシュウには決定を覆す気は一切無かった。
「お前ら去年の十月にも機構の売店で同じ様なことしてたよな?」
半年近く前のことをいきなり指摘され、男たちの反論が止まった。
「あの時はレイナに止められてたか?機構は託児所じゃないんでね。一度で聞けない奴の面倒までは見てられねぇよ」
シュウの視線を受けてうまく反論を口にできない男たちにシュウはとどめを刺した。
「もちろんお前らの言う通り、俺はお前らの上司でも何でもない。お前らのことをどうするか決めるのはコウガだ。あいつが隊長三人敵に回してまでお前らをかばってくれる男だと思ってるなら、あいつに泣きついてみろよ?」
自分たちの上司の人柄を思い出した男たちは、自分たちがすでに詰んでいることをようやく悟った。
「ん?どうした?治安維持局まで連れて行って欲しいって言うなら乗りかかった船だ。連れて行ってやるぞ?」
もう用済みの男たちが立ち去らないことを不思議に思ったシュウが二人に話しかけると、男たちは慌ててこの場から逃げ出した。
「あ、馬鹿!金は置いてけ!」
飲食の代金を払うことも忘れて逃げ出した男たちにシュウが慌てて声をかけたが、時すでに遅く男たちは人込みに消えていた。
「俺が払うのかよ…」
最後まで迷惑だった男たちに呆れた様子のシュウだったが、気を取り直してこの場の収拾をつけることにした。
「おい、いつまで見てやがる。見世物じゃねぇぞ!」
シュウがそう言って追い払うように腕を振ると野次馬は散っていった。
その後店の奥から出て来た店長にシュウは謝罪してと先程の男たちの飲食の代金を払った。
「騒ぎ起こして悪かったな。これあいつらの分の代金だ。釣りは迷惑料として取っといてくれ」
店長に金を渡したシュウは少年と少女に視線を向けた。
「お前ら、ちょっとこっち来い」
二人を連れたシュウは近くの路地裏に入ると二人に、正確に言うなら少女に視線を向けた。
この金髪の少年、少女はシュウの後輩にあたる双子で、先程の男たちの発言からも分かるように隊長だ。
〈 リク&ヴェーダ(十七) 討伐局局長序列七位、治安維持局副局長兼任 能力:お互いの五感のリンク、テレパシー、相手の近くへのテレポート 〉
隊長になる方法は二つある。
現役の隊長が推薦した人物がその隊長立ち合いの下でAランクの邪竜を倒して隊長になる隊長推薦と王族が推薦した人物が無条件で就任する王族推薦だ。
王族推薦は歴代でもかなり珍しく、今の隊長で王族推薦で隊長になったのは一人だけだ。
そしてリクとヴェーダはシュウの推薦で隊長に就任した。
二人で隊長に就任するという方法には異論も出たが、シュウとクオン、そして二人の元々の上司だった隊長の口添えもあり最終的に認められた。
二人一組という形で就任したため先程の様に侮られることも多いが、邪竜戦か対人戦のどちらかに適性が偏っている者が多い今の隊長たちの中でどちらも高水準でこなせる二人は期待のエースだった。
しかしそれはあくまで強さの話であり、悪意を持った人間への適切な対応ができるかどうかという点ではリクもヴェーダもまだまだ年相応だった。
「仕事以外で権利濫用する局員や犯罪者取り締まるのが仕事の治安維持局の副局長があの様で、仕事が務まると思ってるのか?いつも言ってんだろ?お前らは治安維持局の、そして討伐局の顔なんだ。お前らが頼りない姿見せたらみんなが迷惑するんだぞ」
「はい。すみません」
シュウに叱責されて落ち込んだ様子のヴェーダを見てシュウは理解に苦しんだ。
Aランクの邪竜をたやすく倒せる実力を持っているのに、どうしてこんなに自信が持てないのか。まだ若い二人に人の上に立つ者の振る舞いを求めるのは酷だったが、割と濃い十代を過ごしたシュウにはそれが理解できなかった。