水面下
七月二十二日(水)
『創造主』が告げたこの日の邪竜出現時刻は午前十一時頃で研究局の機械も同時刻を示していたので、討伐局の面々は朝から出撃の準備に追われていた。
と言っても今回隊を率いて出撃するのはリクとヴェーダ、そしてアヴィスだけなので、自分だけで出撃する隊長たちは比較的に時間に余裕があった。
隊の出撃前の諸準備を全てシュウに押し付けられているリンシャが隊員たち相手に忙しそうにしている中、シュウは残るもう一人の副官、ガドナーと話をしていた。
「じゃあ、頼んだ件は頼みますね。もちろんもし私が邪竜を取り逃がしたらその場合は邪竜の方を優先して下さい。まあ、まずあり得ませんけど」
今日シュウはガドナーに他の隊員たちとは別行動を指示していたのだが、ガドナーは今日シュウから受けた指示に困惑している様子だった。
「本当に隊長の心配してるようなことになるんですか?いくら何でもそこまではしないと思いますけど……」
実際に出撃する可能性は低いとはいえ本部での待機命令が出ている中で機構本部から離れての単独行動を指示されたのだからガドナーが困惑するのは当然だったが、指示を出したシュウの顔には一切迷いが無かった。
「私の勘と新入りさんの理性どちらを信じるかという話です。今の私を見る彼の目はかなり危険でしたから今回の戦いを利用して面倒なことをしてくるかも知れません」
シュウがミアの体で隊長数人に模擬戦を行った時や昨日の会議でのアヴィスのシュウへの視線には明らかに殺意が含まれていた。
そのためシュウはいざという時のために保険をかけておくことにしたのだが、今日の戦いは特殊なものだったので気をつける必要があった。
「今回ガドナーさんが私たちを助けると二人で戦うように言ってきた『創造主』にルール違反と判断される可能性があります。そうなったら邪竜に勝っても私たちの体は元に戻りませんから頼んだ以上のことは絶対にしないで下さい。いいですね?」
「……分かりました。正直無駄になるとは思ってますけど見張りの方は任せて下さい」
いくらシュウの予想とはいえ現職の隊長が同僚に危害を加えるなどガドナーには信じられなかったがシュウの勘が外れたことがないのも事実だった。
そのためガドナーは今回のためにシュウが用意したある物を手にして他の隊員たちのもとに向かい、シュウとガドナーの話が終わったのを見計らってミアが近づいて来た。
「何の話してたんですか?」
シュウはアヴィスが自分に危害を加えようとしていることを確信していたが、アヴィスがそれを今日実行するかまではさすがに分からなかった。
今日はシュウを殺す絶好の機会だったがアヴィスが臆病風に吹かれる可能性があったからだ。
そのためアヴィスがシュウに殺意を持っているということ、及びそれに対するシュウの対応をシュウはガドナーにしか伝えていなかった。
シンラにだけはこの件を伝えようかとも思ったのだがアヴィスがシュウを嫌っているぐらいならまだしもシュウを殺そうとしていると伝えられてもシンラも困るだろう。
そう考えたシュウはアヴィスの件をシンラに伝えなかった。
もしアヴィスが今日の戦いに乗じて何かしてきたとしてもその後にシュウがアヴィスに『教育』を施せばいいだけで、そもそも今日アヴィスはシュウとミアとは離れた場所で待機するのだから今日アヴィスが何かしたとしても大したことはできないだろう。
アヴィスはシュウの他にリクとヴェーダにも殺意を向けているようだったが、自分の体が元に戻ればどうにでも対処できる。
そう考えたシュウはミアの質問を適当に誤魔化すと共に出撃するためにアヴィスのもとに向かった。
午前九時を少し過ぎた頃、シュウたちはアイギスから三キロ程南下した場所にいた。
ここから更に二十キロ程南下した場所がシュウとミアが戦う邪竜が現れる場所で、アヴィスと『オーダー』はここでシュウたちの帰りを待つことになっていた。
「これ以上近づくと私たちが参戦したと見なされる可能性があるので私たちはここで待機しています。どうかお気をつけて」
「はい。ありがとうございます。邪竜の能力次第ではご迷惑をかけることになるかも知れませんからその時はよろしくお願いしますね」
思ってもいないことをよくも真顔で言えるものだと感心しながらシュウはその後もアヴィスといくつか確認を行い、その後『飛燕』を装備したミアと共に現場に向かった。
「今さらだけど一対一でSランクに勝てるの?」
今日のシンラたちもそうだがSランクの邪竜と戦う時には隊長三人で臨むのが一般的だ。
今回はこちらに選択肢が無かったとはいえシュウを含むほとんどの隊長がシュウが勝つことを前提にしていることがミアには不思議で、そんなミアの質問を受けてシュウは心配無いと伝えた。
「一応Sランクが出た時には毎回隊長三人を出してますけど大抵のSランクは隊長一人か二人で対処できますよ。今の隊長だと私、シンラさん、コウガさんは一人でSランク倒したことがありますし、正直今日リンドウさんの出番ほとんど無いと思います」
不要な危険を冒さないように毎回討伐局側はSランクの邪竜相手に隊長三人を用意しているが、ほとんどの場合Sランクの邪竜との戦いでは討伐局側の投入する戦力は過剰戦力だった。
もっともこれはシュウとコウガの少なくともどちらか一人がSランクの邪竜との戦いに参加できる現状だからこそ言えることだったのだが、自分が入る前の討伐局のことなどシュウは知らずミアもそれは同じだった。
そのためシュウの微妙に間違った説明を正す者はこの場にはおらずシュウは話を続けた。
「正直また私の攻撃が効かない邪竜を出されるとお手上げですけど前話した限りだと大丈夫でしょう。単純な力比べなら私が負けるわけありません。……でもまじめな話今から戦う邪竜が広範囲攻撃持ってると面倒ですね」
「もしそうなったら死なないようにがんばって逃げるわ」
昨日までの合宿の成果でミアは『飛燕』による急加速と急停止をかなりの練度で行えるようになっていたので、一対一ならともかくシュウと戦っている邪竜の攻撃の余波程度なら回避できると考えていた。
「できるだけ早く終わらせるつもりですけど結局は相手の能力次第です。お互いがんばりましょう」
その後二人の会話が途切れて十分程経った頃、上空に見慣れた渦が発生してシュウとミアの前に濃い青色の角を持ったSランクの邪竜が現れ、邪竜の姿を確認するなりシュウはすぐに邪竜目掛けて飛び出した。
自分目掛けて飛んで来るシュウに対して邪竜は左右の翼に魔力を通し始め、その後左の翼を軽く横向きに動かした。
すると邪竜の左の翼から長さ十メートル程の水の刃が放たれ、シュウはそれを『反射壁』で防いだ。
『反射壁』に触れた水の刃は勢いを増した状態で邪竜に反射されたのだが、シュウが跳ね返した水の刃は邪竜にダメージを与えることなくそのまま邪竜の体に飲み込まれていった。
「あらら、地味子さんみたいな能力を持ってるわけですか」
この前戦った『メリクリウス』の幹部、ギオル、そしてサヤと最近似た様な能力者とばかり戦っているなと思いながらシュウは邪竜に接近戦を仕掛けた。
高速で飛び難無く邪竜に近づいたシュウは斧に魔力を通し、いつもの様に邪竜の翼を斬り裂いたのだがその後予想外のことが起こった。
斬り落とした翼が水になったと思ったら邪竜の体に吸収されたのだ。
その後邪竜は体全体を水に変えると体を操って翼を創り上げた。
「あれ、これ削り殺さないといけないパターンですか?」
アヴィスの横槍に対応するためにできるだけ手短に戦いを済ませようと考えていたので、シュウは今回の邪竜が再生能力に近い能力を持っていたことに顔をしかめた。
その後シュウが魔力を集中させた斧で邪竜を斬り裂くとシュウに斬り裂かれた部分の能力が阻害されて邪竜はダメージを受けた様子だった。
前回の様にこちらの攻撃が完全に無効というわけではないのは助かったが、魔力が尽きない限り不死身に近い邪竜を倒すとなるといくらシュウでも簡単にはいかなかった。
大技を連発してできるだけ手短に戦いを終えよう。
そう考えたシュウがミアに少し時間がかかりそうだと伝えようとした時、邪竜の視線が地上にいたミアに止まり、その直後邪竜は雄たけびをあげながらミア目掛けて急降下した。
「ちっ、やっぱ孫娘さん狙いますか」
弱い相手から狙うのは当然とはいえ、される方からすれば面倒なことこの上ない。
シュウはすぐに邪竜に追いつくと邪竜の背中に降り立ち、その後邪竜の体に最大出力で加重を行った。
突然強い重力が自分にかかったことに邪竜が驚く中、邪竜の体は瞬く間に地面に激突した。
「すぐに上に上がって下さい!」
全身を水に変えていた邪竜の体が地面に染み込むのを見てシュウはすぐにミアに地上を離れるように指示を出し、その数秒後邪竜の体がしみ込んだ地面から二十発近い水の刃が放たれた。
邪竜が地面に落下してすぐにシュウはミアのもとに駆け付けており、『反射壁』で自分とミアを二回、三回と行われた水の刃の乱射から守った。
邪竜に撃ち出した後の水の刃を遠隔操作する技術は無いらしく、景気良く放たれた水の刃はそのほとんどが遠くの地面に落下した。
これ程の大技を連発すれば邪竜と言えども魔力はすぐに尽きるはずで、そうなったらシュウとしては好都合だったがさすがに邪竜もそこまで馬鹿ではなかった。
自分の攻撃に手応えが無いことに気づいた邪竜はすぐに地面から体を出し、体全体を水にした状態でシュウたち目掛けて上昇してきた。
水の刃も体の水化も確かに厄介だが使い手の技量がこの程度なら消耗戦の末に殺せる。
これなら以前戦った『メリクリウス』の幹部の方がまだ面倒だったなと考えながらシュウは邪竜を迎え撃とうとした。
そんなシュウの目の前で邪竜は魔力を高め始め、それを見たシュウは今月の上旬に現れた二本角のことを思い出していた。
あのSランクの邪竜の衝撃波並の攻撃をされると自分はともかくミアは確実に死ぬ。
そう判断したシュウは邪竜への攻撃を止め、邪竜がどんな技を使ってきても対応できるように待ち構えた。
そんなシュウの前で邪竜の体が爆発し、次の瞬間には周囲に高温の水蒸気が充満した。
この攻撃は効果範囲と引換えに威力はそこまで高くなかったが、それでもこの水蒸気が満ちた空間は長時間いると隊長でも二分と持たない危険な場所だった。
この水蒸気の中では並の能力者では一分と持たずに皮膚が焼けただれ、呼吸をしたら隊長でも体の中から焼かれて死んでしまうだろう。
もっとも二分耐える以前に並の隊長なら最初の水蒸気爆発の衝撃で即死するのだが、あらかじめ邪竜の攻撃に備えていたシュウは自分はもちろんミアもこの邪竜の攻撃から無傷で守り抜いた。
シュウと空中に漂っている斧からそれぞれ発生したドーム状の『反射壁』で創られた球体に守られながらシュウは邪竜の攻撃に驚いていた。
「あっぶな……。この体じゃなかったらさすがに孫娘さんは守れませんでしたね」
この状態でなかったらそもそも隊長ではないミアをSランクの邪竜との戦いに連れて来る必要が無いので無意味な仮定だったが、普段の自分では自分以外は守れなかったであろう邪竜の攻撃を受けてシュウはいらだちを覚えた。
「悔しいですけどこのままだとあなたを守り切れる自信がありません。すぐにあなたを逃がします。魔力を限界まで高めて後できるだけ息を止めてて下さい」
「えっ?」
「時間がありません。早くして下さい!」
突然の指示に戸惑ったミアだったが焦った様子のシュウを見てすぐにシュウの指示に従い、それを見てシュウはミアを抱きしめた。
「ちょっ、」
「息を止めるように言ったはずですよ?」
このシュウの発言を受けて黙り込んだミアを抱きしめたままシュウは全速力でこの場を離れ、Sランクの邪竜から二百メートル程離れてからシュウはミアを解放した。
「手荒になってすみません。あそこに長くいると息ができなくて私でも危なかったので」
「あ、いや、そういうことなら気にしないで」
自分がまだ使えない『反射壁』の遠隔発動に加えて形状変化までしてのけたシュウを見てミアは複雑な心境だった。
しかしこの気持ちは突然シュウに抱きしめられたことで消え去り、そんなミアにこの場で大人しくしているように伝えてからシュウはSランクの邪竜のもとに向かった。
シュウはSランクの邪竜の正面に姿をさらしたのだが、Sランクの邪竜はシュウを無視してミアのもとに向かおうとした。
「私完全無視なんていい度胸してますね。楽して勝利条件だけ満たそうなんて甘いですよ」
そう言うとシュウは体を水に変えたままで飛んでいた邪竜の後を追い、無防備な邪竜の首を魔力を集中させた斧で斬り裂いた。
首を斬り落とされたとあってはさすがに邪竜も動きを止めるしかなく、当たり前の様に胴体から新しい首を生やしている邪竜を見ながらシュウは複雑な気持ちを抱いていた。
「思ったより強くて驚きました。教材を作れなかったのは残念ですけどそれならそれで思いっきり楽しませてもらいますね」
先程の邪竜の攻撃の効果範囲と威力を考えると戦いの前に設置していたカメラは跡形も残っていないだろうからまたクオンにカメラを用意してもらわなくてはいけない。
あまり仕事を頼み過ぎるとクオンもいい顔をしないので立て続けにカメラを作ってもらうのはシュウも避けたかったが、今回は邪竜の攻撃が予想外に強かったのでしかたがなかった。
何かクオンに手土産を用意しないといけないなと考えていたシュウの前で邪竜は再びミアのもとに向かおうとした。
それを受けてシュウは再び加重で邪竜の動きを止め、身動きを封じられた邪竜は再び自分の体を使い水蒸気爆発を起こそうとした。
現在ミアはシュウから離れた場所にいたので今回はシュウがミアを守ることはできなかった。
しかしシュウに慌てた様子は見られず、そんなシュウの足下で邪竜は二度目の水蒸気爆発を引き起こした。




