試運転
七月十六日(木)
この日の早朝、機構本部三階にある普段は使われていないシンラに割り当てられた訓練室にはセツナ以外の全隊長とミアの姿があった。
昨日の提案通りにシュウはリンドウ、アヤネ、リク、ヴェーダと対峙していたのだが、今から隊長四人を相手取るというのにシュウの表情に緊張の色は見られなかった。
「あー、眠ぃ。夕方からにしておけばよかった」
今のシュウはミアが普段使っている斧を持ちミア用の隊服を着てこそいたが、その表情からはやる気も緊張も全く感じられなかった。
腰近くまで伸びた髪をまとめることもせずに眠そうにしているシュウにアヤネは呆れた様な表情で話しかけた。
「あんた、いくら何でも気ぃ抜き過ぎでしょ?ミアちゃんの体使って戦うんだからもう少し気合入れなさいよ」
「しかたねぇだろ。眠ぃんだから。朝六時とか人間の起きる時間じゃねぇよ。はぁ、戦いが始まったらちゃんとするから心配するな」
他の隊長たちに気を遣って模擬戦の時間を朝早くにしたことを後悔しながらシュウが気だるそうに斧を振る中、シンラの合図で模擬戦が始まった。
「この模擬戦は私がこの体でも問題無く戦えるということをシンラ局長に見せるためのものなので割と強めにいくつもりです。ですからみなさんも普段の私と戦うつもりで本気できて下さい」
模擬戦開始直後、シュウはリンドウたちにそう伝えるとリンドウに攻撃を仕掛けた。
向かって左から迫るシュウの斧をリンドウは魔力で強化した左腕で防ごうとしたが、シュウの振るった斧はリンドウが魔力で強化した腕をたやすく斬り裂いた。
一瞬の拮抗すらせずにリンドウの防御が斬り裂かれたのを見て残りの三人は驚き、その後シュウの振るった斧はリンドウの胸元にまで迫った。
しかしシュウはそこで攻撃を止めると不快そうな表情をリンドウに向けた。
「言ったはずですよ?普段の私と戦うつもりで戦って下さいと。リンドウ隊長は普段の私の刀まともに受けるんですか?」
シュウのこの質問を受けてリンドウは何も言い返せなかった。
シュウに本気でこいと言われても心のどこかで今のシュウの実力を低く見ていたことにようやく気づかされたからだ。
そんなリンドウを前にシュウはため息を一つついてから話しかけた。
「この姿に油断するのも分かるので今のはノーカンにします。最後にもう一度だけ言っておきます。本気できて下さい」
そう言ってシュウはリンドウと距離を取るために後ろに退がり、そんなシュウの視線を受けて四人は気を引き締めた。
四人の表情を見たシュウはようやくまともな模擬戦になりそうだと安堵し、模擬戦再開の前に最後の忠告をしておくことにした。
「はっきり言っておきますけどあなたたち四人じゃ私には勝てません。でもどうせ勝てないからって適当に戦うようなら必要以上に痛い目に遭ってもらいます。勝てないなりに全力を尽くして下さい」
シュウの理不尽な要求を聞きリンドウとアヤネが表情を硬くする中、リクとヴェーダがシュウに攻撃を仕掛けた。
リクはシュウ目掛けて薙刀を振り降ろし、シュウはその攻撃を斧で防いだ。
その後シュウは斧でリクを薙刀ごと引き寄せると左手に重力球を創りリクに叩きつけようとした。
普通なら回避は不可能なタイミングだったが、リクはシュウの攻撃に気づくなり後ろで待機していたヴェーダのもとに転移して難を逃れた。
「……さすがに他の二人と同時に相手にするのは面倒ですね」
普段のシュウでさえリクとヴェーダに逃げに徹されると倒すのに苦労するので、今回はリンドウとアヤネから先に倒そう。
そう考えたシュウは一人ずつ攻撃を仕掛けてくるリクとヴェーダの相手をしながらリンドウへと近づいた。
魔力で身体能力を強化して踏み込んだ上に自分の体に横向きの重力をかけてリンドウに攻撃を仕掛けたシュウの攻撃はとてもリンドウに回避できるものではなかった。
巨大な弾丸と化したシュウにアヤネ、リク、ヴェーダが同時に攻撃を仕掛けたが、三人の攻撃はシュウを止めるどころか攻撃の軌道を変えることすらできなかった。
高速で自分に迫り来るシュウを見てリンドウは自分の体と引換えにシュウの動きを止めることにした。
おそらく自分はシュウの攻撃を受けた直後の回復の隙を突かれてやられるだろうが、一瞬でも隙を作れば他の三人がシュウに一矢報いてくれるはずだ。
そう考えてシュウの攻撃に備えたリンドウだったが、リンドウと衝突する直前にシュウが『魔装』を発動したことでリンドウの目論見は外れた。
単に高火力の攻撃ならリンドウは再生能力で対処でき、その後リンドウの予想通り他の三人がシュウに攻撃を仕掛けただろう。
しかしシュウは今回『魔装』を発動することで自分にかけている横向きの重力の強さを増やした。
これによりシュウの突撃の速度が急に速まり、防御のタイミングをずらされたことでリンドウはシュウの攻撃をまともに食らった。
シュウの急加速に不意を突かれたのは他の隊長たちも同じで、三人は急いでリンドウの支援に入ろうとしたが既に手遅れだった。
リンドウはシュウの振り降ろした斧で左腕を肩から斬り落とされた上に左わき腹を重力球で削られ、これらの傷を回復し終えたのとほぼ同時にシュウに顔面を握られていた。
「まずは一人、ですね」
そう言ってシュウがリンドウから手を離した直後、アヤネとヴェーダがシュウに攻撃を仕掛けた。
シュウはアヤネとヴェーダの武器をそれぞれ左右の腕で防ぎ、その後後退しようとしているアヤネに追撃を仕掛けた。
「やっぱ地味に痛いですね」
捕えるが面倒な隊長三人と戦っている現状で魔力の消費が激しい『魔装』を戦闘中ずっと発動しているわけにもいかないので、シュウは『魔装』は要所で短時間のみ発動していた。
そのため今戦っている隊長たちの攻撃のほとんどをシュウは魔力で強化した体で受けており、アヤネの攻撃はともかくリクとヴェーダの攻撃は何度も受けるには痛過ぎた。
そのためシュウは先程同様『魔装』発動による急加速でアヤネの右斜め後ろに移動すると、そのままアヤネの左わき腹を消し去ろうとした。
アヤネの『時間加速』による移動と違いシュウの移動は単なる高速移動だったので、アヤネはシュウの動きに反応こそできなかったが何とか目で追うことはできていた。
そのためアヤネはシュウが突然自分の視界から消えても驚かず、すぐに『時間加速』を発動して逃げようとした。
どうせ『時間加速』を使って攻撃を仕掛けても自分の攻撃はシュウに通用しないとアヤネは割り切っていたので、今回の模擬戦でアヤネは攻撃の際に『時間加速』を発動していなかった。
転移能力持ちのリクとヴェーダ、そして『時間加速』持ちの自分が逃げに徹すればシュウにも簡単には捕まらないはずで、長期戦に持ち込めばいずれシュウも『魔装』が使えなくなるはずだ。
そうなってからが勝負時だと考えていたアヤネは逃走用に温存していた『時間加速』を発動し、その直後すぐに異変に気づいた。
自分の体が何かに引き寄せられているかの様に身動きが取れなかったからだ。
シュウに完全に後ろを取られている状態で動きが阻害され、アヤネは必死に動こうとしたがアヤネの意思に反してアヤネの体はシュウに引き寄せられていった。
そして程無くアヤネは左わき腹に痛みを感じ、アヤネが反射的に体の時間を巻き戻すのとほぼ同時にシュウは後ろからアヤネの首を掴んだ。
「はい。おしまい」
淡々とアヤネに敗北を告げるシュウだったが、アヤネはそれどころではなかった。
「ちょっと待って。今の何?」
直接アヤネに触れてアヤネにかかる重力を操作したならまだ分かるが、あの時のシュウは確実にアヤネに触れてはいなかった。
シュウが直接アヤネを捕まえなかったのは今の状態で『魔装』を発動しての高速移動にシュウがまだ慣れておらず細かい動きができなかったからだった。
こういった事情まではアヤネは知らなかったが、それでも動きを阻害された瞬間自分がシュウに触れられていなかったことだけは断言できた。
それにも関わらずシュウが自分の動きを阻害したことにアヤネは驚き、そんなアヤネの質問を受けてシュウはしばらく考え込んだ後で口を開いた。
「まだ戦いは終わってないんですけど、ま、いっか。騙し討ち何度もしてもつまらないし。もう一回だけ我慢して下さい」
そう言うとシュウは先程同様能力を発動し、能力で創り出したものをアヤネの左わき腹にぶつけた。
先程同様の痛みを感じたアヤネはシュウの攻撃を受けた箇所が潰れるのではなく消えていることに気づき驚いた。
「あんた、これって……」
「はい。今創ったのは重力球じゃなくてブラックホールです。あまり床を汚すのも悪いかなと思って。相手が再生能力持ってると手加減しなくていいから助かりますね」
そう言って笑顔を浮かべるシュウを見てアヤネは絶句していた。
アヤネが知る限りではブラックホールを創れる重力使いは討伐局の長い歴史の中でもシンラしかいないはずだ。
昨日使い始めた体と能力で『魔装』を使っているだけでも驚きだというのにその上重力使いの奥義とも言えるブラックホールの生成まで行って見せたシュウの技術を目の当たりにし、アヤネはようやく昨日クオンの言っていたシュウのやばさとやらを理解した。
シュウの才能についてアヤネは十分理解しているつもりだったが、今日の模擬戦でシュウの底知れなさを改めて思い知らされた。
そしてアヤネは訓練室の壁際で模擬戦を観戦していた隊長たちのもとに向かい、隊長たちと合流して早々シンラに声をかけた。
「同じ重力使いのあんたから見て今のシュウはどう?」
からかう様な表情でアヤネがした質問にシンラは苦笑しながらも即答した。
「昨日の今日であれだけ能力を使いこなされると参りますね。『魔装』はともかくブラックホールまで私よりうまく創られると自信を無くしてしまいそうです」
今のシンラですら発動をためらうことが多いブラックホールの生成をシュウは隊長数人との戦いのさなかに難無くやってのけた。
しかもアヤネ以外には一切影響を与えないように制御してだ。
それを見たシンラは周囲が思っている以上に衝撃を受けていた。
シンラがそれ程衝撃を受けていることまでは気づいていなかったが、それでもシンラ同様シュウの戦い振りに驚いていたアヤネはシンラの意見に同意した。
「そうね。正直能力の方はそこまで使いこなせないだろうと思ってたから驚いたわ。というか今のあいついつもより強くない?」
アヤネは今回の模擬戦でシュウは魔力で身体強化をした上での接近戦を主体にして戦うと予想していた。
しかし実際のシュウはシンラ以上に重力操作の能力を使いこなし、リンドウの防御をたやすく突破する普段と遜色無い攻撃力に加えてブラックホール生成と自分にかかる重力を制御しての高速移動をやってのけた。
個人差こそあれシンラとアヤネ以外のほとんどの隊長、そしてミアもシュウの今回の戦い振りを見て驚いていたのだが、そんな中今回のシュウの戦い振りに全く驚いていなかった唯一の隊長、クオンがアヤネの疑問に答えた。
「今のシュウがいつもより強いのは当たり前。だってシュウの能力ってぶっちゃけ外れだし」
「は?あの威力で外れはないでしょ」
普段のシュウの全力の攻撃は『万物切断』の名に恥じない威力を持ち、今の隊長で正面からシュウの全力の攻撃に対抗できる者はコウガしかいない。
そんなシュウの能力を外れだというクオンの発言にアヤネは同意しかね、口にこそしなかったが他の隊長たちやミアも同意見だった。
そんな面々にクオンはさらに詳しい説明をした。
「シュウの能力は要するに魔力で武器と体を強化してるだけだから、分類としてはリンドウさんの能力と変わらない。あくまでシュウが使ってるからあの威力になってるだけで、他の人がシュウの能力持っててもあの威力は出ない」
シュウが機構に登録している能力名の『万物切断』は正式なものではなく、正確に表現するならシュウの能力は『魔力での対象の強化』となる。
これは能力者なら程度の差こそあれ戦闘中誰でも行っていることで、クオンの言う通りリンドウの身体能力強化と大差無い。
シュウとリンドウどちらの能力も能力による強化の度合いが他の能力者の行う強化より大きいので完全に外れとまでは言えないが、この手の能力はシンプルであるがゆえに使い手の才能の差が如実に表れる能力だった。
おそらくシュウがリンドウの能力を持っていたら魔力により高められた防御力と再生能力が合わさった不死に近い耐久力、強化された五感による高い索敵能力、瞬間移動に近い移動を可能にする上に魔力で強化された金属すらたやすく打ち砕く身体能力といった要素を兼ね備えた存在になっていただろう。
リンドウの手前クオンは言葉を選びながらこの事実を周囲の面々に伝え、それを聞きシンラはシュウが普段より強いことには納得したもののそれでも気になる点があった。
「クオンさんが言うなら今のシュウさんの強さに関してはその通りなのでしょう。しかしいくらシュウさんでもブラックホールはセンスだけでは創れません。何度も訓練を重ねなくてはできないはずです。それをどうしてこんなにすぐに……」
クオンならともかく普通は異なる能力を使う機会など無く、シュウは重力操作の能力を使う訓練などこれまでしてこなかったはずだ。
それにも関わらず自分以上に重力操作の能力を使いこなすシュウを見て、シンラだけでなくミアまで驚きと少しの怒りを覚えていた。
全てを才能で片づけられてはたまらないと憮然とした表情をしていたシンラとミアを見てクオンはもう少し詳しい説明をしようとした。
しかしシュウとリク、ヴェーダとの戦いの決着がつきそうだったのでクオンの説明は一時中断となった。




