邪竜
初めましての方もそうでない方もこの作品を読んで下さりありがとうございます。
登場人物が多くてややこしいかも知れませんが楽しんでもらえると嬉しいです。
五月四日(月)
何も無い上空に、突如として巨大な黒い渦が発生した。
渦そのものはすぐに消えたものの、その渦から巨大な生物が三体現れて周囲を見回した。
それらの生物、人々には『邪竜』と呼ばれているそれらは体長十メートル程で、その全てが頭部に白い角を生やしていた。
しばらく周囲を見回していた邪竜たちが飛び立とうとしたその時、邪竜を待ち構えていた者たちが一斉に邪竜に攻撃を仕掛けた。
邪竜を待ち構えていた百人足らずの人間たちは統一された黒い服で身を包み、剣や槍、銃などの思い思いの装備を手にしていた。
装備こそ異なるものの彼らのほとんどが手にした銃、あるいは手から放つ炎や雷撃などの遠距離攻撃に徹している中、集団から飛び出した一人の若い男は刀を手に邪竜へと斬りかかった。
「一番左のは俺が相手をする。援護はいらねぇから残りの二体を倒せ。Bランク二体程度に負けるなよ」
男の指示が各員の耳に着けた通信機を通して集団全体に伝わり、彼らの攻撃が残りの二体に集まる中、飛び出した男と邪竜は戦いながら徐々にその場を離れていった。
その間にも残された彼らは邪竜の翼への攻撃を続けていた。
空にいる邪竜に決定打を与えるのは難しいため、邪竜との戦いでは最初に翼を潰して飛行能力を奪うのが定石だ。
彼らの攻撃が功を奏し、邪竜の一体が地上に墜落した。
それを見た彼らは一斉に駆け出すと手にした武器を邪竜の体に突き立てた。
同時に数十ヶ所に攻撃を加えられた邪竜が叫び声をあげながら体を揺さぶると、邪竜に接近戦を仕掛けていた者のほとんどが吹き飛ばされた。
体中を傷つけられたとはいえ傷一つ一つは邪竜からすれば小さなものだった。
邪竜は特に動きを鈍らせることもなく、吹き飛ばされた人間たちに追撃を仕掛けようとした。
そんな邪竜に対し、先程攻撃に加わっていなかった者たちが攻撃を仕掛けて邪竜の動きを牽制した。
ほとんどの邪竜が攻撃力、耐久力共に人間をはるかに凌駕しているが、知性は低いので大人数で連携さえすれば決して勝てない相手ではなかった。
しかし数十人がかりで何度も攻撃を叩き込まないといけない人間と違い、邪竜はかみ砕くか踏みつけさえすれば一撃で人間など殺すことができる。
決して楽な戦いではなく、今も邪竜は人間たちの攻撃を受けながらも通常の邪竜の最大の一撃、火炎放射を行おうとしていた。
この火炎放射は一度で数十人をまとめて焼き払える攻撃範囲と威力を誇り、使われたら最後、並の能力者では防御も回避も難しかった。
そして波状攻撃を仕掛けたばかりの彼らにその攻撃を妨害するだけの余力は残っていなかった。
しかしその場の誰も命の危険を感じてはおらず、実際邪竜の攻撃は邪竜の腹部に攻撃が加えられたことにより中断された。
突然腹部に攻撃を受けた邪竜が自分の足下を見ると、今まで誰もいなかったはずの場所に一人の剣士が立っていた。
男の姿を確認した邪竜が雄たけびをあげながら前脚で男を踏みつぶそうとしたが、男はすぐに自分の影の中に潜り込み難無く危機を脱した。
その直後、邪竜が男に気を取られている内に陣形を立て直した周囲の集団が再び邪竜に攻撃を仕掛けた。
すぐに攻撃対象を周囲の人間に切り替えた邪竜が風を起こして周囲の物全てをまとめて吹き飛ばすべく翼を動かそうとした。
しかしその攻撃も邪竜の翼に攻撃が当たったことで中断された。
他の者の攻撃とは比較にならない威力の攻撃を受けた邪竜は、しばらく周囲を見回して自分の攻撃を邪魔した人間を探し出した。
すぐに先程と同じ剣士を見つけた邪竜が剣士を焼き払おうと口を開いた。
しかし剣士はまたすぐに影に潜り込んでしまい、そこに周囲からの邪竜への攻撃が始まった。
拙い知性で自分の失敗を悟った邪竜だったが、幸か不幸かそれで動揺する程の感情も邪竜は持っていない。
すぐに比較的無事だった右の翼を動かして周囲の人間を吹き飛ばそうとした。
今度は剣士の妨害も間に合わず、邪竜の翼が周囲の人間数人を吹き飛ばそうとした。
そんな中、一人の男が刀で翼に攻撃を加え、翼の動きをわずかながら弱めた。
しかし邪竜の翼による攻撃の威力を完全には殺せず、男と他数人が邪竜の攻撃で吹き飛ばされた。
「おい、大丈夫か?」
男の攻撃に助けられた者の一人が吹き飛ばされた数名に呼びかけ、それに先程攻撃を仕掛けた男が返事をした。
「俺は大丈夫だ!でも肩が外れて、すぐに戦えそうにない!フォロー頼む!」
仲間の無事を知り男が安堵したのも束の間、邪竜が再び口を開いた。
今邪竜が火炎放射を行ったら、男含めて二十人以上が殺されるだろう。
男は気を引き締めると、手にした槍を握りしめて邪竜へと立ち向かった。
そんな男の前で邪竜の口が開き、男の視界を炎が埋め尽くした。
死を覚悟した男だったが、男の影が突然伸びて邪竜の火炎を遮って男を含む二十人以上の命を救った。
しかしこの影の耐久力がそれ程高くないことを知っていた男たちは、死なずにすんだことを喜ぶひまも無くその場を後にした。
数秒で影でできた防壁は破壊されたが、その数秒で危険な場所にいた者たちは全員避難を完了していた。
その後何度か危ない場面はあったものの男たちは確実に邪竜に攻撃を与えていき、やがて邪竜は体を保てない程のダメージを受けて消滅した。
一方その場に残されたもう一体の邪竜も仲間の邪竜と同じく数十人の人間を相手に激しい攻防を繰り広げていた。
すでにその邪竜の翼は両方とも傷だらけで戦いは地上戦に移行していた。
周囲の人間たちの牽制が間に合わず、邪竜の火炎放射が繰り出された。
幸い今回火炎が放たれた場所には人があまりおらず、その場にいた数人も邪竜の放った火炎自体は回避した。
しかし火炎が地面に当たった時の余波でその数人は大きく吹き飛ばされ、すぐには動けそうになかった。
近くの仲間が急いで助けようと動くが、当然邪竜がそれを見逃すはずがなかった。
仲間を助けようとしている人間共々焼き払おうと再び口を開いた邪竜だったが、突然右目に痛みが走り攻撃を中断してしまった。
この痛みは邪竜が行動を起こそうとする度に起こっており、邪竜にとっては周囲からの攻撃以上にうっとうしいものとなっていた。
邪竜は戦いが始まってから何度も攻撃が飛んできたと思われる方向に火炎を放っていたのだが、この正体不明の攻撃は一向に止まなかった。
それもそのはずで邪竜の火炎放射の射程が精々二十メートルなのに対し、先程から邪竜の注意を散らしている狙撃は五百メートル離れたところから行われていた。
この狙撃銃による攻撃は威力そのものは大したことはなく、先程から邪竜に対して周囲の人間が繰り出している攻撃に比べたら取るに足らないものだった。
しかしこの狙撃は邪竜の眼を的確に狙い撃ちしてくるため、視力こそうばわないものの邪竜の集中力をかなり奪っていた。
この正体不明の攻撃を何度も受け、困惑していた邪竜はそれをぶつける様に地上の人間たちに前脚を振るった。
しかしその攻撃は空中に現れた障壁が防ぎ、動きが止まった邪竜に周囲の人間たちが一斉に攻撃を仕掛けた。
「私の障壁、多分後一回で壊れる!あんまり期待しないで!」
「分かってる!右に攻撃を集中しろ!もう押し切れる!」
能力でお互いに支援し合っている彼らは、切羽詰まった様子で意思疎通を行った。
今行っている戦いは、人間たちにとっては判断ミスさえしなければ勝てる戦いだった。
しかし一度のミスが死につながる以上、一見邪竜を圧倒している彼らにもあまり余裕は無かった。
その後数分かけ、狙撃手とその仲間たちは邪竜を倒すことに成功した。
邪竜を倒したことを確認した狙撃手の女、リンシャは無線機を通じてもう一体の邪竜と戦っていた同僚、先程仲間に影による支援を行っていた剣士に連絡をとった。
「こちらも終わりました。軽傷を負った隊員は何人かいますが死者はいません。そちらはどうですか?」
「こっちも誰も死んでいません。いやー、よかったです。隊長も言ってましたけどBランク二体相手に死人なんて出してたら、隊長のしごきますますきつくなってたでしょうから。時間も十分以内で及第点でしょう。隊長はまだ戦ってるんですか?」
「はい。今回は新技を試すと言っていたので、もう少しかかるかも知れません。隊長からは戦いが終わったら、最初の場所で待機しておくように言われています。今回は相手が一体なのでそろそろ終わるとは思うのですが…。細かいことは後で合流してからということで、えぇ、では失礼します」
通信を切ったリンシャは、自分たちの上司が戦っているであろう方角に視線を向けた。
(あまり時間をかけずに終わらせて欲しいのですが…)
そう考えながら移動を始めたリンシャもその同僚も邪竜と一人で戦っている男の心配は全くしていなかった。
リンシャたちの戦いが終わったちょうどその頃、リンシャたちから隊長と呼ばれていた男、シュウは邪竜の顔の前に不敵な笑みを浮かべながら立っていた。
シュウとにらみ合うような位置を飛んでいる邪竜は翼を含めて傷だらけだったが今も空中にいた。
それにも関わらずシュウは邪竜とにらみ合っていた。
まるで足場があるように空中に立ち、自分に余裕の表情を向けてくるシュウに向けて邪竜は火炎を放った。
至近距離からの攻撃を放たれたシュウだったが、全く動じることなく刀を自分の正面の空間に振るった。
するとまるで壁があるかの様に炎は遮られ、邪竜の攻撃はただ自分の視界をふさぐだけの結果となった。
火炎でお互いの視線が遮られた直後、シュウは一気に踏み込むと邪竜の顔に着地して邪竜の右眼を斬り裂いた。
その後もシュウは邪竜の叫び声を気にも留めず、首、胴体、左前脚と斬り刻んでいった。
完全にシュウに懐に潜り込まれてなす術も無い邪竜の苦悶の叫びが響く中、シュウは邪竜にとどめを刺さずに邪竜との距離を取った。
邪竜から距離を取ったシュウは何も無い空間に刀を振るうと、そこに着地してもう一度自分の左側の空間に刀を走らせた。
敵が再び自分の攻撃範囲に入ったことを知り敵意を向けてくる邪竜に対し、シュウはそれを軽く塗り潰す殺気を飛ばした。
戦意や怒りからではなく恐怖からの叫びをあげた邪竜だったが、それでもシュウを握り潰すべく右前脚を繰り出した。
よける素振りを全く見せないシュウに邪竜の前脚が迫り、シュウから一メートル程離れた空間で邪竜の前脚が裂けた。
この戦闘で何度目になるか分からない叫び声をあげる邪竜に対し、シュウはつまらなそうな顔をした。
「あれ?斬れたっていうより重さで潰れたって感じだな。人間相手には使えないか」
新技の実験がうまくいかなかったことに落胆した様子のシュウは、あまり部下たちを待たせるのも悪いと思い邪竜に跳び移った。
邪竜の背中に着地したシュウは、特に気負うことも無く刀を振るって邪竜の翼を斬り落とした。
リンシャたちが苦労して潰した邪竜の翼をあっさりと斬り落としたシュウは、その後翼を失って墜落し始めた邪竜の首を難無く斬り落として邪竜を倒した。
その後崩壊が始まった邪竜の背中でシュウが考えていたことは、失敗した新技についてではなく邪竜相手に遊び過ぎたことによるリンシャの小言だった。