009「枢木家 本邸」
枢木家の本邸の入り口につくと、枢木雪枝が待っていた。
休日にもかかわらず、制服姿だ。おかげですぐに見つけることができた。
ちなみに、僕も制服で来た。枢木邸に入るのにどんな格好がふさわしいか悩んだが、どの服も安物過ぎて失礼に当たる気がしたのだ。
「いらっしゃいませ。今日はお越しくださり、ありがとうございます」
会うなり枢木はそう言った。
僕とササキも簡単に挨拶をすますと、枢木は僕らを案内してくれた。
枢木家は想像通り広かった。入口は庭園になっていて文化財として登録されているらしい。休日ということもあって、観光客もちらほらいる。
しばらく庭園の中を進んでいくと、巨大な西洋風の建物が見えてきた。おそらくあれが、実際に枢木一家が生活している建物なのだろう。
分かっていたことだが、この家でかい。でかすぎる。
部屋の数が多く、一つ一つの部屋も大きい。僕が暮らしているワンルームよりは、この家のトイレの方が広いだろう。
年末の大掃除を始めたら、終わるころには次の年末が来そうだ。
メビウスの輪を想起させる。メビウスの大掃除である。
そんなこんなで、僕たちはその巨大な建物の入り口までたどり着いた。
扉の前にはエプロンドレスを着た若い女性が立っていた。
おお、本物のメイドだ……。生まれて初めて見た……。
「おかえりなさいませ。雪枝お嬢様」
そういって、枢木に対して一礼した。
おお、すごい。本物のメイドはお辞儀一つも洗練されている。
僕がひそかに感動しているとメイドは口を開いた。
「それで、この浮浪者はどこで拾ってきたんですか?」
台無しだ。
このメイド、口悪い。
だが、やつれ切っているササキの姿はみすぼらしく、浮浪者に見えてしまうのも仕方がなかった。
「夏目、失礼よ。この方はササキさん。写真家よ……多分」
枢木も自信なさげだ。自分で依頼しといて、こいつも大概失礼だな。
「どうも。ササキです。今日はよろしくお願いしますよ」
当のササキはどこ吹く風といった様子で、いつも通りのにやけ面で挨拶した。
「……まあ、芸術家の方は変わった方が多いですからね。そちらの制服の方は? お嬢様のお友達ですか?」
「違うわ。途中で拾ってきたの」
「僕まで浮浪者扱いするな!」
乗っかるな。制服姿の浮浪者なんていないだろ。
「あれ、じゃああなた誰?」
「赤坂だよ! お前の依頼受けたのは僕じゃないか!」
「何よ。私を責めるつもり? それはお門違いよ。覚えにくい顔をしているあなたが悪いんじゃない」
「僕のDNAに責任転嫁するな!」
本当に失礼な奴だ。
「あはは、シュン君は特徴ない顔してるからねぇ」
「うるさい! お前まで乗っかるな!」
嬉しそうな顔しやがって。
お前の顔が特徴的すぎるだけだ。隣にいると影が薄くなるんだよ。
メイドは一連のやり取りを聞いた後、口を開いた。
「まあ、仲がよさそうで何よりです」
「どこがですか……」
むしろ今、仲が悪くなっているとさえいえる。
「改めまして、ようこそいらっしゃいました。わたくしは当家のメイド、夏目と申します。以後、お見知りおきを」
メイド、夏目さんはそういって僕らに一礼した。
「じゃあ夏目。私は彼らを案内するから」
「ああ、お嬢様。それなのですが……」
夏目さんは少し苦々しげな口調で言った。
「ご当主様がお戻りです」
瞬間、枢木の雰囲気が変わった。
明らかに先ほどまでの談笑していた彼女とは違う。
緊張感が伝わってくる。
「……。どうして? 今日は会議のはずじゃなかったの?」
「重役に不幸があったそうで、中止になったようです」
枢木の表情が曇る。無表情が崩れるとは珍しい。
枢木はため息をつくと、僕らの方を向いて言った。
「あの……」
枢木は遠慮がちにササキに言った。
「事前にお伝えせず、大変申し訳ございません。実は、今回の依頼は枢木家とは関係なく、私が個人的にお願いしました。ですから……」
「わかってるよ。ご家族には内緒なんだろう? ばれないように静かに仕事するさ」
ササキが遮るように言ったので、枢木は驚いたような顔をした。
ササキの予想は当たっていたらしい。彼女は家族に相談せずに依頼をし、誰にも気づかれないままに完遂しようとしていたのだ。
しかし、どうやら予定に狂いが生じたらしい。
「……くれぐれもよろしくお願いします。では、中へ」
枢木はそういうと扉を開いた。
外から見た通り、館内は広く部屋の数も多かった。迷路のような館内を僕とササキは枢木の背中を追いかけて歩いた。
枢木の背中には緊張感が漂っている。それにつられてか、僕もササキも一言もしゃべらなかった。
三分ほど歩いただろうか。枢木は足を止めた。
「こちらが私の祖母、枢木幸の部屋になります」
枢木は、扉の前で少しだけ目を閉じた。何かを祈るように胸に手を当てる。
そして、意を決したように扉をノックした。
ノックの返事はない。
一瞬の空白の後、突然扉が開いた。
扉を開けて現れたのは、黒いスーツに身を包んだ初老の男だった。
男は僕らを一瞥した。
情けないことだが、僕はそれだけで縮み上がってしまった。
得体のしれない緊張感が僕の身体を締め上げた。
逃げ出したい、しかし身体が動かない。
叫びたい、しかし声が出ない。
それほどまでに、男の威圧感はすさまじかった。
男は、枢木の方に向かって言った。
「雪枝。なんだこいつらは」
低い、よく通る声だった。館中を震え上がらせるような圧力がある。
「……お父様」
枢木雪枝の声はかつてないほど弱弱しく、震えていた。
扉を開ける前、彼女が何を祈ったかは定かではないが、おそらくその祈りは届かなかったようだ。
一目見ただけで怖い人っていますよね。
この後、若干シリアス展開です。お付き合いいただけると幸いです。