010「布教の連鎖」
僕はそのまま、店長からもらったお金をもって、街で一番大きな書店に行った。
僕が読む本は大概が常連のお客さんのおさがりだった。
「喫茶クロワッサン」には電源やWiFiなどはなく、あるのは灰皿とヤニ臭い古本ばかりだ。必然的に客は愛煙家や読書家が多い。客はおっさん、もしくは小汚いおっさんがほとんどである。
読書家は誰かに本を薦めることに一種の興奮を覚える生きものであることは間違いない。そして、おっさんという人種は若者に説教をすることを生業にしていることは周知の事実だ。
読書家かつおっさんである「喫茶クロワッサン」の住人達は、店内唯一の若者の僕に自分の好きな本を一方的に押し付け、感想を要求することがよくあった。僕自身本を読むのは好きだったので、本はありがたく頂戴していた。
余談だが紹介される本の面白さは、紹介者の社会への適応力と反比例していた。世捨て人としか見えない男たちの紹介する本は、伊達に世を捨ててないと思わせる隠れた名著が多かった。
僕がもらった本の感想を言うと、それがどんなものであれ、お客は恍惚とした表情でそれを聞くことが多かった。そのお客はまた別の本を紹介しに「喫茶クロワッサン」へと足を運ぶ。結果、この店の常連となった人も何人かいる。
ササキは毎日大量の本を読んでおり、気に入ったもの以外はすべて売却してしまう。10代の新陳代謝を思わせるヤツの蔵書の入れ替わりは「喫茶クロワッサン」でも随一だ。小難しい専門書から、児童書のような平易なもの、果ては英単語帳まで読むササキは「もういらないから、これシュン君にあげるよ」などと言って本をよくくれた。僕の参考書類はほとんどヤツがくれたものである。
そんなこんなで、僕が本屋に来るのは本当に久しぶりだった。
広い店内を慣れない足取りでフラフラと歩きながら、写真集のコーナーを探す。
「ここ、かな?」
写真集のコーナーらしきところにたどり着いた、が……。
「……アイドルの写真集ばっかりだな」
所せましと飾られているのは、今が旬のアイドルの妙に肌色の多い写真集であり、ササキや天海さんが撮るような写真集は見当たらなかった。
こんな場所にあまり長居すると僕の思春期ゲージが乱高下して精神衛生上よくない。とっとと用事を済ませよう。
「天海御言……あまみみこと……あ、これか」
写真集コーナーの奥の方、少しさびれた棚に天海さんの作品集はあった。目立つ場所ではないが、棚の一区画を占領している。
「有名な人ってのは本当だったんだな……」
種類がたくさんがあるせいで、どれを買っていいか分からない。作品集は一冊六千円近くするものが多く、一万円で買えるのは一冊だけみたいだ。
「余ったお金は使っていいって言われたし……食費にでもあてるか」
僕はとりあえず目についた作品集を書棚から抜き取った。帯のたぐいはついておらず、表紙は背を向けた人の写真だった。
「タイトルは……『FACE』?」
表情豊かな天海さんにピッタリなタイトルに思えた。とりあえずこれを買うことにして、レジに向かった。
「値段は……6500円か……高級品だ」
こんな機会でなければ絶対に買わなかっただろう。これほどに高い買い物をするのは久々だったので、レジでお金を出すとき妙な緊張感があった。
生活に必要な最小限のものしかない僕の狭い部屋につき、机の上に買ってきた天海さんの作品集を置いた。簡素な部屋の中で、その作品集の美しい装丁はどうにも場違いに見える。
「……中、見てみるか」
僕は表紙に手をかけ、ページを開いた……。
そこからの記憶はほとんどない。
が、気が付くと先ほどのお釣りの3500円と、僕のなけなしのバイト代が財布の中から消えており、家の中には天海さんの作品集が積み重なっていた。
そして翌日。
「あら、赤坂君。今日は一段と気持ちが悪いわね」
朝の教室でぼんやりしている僕に、枢木が話しかけてきた。
「ああ……枢木か。おはよう」
「……? どうしたの? 反応が薄いわ」
「ちょっと寝不足でな……ぶっちゃけ完徹だ。あくびが止まらん……」
言ったそばから僕はあくびをした。目じりに涙が溜まる。
枢木は呆れたようにため息をついた。
「寝てない自慢なんて、地に落ちたわね赤坂君。あら、もともと地を這うような存在だったから、地にめり込んだ、の方が正確かしら」
「……」
「でも安心しなさい。赤坂君なら地中のミミズやモグラたちとも仲良くできるはずよ。日陰者同士じゃない」
「……」
「……反応してくれないと一方的に私がいじめてるみたいになるじゃない。いつも通り顔を真っ赤にして反論してきなさい?」
「……」
「……ねえ、何か言いなさいよ」
「……」
「……あの、傷つけてしまったなら謝るわ。でも、あなたなら上手に返してくれると思ったから言っているだけで、本当に思っているわけでは……」
「……ん? なんか言ったか?」
うつらうつらとしている間に枢木が何か喋っていたようだったが、音が聞こえるだけで全然何を言っているか分からなかった。
枢木の表情を見ると、しばしぽかんとした後、今まで見たことないくらい冷たい表情で僕を見下ろしてきた。
「……死になさい」
「なんで?!」
要求があまりに過激すぎる。何か相当まずいことを聞き逃したのかもしれない。
「ごめん! 何に怒ってるか分からんけど、とりあえずごめん!」
「……それ、火に油を注いでるだけよ……なぜ悪いかも分かってないのに謝るなんて、『その場しのぎがしたい』って宣言するようなものだから」
「お、おう。そうだな。気を付ける」
思ったよりもためになる助言をもらった。枢木の怒りはとりあえず収まったらしい。
「何をそんなに遅くまでやっていたのよ」
「……聞きたいか?」
「ええ、まあ。バイトと勉強しかしていない、灰色人生の赤坂君が夢中になるなんて、小指の爪先ほどの興味はあるわ」
「お前はいつも通りだな……これだよ」
僕は鞄から『FACE』を取り出し、机の上に置いた。
「これは……写真集かしら?」
「ああ……本当にすごかった」
「……こっちに向けないで」
「なんでだよ」
「赤坂君が持ってる写真集なんていやらしいものに決まってるじゃない」
「違う! これはそんないかがわしいものじゃない!」
思わず大きな声が出てしまった。驚かせてしまったかと思ったが、枢木は平然としている。
「何に怒ってるか分からないけど、とりあえずごめんなさいって言えばいいかしら」
「……火に油をそそぐな」
枢木の言う通り、理由も分かってないのに謝られるとモヤモヤするな。
以後気を付けることにしよう。
「ともかく見てみろ。貸してやるから」
そう言ってなかば無理やりに枢木に『FACE』を押し付けた。僕の勢いに押されたのか、枢木は首をひねりながらそれを受け取り、自分の席に戻っていった。
枢木が自分の鞄に作品集をしまったとき、言い知れないカタルシスを感じた。これが、自分の好きなものを人に教える喜びだろうか。
枢木はあの写真をどう思うだろう。明日、是非聞いてみたい。
一方的に好きな本を押し付けて、感想を求めるなんて。僕も立派な「喫茶クロワッサン」の住人になっているようだった。
ダレ場です。物語は進みませんが、実は重要な回だったりします。
ついてきていただけると嬉しいです。よろしくお願いします。




