010「枢木雪枝、再び」
六限の数学が終わる数分前、僕はそうっと教室を出た。僕ほどの存在感であれば授業中に教室から音もなく消えるのは造作もない。仮に教師の目にとまった所で、トイレか何かに行ったと思うだけだろう。そのうち教室に戻ってくるだろうと特に心配もされない。
しかし、僕はこのまま授業が終わるまで教室に戻ることはない。あまり褒められた方法でないのは分かっている。だが、こうでもしないと奴を捕えることはできないのだ。
僕は廊下をわたり、下駄箱の近くに待機する。授業中であるため、周囲には誰もおらず静閑としていた。腕時計を見る。後、1分で授業が終わる。僕はそっと下駄箱の陰に身を隠した。
キーンコーンカーンコーン……
周りが静かなせいで、けたたましく聞こえるチャイムの音と共に、各教室の中ががやがやし始める。
そして、チャイムが鳴ってから約30秒。僕らの教室が二階にある事を考えると、明らかにフライングしていると思われる好タイムで、彼女は現れた。
「……赤坂君、学生からストーカーに転職したのかしら」
枢木雪枝、その人である。
その名の通り、雪のように白い肌。手入れの行き届いた黒髪。内臓のありかが分からないほどの細い体躯。あまり表情の変わらない端正な顔立ち。見た目だけならパーフェクト美少女である。
かつては物静かを通り越して一言もしゃべらない、鉄壁の孤城であったが、最近はクラスでもぽろぽろと喋るようになってきた。
ちなみに彼女が最初に言葉を発した瞬間は、クラス内に衝撃が走り、以降その事件は「クルルギ・クライシス」と呼称されている。
「ストーカーに転職なんかするか!」
「ああ、もともとストーカーが本職だものね。転職という言い方は間違っていたわ」
「違う! 言葉の間違いに言及したんじゃない!」
「転職というより天職だったわ」
「誰が生粋のストーカーだ!」
漢字にしないとわからないボケを入れるな。わかりにくい……。
ともあれ、枢木は今日も絶好調らしい。
そんなことをしゃべっている間に、下校やら部活やらに向かう学生が下駄箱に集まってきてしまった。
「枢木、ちょっと相談、というか聞きたい話があるんだ。教室に戻れるか?」
「いやよ。面倒じゃない」
「じゃあ、どこかで話せないか? 僕ともう一人いるんだが……」
「……」
枢木は黙って靴を履き始めた。
え……。無視?
「おい、ちょっと……」
僕が背中越しに話かけようとすると……
プシュッ!!
霧吹きのようなもので顔に何か液体をかけられた。僕は思わずのけぞった。
「なにすんだ!!」
「あら、ほんとに結構効くのね、これ。赤坂君の存在感が少しだけ薄くなったわ」
枢木はそう言いながら、透明な液体の入った小瓶を手にしていた。それは、痴漢撃退用のスプレーでも、人間の存在感を薄めるスピリチュアルな聖水でもない。
その小瓶は、以前僕が渡したタバコの臭い消しだった。
「お前、それ……」
「ちゃんと効くようだから、またあのお店に行っても大丈夫そうね。あそこなら問題ないでしょう?」
あの店、すなわち「喫茶クロワッサン」だ。だけど……
「……。わかった。でもお前、家のこと大丈夫か?」
「大丈夫と言ったら大丈夫よ。私も少しずつ自立しないといけないし。それに……」
「それに……?」
「実は私、コーヒー好きなのよ」
そういうわけで、枢木と僕は後で「喫茶クロワッサン」で合流することを約束した。僕は大槻に成果を報告するために教室に戻った。
「大槻、話聞く約束できたぞ」
「お、さっすがー」
大槻はぱぁっと嬉しそうな表情に変わった。ほんと、枢木とは対照的だ。
「今日、『クロワッサン』に来れるか? そこで合流することになってるんだが」
「うーん。大丈夫だと思うよ~」
おなじみのカラフルな手帳を取り出してペラペラとページをめくりながら大槻は言った。
「で、その話聞ける人って誰なの? 赤坂君くらいガラパゴスゾウガメで赤坂君くらい友達がいない子って想像つかないんだけど……」
「あー、あってからのお楽しみ……かな」
「ふーん。じゃあ楽しみにしとくね!!」
そうして僕らは「喫茶クロワッサン」に移動した。
「……って、枢木さん?!」
店に入るなり、手前のテーブルで優雅にコーヒーをすする枢木を見つけて、大槻は大声を出した。
「大声出すなよ。迷惑だろ」
「あ、ごめん……」
僕の指摘に、さっと口をふさぐ大槻。幸いにも今日は客が一人もいない。いつも奥の席で本を積んでいるササキすらいない。大槻は驚きつつも枢木の正面に座った。
「話すのは、初めて……かもね。同じクラスの大槻こむぎです!」
「……ええ、枢木雪枝、よ」
「クラスメイトなのに初めましてってのもなんか変だね! 今日はよろしくお願いします!!」
「……ええ。よろしく」
大槻の勢いに枢木も押され気味だ。枢木はつい最近までほとんどの人間とのコミュニケーションを避けていたため、同学年の友達と喋ることにまだ慣れていないらしい。若干緊張しているようにも見える。
「今日は何の話をしに来たか、赤坂君から聞いてる?」
「いいえ、何も。この男がここに来いと脅迫したものだから……」
「人聞きのわるいことを言うな!!」
むしろ場所を指定したのは枢木だ。
「えぇ……。赤坂君、さいてー」
「お前も乗っかるな!!」
むしろこの一件の主犯は大槻だ。
ここに来る連中は基本僕を貶めることを潤滑油代わりにしている節がある。
忌々しい……。
「でも、意外だったなー。枢木さん、携帯持ってないんだって? あんまりネットとかもしないって本当?」
「……赤坂君が言ったの? それ」
余計なことを言ってないわよね、とばかりに枢木が僕をにらむ。
何も言ってない、と枢木にアイコンタクトを送った。が、伝わるか伝わらないかのうちに大槻がしゃべり始めた。
「うん。赤坂君が、枢木さんはガラパゴスゾウガメだーって」
「赤坂君。ぶん殴るわよ」
……「ぶん殴る」などと言う野蛮な音感のセリフが枢木の口から飛び出るとは思わなかった。
というより、今のはどう考えても大槻のディレクターズカットに悪意がある。そんな言い方をしたら枢木の悪口を言っているようではないか。
「違うぞ、枢木。僕はただ、お前はクラスに友達がおらず、ネットもあまりしないと言いたかっただけだ。別にゾウガメと容姿が似ているとかそんなことを言いたかったわけじゃない」
「そう。ならいいわ」
「いいの?!」
今度は大槻が驚愕の表情を浮かべる。
友達がたくさんいる大槻にとっては信じられない話だろうが、僕や枢木にとっては友達がいない状態の方が正常で、それを指摘されてもあまり気にならない。
「で、私が携帯もネットの類もしないことに、何の意味があるのかしら」
「……あ、うん。そうだね。本題入らないとね!! 今私達、都市伝説を調べてて……」
軽いカルチャーショックを受けた大槻だったが、すぐに立ち直り、現状の説明をし始めた。僕は一旦席を外し、大槻用の飲み物を用意するためにカウンターに入った。
「モテモテだな。シュン」
僕らの様子をカウンター越しに見ていた店長が、にやにやしながら話しかけてくる。
「そんなんじゃないですよ……。すいません。ご迷惑をおかけして……」
「構わねえよ。どうせ今日は客の入りが悪いしな」
「そういえば、ササキも来てないですね」
「あぁ。調べたいことがあるとかなんとか。多分図書館かどこかに行ってるんじゃないか?」
「へえ……」
基本ササキは本を買っている。読み終わった本を僕にくれることもある。だから図書館に向かうというのは珍しいように思えた。
「で、シュンはどっちがタイプなんだ?」
「だから、そんなんじゃないですって!」
「いいじゃねえか。おっさんはそういうの気になって仕方ない生き物なんだよ」
「どっちもただのクラスメイトですってば」
ほんとか~? などと言いながら、店長は大槻用ココアをカップに入れ、棚から取り出したお菓子を皿に出していた。
「店長、お菓子なんて出さなくても……」
「いいんだよ。どうせやっすい菓子だ。みんなで分けな」
店長はそういって僕にお菓子が乗った皿と、マグカップをさしだした。
店長の顔はとても嬉しそうだ。逆に受け取らない方が不親切に思えた。
「分かりました。ありがとうございます」
「安心しろ。ちゃんと給料からひいといてやるから」
「台無しだ!!」
そういってくれるのも多分、僕が気を使わないようにするための、店長なりの優しさなのだろう。店長は、今や絶滅危惧種となった「気のいいおっちゃん」なのだ。
僕は、両手にカップと皿をもって、熱心に現オカ研の活動を語る大槻と、それに若干気圧されている枢木が待つテーブルに向かった。
と言うわけで、枢木さん再登場です。
テンプレ感があって、動かしやすいのです。
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