014 「ササキの写真」
翌日、僕は再び枢木家本邸に向かった。
館の入り口までたどり着くと、枢木家のメイド、夏目さんが出迎えてくれた。
今日もメイド服だ。前回はそれどころではなかったが、改めて見るとかなりの美人だ。
夏目さんは僕を見つけると、慇懃にお辞儀をした。
「赤坂様。お待ちしておりました」
「すいません。お待たせしてしまいましたか?」
「今日は……真っ二つにされに来たんですよね?」
「違います!」
そんなわけないだろう。数日前の小ネタを引っ張るんじゃない。
「そうですか……残念です。上半身は我が家の壁に飾って差し上げようと思っていたのに……」
「発想が猟師のそれですよ……」
鹿の頭部の剝製か僕は。猟奇的が過ぎる。
「はて……、真っ二つでないなら何をしに来たのですか?」
「いや、写真ですよ写真!!」
なんで小ネタだけ覚えてて本題忘れてんだ、この人。
「冗談です。では、ご案内しましょう」
「普通に案内してください……」
夏目さんは表情一つ変えない。
よくわからない人だ……。
屋敷の中を、夏目さんの後ろをついていきながら、それとなく聞いてみた。
「あの、枢木は? 雪枝さんはあれからどうなったんですか? 学校にも来ていないんですが……」
「……。多くお話することはできませんが、ご当主様にひどく絞られた様子です」
「やっぱりそうですか……」
少し、僕の声のトーンが暗かったからか、夏目さんは少し明るめな声色で言った。
「まあ、明日からはいつも通り学校に行くと思いますよ。私の勘では」
「勘……ですか?」
「ええ。メイドの勘です。的中率は全盛期イチローの打率程度です」
……凄そうだけど、四割に届かないらしい。
ただの勘よりやや弱い。
そんな会話をしながら、前回と同じ部屋に通された。
部屋の中には、幸さんと枢木雪枝が待っていた。
幸さんは前回と同じ椅子に座っていた。撮影の時のようなしっかりとした化粧はしていなかったが、それでもあふれる気品をまとっていた。
撮影時の話を思い出す。彼女が持つ雰囲気がどうやって生まれたかを思うと、手放しに称賛できなかった。
一方、枢木雪枝はかなり憔悴している様子だ。相変わらず顔のパーツは整っているが、顔色が青白く、血管まで見えそうだ。美白というより病的である。
「待っていましたよ。……あの写真家の方は?」
幸さんが声をかけてくれる。
「ああ、ササキは来ないそうです。自分の仕事は終わった、とかなんとか……」
「そうですか。大分その写真に自信があるのでしょうね……。早速見せていただけますか?」
僕は持ってきた鞄から額縁に入ったササキの写真を取り出した。
最後にもう一度だけ、僕は写真を確認し、幸さんに手渡した。
「こちらになります」
「ええ、ありがとう……」
渡す瞬間。僕の手から額縁が離れる瞬間。
僕の指先に不吉な痺れのようなものが走った。
幸さんは、自分にだけ見えるように額縁を抱えて、じっくり写真を眺めた。
その間、かなり時間がゆっくり流れるような感じがした。
僕が撮ったものではない。これはササキの作品だ。
だから、僕が緊張するのはお門違いのはずだ。
でも、よくわからないこわばりが僕の身体を支配する。
冷たい汗が、僕の背中をつたう。
何分経っただろうか。幸さんは、写真を膝の上に伏せ、ふぅ……と長い溜息をついた。
「……どう、でした?」
沈黙に耐え切れず、僕は尋ねた。
「……素晴らしいわ。期待以上。まさしく、私が求めていた写真よ」
幸さんは、僕を見ずに言った。
言葉とは裏腹に、彼女は寂しげに虚空を眺めている。
期待以上。
彼女の期待。『言えない要望』。
もし、この写真が正解だというのなら。
昨日のササキの言葉が正しいことになる。
それは、あまりにも……
「……よかった。ササキも喜びますよ」
「本当に、ありがとう。彼にお礼を言っておいて。お代については後からご連絡するわ」
「わかりました。奴に伝えておきます」
「あの、おばあ様……」
そこで、今日初めて枢木が声を出した。
「雪枝ちゃんもありがとう。私のために頑張ってくれて」
「ううん。それはいいの。私にもその写真、見せていただけないかしら……」
「……いいわよ。見なさい」
幸さんは伏せていた額縁を持ち上げて、写真を枢木に見せた。
「……。これって……」
枢木の眼が見開かれた。驚きと、疑問、そして感嘆。
いろいろなものが入り混じった表情だ。
その反応は、多分昨日の僕と完全に同じだった。
写真に写っている幸さんの髪型や服装、ポーズや表情はササキの前に撮ったものとほとんど変わりはない。
だが、百人見たら百人が違いに気づくだろう。
もしかしたら同一人物だと思えない人もいるかもしれない。
それほどまでに、前の美しい写真とササキの写真は異なっていた。
原因は、彼女の瞳だ。
写真の中の幸さんの瞳はひどく濁っていた。
黒い瞳の中に、ほんの少し白い靄のようなものがかかっている。
迷いや苦悩を帯びた澱みが瞳の中を漂っている。
焦点も合っていないように見え、どこか虚ろだ。
その瞳が写真の方向性を決定づけてしまっている。
美しい髪は、どこか造り物めき、
服装は、服に着られているようなチグハグ感があり、
頬もどこかたるんでいて、何故か顔の皺に目が付く、
表情は、下手な役者のようなわざとらしさがあった。
しかし、不思議な魅力に満ちた写真だった。
写真の全体が、濁った瞳を中心にそれぞれの要素が再構成されて、奇妙な一体感を持っている。
それはまるで、
言われるままに生きて来て、
考えることをやめてしまって、
死の直前になって自分の人生を見失ってしまった、
彼女の人生が、そのまま表れているような写真だった。
この写真を見た後では、何故か前の写真の方が偽物のように見えてしまう。そんな力がこの写真にはあった。
「……本当に魂を抜かれたみたいだわ」
幸さんは小さくつぶやいた。
写真の描写は本当に難しいです。
説明を加えるほど何かわざとらしさが出てしまうような気がします。
精進、精進