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ミステリアスなユージーン  作者: 友崎沙咲
第一項目
1/7

ユージーンはイケメン


∴☆∴☆∴☆∴


家電ショップに並ぶ最近の(前から?)お洒落な冷蔵庫って扉部分が木製とかで、マグネットが使えないのがあるんだって。なんでも、マグネットが使用出来るのは側面のみだとか。いくらデザインが良くても私の中でそれはダメ。だって私にとって冷蔵庫とは、もはや物を冷やすためだけのデカイ箱じゃないんだもの。


まず冷蔵庫の側面部分は自治会から配布される《ゴミの日・分別方法》の紙と、母親からのハガキ。

正面の扉部分は《仕事のスケジュール》&《プライベートスケジュール》を、お気に入りのキャラクターもしくは雑貨屋で買った可愛いマグネットで留める。あ、小さなカレンダーと親友との写真ももちろん貼り付けておかないと。

缶ビールを取り出す度に扉に貼り付けたスケジュールや写真を見るのが、私には当たり前でありながらささやかな活力になっていたりもする。


「あんた、冷蔵庫をデコるのが趣味なの?」


家に来た友人は本気で驚いてたけど、私にとったら冷蔵庫にメモを留めるのが一番忘れなくていいのよね。この度、その大切な冷蔵庫のフロント部分に、私は新たなスペースを設けた。その名も《ユージーンスペース》だ。


「ユージーンはイケメン。これが第一項目?」


ちょうど泊まりに来ていた同期の沙織が、チューハイを取り出した後に《ユージーンスペース》の第一項目を読み上げた。


「そう!」


意気揚々と答えた私を沙織は鼻で笑った。


「そんなの彼を見りゃ誰でも分かるわよ。スラリとした長身に男らしい顔立ち。ああ、私もあんたと同じSD課に移動届出そうかなあ!」


私は冷や汗の出る思いで彼女を見つめた。……あんた先週は確か、営業部の谷村さんが素敵!とか言ってなかった?!変わり身の早さにビックリするわ。


「それに営業部長の島根さんはどうしたのよ」


すると沙織はシラーッとした顔で、


「私ほどの美女を受付嬢にするのは会社として当然の選択よね。来客のオッサンには大好きな野球観戦の優待券貰いまくりだしイケメンには食事に誘われるし受付嬢は最高よ。でも私ももう三十だしさ。そろそろ旦那でも探そうかな、なんてね」

「……ユージーンでいいの?!アイツ変だよ?!」

「だから詳しく教えてよ。どこがどう変なのか」


私は素早く冷蔵庫の扉を開けて缶ビールを取り出すと沙織の腕を掴み、狭いリビングへと引き返した。それから二人して定位置に座ると、ローテーブルに乱雑に置かれたツマミを手にする。


「まだユージーンがSD課に来て一週間だけどさ、とにかく変わってるの!聞きたい?!」


大袈裟に眉を寄せて低い声を出した私に、沙織は見事に食いついてきた。


「うん、聞きたい聞きたい!」


そんな沙織に、私は内心ほくそ笑んだ。……これだから沙織は好き。趣味の観察記録ってものは本来、自己満足を形にしたもの。私の場合それを誰かに、ちょっとだけ教えたい。

そういう観点からいうと、同期で親友の沙織は記録の進捗状況を語るにもってこいだ。彼女も聞きたいみたいだし。


「あのね、昨日なんかね」

「うんうん」


私はビールでツマミを流し込むと、ニヤリと笑って沙織の美しい顔を真正面から見つめた。



∴☆∴☆∴☆∴



この五日前。


「おーい、みんな!入社式がさっき終わったからもうすぐルーキーズ来るぞ。顔合わせするまで部屋から出るなよ」


新庄課長の声がオフィスに響き渡り、私は内心舌打ちしながら肩にかけたバッグを再びデスクの隣のラックに戻した。今日は朝イチで施工業者との打ち合わせが入っている。ゴールデンウィーク前にリニューアルオープンする貴金属店と、シューズ店から子供服店に改装した店の二店舗だ。


「課長ーっ、私行っていいですよね?確かうちのチームは新人来ないはずだし」


私が数メートル離れた課長のデスクに向かって声を張り上げると、課長は私を眼に留めて唇を引き結んだ。涼しげな眼が実にセクシーだが、黙って見つめられると迫力負けしそう。


「ダメだ」


やがて課長は一言そう言った後、フワリと笑った。


「お前のチームに入れたい奴がいるんだ」

「えーっ!課長、うちのチーム多忙につき新人育てる余裕なんてないですよ」


私がそう言うと、課長はあからさまに眉間にシワを寄せた。


「アホか。新人育てるのも仕事のうちだろーが!」


ちぇ。

言い合いが終わり、私たちはお互いの顔を見つめた。

オフィスでは普段、私と課長に甘さなんて全くない。あるのは上司と部下としての、サバサバとした空気のみ。でも、社外での課長は蕩けそうな程甘い。通った鼻筋、清潔そうな口許。……課長、今晩会いたい。

瞳に思いを込めた瞬間、突然課長が今までの真顔を崩した。私が眼を見張るなか、その顔に優しい笑みを浮かべて課長が頷く。……嬉しい。ダメ。やっぱり課長はカッコイイ。

私は観念して再び席につくとおとなしくオフィスで待機した。


∴☆∴☆∴☆∴


「佐渡右仁と申します。株式会社アリシア工藝のSD課で皆様と働けることを大変嬉しく思っております。どうぞよろしくお願いします」


……フレッシュさが全くないんですけど。

私はSD課に配属された十人の新入社員のうち、最後に自己紹介をした佐渡右仁を穴の開くほど見つめた。

ニコリともせず淡々とこう言った彼の声は低くて艶やかだ。それから、背が高くて八頭身以上かと思うほどに眼を引く体型。その上シャープな顔立ちは、どこかエキゾチックで神秘的だ。

なに、この美形は。


「佐渡はわが社の契約会社であるイギリスのSAグループから派遣されてきた。専門はブランディングだがこの度は半年間、SD課で空間創造のノウハウを学んでもらう事となった。岩本菜月、お前のチームで面倒みてやってくれ」


私は課長に名前を呼ばれ、小さく返事をして一歩前へ出た。


「ちなみに佐渡は最近の日本にあまり馴染みがない。みんな仲良くしてやってくれ。新入社員歓迎会の幹事!いいとこ予約してやれよ」


課長の言葉に入社二年目の安藤君が元気よく返事をした。


「抜かりはないですよ、課長!」


その時、ふと視線を感じて顔を上げると佐渡右仁が私を見下ろしていた。その彼の表情に、不覚にも緊張する。ちょっとなによ。その値踏みするような眼差しは。


「岩本菜月さん、お世話になります」

「……こちらこそ」


これが、佐渡右仁と私、岩本菜月が初めて交わした会話だった。


∴☆∴☆∴☆∴


「なあ菜月、いつになったら名前で呼んでくれるんだ」

「……和哉って?なんか違和感半端ない」

「やることやってんだしお互いに未婚なんだ。俺達は堂々と恋人同士だと言える仲だろ?」


薄いシーツに身を包んだ私を後ろから抱き締めて、新庄課長は軽くため息をついた。

新庄和哉。三十歳。私と同い年だが、管理職。それからこの男は本気の俺様男だ。これはあくまでも私の持論だけれど、女が惚れる俺様は実は名ばかりの『なんちゃって俺様』だ。

普段の態度や行動は傍若無人のように見えるが、実はそういう部分を出すのは当たり障りのない場のみで、ここぞという場面では女子の要求を全面的に受け入れ、深い愛情で甘やかす系。だが、この新庄和哉はそうじゃない。ただただ己の欲求のために私を傍に置いている正真正銘の俺様なのだ。


甘い眼差しも言葉も、自分がそうしたい時だけ。私を抱く時のあの仕草も。彼との間に未来はない。

それは新庄和哉がこの株式会社アリシア工藝の社長の甥であり、親交を深めたい取引会社のご令嬢と将来的に結婚する予定だからだ。

ただ相手がまだ未成年のため交際はしておらず、家同士の話し合いの結果、婚約するまでは互いの人生に干渉しないという約束なのだそうだ。

課長はその事実を私に隠さなかった。


『理解してくれるなら婚約までの間、お前を俺のものにしておきたい』


今の私に結婚願望はない。私にとって一番大切なものは仕事。結婚や育児で今まで培ってきたキャリアを棒に振りたくないのだ。

でも課長の事は好きだった。深くなくていい。そのカッコイイ顔と身体で私を満足させてくれるなら、それでいいのだ。新庄和哉という男の心は欲しくない。私はそこまでは求めていない。


こんな考えを持っている自分はいつの間にかピュアじゃなくなってしまって悲しいけれど、三十にもなって心がなきゃ寝たくないとか言ってたらいつまでもセックス出来ない。……ダメ。自分でもひくわ。


「んな事言って、俺が婚約しても泣くなよ」


私は身体に回る課長の腕をほどきながら、アハハと笑った。


「課長こそ、私に恋人が出来ても取り乱したりしないでくださいよ」

「菜月」


シーツを巻き付けたままベッドから降りた私を課長が低い声で呼んだ。


「なんですか、課長」


顔だけで振り向いた私の眼に、一瞬だけ驚いた顔をした課長が写った。


「……いや、なんでもない。送る」

「大丈夫です。寄るところがあるんで。バスルームお借りしたらそのまま帰ります」

「……分かった」


この空気。この態度。『課長』と呼ぶのは私の予防線。彼もそれを解っているのだ。


「ほんと、俺様」 


私はバスルームへと向かいながら、そっと小さく呟いた。


∴☆∴☆∴☆∴


「いい?SD課はね、スペースデザイン課の略」

「分かってます」


私は指先でボールペンをクルクルと回す佐渡右仁をチラリと見た後、気を取り直して先を続けた。


「うちのチームは見ての通り全部で六人。企画担当が山中君、西野君、徳永君、葉山君の四人。デザインと設計が私と仙道君で、佐渡君は先に打ち合わせと企画を学んでもらうから」

「施工者はチームに入ってないんですか?」


私は軽く頷くと続けた。


「施工者は、色んな職種が必要になる場合が多くて大規模な案件はほぼ外注。小規模のディスプレイなら、私と仙道君が二人でやる」


すると仙道君がすかさず突っ込んだ。


「よく言うよ!あのクリスマスのディスプレイはちょっとしたレベルじゃなかったし!飾り付けしたもみの木二本にワイヤー貫通させてそこに電飾巻き付けてプレゼント吊るすのに、どう考えても足場一日は短すぎて無謀だった!それを菜月さん足場バラシの後、脚立に歩み板かけて作業するもんだから危なすぎて俺、気が気じゃなくて」

「だって、もみの木の搬入が遅れて引き渡しがヤバかったんだもの。足場一日延ばすといくらかかると思ってんのよ。それに比べりゃ脚立に歩み板はただ同然」


少し気まずくて早口で仙道君に言い訳すると、私は佐渡君に再び続けた。


「てことで本日からよろしく。あ、日報はあのpcで入力してね」

「分かりました」


ミーティングルームの椅子から立ち上がった私は徳永君に眼をやった。


「徳永君、今日中に新企画の書類作れる?無理なら携帯に電話ちょうだい。先方の大まかな希望知っときたい」

「分かった。俺か葉山がかける」

 「了解」

「じゃ、解散。仙道君行くわよ」

「はーい」


私は今度こそバッグを肩にかけると、仙道君にファイルを返してドアへと足を向けた。


∴☆∴☆∴☆∴


定時後。

施工現場から急いで戻ったものの定時内に間に合わず、私は息を整える間もなくオフィスのドアを開けた。


「ごめん、佐渡君!初日から残業させちゃって」


私はデスクにいた佐渡君に近づきながら申し訳ない思いで顔をしかめた。


「徳永君と葉山君、別件が入っちゃったらしいね。あれ、山中君と西野君は?」


息を切らしている私を見上げると、佐渡君は静かに答えた。


「デパ女との飲み会に行くらしいです。ですから俺が代わりに打ち合わせの大まかな内容とクライアントの要望を岩本さんにお伝えしようかと」


……海外生活が長い佐渡君が『テパジョ』という言葉をちゃんと理解しているのかどうかがちょっと気になるけど……まあいいか。


「マジ?!なんかごめんね」

「いえ別に。俺今日は用事ないんで」

「そっか」


言いながら彼に手渡された報告書に眼を通すと私は少しドキッとした。

……一時間も満たない時間で、ここまで本格的な書類を作ったのか、この男は。


「室内のサイズや間取り、あと写真はどうしましょう」

「いや……まだいいよ。この仕事は今の仕事が一つ片付かないと取りかかれないし」

「何故です?先方は早ければ早いほどいいって仰ってましたが」


何でって……。こんな風に素早く切り返して質問されるとは思っていなかったので、私は少し怯んだ。


「企画担当の山中、西野、徳永、葉山が四件の仕事を同時進行してる。それを追いかける形でデザイン担当の私と仙道が作業にあたるから、これ以上掛け持ちしたら仕事が雑になっちゃう危険性が出てくる」

「……なら、俺もデザイン担当に回った方が良くないですか?」


冗談でしょ。私と仙道君はチームの中でも今回一番忙しい。何故なら、コストを出来るだけ削減するために、自分達で出来る施行は業者に依頼していないからだ。悪いけど今は佐渡君の教育をしている時間なんかない。


「でも……新入社員はみんなそれぞれのチームで企画から学んでるし」


やはりクライアントとの打ち合わせや企画から勉強する方が順序的にいいような気がするし……。


その時、


「一つ言っておきますが俺、社会人一年生じゃないんで彼らと同じ扱いしないでもらえますか」


……へ?


「俺ならどっちから学ぼうが一週間あれば完璧にマスター出来るんで」


……。なんだ、お前は。……アメリカンジョークなのか?アメリカンな感じが皆無だけれども。

その真意を見極めたくてソッと佐渡君を窺うも、言い終えて唇を引き結んだ彼の端正な顔にひと欠片の笑顔もなかった。……素かよ、引くわ。何か知らんが、凄い自信だな。

私は開いたままの口をさりげなく閉めると、小さく咳払いをしてからやんわりと彼の提案を否定しようとした。けれど、


「多分、課長ならオッケイくれると思いますんで明日からは岩本さんに同行します」


……マジでなに、この子。28歳の男性を『子』と表現するのも変かもしれないけど。自分を高評価するのは実績の証かも知れないが、引っ掛かるのは『一週間で完璧にマスター出来る』の部分だ。……それって……このSD課の仕事内容を理解した上での発言?

イラッとした。

私達の仕事をバカにするなという思いが、真っ先に胸の中を支配した。


「一週間でマスター出来るのは手順であって仕事じゃないよ」


その感情が私の声を硬くし、なにかを感じ取ったのか佐渡くんが顔をあげて私を見つめた。


「……」

「……」


お互いが真っ直ぐに見つめ合い、沈黙が流れる。

すると突然、佐渡くんが私から視線をそらしてフッと息だけで笑った。その端正な顔がどこか私を小バカにしたような気がして無意識に眉が寄る。


「なに」

「……別に」


何が『別に』よ。なんか思ったから笑ったんでしょうが。言い返してやりたかったけど、小さな事でムキになる女だと思われるのは嫌だった。だから私は出来るだけ、ホントに出来るだけ冷静に佐渡君に告げた。


「一つだけ言っておくけど」


私がそう前置きして佐渡君を見ると、彼は手元の書類に落としていた視線をあげた。


「……なんです?」


切れ長の眼がゆっくりとこちらを見て、その焦点が私で定まってゆく。


胸がドキッとした。切り込んだような二重瞼とりりしい眉が実に魅力的で怯みそうになる……けれども!負けていられるかっ!

私は不覚にもドキンとしてしまった自分を恥じつつ、こう言ってのけた。


「空間デザインの可能性って無限よ。そんな思考で挑むと、理解した気でいる自分の狭い可能性を恥じる事になるわよ。たった一週間でね」


言って唇を引き結ぶと私は佐渡君の眼を見つめた。佐渡君は一瞬だけ瞳を丸くしてそんな私を見ていたけど、すぐに軽く頭を振ってサラリと前髪を揺らすと小さく咳払いをした。


「ほう……それはそれは……。ますますあなたに付いて勉強がしたくなりました」


ゆっくりと机に肘をつき手の甲で精悍な頬を軽く支えた彼は、斜めから私を流すように見た。


「…………」

「さぞかし岩本さんのデザインする空間とやらは、見るものを魅了する無限の可能性を秘めてるんでしょうね」

「見るものを魅了?そんなの甘いわ」


私はグイッと彼に顔を近づけて、至近距離でニヤリと笑って見せた。それから近付いた分、声を落として再び続ける。


「見る人だけじゃないわよ。私が作った空間に一歩入ったなら、その人に夢をあげるわ。たとえその人が涙していたとしても、私がデザインした空間にいる限り、幸せにしてあげるのよ。……じゃあ、資料どうもありがとう。また明日ね」


言い終えたのが早かったか立ち上がったのが早かったのかはまるで覚えていないけど、とにかく私は佐渡君からもらった書類をガシッと掴むと悠々とした足取りでオフィスを後にした。

……ダメ。演じすぎた、エネルギー使いすぎ……!足から力が抜けそうになるのに耐えつつエレベーターのボタンを連打し、私はそれに乗り込んだところで漸く大きく息をついた。

走ったわけでもないのに心臓がバクバクと激しく脈打って、思わず両目を閉じる。途端に佐渡君のあの、妖艶な眼が蘇った。男らしい頬や、通った鼻筋、それにセクシーな口元も。


「ああっ!」


一人きりのエレベーターの中で、私は耐えきれずにそう呟いた。自分の中で、起きてはいけない事態が起こってしまったという事に強いストレスを感じたのだ。ま……負けそうだったわ私、あの顔に。佐渡右仁の、あの姿形に。黒い貴石を思わせる瞳や同色の髪、そしてどこか異国を感じさせるような中高な顔立ちが、何を隠そう私の好みのど真ん中。


それからそれから……い……今だかつて、こんな身近にこんな美形な男がいたことがあるだろうか。(生身で)いや、いなかった。思い返すまでもなく確実にいなかった。(生身は)

新庄課長もカッコいいけど、もし顔にスケール当てて測ったら、美の黄金比率により近いのは絶対に佐渡右仁だ。それがなに?!これから半年間一緒?!果たして私は正気でいられるのだろうか。



『好きなタイプの男性は、誠実な人です』



以前、テレビで芸能人がこう言っていた。そりゃ誰だって誠実な人がいいでしょうよ。ちなみに誠実な不細工より誠実な男前のがなおよろしい。もっというと性格のいい不細工より、多少性格悪くても男前がいい。ぶっちゃけて言うと私に対して優しくて誠実なら、他人に少し性悪でも許せるのよ。

そう、姿形がドストライクなら。だって、中身なら少しずつ変えられるかも知れないけど外見は医学に頼らなきゃ大きくは変えられない。


……だからつまりね、何が言いたいかと言うと、はっきり言って私は男前が好きで見た目を重視してるって事。当然付き合うのも結婚するのも男前がいい。女子会でこう言ったら外見重視なんて浅はかだと軽蔑されたこともある。でも私にとって男の見た目は非常に重要で、多分これはこの先も変えようがないのだ。


暫くの後、エレベーターの扉が開ききるのを確認した私は、バッグを肩にかけ直して歩き出した。それから少し乱れた気持ちを落ち着かせるために深呼吸。

……でもまあ……ね、私には愛しい彼がいるんだけれどね。そう、大好きな彼が。片想いだけど。しかも二次元だけどな!!おっと!今日は確か二巻の発売日じゃなかったっ?!私は上着のポケットからスマホを取り出すと、素早くスケジュールを確認した。や、やっぱり!

そして夕暮れの風を感じながら、すれ違う人々の視線を避けるように俯きニヤリと笑う。

……行かなければならない。彼と、彼を連れ帰るために。私ははやる気持ちを抑えながら、地下鉄へと急いだ。


∴☆∴☆∴☆∴


翌日。


「で、安西課長は部下の結城君にとうとうコクられたわけだ」

「そうなのよっ!一巻ではさ、安西課長は結城君を頼れる部下としか見てなかったんだけど、離婚してからプライベートでも何かと力になってくれる結城君に素の自分を見せるようになっていってね、二巻ではやたらと女子社員に受けのいい結城君に微妙な感情を抱くのよ。その二人の台詞や眼差しがたまらないの。ああ、もうキュンキュンするわー!」


言い終えてA定食の唐揚げを口に運ぶ私に、沙織が少し呆れたように私を見つめた。


「バリバリのキャリアウーマンのアンタが、まさかのBL漫画好きとはねぇー。いやあ、人は見かけによらないもんだわね」


私は少し咳払いしてお箸を置いた。


「BLだったら何でもいいんじゃないからね!?瀬戸カナデ先生が描くBLが好きなの、私は。あのね先生のBL漫画の男はめちゃくちゃカッコいいの。そこいらの生身の男の百倍はイイ男なのよ」


「ハイハイ」

「いやいやホントだよ?今度家飲みの時に貸してあげるから!あのね瀬戸カナデ先生の描く男はね、今までに私が付き合ってきた男より断然、」

「フッ」


んっ?!フッ?……なに今の。そう思ったのはほんの一瞬だけで、私は後ろを通った人物が佐渡君だとすぐに分かった。


「ここ、いいですか?」


艶やかに響いたこの声で。途端にパアッと沙織の顔が輝く。


「どうぞ。佐渡さん……ですよね、菜月と同じ課の」


そう言った沙織に、佐渡君は優雅に微笑んだ。


「初めまして。岩本さんの下で勉強させていただく事になりました、佐渡右仁です」

「わたし、菜月と同期で受付やってる川島沙織です」


続けて佐渡君が沙織に言葉を返す。


「お名前を伺えて光栄です。岩本さんと同期とは思えないほどお若く見えますね」


な、なんですって?!なんでわざわざ私を引き合いに出すのよっ!

ランチのトレーをテーブルにおき、右隣に腰を下ろした佐渡君を私は睨んだ。


「やだー、佐渡さんってお上手!」


どこがじゃ!

今度は喜ぶ沙織を刺すように見つめる。


「ゆっくりお話したかったけど残念!私もう行かなきゃ。じゃあね、菜月。佐渡さんごゆっくり」


微笑んで少し頭を下げた佐渡君を見たあと、沙織は私を意味ありげに見て去っていった。


「……いただきます」

「えっ?」


何をいただくのかと思わず佐渡君を見た私を、彼は訝しげに見た。


「昼食ですが」


あっ。

物凄く自分が間抜けで恥ずかしかったから、私はそれをごまかすかのように微笑んだ。


「Aランチ美味しかったわよ」

「これはBランチです」

「っ……」


もうっ、なんなのよ、噛み合わないわね!


「漫画が好きなんですか」


……やっぱ聞いてて鼻で笑ったんだ。

佐渡君は淡々とそう言ってお味噌汁を手に取った。


「二次元の男の方が現実世界の男よりいいですか」


チラリとこちらを見た彼の端正の顔が、私を小バカにしたように思えた。


「今までロクな男と出逢わなかったんですね、お気の毒に」


チッ!クソッ!


「 私はずっといい恋愛してきてます、ご心配なく。……あのね、そういう事じゃないのよ。瀬戸カナデ先生の描く男が、世界トップレベルだっつー話なのよ」

「フッ」


……こいつめ。


「確かに現実世界にも佐渡君みたいに、ビジュアルだけ!がいい男なんていっぱいいるんだけどさ、」


ピ、と佐渡君が動きを止めた。私はそれに気付かぬフリをしたまま続ける。


「ビジュアルだけじゃなくて性格も堪らなく素敵だから瀬戸カナデ先生の描く男性は尊いのよ。あ、そうだ私の趣味よりさ、佐渡君の趣味ってなに?別に興味ないけど教えて」


ホントはすごい興味あるけど。それになんか突っ込める要素があったら後で沙織との酒の肴にしてやりたいしね。

私が言い終えて佐渡君に身体ごと向き直ると、彼はまだ僅かに不満そうな顔で箸を動かしていた。


「なんですかそれ。興味ないなら聞かなきゃいいじゃないですか。それに、俺の性格も知らないのに『佐渡君みたいにビジュアルだけ!』って失礼だと思いますけど」


フッ、わりと子供ね。そんなところでむくれるなんて。私は内心ニヤリとしながら口を開いた。


「ビジュアルが良いって褒めてるんだよ。それから佐渡君だって私の趣味に興味ないけど知っちゃったじゃん。だからおあいこ!」


私がニッコリと笑うと佐渡君は少し驚いたような顔をして、一瞬だけ咀嚼を止めた。


「趣味なに?アメフト?それともバスケット?佐渡君背が高いし体格いいしスポーツ系かなと思って」


ニコニコして彼を見つめると、やがて我に返った佐渡君は食べながらその合間に言った。


「趣味は……舞台観賞です」

「えっ、どんな?」


驚いて眉を上げる私を眼の端にとめて、佐渡君は短く答えた。


「……色々です」

「もしかして、オペラとか?」


私の問いに、佐渡君は僅かに視線をさ迷わせた。


「そうですね。オペラやミュージカル、ああ、能も好きだな……芸術性の高い物が好みです」


……私の想像の遥か上の回答ではないか。佐渡君は、ポカンとして見つめる私に唇の端を上げて笑い、


「……まあ『漫画』などと言って、二次元の男に入れあげてる!岩本さんには俺の高尚な趣味は理解できないでしょうが」


……入れあげてるって……凄い悪意を感じる言い回しだわ。内心イラッとしながらも私は微笑んだ。


「けど佐渡君も漫画に出てきそうだよ?ビジュアルだけ良くて、中身が最低最悪な恋敵役とか」


あはははっ、言ってやったわっ!案の定、佐渡君は悔しそうな表情を浮かべつつも、プライドからなのか静かな口調で、


「そうですか。御馳走様でした」

「お粗末でした」

「岩本さんに言ってません」


チッ!いちいち可愛くない!可愛くないけど……お箸を置き、両手を合わせて少し顔を伏せた佐渡君の横顔は素敵だと思った。ああ、ビジュアルは本当に私のドストライクだ。漆黒の柔らかそうな髪と、少し反った睫毛、低くないけど高すぎない形のよい鼻。綺麗だなあ……。


「そんなに見つめてもダメですよ」


佐渡君のその声にハッとして、私はパチッと瞬きをした。すると佐渡君は、私の心を見透かしたかのように妖艶な笑みを浮かべて、流すようにこちらを見た。

その眼差しに、不覚にも心拍が上がる。そんな私に佐渡君が再び口を開く。


「随分見惚れてますけど、くれぐれも俺をオトそうとか考えないで下さいよ。俺、何の取り柄もないアラサーなんか興味ないんで」


何の取り柄もないアラサー!!

何の取り柄もないアラサー!!

ぶっ殺すぞテメー!

こ、こんな言葉で私の嫌みに対して復讐を遂げようとしてくるとは!悪役令嬢の男版……悪役令息かコイツはっ!未だかつて、こんな無礼な男がいただろうか。いや、いない。

怒りからかショックからかは定かでないが、手がアル中みたいに震えるわ!それを抑えるように脳細胞全てに指令を出すと、私は口を開いた。


「私、彼氏いるから安心して。それにいくらビジュアルがドストライクでも佐渡君を好きになる日なんか百万年生きれたとしても来ないから大丈夫だよ。あ、そうだ。午後から私はディスプレイの小物のチェックに行かなきゃならないから仙道君についてね。じゃあね」


足の指全部にグッと力を入れ、私は立ち上がると社食を出た。

人差し指が逆に曲がりそうなほどの力を込めてエレベーターのボタンを押と、胸のムカつきを抑えようとギュッと両目を閉じる。

……何の取り柄もないアラサーだと?何の取り柄もないなんて、なんでお前に分かるのよっ!

エレベーターに乗り込み、SD課のオフィスがある5階を目指すと私は口に出して毒ついた。


「ビジュアルよけりゃ多少の性格の悪さは見逃せるけど、あれはヤバいレベルじゃない?」


……口に出すまでもないわ。あれは性格悪すぎ!てゆーか、私に意地悪なら、恋愛対象外よ。やがてゆっくりと扉が開く。私は完全にそれが開ききったのを確認すると、ゆっくりと一歩踏み出した。

さあ、仕事仕事!

脳内から佐渡右仁をドカッと蹴り出し、私は大きく息を吸い込んだ。

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