1-4 決心
「そもそもこの世界はあまりにも不完全であり未完成なんだ。ゲームに例えるなら、動作確認やバグがないかのチェックもせずに発売してしまったようなものさ。この世界を作った神様がやけに人間くさいのが原因の1つだとも言えるけどね。完成してない中途半端な世界にはどんな問題が起こるか分からない。だから神様はこの世界にやって来た全ての死者に対して問題に立ち向かう能力を与えたんだ」
そう語った真は葵を指さして微笑む。正確に言えば、指先は葵の腕を指していた。
葵もアリザも思い出す。彼の腕がまとった青白く光る籠手。襲い来る怪物。そんな怪物を殴り倒す葵。現実の中にファンタジーを混ぜ込んだあの光景を。
「葵君が見せた籠手も、私が葵君にあげたゴーグルも、神様が与えた能力さ」
真の指の先が葵の腕から首にかけたゴーグルへと動く。
「例えば私には毒を生み出す能力があってね、転じてそれを薬として利用しているんだ。君に与えたゴーグルには、人の自信、やる気、勇気といった前向きな感情を呼び起こさせる毒が仕込んである。副作用として、ゴーグルを外すと疲れによって気を失ってしまうけど、万が一にも怪物に殺さるよりはと思ってね。それだけ葵君という人間は脅威に対して何もできない、ごく普通の一般人だったからね」
そう言って真は笑う。葵は笑えなかった。アリザはどんな顔をするべきか分からなかった。
「とまあ、長々と語っちゃったけど、そろそろ本題に入ろうか。説明しなきゃいけないことが多いとする方もされる方も困っちゃうね?」
真はアリザの方をじっと見つめる。葵にそうしたように、蛇のような目で。
「私はこの世界から脱出したい。新しい人生を手に入れたい。偽りの幸福に身を浸して成仏したつもりになっている死者ではなく、生身の人間として、ちゃんと生きて自分の手で幸福をもぎ取りたい。そのために私は神様に反逆したい。だけど、私1人じゃそれはできない。だからアリザちゃんにも協力してほしいんだ。この世界に違和感を感じた君の力を貸してほしい」
内容に対して真の顔は、葵にそう語った時のように楽しそうで、まるで演説の真似をする子供のようだった。
「今すぐにとは言わない。葵君にも言ったけど、とりあえず明日まで待つから、明日また答えを聞かせてもらえるかな?」
「……分かりましたわ」
真の言葉にアリザは頷く。その目には、光が宿っていた。
「それと、葵君。君は明日までに自分の能力の名前を考えておこうね」
「名前?」
葵が首を傾げると、真は大げさに両手を上げる。
「そう、名前をつけると能力や技に対するイメージを掴みやすいからね。具体的な能力のイメージってのは安定して能力を使うのに必要なことだ。それに、能力に名前をつけることで日常と非日常を区切りやすくなる。思考を切り替えることで、戦いの中で常識を失わずにすむって訳さ。君はもう非日常に巻き込まれちゃったからね、嫌でも戦いには巻き込まれることになる。それじゃ、また明日ね」
そう言うと、真は窓を開けて外に出て行った。入るときも窓だったのだろうか。
「ちょっと⁉ここ2階ですわよ⁉」
アリザが慌てて外を覗くが、いくら探しても真の姿は見当たらなかった。
◇◇◇
アリザの好意で執事の人に車で送ってもらった。何度か執事も黒く見えることがあったが、今日はもう戦いたくないと気にしないことにした。違和感を感じているのが相手にバレていなくて本当に良かったと思う。
「名前、かあ……」
そして現在、夜。自宅に帰って来た葵は自室のベッドに寝転がりながら今日の出来事について考えていた。
能力の名前を決めろと言われたが難しい。ゲームだって主人公の名前を決めるのに迷うのだ。ましてや能力の名前なんてこれからどれだけ自分の人生に関わってくるのか分かったもんじゃない。もっとも、真が言うには既に死んでいる葵が人生をどうのこうの言うのもおかしな話のような気もするが。
考えているのはそれだけではない。この世界からの脱出についてもだ。葵がこの世界に感じていた違和感は真からの説明によって解消している。理由が分かっていれば違和感を感じることもない。
この世界に適応してしまえばNPCに襲われることもない。ならば、この世界から脱出することに何の意味がある?
そもそも葵は自分がどんな願いをこの世界で叶えてもらったのかも分からない。ならば、新しい人生を手に入れることに何の意味がある?今までと同じ生活が続くだけではないのか?
「……嫌だなあ」
ぽつりとそんな言葉を声に出していた。戦うのは恐い。恐いものからは逃げて、何も知らずに、我関せずで引きこもっていたい。仮病を使って学校を休むように、嫌なものから目を背けたい。
鬱屈とした考えが頭の中を巡っている。考えれば考える程、不安も恐怖も大きくなっていく。
「……風呂に入るか」
シャワーでも浴びて頭をすっきりさせよう。
「もう逃げられませんよ。犯人は貴方です」
「く、くそ!完璧なトリックだと思ったのに!」
1階に降りると、父親がリビングでテレビを見ていた。老紳士が謎を解く刑事モノだ。
「貴方がどれだけ難解で完璧に近い謎を作っても、こうしていつかは暴かれるんです。人は、自分のしたことからは、起こしてしまった過去からは逃れられないのですよ」
「う、うう……くそ、くそう‼」
老紳士の言葉に犯人の男が膝から崩れ落ちる様子を見ながら、葵は着替えとタオルを持ってリビングを抜け、脱衣所に入っていった。
「過去からは逃げられない……か」
◇◇◇
次の日、濃密な土曜日を過ごした後の日曜日。
葵はゴーグルを首にかけて外に出て公園へと向かう。真と連絡を取る手段がないので、相手から来てくれるのを待つしかない。真ならばどこにでも現れそうなものだが、なんとなく家の中に現れたら嫌だなと思ったが故の外出である。
そのまま公園のベンチで携帯電話をいじりながら真が現れるのを待つ。しばらくすると近所の子供達が2人やってきてサッカーを始める。時々黒く見えることからNPCなのだろう。さすがにNPCにももう慣れてしまった。気にしなければ襲われることもない。
子供達のサッカーを眺めていると、蹴ったサッカーボールがあらぬ方向に飛んで、公園の外の道路に落ちた。
「なにやってんだよー」
「ごめーん」
子供の1人がボールを取りに公園の外へと出る。すると、道路から1台の黒い車が向かってくるのが見えた。
「あ、危な……」
危ない。そう葵が叫ぼうとした時だった。
キキィッ!と少し急ブレーキ気味に車が止まる。距離があったおかげか、子供にぶつかることはなかった。
子供が戸惑っていると車の中から黒服サングラスの男の人が出てくる。
「怪我はありませんか?」
「うん、大丈夫」
「それは良かった」
黒服と子供のやりとりを見ていた葵は、あの車が昨日自分が送ってもらった時と同じ車であることに気付く。
車の後部座席のドアが開いて中から、
「やあ、アリザちゃんだと思ったかい?私だよ」
真が出てきた。してやったと言わんばかりにイイ笑顔でこちらに向かって手を振る姿になんだか苛立ちを感じる。
「御機嫌よろしくて?」
真の後からアリザが降りてくる。黒服と子供に近づいて子供の頭をなでると、子供はサッカーボールを持って友達の元へ戻っていった。
黒服がアリザに一礼して車に乗って来た道を引き返す。アリザはこちらにやってくると途端に不機嫌な顔になる。
「ちょっと聞いて下さる⁉朝起きたらいきなり枕元に真さんが不気味な笑顔で立ってて心臓が止まるかと思いましたわ!その上悪びれもせずにいきなり『外に行こう』ってひっぱりだされましたのよ?横暴にも程がありますわ!」
「そ、それは大変でしたね……」
誰かに聞いて欲しい程に不満が溜まっていたのだろうか。隣では真が「えへへー」と頭をかきながら笑っている。反省しているのかしていないのか、微妙なラインの表情が見る者の心をモヤモヤさせる。
「さて、まずは返事を聞こうかな?君達が私の野望に協力してくれるか否か……」
真は急に表情を変える。獲物を狙う蛇のような目で2人を見つめる。うっすらと浮かべている笑顔が見る者の背筋を凍らせる。
「もちろん断ってくれても構わない。私と出会った記憶は消して元の生活に戻してあげることもできる」
そのような目で言われても説得力はなさそうなものだが、おそらく彼女の言っていることは本当なのだろう。
「私は協力します。今記憶を失っても、どうせまた違和感を感じることになりますわ。それに、世界からの脱出劇だなんて、面白そうですもの」
そう言ってアリザは笑う。真に負けないくらい、獰猛に。
「なにより、与えられたモノにずっと甘え続けるなんて、私の性に合いませんもの。私、守ってあげたい系よりも背中を任せられる系ヒロインの方が好きなの。上から目線でこちらを見つめる神様とやらをブッ飛ばしてやりますわ」
おそらく、昨日の時点で答えは決まっていたのだろう。彼女の目に宿った光はきっと、その覚悟の表れなのだろう。
「そっかそっか、真っ直ぐそう言ってくれて嬉しいよ。葵君はどうする?」
「僕は……」
笑顔を向ける真の目を葵はじっと見つめる。1回深呼吸をして口を開く。
「僕も協力します。知ってしまったことからは、逃げたくないから」
過去からは逃げられない。完全に昨日のテレビの受け売りだ。テレビの言葉などいつもならば聞き流しているが、その言葉はタイミングが良すぎた。葵に覚悟を決めさせるには十分だった。
「僕はこの世界から出て行く。自分がいるべき場所に帰りたい」
ある意味で、それは「逃げ」の覚悟だった。過去から逃げたくないから世界から逃げる。ただ対象が違うだけのことだが、その違いは大きい。
「うんうん、2人共よく決断してくれたね。私はとっても嬉しいよ」
真は嬉しそうに何度も頷くと、指をパチンと鳴らした。
「さあ!今から私達は幸せに支配された世界に抗うレジスタンスだ!なんともカッコイイ響きだね、レジスタンス!」
そして腕を大きく広げて叫ぶ。演説のパフォーマンスのようだ。
「貴方、結構そういう言い回し好きですわよね、昨日から思ってましたけど」
そんな真にアリザは目を細める。葵が最初に出会った頃から彼女はわりと演説ちっくだった。
「君だってお嬢様言葉使ってるじゃん?似たようなものだよ」
「これは好きで使っている訳ではありません。直そうにも直せないんですわ」
「ああ、多分『お嬢様になりたい』とか願っちゃったんだろうね。あの神様形から入るタイプだからなあ……」
「ふうん……」
どうでもよさそうな会話でアリザの神様に対する敵意が膨らんでいた。もしかすると、この3人の相性はあまり良くないのかもしれない。
「ねえねえ、お兄ちゃん。今、レジスタンスって言った?」
なんだか不安になってきた葵に話しかけてきたのは、さっきまでサッカーで遊んでいた子供達だった。NPCだということを知っていると、目に曇りがなくて無邪気そうだなんて知った風なことも言えない。
「え?ああ、言ったよ?ちょっとした遊びだよ。遊び」
「あー、いっけないんだー!ウソつくと怒られちゃうんだぜー!こんな風に!」
こちらを指さして叫んだかと思ったら、小さな子供達の姿が真っ黒に染まる。
「ッ‼」
真っ黒なNPC2人は交わって1つの大きな球体となる。形を変え、色がついていく。変化を遂げたソレは、2つの頭を持つ巨大な犬の化け物だった。
「「グオオオオォォォォォッ‼」」
2つの叫びが公園に響き渡る。
「オルトロスか……」
化け物の姿を見て真は呟く。
「オルトロス?」
「そう」
アリザがそう聞くと、真は頷く。2人共、化け物から目は離さない。
「ギリシア神話の地獄の番犬ケルベロスの弟、2つの頭を持つ犬さ。神様が用意した化け物の中には元ネタがあるものを多いようだよ?」
「よく知ってますわね?」
「若気の至りってヤツだよ。黒歴史も役に立つものだね」
「貴方何歳ですの?」
いきなり遠い目をする真にアリザの目がさらに細くなる。
「ってゆーかコレって、蛇乃目さんが『レジスタンス』とか叫ばなければこんなことにはならなかったんじゃ……」
「な、ななな何を言ってるんだ葵君⁉これはアレだよ!君達が本当に関わる覚悟ができたかテストするためにワザと叫んでだね⁉」
「絶対ウソですわね」
なんだか真に対するイメージが崩れそうな葵だった。
「と、とにかく!まずは私に力を見せてくれたまえ!この戦いをレジスタンスの第一歩としようじゃないか!」
「はあ……」
ため息を吐きつつも、葵はゴーグルをかける。その瞬間、自信と熱さが力となって体中に満ちてくる。
「よおおおおぉぉぉぉぉっし!来い‼」
拳を握って力の限り叫ぶ。前髪が逆あがる。
手の甲に「甲」の字が入った楕円が浮かび上がり、青白く光る籠手に姿を変えて両腕に装着される。
「ところで、その能力の名前は決まったのかい?」
「ああ、もう決まってる」
毒のせいか、自信の表れが口調にも出てくる。
「行くぞ!蒼茫練武!」